the 12th flight 「盗賊鴎」
「親不孝共の環礁」の、何処かの空。
普通の飛行機が滅多に飛ばないような、蒼空の高み。
「盗賊鴎」は、そこを舞っていた。
翼幅の大きい、逆ガル状に形成された主翼は、巨大な球形スピナーから延びた六翅の大直径プロペラから主脚の長さを稼ぐための苦肉の策だった。それでも、低アスペクト比の主翼が引き出す高い旋回性能は損なわれてはいない。
高出力液冷エンジンを包む太い機首の横手からは、鮟鱇の口のように巨大な冷却口と排気口が顔を覗かせ、機首から絞り込まれた胴体は細く、華奢に見えた。その後端に立つ角ばった垂直尾翼は小さく、本来の役割を果たせるのかも疑わしい。
巨大なスピナーの先端から身を覗かせる砲口は、遮るものの無い高空では、冴えた陽光を直に受け、鈍く輝いている……初代の「盗賊鴎」から三代目に至るまで引き継がれた高速度速射砲。それが、「盗賊鴎」の唯一の武器だった。砲身だけではなく、機体そのものも黒く塗られ、光を吸い込んで不気味に輝いていた。
不思議なことには、「盗賊鴎」には操縦席が無かった。無かった、というより無いと言い切ってしまっても自然なほど操縦席は小さく、狭い。狭い座席に腰を下ろし、ベルトに身体を縛り付け、さらに通信機のコードと酸素供給チューブを繋げれば、そのまま機と一体化してしまうといっても過言ではない。
折り畳み式の照準器に、エンジン回転計、旋回計、速度計、高度計……狭い計器板を占めるのは、これだけだ。その内装はまるで特注の戦闘機というよりはグライダーのそれを思わせた。
……その反面、主翼を翻し獲物を狙う姿は一面では獰猛な盗賊鴎のそれを連想させる。
「…………」
風向きが変わりつつあることは、風向計より先に躯が報せていた。
瞬時の内に気流の流れを読み、肩を左右に傾ける……それに反応し、一面の蒼の世界を自在に滑る機体。
巨大な主翼を持ち、反面トンボのそれのごとく胴体の細い「盗賊鴎」は、高度によっては操縦者の懸ける重心を移動させるだけで機を操作することが出来た。ただ、使いこなすには前述した通り、空のあらゆる事象を知り尽くした経験と研ぎ澄まされた勘を駆使する必要がある。
環状の操縦桿は、その中に射撃用のスウィッチは勿論のこと、スロットルやプロペラヒッチ。さらにはフラップや降着装置の操作、緊急加速用のオーバーブーストのスウィッチをも閉じ込めている。機の大概の操作は操縦桿の中だけで可能だった。
だが、「盗賊鴎」を駆るジェイナは、三代目のこの機に乗り換えてこの方、緊急加速用のスウィッチだけは使ったことはない。それほど、「盗賊鴎」の戦闘力、ジェイナ自身の技量は他を圧倒的に引き離していた。
「飛行機の性能がいいだけさ」
……と、口さがない同業者の中にはそうあからさまにジェイナを悪く言う者もいる。本当にそう思うのなら、高性能の機体を造って乗ればいい―――もちろん、てめえで稼いだカネで―――それが出来ないからこそ、皆は僻むのだ。彼女はそう思っている。
だが、端的に言えば「盗賊鴎」の機体そのものは、彼女と速射砲が効率よく仕事をするための単なる「足」であり、「翼」であるのに過ぎない。ジェイナにとって「賞金稼ぎ」とは、あくまで「空飛ぶ狙撃者」であって、辞書的な意味での飛行機乗りではなかった。
主翼を翻し、機首を向けた先は、最果ての孤島。そこが、「親不孝共の環礁」で仕事を始めたドロバースト一家と彼女の、当面の根城だった。
主翼を翻し、旋回に入る「盗賊鴎」の翼端が、真白いベイパーを曳いていた。
地上に降りるのには、十年前の「あの日」以来、少なからぬ勇気が要るようになった。
親子式の二重フラップと、主翼前縁のスラットは、狭い飛行場での安定した離着陸を可能にする高揚力を引き出すための必需品だ。複雑な構造から導入には少なからぬ出費を要したが、離陸用に緊急加速ロケットなんて乱暴なものは使いたくなかった。
絹を切り裂くようなエンジンの鼓動に、聴覚を封じられた中で、主脚が地面を擦る音を、ジェイナは聞いた。烈日の下で乾燥した地上。舞い上がる砂埃が、彼女には毎度の事ながら煩わしい……軽く水でも巻いておけば、収まることだろうに。
エプロンに滑り込み、エンジンをカットすると、舌打ちと共に風防を開いた。風防ガラスそのものが横に開くのだ。
バンドを解くと、ジェイナは腰を上げた。地上で待つ「忌々しい」海賊どもが、ニタニタしながら駆け寄って来る。
「どうでしたかぁーーーーー!」
「二機は確実ね。跡形もなく吹っ飛んじゃったから」
シガーケースから取り出した煙草。海賊の一人が恭しげに火のついたライターを差し出す。
「この汚い飛行場、何とかしてくんない? 埃でエンジンに傷が入ったらどうすんのさ」
と、嫌味の一つでも言いたくなる。
飛行帽を脱いだ彼女の頭上を、一機の武装飛行艇が飛び過ぎて行く。一機が過ぎれば、そのまた一機が飛び過ぎ、気が付けばドロバースト一家の全戦力が孤島の上空で旋回している。マッタイ島空襲を始め、その日の内に行われた「親不孝共の環礁」の各島空襲から帰還したのだった。
「賑やかだこと……」
一服して放った煙草の煙が、潮風に煽られて、何処かへと舞って行く。
機を降りた彼女と入れ替わるようにしてやってきた整備員連中が、機首カバーを開いた。ラッチ固定式の機首カバーは観音開きになっていて。エンジンへのアクセスを容易にしている。
……が、そのエンジンが只者ではない。
壁を伝う茨の如く、エンジン本体を縦横無尽に走るパイプ、配線の類。配線から顔を覗かせる円形の過給器は異様に大きく、収納するのに機首カバーには専用のこぶを設ける必要があった。
エンジン本体を貫くクランクシャフトに至っては三本、点火プラグは五〇本もあり、構造の複雑さを圧倒的な量感を持って見る者に印象付けられる。当然、量産が効くものではない。配管からネジ一本に至るまで「職人」による手作りの特注品だ。
当然、スターターモーターや外部電源のような「通常の手段」での始動など、到底不可能なため、始動には特殊な手段が用いられる。搭乗時、散弾銃の薬莢を思わせる装薬カードリッジを専用のアクセスパネルに装填し、トリガーでそれを爆破させるのだ。その爆発力でエンジンは漸く始動する、という運びになる。
飛行場の端では、車が待っていた。オープントップの赤い乗用車。また何処かの島から略奪してきたものだろう。無造作に縛帯を座席に放り出して車に飛び乗ると、ジェイナは無言で顎をしゃくる。アクセル全開の爆音もけたたましく、車は勢い良く走り出した。
島に唯一の平地を利用した急造飛行場に面した沿道からは、列線を形成する「同業者」たちの愛機を眺めることが出来た。思い思いに装備と塗装を施した機体。その個性的な面々は、何度見ても見飽きることがない……まあ、それらを操る連中はもっと個性的ではあるが。
車は飛行場の沿道から汚い小道に差し掛かり、そこを全速で突っ走る中で、ジェイナは結んでいた髪を解いた。向かい側から吹き付ける風に、豊かな黒髪が後ろへ揺れた。
ポケットから取り出した黒眼鏡を人差し指一本で懸けると、またシガーケースから煙草を取り出し、咥えた。
慌ててライターを差し出そうとする部下を、手を振って拒否する。
クラクションを連発しながら突っ走るジェイナの車の前。角の死角から現れた一台のトラックが、突っ込んでくるジェイナたちに驚き、慌ててハンドルを切った。
忽ち、トラックは前から椰子の木に衝突した。その衝撃で、荷台に満載した物資や人員が音を立てて零れ落ちる。肩越しにその光景を見やりながら、ジェイナたちは大口を開けて笑うのだった。
車は、やがて環礁を臨む道に差し掛かった。環礁に停泊するのは船ではなく、仕事を終えた武装飛行艇。その巨大な艇体の間を縫うように、人員を満載した動力付きの小船がディーゼル音もけたたましく行き来している。彼らの中には、例外なく一人は小銃やマシンガンを手にしている者がいた。島は、ちょっとした泊地と化していた。
「このまま『町』へ行きますか?」
と、運転手がにやけた顔で聞いてくる。その締まりのない面を殴りつけたいのを抑えて「行け」と、ジェイナは首を振る。丁度、一杯やりたいところだった。
この島の場合、環礁に面した浜辺に、その「町」はあった。
何処からその在処を聞きつけてくるのか、海賊が泊地を作れば、その周辺には必ず「町」ができた。海賊の後を飲酒、売春はもとより、その他もろもろの快楽と慰安に関わる商売人が付いて回るのである。
みすぼらしいバラックが連なる通りには、暇を持て余した海賊どもの体臭と蛮声で満ちていた。乗り入れ禁止が不文律であるはずの通りを、ジェイナは渋る運転手の頭を蹴り付けて無理に進ませる。
その通りの一番奥まった一角にある宿屋兼酒場―――「雌猫亭」―――が海賊に雇われた「賞金稼ぎ」どもの根城だった。
「おおっ!……我等が撃墜王のお出ましだぜ」
むさ苦しい男共が、杯を掲げてジェイナを迎えた。皆、ジェイナとともに数多の修羅場を飛んだ歴戦の勇士であり、血に飢えた空の狼どもでもある。ジェイナの引きもあって、新たに「ドロバースト一家」に雇われることとなった連中だった。
男の一人が、ジェイナに一本の酒瓶を放った。重い一升瓶の中、毒々しい色を放つ液体を、ジェイナはまじまじと見詰める。
……が、それも一瞬。口で栓を開けると、ジェイナはガブガブと液体を胃へと流し込んだ。時を置かずして、場から感嘆の声が漏れた。エンジン冷却用のアルコールにワインと蜂蜜を混ぜた度数五〇度の特製酒だった。賞金稼ぎが景気付けと度胸試しに、それもストレートで良く飲むものだ。
「二機殺ったって? ジェイナ」と、一人が自分の隣の席を空けた。
「ここの連中は湿気てるわ。あんなの殺ったうちに入んないわよ」
「いいじゃないか、それだけ楽な仕事ってことさ」
「海賊のお守りの方が、ずっと楽じゃないやね!」
ニヤッと笑い、カウンターに置かれた腿肉をナイフで切ると、ジェイナはその一切れを丸呑みした。
「まあ……湿気てようが湿気てまいが、ちゃんとした報酬をもらえるだけずっといいさね」
「お金なんて、嫌って程稼いでも、『相棒』に消えていくからねえ……あたしの場合」
「ジェイナは飛行機に金懸け過ぎなんだよっ」
と、男達は笑った。下卑た、あっけらかんとした笑いだった。
ジェイナも笑おうとしたとき、不意に襲ってきた「疼き」に、ジェイナは思わず頭を抑えた。
またか……空から降りれば、必ずこいつは襲って来るのだ。
「疼き」は煩悶を伴い、歴戦の賞金稼ぎをも苦しめる。他者のことに構う余裕など、失われてしまう。そのとき……
「先生!」
と、海賊の下っ端がアタフタと「雌猫亭」の暖簾を潜る。
「先生はいますかぁ! ボスがお呼びです!」
「…………!」
苛立たしげに思わず掴んだ瓶を、ジェイナは背後へ放った。
「ガフッ!」
酒瓶は、見事に下っ端の顔面を直撃した。
「間が悪かったな。ジェイナは今発作の途中なんだよ」
事情を知る男どもは、ゲラゲラ笑った。それを、ジェイナは憎らしげに睨み付ける。
「黙れ……!」
気圧されたかのように、場は静まりかえる。
その一方、「疼き」に苛まれる意識の中でも、新たに暖簾を潜ってきた男達の話し声が聞こえてくる。
「ところで、変な噂があるんだが……」
「何だ?……言ってみろよ」
「政府軍のお偉いさんが、この島に来てるらしい」
「何しに……?」
「さあね……何かの取引じゃないか?」
「取引?……海賊と何の取引をしようっていうんだ」
「さあね……ただわかることは、それも大人の事情ってやつさ」
コン……コン。
すでにここに来てからの日課のようになっていた昼寝の最中、光義の頭を唐突に蹴る者がいた。
「ん……?」
光義は、不機嫌そうに片目を開けた。
開いた眼の先――――刺し込んでくる太陽の光を背景にした人影に、眼を凝らす。
人影は、程なくしてリナの姿となって光義の視界に飛び込んできた。
「ヨッ……」
「何で起こされたばかりでてめえの顔を見なきゃいかんのだ」
リナは怒りに頬を引き攣らせた。
「あたしだって、好きであんたの顔を拝みに来たんじゃないわよ」
光義は半身を起こした。
「お前、寝てるやつの頭を蹴って起こすか? 普通」
「親方が、あんたを呼んでる」
素っ気無く、リナは言った。
リナに連れられて向かった先、格納庫に面したエプロンでは、一機の輸送機が試運転を始めていた。
波打つ外板に覆われた主翼は分厚く、そして広かった。
固定式の主脚を生やしたモノコック製の胴体は、その先端に顔を覗かせる一基の、それも機首からラジエーターがむき出しの水冷エンジンだけでは離陸すら危ぶまれるほど太い。当然、プロペラは木製の固定式だ。さらには機首から垂直にそそり立つ排気口が、空力的な洗練など地の果てまで追いやってしまったかのような、武骨な雰囲気を一層際立たせる。
光義は、機首に眼を凝らした。
「…………?」
そのエンジンには、一見して違和感があった。「世界」が違うからか?……と思ったが、そうではなかった。
水冷にしては何と言うか、野暮ったい、鋳造部品を多用した設計である。それにカタログ出力にしてはやけにガタイが大きい。
「軽油で動かすエンジンよ。瞬発力はないけど、持続性は十分にあるから」
と、リナは言う。要するに、光義の世界で言うディーゼルエンジンである。
そのジュラルミン地肌の胴体側面には、汚いペンキで「ヴァイオレット‐リーベル商会」と殴り書きされている。操縦席が剥き出しではなく、かろうじて風防ガラスに覆われているのが救いといえば救いだ。
光義の姿を認めたゴフが、無言で機を指差す。
「飛ばせるか?」
少し黙り込んだ後、光義は言った。
「飛ばせるんじゃないか?」
「よし小僧。一丁やってくれ」
「小僧……?」
唖然とする光義の背後で、リナが口を押さえて「プププ」と笑った。
「どうした?……さっさとしろ。時間がねえんだ」
「…………!?」
光義は、ゴフを睨み付けた。だが、戦地では一睨みで若年搭乗員を震え上がらせた彼の眼光も、この男には通じなかった。
ゴフは笑った。光義のそれより渋く、男臭い笑いであった。
「何だその眼は? ウチじゃあ客でもただ飯は食わせねえぞ」
「…………!」
憤懣やるかたない自我を押さえ、光義はキャビンに足を踏み入れた。
いかにも取って付けたという感じの座席に腰を下ろし、計器類を確認する。単純な計器類の一方で、自動車のハンドルのような操縦桿と、やたらと多いレバー類を除けば、先日に乗った練習機とその実際は大して変わらない。
光義の他には、ゴフ自身と、経理担当のシオ‐ジムニーが乗り込んだ。
「こいつが墜ちたら、ウチも終わりだなあ」と、工員のボス格、ルヴ‐ルーンが酒臭い息を吐きながら、冗談にならない冗談を言う。
「若いの。責任重大だぞ」
「ちゃんと整備はしたんだろう?」
操縦席から頭を除かせた光義の問いに、ルヴは毛むくじゃらの親指を、自らに向けた。
「計器からネジ一本に至るまで、俺がやったんだ。安心せいボウズ……ヒック……」
真っ赤な顔に、シャックリを連発させながら。ルヴは胸を張る。
それとは対照的に、光義の顔から、さっと血の気が引く。
「てめえ、まじかよ……!」
「帰ったら……否、帰れたら殺してやる!」……と言いたいのを堪え、光義は再び操縦席に腰を下ろすのだった。
「行ってらっしゃーい」
と、ファイが笑顔で手を振る。
手を挙げ、光義はそれに応える。それが合図であるかのように、スロットルレバーを開く。車輪止めを解かれた機体は、案に相違してスルスルと滑走路の上を走り出した。
滑走する中、伝声管を伝って、インカムにゴフの声が入ってくる。
『離陸したら、二六〇へ針路を向けろ』
「…………」
『返事は? 小僧』
「ヨーソロ。針路2―6―0」
『船乗りじゃああるまいし、湿気た返事すんなぁ。小僧』
「てめぇ……!」
離陸……悪態を付きかけながらも、ハンドルを握る手とフットバーを踏む足は、機体を指示された通りの方位に導いている。
地上から離れた銀色の翼を、リナはそれが見えなくなるまでずっと見送っていた。一心に、空の彼方へ眼を凝らす彼女の横顔を、ファイは怪訝そうに見上げている。
「リナ……?」
返事はない。
延ばした手が、リナの袖を引っ張った。
「あっ……御免」
「リナ、どうしたの?」
「ううん……何も……」
慌てたようにリナはファイに背を向けると、早足で歩き出した。
「…………」
多感な少女なりに、彼女の後姿に感じたもの――――自然と込み上げてくる悪戯っぽい笑みに身を任せるかのように、ファイはリナを追って駆け出した。
「リナァーーーーー」
「何さ?」
「ミツヨシ、早く帰って来るといいね」
「あいつは……帰らなくていいよ」
リナは、さらに歩を早める。
「ねえ……リナ?」
「ん……?」
「ミツヨシのこと、好き?」
「何言ってんの!? あんた!」
怒鳴りつけた先には、笑顔を浮べたファイの姿。
「やっぱり、好きなんだ」
「…………」
口ごもるリナに、ファイは言った。
「何なら、ミツヨシに話してあげよっか?」
「いい……!」
ファイがさらに何か言おうとするのを、リナは遮った。
「あたし、仕事があるから……!」




