第1話 やけ酒の末に
この日は、やけに葡萄酒がよく身体に入った。
今まで何度となく、パーティーをクビにされ続けてきたが、今回ほどぞんざいな扱いを受けたことはない。
「何が、簡単にやらせてくれると思った、よ。私は神官だっつの!」
神官とは、神に操を立てることで、癒しの力や防御幕といった『奇跡』と呼ばれる加護を与えられ、それを駆使する存在。
教会での治療活動に加え、迷宮攻略における後衛として、重宝される傾向にあった。
ただし、貞操を失う――つまりは処女を失うことで、奇跡を使えなくなるという点が、時折彼女――エメリーヌのような美しい冒険者に、災いをもたらすのだった。
「それにしても、年増か……」
簡単に性行為へ発展できると思われた理由について、エメリーヌはため息をつく。
エメリーヌは、今年で二十五歳になる。
十五歳で成人し、早いものでは次の年に出産を迎えるこの世界において、確かにエメリーヌは適齢期というものを大きく逃していた。
幸い、容姿には恵まれているため、まったく貰い手がないということはない(今回のように手を出そうとしてくる輩はいる)。
断っておくが、エメリーヌに結婚願望がないというわけではない。むしろ、誰よりも強いといって差し支えないほどのそれを持っている。
それでも、エメリーヌが今日まで貞操を守ってきたのには、理由があった。
(ディアールの花園で、求婚されたい……)
エメリーヌは、とある冒険者の物語の一説に憧れを抱いていた。
冒険者の一割も到達できないとされる迷宮の奥深く、そこにあるとされる、目を見張るほどの美しい花の園。
そこで、冒険者パーティーのリーダーを務める男剣士が、女神官に熱い思いを告げ、結ばれた。
幼い頃、家の蔵書を読み漁っていたエメリーヌは、その光景に夢を見た。
そして、その夢は二十年近く経った今でも、変わらず胸に残っている。否――幼き日以上に、というほうが正しかった。
しかし、現実は残酷だ。
憧れの冒険者は、確かに実在した。ただし、存在したのは二千年前。
現在、冒険者自体は一定数いるが、高難易度の迷宮を探索する者はほとんどいない。
文明が発達するにつれ、高難易度の迷宮から取れる高位の魔鉱石や万能な調理器具といった骨董品がなくとも、人類は豊かな生活ができるようになった。
今では、低難易度の比較的安全な迷宮から採れる魔鉱石の需要が高く、それを定期的に採取するだけで安定した生活を送れる。
冒険者を管理するギルドに来る以来も、低難易度の迷宮で行うものが大半で、高難易度の迷宮に関するものはほんどない。
つまり、命の危険を冒してまで、高難易度の迷宮を探索するメリットが少ないのだ。
「やっぱり、いないのかしら……」
現在の基準に照らし合わせると、ディアールの花園の難易度はAランク。挑むことができるといわれる冒険者は、世界全体で二、三パーセントほどしかいない。
エメリーヌの母国であり、滞在しているラビリア王国の冒険者数を考えると、人数にして三、四人といったところになる。
その上、未婚の男性という条件まで付いてくるというのだから、絶望的と表現せざるをえない惨状だった。
「マスター、おかわり!」
バーカウンターを挟んで向かいにいる初老の男に、空いたガラス製のジョッキを見せながら、次を要求する。
「お嬢さん、そろそろ止めておいたほうが――」
「お嬢さん? あたしはもう二十五だっつの……っ!」
いいから、次を持ってこい。
懐から葡萄酒がもう十杯は飲めるであろう額の貨幣を、エメリーヌがカウンターに叩きつける。
その様子に身体を震わせながら、マスターはおろおろと薄暗い店内を見まわした。
助けを求めるように見た周囲には、エメリーヌを除いて一人しかいない。
白髪交じりの短髪に、顔立ちだけはいい無精ひげを生やした中年だった。
灰色のコートの下にある肉体は、筋骨隆々という言葉が昔は似合っていたといえる感じで、ほんの少し引き締まっている。
様相から、エメリーヌと同じ生業の人間と思われる。
中年はおろおろするマスターを見かねてか、エメリーヌの方へ寄っていった。
「お嬢さん。マスターが困っている」
「だから、もう私はお嬢さんって歳じゃ――」
自分は年増だと、そう言い返そうとしたところで、偶然にも中年の左薬指に目が行った。
この世界では、既婚者は左手の薬指にBランク以上の迷宮で取れる銀色の鉱石で作られた指輪をつける。
そしてこの中年の薬指には、それがなかった。
加えて、よくよく男の服装を見ると、灰色のコートの素材は上質なもので、その下に装着している銀色の胸当ても貴重な鉱石を使っている上物。
得物こそ持ち合わせていないが、相当の技量を持つ人物だということに気づいた。
「ねえ――」
半分、あやふやな意識のまま、エメリーヌは勢いそのままに尋ねた。
「私を、ディアールに連れて行って、くれる……?」
「それは、俺に求婚しろといっているのか?」
「連れて行けるのかどうか、聞いてんの!」
相手の問いに答えることができる思考力は、残っていない。
「大丈夫か?」
「いいから、どうなのよ!」
「――そうだな」
そろそろ、良い頃合いかもしれない。
男はそう言って、小さく笑った。
それがこの日、エメリーヌが微かに覚えている最後の記憶だった――。
「――へ……?」
目が覚めると、いつも使っている安宿とはまったく違う光景が広がっていた。
ヤニが沁みついていない木目の天井に、身体を軽く繊細に包み込む上質な寝具、そして隣には同じような寝台がもう一つ。
「起きたか」
「――っ!?」
声がした左隣を振り向くと、寝台の上で酒場の男が魔導書らしき分厚い本を読んでいた。
「えっ……へっ……?」
「おい、大丈夫か。顔が真っ青だぞ――」
「防御幕!」
エメリーヌが声を上げた瞬間、寝台と寝台との間が、天井まで届く高さの薄い透明な壁によって仕切られる。
奇跡は無事に発動した。
守るべきものが守られている――エメリーヌは小さく安堵の息を吐いた。




