プロローグ
崩落した地下鉄構造体の暗がりを、人影が進んでいた。
鼻腔を刺すのは、焦げた塩ビの匂いと、酸化鉄の粉塵。旧都市の交通基盤を支えた神経網は、年月と崩落の繰り返しで、錆びつき、朽ちた骸と化していた。
瓦礫の合間を縫い、無名のストリーマー『ヤクモ』は静かに身を滑らせる。
《LIVE AREA - #SHINJUKU_3F》
[STREAMER: YAKUMO | CLASS: Unknown]
[VIEWERS: 79] [SUPPORT: ¥0]
[DEVICE: UNLICENSED /
CONNECTED: “XU-Tech 3rdHand Ver.2”]
[STREAM: ACTIVE]
「……ちゃんと映ってるよな?」
革のグローブで額の汗を拭いながら、ヤクモはマイクに口を寄せる。
海外製の古いARヘッドセットは、赤外線補助も満足に使えず、HUDの遅延すら体感できるレベルだった。
視線を軽くスライドさせると、空中に浮かぶ複数のUIウィンドウが切り替わった。
視界には歪んだHUDのインジケーターが展開される。
→ 【配信】タブ
表示された画面に映るのは、ヤクモの視界そのものだ。指で空中をなぞり、コメントウィンドウを透過表示にする。
その下では“REC”インジケーターが、赤く脈動していた。
[LIVE: 03:17]
[VIEWERS: ↓72 / COMMENT: 23]
これはライセンスなしの個人配信。
正規登録された、いわゆる公式配信ではない。
違法ではないが、補償の対象外。
発見されれば切断が常だ。
画面の隅に浮かぶ視聴者数は低いまま。
多くはスリル目的の観測者であり、発言も断片的な雑音に近い。
《画質ひでぇw》
《シンジュクは草》
《XU-Techってどこのデバイス?》
《どうせ海外製の安いやつだろ》
《UNLICENSEDって通報対象?》
だが、配信は生きていた。
今この瞬間は観られている。
視聴者たちは、まさに彼の目そのものになって廃墟を進んでいる。
「うるせぇな金がねぇんだよ。こっちはギリギリ違法のスリルで売ってんだ。黙って見ろ」
左手をスライドさせ、配信画面を縮小、そのまま
【地形スキャン】タブを開く。
展開されるHUDには、簡素な地図とセンサー反応。
外界のスキャン精度を示す数値は45%未満。
簡易なマッピングシステムが、断続的なノイズを返し、通路や壁面の構造すら曖昧に塗り潰されている。
「マッピングもゴミです。まあ、期待通り」
《ノイズで見づれぇ》
《臨場感ある》
《どうせ死ぬなら見せ場くれや》
《なんか演出しろよ》
「演出ね……これでも命懸けなんだけどな」
腰から吊るした貧弱なツール群は、見た目以上に実用性もない。スタンバトンはバッテリーが劣化、防御フィルムは半損壊。マグシールは拘束時間最大3.4秒。
格安通販サイトの中古セットだった。
《そんな装備で大丈夫か?》
《非ライセンスw》
《闇配信なんてやるやつおるんか》
更新を知らせる通知音とともに、マップ上の現在地情報が自動で切り替わる。
[CURRENT POSITION:
WEST SHINJUKU SUBSTRUCTURE
(現在位置:旧西新宿駅地下)
RECOMMENDED ROUTE: DEVIATED]
(推奨経路:逸脱)
自身の位置を確認しようと、表示されたマップをスライドする。
そのとき、画面の端に赤いポップアップが浮かび上がった。
[UNAUTHORIZED DEVICE DETECTED
(認証外デバイスを検出)
THIS STREAM IS NOT AUTHORIZED]
(この配信は許可されていません)
苦笑するように呟いた。
「非正規、記録外、知ってるよ。それでも——」
[MONITORING MODE ACTIVE ——
CORE MEDIA SYSTEM]
(監視モード有効化/コア メディア システム)
「観てるんだろ? 連中は……」
[LIVE: 03:27]
[VIEWERS: ↑121 / COMMENT: ↑42]
その瞬間、HUD上に新たな通知が表示。
目を細め、画面右下の点光源、小さなドットを確認した。
小型の黒いドローンが、照明も発さず、静かに背後を並走している。
[LIVE: 03:28]
[VIEWERS: ↑164 / COMMENT: ↑46]
視聴者とコメント数が増えていく。
彼らはこの公式外の探索に、いくらかのスリルを期待して接続してきている。モラルやルールは、今この瞬間の興奮の前では価値を持たない。
「関係ねぇ……これがバズればいい」
《ワンチャン映ればバズる》
《死ぬなら目立て》
《今日の喜劇枠きた》
突如、警告音が跳ね上がる。
そして機械じみたチープな声色のアナウンス。
【スキャン】タブが自動的に切り替わった。
「ほら、きたきたっ!」
[ENTITY DETECTED:
HUMANOID_RELICT - CLASS: D]
(人型残留体/クラス:D)
ターゲットスキャンにより認識された敵影は、崩れた鉄骨の影から這い出てくる、どこかヒトの名残りのある輪郭。
だが動作は断続的で、関節の角度も異常なまま歩行を模倣しているようだった。
「なんだ、グールかよ……」
[RECOMMENDED ACTI——『認証外デバイスの使用は許可されません』『この配信は記録されていません』
「うるっせぇ!」
続くアナウンスを遮るように、鳴り響いたアラート音と機械音声に、思わず顔を顰める。
「またかよ、ナビ切ってんだけどな、マジで!」
《AIナビ切ってんの草》
《てか非ライセンスやばくね?》
「記録外ったって、ドローンで追い回して撮ってんだろ?PV広告の収入も寄越せよな……」
《公式の玩具》
《まともな金入るほど見てねえだろ》
[RECOMMENDED ACTION:
EXCLUSION / JAMMER DEPLOY]
(推奨行動:排除/妨害装置の展開)
「そんなもん持ってねぇっての!」
ノイズ混じりの表示がさらに崩れる。
[TYPE: HUMANOID_RELICT - CLASS: D”
“IDENTITY: ██ / ORIGIN: ██ / ████”
“∷∷∷∷∷∷∷∷”
「おい、スキャンバグってんぞ。なんだこれ、どうすりゃいいんだ」
《これだから安物は》
《大人しく推奨機使わんから》
映像が歪み、再起動を繰り返し、ノイズの比率が増していく。
警告表示は増え、複数の熱源反応が近づいていることだけが分かった。
信じられるのは、薄暗い光源と記憶だけ。
「くそ、多いな。 逃げ道……マップ、マップ!」
《逃げろw》
《バグってる》
《これはもうダメなやつ》
「舐めんな、簡単に終われるか……!」
崩れかけた石柱をかいくぐり、土埃の積もった床を蹴りながら、必死に逃げ道を探す。
闇雲に走った先、視界の端でノイズ混じりのHUD上に、かすれたサインが浮かんだ
「あれは……!」
半壊した壁面に残された、緑のピクトグラム。
そのマークを信じて、身を投げるようにその階段を駆け上がった。
崩れた鉄板、軋む手すり、息を詰まらせながら扉を蹴り開ける。
「だあぁっ!」
そして、目の前に広大な景色が広がる。
倒壊した高層建物群に、割れたアスファルト。
隙間から満月を遠く霞む空。
——地上だった。
「……っ、はぁ……!」
息を荒げ、地面に膝をつく。
《帰還w》
《生存確定きた》
《バズあるかも》
[LIVE: 03:52]
[VIEWERS: ↑354 / COMMENT: ↑137]
HUDの“LIVE”インジケーターが一段階明るくなる。視聴者数が急増し始めていた。
それを横目に、口角をわずかに上げて、ぽつりと呟く。
「へへっ……これが、演出ってやつだ……」
だが、そのとき後方で硬質な足音が聞こえた。
息を整える暇もなく、HUD越しの視界が真っ赤に染まる。
カツ、カツ、カツと、静かな規則正しい足音から、思いの外、巨大な影が現れた。
視界の端、倒壊したビル群の影から。
横歩きで。
[ENTITY DETECTED:
GUILLOTINE_CRAB / ENEMY CLASS: A]
(個体識別ID:ギロチンクラブ/危険度:A)
[RECOMMENDED ACTION:
ESCAPE IMMEDIATELY]
(推奨行動:逃走)
それを一言で言い表すなら、鋼鉄で作られた外骨格を持つ“機械の蟹”だった。
全身が鈍い金属光を放ち、節ごとに溶接跡のような継ぎ目がある。
そして特徴的な左右差のある巨大な両鋏。
だが、その片方は明らかに攻撃に向けらた物では無さそうだった。
自身の頭上から垂れ下がる、黒い紐。
その末端を器用に挟んでいる。
「ギ、ギロチン……?」
視線が、無意識にその紐の先を辿る。
見上げた先、空から吊るされているようにも見える、不自然に背負われた構造物。
その蟹、ギロチンクラブは、自らで処刑装置を背負っていた。
《こっち見てるw》
《日本人はこいつも食う》
ギリリ、と鋏が締まる。
吊索が引かれ、刃がゆっくりと持ち上がった。
そして、落ちる。
地響きのような金属音と同時に。
まるで威嚇。
見せつけるような、処刑のデモンストレーション。
お前のための刃だ、と告げているようにも見えた。
「つか、クラスAって……ヤバいだろこれ!?」
思わず一歩後退する。
そのとき、周囲の暗闇が、わずかに光を返した。
静かに浮かぶ球体がひとつ、またひとつ。
気づいたときには、既に取り囲まれていた。
辺りから響き始める電子音。
光学迷彩の中で浮かび上がったそれは、監視用ドローンだった。
[CORE MEDIA SYSTEM:ONLINE]
ドローンは音もなく空間を囲み、等距離に配置された。まるで舞台の観衆、あるいは照明のように。
HUDが自動的に切り替わる。
コメントウィンドウが急激に膨張し、視界の右端が飽和する。HUDの右下で、コメントが滝のように流れていた。
[LIVE: 03:59]
[VIEWERS: ↑1056 / COMMENT: ↑418]
《キチャキチャ!!》——《映える景色》——《処刑確定》《SUPPORTゼロは草》──《完全にカメラ目線》——《おわたな》——「グロ注意?」——
——《本日の喜劇者》
「俺が……喜劇……?」
目を配る余裕はなかった。
だが、チャリン、と軽快な通知音が鳴り、コメント欄の上に、ひときわ大きくログが表示される。
《SUPPORT: ¥200 / COMMENT: 頑張れw 》
「お前っ、ふざっ……」
その瞬間、画面が乱れる。
映像が歪み、視界が赤く染まり、映像は切断された。
[ERROR: CONNECTION LOST]
音声だけは、しばらく生きていた。
ノイズ混じりの中で、ヤクモの声がうっすらと届く。
なにかが軋む音、叩きつけるような衝撃音。
やがて再び、鋭い金属音が響いた。
最後に残されたのは、無機質なAIアナウンスだけ。
『認証外デバイスの使用は許可されません』
『この配信は記録されていません』
『認証外デバイスの使用は許可されません』
『記録されていません』
『■■■■■■■■■■』




