第46話
驚いて片方しかない目を見開く鉄雄。
対照的に桜は眉ひとつ動かさず、重力に任せるようにこくりと頷く。
【帰還アプリケーション】の説明書きによれば、1日1回制限、いつでもどこでも使用可能で、パーティを組んでいる仲間すべてを"各々の"《拠点》まで飛ばしてくれるらしい。
その能力はまさしく、先ほどまでの鉄雄が欲しがっていた物に他ならない。
「……今日はもう遅いし、一度《拠点》に戻って休み、後日、改めて鉄雄の仲間とも話をしたい」
「それは構いませんけど、比叡中学校と榛名女学院じゃ距離が十数キロも離れてますよ」
一度別れてしまえば、完全な地図と【電探】があっても『気楽に会える』とは言い難い。
「……私と鉄雄でパーティ状態を維持しておけば、タブレットで通話をすることができる」
「なるほど。それなら先輩と桜さんで会話ができますしね」
「……愚ま……妹のことなんてどうでもいい。私は異界探索で連携を取るため、比叡中学校のトップと話をしたいだけ」
塔子と話をしたいのは本当だろうが、楓がどうでもいいというのは明らかに嘘だと分かる。
何せ無表情がデフォルトの桜だが、楓の話題のときだけ"姉の貌"になるのだから。
「……だから榛名女学院が当初計画していた『金剛高校との連携』を取りやめるのも、楓が締め出された私怨などでは決してない」
うわー、めちゃくちゃ"キ"てるよ。
俺と先輩にとって金剛高校の連中はどうでもいい存在に成り下がってしまったけど、桜さんにとっては敵として認識されたな、コレ。
「……それでは【帰還】を使うためにパーティを編成する」
桜は自分のパーティを解散し、通路の奥に控えていた仲間を呼び寄せる。
「「ごきげんよう」」
「あ、こんばんは」
スカートの端をつまみ、優雅に一礼する2人の女子生徒に挨拶を返す。
獲物として1人は薙刀、もう1人は洋弓を持っているのも実にお嬢様らしい。
物腰の端々から、一瞬猛禽類のようなオーラが見え隠れしたが、気のせいだろうか。
……いやまあ、桜共々、地下2階を歩いているくらいだから、並大抵の胆力ではないのかもしれないが。
それはさておき、鉄雄がリーダーとなって、エリカ(爆睡中)、桜、女生徒2名の計5人でパーティを組む。
桜はパーティメンバーを確認すると、別れの言葉も合図も無しに【帰還】を発動。
鉄雄は瞬きした次の瞬間、比叡中学校の昇降口に立っていた。
*
――日中の実験の結果、コボルト等は檻に入れて連行しない限り、赤い部屋へ入ってこれないのと同様、《拠点》までやってくることはできないと判明している。
そう。
判明しているのだが有事に備え、ダンジョンの出入り口には交代制で常時見張りを立てている。
そして今回、ある意味では"有事"に直面した2人の見張りの生徒たちが、驚きの声をあげた。
「鉄雄さん!? 無事だったんですね!」
「いま、どうやって現れたんですか!? あ、いや。それより楓さんたちをすぐに呼んできます!」
見張りはそう言い残し、2人で廊下の向こうへと去ってしまった。
「おいおい、この場を空にしちまったら見張りの意味がないだろ」
ひとり取り残された鉄雄は苦笑するが、悪い気はしない。
自分(鉄雄)が生還したことを喜び、一刻も早く楓たちに教えてやろうという、見張りたちの気持ちの表れなのだから。
「先輩たちも無事に帰ってこれたようで何よりだな」
地図で確認した限り、楓たちのルートに問題がないことは分かっていたが、改めて言葉で聞くとホッとする。
壁にかけられた時計を見ると、0時を回ったばかり。
恐らく楓が有賀の被害者に【欠損補填】をかけ、目を覚ました直後というあたりか。
……待つことしばし。
「鉄雄! 鉄雄! 鉄雄!」
ドドドドド、という地鳴りと共に体操服姿の楓が姿を見せ、そのままダイビングで飛びついて来た。
桜と違って胸部に受ける圧力は物足りないものの、彼女から漂ってくる日なたのような匂いが、鉄雄に安らぎを与えてくれる。
「「鉄雄さん!」」
やや遅れて、金髪縦ロールとアイに次ぐ準巨乳を揺らしながら塔子。楓に負けず劣らずつるぺたな黒髪美少女の葉月と続き、
「よかった……鉄雄さん。お帰りなさい」
誰?
他のメンツと同じように比叡中学校の体操服とブルマを着用した彼女を一言で表すなら『美少女』だ。
しかし、鉄雄の記憶に該当する人物はいない。
銀髪セミロングで背は150台半ば、胸は推定Cカップ。
儚げで幻想的な雰囲気を纏っており、どことなくアイに雰囲気が似た女の子。
鉄雄が謎の美少女を前に首を傾げていたところ、抱擁を終えた楓がイタズラ猫のような笑みを浮かべて言った。
「ほら、"アキラ"ちゃん。その姿では初対面なんだから、ちゃんと自己紹介しなきゃダメよ」
「えーと……その……姿形どころか性別も違ってますけど……早乙女晃……です」
「アイェェェェ!」
驚きのあまり、口から意味不明の絶叫が飛び出してしまう。
晃は中学二年としては小柄であるものの、それでもまごうことなき男だ。
ウイッグをつけて化粧をしても、『うーん? 男? 女? やっぱり男……だよな?』という感想を引きずり出すのがせいいっぱい。
しかし、目の前の銀髪少女は10人いれば10人が『完璧な女の子、それも超がつく美少女』と断言する容姿だ。
大体にして、いかにうまく女装したとしても、体格だけはごまかしようもない。
胸のふくらみしかり、股間の異物の有無しかり。
さらに肩幅も男なら絶対にガッシリとしてしまうし、腰の位置も男の方が低い。
だが、彼女? は出るところが出て引っ込むところが引っ込んでいる。
少しばかり背が低いことを除けば、およそ女の子として申し分ないプロポーションと言える。
「いやいや。冗談は止めろよ。この子は外見だけじゃなく、声も匂いも女の子そのものじゃないか」
「あの……そんなにジロジロ見られたら……その……恥ずかしいです……」
「……鉄雄さん、マジで気づいてねえのか? 自分自身の例で考えればすぐ分かんだろ」
「いえ、あれは気づいていながら、あえて現実から目を逸らしているだけですわ」
葉月、塔子。うるさい。
……分かってる。分かってるんだよ。
どうせアレだろ?
さっき売り切れになった【義体♀】を買ったのが晃だったっていうオチなんだろ。
「なんだ、ちゃんと分かってるんじゃない」
「男が可愛い女の子になるっていう現実を、他人ごととして受けれることに抵抗があったんですよ」
「僕が可愛いなんて……そんな……」
うあああああっ!
ヤバい。その照れた顔は本気で可愛い。
――いやいや、落ち着け俺。
コイツは男、コイツは男、コイツは男。
……ああ、でも、肉体的には完全な女の子なんだよな。
「オイオイ、鉄雄さんが頭から煙を噴いてフリーズしちまったぞ」
「今日は立て続けに色々あったわけですし、脳の処理が追いつかなくなったのではありませんこと?」
また葉月と塔子が好き勝手なことを言ってくるが、あながち間違ってない。
とにかく体に加え、頭も疲れてしまった。
全員の安否を確認したことだし、情報交換は明日にして、軽くメシを食って風呂に入って眠ってしまいたい。
*
……という希望を伝えたところ、すんなりと通った。
調理部でもある葉月が急ごしらえした軽食を貪り、男子寮の大浴場で簡単にシャワーを浴びる。
左腕が無いために右半身を洗うのには難航したが、適当でいいやと割り切る。
そして浴場から出てトランクスを穿くが、しっくり来ない。
「アレのポジションってこんな感じだったっけ?」
俗に言う『チンポジ』に、どうにも違和感を覚えてしまう。
女の子のときの、何も無い股間にぴっちりとしたショーツを穿く"ジャストフィット"な感触に慣れてしまって、ゆったりとしたトランクスの『これじゃない感』が大きすぎる。
「……って、俺は男なんだから、あまり"そっち側"に馴染みすぎるのはマズいよな」
などと言ったところで、アイの体もしっかりメンテナンスしなければいけない。
鉄雄は肉体を少女のそれに切り替え、今度はアイとして二度目の食事。
さらに楓に頼み込み、目隠しをして女子寮の浴場で体を洗ってもらう。
例によってあちこち触られたのだが、それについては今回は割愛。
ただ、桜と出会ったことだけを伝えたときに、
『ふーん、何だ。アイツ、ちゃんと生きてたんだ……まあ、"双子特有の繋がり"で安否だけは分かってたから心配はしなかったけど……ふーん、そう』
などという淡泊な感想だったが、楓の声は妙に弾んでいた。
目隠しをしていたので分からなかったが、その表情は、妹のことを語る桜とまったく同じものだったのではないだろうか。
*
「夜もふけたし、そろそろ寝るわよ」
「それはいいんですけど、『コレ』はどういうことですか?」
さも当然のように言う楓に、アイは意見せざるを得なかった。
楓と一緒なのはいい。
何せ自分たちは恋人同士なのだ。
色々な段階をすっ飛ばしてるような気もするが、異界はデートなどできる環境がないし、"同性"として文字通りの意味で一緒に寝る分には問題ない。
だが……。
「アイさんの隣だけどよ。片方は楓さんとして、もう片方はどうする?」
「ジャンケンで決めた方がいいよね」
「わたくしは離れた場所で構いませんわ」
なぜ葉月、晃(女の子バージョン)、塔子が枕を持って、寝間着代わりに新品の体操服とブルマというスタイルのまま、アイと楓に割り当てられた部屋にいるのか。
ご丁寧に布団も人数分敷いてあるし。
(例によって、葉月が半ば諦めながらも羨ましがったのよ)
慣れたもので、楓がアイだけに分かるアイコンタクトで伝えてくる。
(男女としてなら問題があるけど、女の子同士としてアイと同じ部屋で"お泊まり会"をしてみたい、って捨てられた仔犬のような目で言外に訴えてきたの)
その光景が安易に想像できた。
葉月はデフォルトがガサツなくせに、こういったおねだりは『狙ってるのか?』と思うくらい庇護欲を刺激してくるのだ。
(そこにアキラが泣きついてきたのよ。『男に戻って"間違い"を犯さないようにタブレットを預けるから、僕も女の子としてアイさんと一緒の部屋で寝てみたい』って)
(アイツってそんなアグレッシブな奴でしたっけ?)
程よい大きさの胸を揺らし、葉月とのジャンケンに興じる銀髪の少女を見やる。
まさか女の子になってまで、アイとのスキンシップを望んでくるとは思わなかった。
(で、塔子は言うまでもないわよね)
全体が見渡せるようにと一番離れた位置に陣取っている塔子は、女の子だけの甘い空気を満喫することに全力を注ぐという、通常運転だ。
「うっしゃあ! 勝った!」
「うぅ……負けた。けど、"次のお泊り会"の時は僕がアイさんの隣だからね」
「分かってるって。オレたちは仲間なんだし、フェアにやっていこうぜ」
ガハハという笑い声が聞こえそうな表情で、葉月が晃の背中をバンバンと叩く。
このやりとりだけを見たなら、どっちの中身が男だか分かったものではない。
……いやまあ。肉体で判別するなら、ここには自分も含めて女の子しかない訳だが。
――ふと室内を見渡してみる。
寝る為にポニーテールをほどいてレアな髪型をみせる、猫のような瞳が印象的な少女。
夜を集約したような黒髪を無造作に束ね、パタパタと尻尾を振る犬のようにゴキゲンでアイの隣に陣取る少女。
その葉月を羨ましく思いながらも『次こそは』と静かな闘志を燃やす儚げな銀髪少女。
セットが大変そうな髪の毛とNo2の大きな胸を揺らし、他の少女たちの絡み合いを堪能する蜂蜜色の髪の少女。
――そして鏡を見てみると、丸みを帯びた女性らしい体つきに、深紅の髪の毛と瞳を持った可愛らしい少女――になった自分自身が困惑の表情を浮かべて映っていた。
異界に招かれた一日目の夜は、生まれて初めてできた恋人に覆いかぶさるように熟睡して過ぎていった。
そして二日目――すなわち今夜は、『自分自身が女の子になって、女の子として、他の女の子たちと枕を並べて過ごす』というカオスな展開のままに過ぎようとしていた。




