文化祭は、後輩たちが先輩らの攻撃に涙する~後編~
腕時計で時刻を確認すると、13時46分。
黒い腕章を渡された下級生たちが課題全てに挑戦し、最終戦に挑む時間が近づいてきた。
「ねえ、明子ってば本当に、木屋くんと戦うの?」
偶然通りかかった栞に顔を覘きこまれる。
彼女の顔には、なんでそんなことになってるのか、理解できないんだけどと書いてある。
色々と複雑な思惑なんかがあるのだけど、本音を語るとするならば、
「まあ、高校生活最後の文化祭だし、盛大に最後の想い出作りに励んじゃおうかなーとか思いまして」
「ふーん。だったら、私もちょっとだけ、参戦してもいい?」
栞は、普通に文化祭を楽しむ組なので、赤い腕章を付けていないのだが、何をする気なんだろう?
「……ちょっとした仕返し」
親友の浮かべる小悪魔めいた可愛い笑顔に免じて、詳しくきくのはなしにしてやろう。
「ところで、明子はちゃんとファンクラブの子たちの相手したげたの?」
「いい機会だったから、しっかり遊んでもらったよ。殆ど、私の勝ちだったけどね」
蔵人くんとかさねくんが退室した後も、普段は大人しくしているけども、実は一言私にもの申したかったお嬢さんたちのお相手をしましたとも。
詠み手を、学校で一番腰にくるという美声の持ち主である教頭先生にバトンタッチして。
教頭先生の声にあまり耐性のないお嬢さん方は、あのバリトンボイスを間近で聴くだけで打ち震えてしまい、勝負にならなかったが。
「教頭先生に頼むとか、明子ってばやりすぎ……」
栞が視線で何か訴えてくるが、冗談でお誘いしたら、快く引き受けてくださったので最大活用したまでです。
あまりにも、勝率が悪かったので、ひとり一枚ずつ参加賞としてくじ引き方式で札をプレゼントしましたよ。……ただし、プライベート絡みの写真や、クララちゃんの写真はこっそり抜いてやりましたけどね。
他の三年生の参加組と違ってゆるい勝負になったけど、何をするかは本人の裁量に任されているので人それぞれであろう。
運動場では運動部の新旧部長対決でもある騎馬戦やバスケ部によるフリースロー対決、音楽室ではイントロクイズなど、各所で多彩な勝負が行われている筈だ。
「さて、来たね。蔵人くん」
約束の時間3分前に、蔵人くんが私たちのいる場所から一番近い階段から、駆け上がってきた。
かなり急いで来たのか、肩で息をしている。
「お、お待たせしました。勝者の証三枚集めてきました」
最終戦への参加条件も無事に満たしているのも確認する。やるじゃないか、時間ギリギリだけど、あの面子から勝ちを得るとは大した者だ。
手で、これ以上近寄るなと示し、蔵人くんをその場所に留める。
距離にして約10メートル。
確かあの時も、このくらいの距離からだった。
乱れていた息が少し整い、蔵人くんが自身の腕時計を確認したと同時に、
――――キーンコーン、カンコーン
学内に最終戦を告げる鐘が鳴り響く。
「蔵人くん。最終戦の制限時間は、一時間だ。次に同じように鐘が鳴った時が終了だよ」
「……勝負の内容は?」
「おいかけっこ。今から、校内を本気で逃げるので、捕獲してごらん」
そう。全力で逃げさせていただきます。
「何でも屋を引退したから、秘密通路はひとつも使用しないよ。準備はいいかい?」
「秘密通路の使用もなしに、ですか」
それなら難易度低いかもと思ってらっしゃるのが、手に取るように分かる。
いえいえ、かさねくんに対して春先に行ったも、昨年の春に君に対して行ったも、厳密にいうとかくれんぼなのだよ。
今から君に仕掛けるのは、おいかけっこだ。
その違い、君は分かってるのかな?
「では、はじめようか」
蔵人くんの返答を待たずに、くるりと方向転換をして走り出す。
駆け出した私の姿を見て、距離を詰めようと蔵人くんも同じように走り出す。
が、
――――どべしっ
背後でかなり大きな音がして、仔猫の呻く声が聞こえたので思わず足を止め、振り返ってしまう。
と、廊下に倒れている蔵人くんと、それをにやりとほくそ笑みながら見下ろす栞がいた。
「い、市居先輩。何を……」
「昨年の春、ここで明子にタックルかまして気絶させた制裁ですー。傍で見てて、本当に吃驚したんだから」
お、おう。
私の敵をとってくれたのか、親友よ。
全力で走る後輩に対して、足を引っ掛けるとか、結構な仕返しですね……。
「栞、さんきゅ」
「ふっ。任せて。明子も頑張って」
痛みをやり過ごし、立ち上がる蔵人くんの姿を確認し、再び走り出す。
「先輩、どこへ。そっちは行き止まりじゃないですか!!?」
まっすぐ突き当りの空き教室に向かって行く私の姿に、蔵人くんが叫ぶ。
いーえ、行き止まりなんかじゃないですよ。
私にとってはね。
「よっ、と」
事前に開け放っておいた廊下の窓に向かって飛び掛かり、桟に足をかける。
「ちょっ!? ここ、二階……」
追いつかれる前に、中庭に向かって勢いよく飛び降りる。
「えええええええええええええええええええっ!!!!!!!!!!!!!」
芝生の上に着地を決めて、二階の窓からこちらを見下ろす蔵人くんに手を振る。
このくらいの高さ、全然余裕なんだよね。
蔵人くんが悔しそうにこちらを睨みつけ、身体を翻し階下に向かうために階段のある方向へと走り去る。
さて、次はどこに行こうかな。
視線を巡らし、特別棟の方向へと進路を決める。
ダダダッという足音を背中で聞きながら、特別棟三階の図書室へと人をかき分け駆ける。
たまに後ろの仔猫を振り返り、その姿を確認しながら目的地へと進む。
蔵人くんの表情からは、なんで追いつけないんだという焦りが感じ取れる。
そりゃそうだろう。私の運動神経がどの程度かは、ご存知なかったろうし。
私が二年生になってからは、何でも屋に新規加入した盛沢のおかげで、肉体労働系の仕事が私にあまり回ってこなくなったのだ。一年生の時分に様々な運動部で浮名を流していた話は、きっと彼の耳には入ってない筈だ。入っていたとしても、どの程度かなんて対して気にしてなかったに違いない。
昨年の文化祭で某メイドさんを連れ出した時に、一切息切れをしていなかった私を不審に思ったりしなかったんだろうな。
自慢じゃないが、運動神経は人並み以上に優れているし、幼少の頃に野山を駆け巡ったおかげで、二階くらいの高さなんて朝飯前なのさ。
ついでにいうと、データ上では蔵人くんより私の方が足は早いんだよね。
「思いの外、距離が開いちゃったな。……もう少し、運動した方がいいんじゃない?」
ぜーはーと息切れしまくりな、蔵人くんに苦笑してしまう。
「……余、計なお世、話で、すっ」
ほとんど息切れなんかしてない私を蔵人くんが悔しそうに見つめてくる。
到着した図書室の書架を、奥へ奥へとゆっくり進む。
「あぁ、確かこの棚だったよね」
記憶を辿って、あの時に仔猫と遭遇し棚に手を触れる。
「せっかく、ご所望の本をとってあげたのに、くっそ不機嫌な顔してくれた棚」
「……うっ。お、覚えてましたか」
覚えてますとも。
とても素敵な表情でしたから。あの不機嫌顔で一気に君が気になる後輩になったのだし。
「あの時の、あの表情で、君のことがただの後輩から特別な後輩になったって言ったら、どう思う?」
「は?」
蔵人くんの呼吸がだいぶととのったのを確認し、入ってきた方向とは逆にあるもう一つの出入り口に向かって一気に駆ける。
ちっと舌打ちして、蔵人くんも少し遅れて駆け出す。
舌打ちなんかしちゃって、かわいいなーとか思ってるのを伝えたら怒り狂うんだろうな。
連絡通路を経由し、第二校舎の奥にある秘密基地へと続く階段の前で、一瞬だけ止まり、階上を見上げる。
こちらに勢いよく走ってくる姿を見つめ、ここを譲った時とは比べ物にならないくらい元気になったなと、口元に笑みを浮かべる。
「本当はここで、君がしたように階上からのタックルを決めようと思ってたんだけど、さっき栞が代わりに足引っ掛けてたからなしにしてあげるね」
可愛く舌を出して、仔猫にかなりのお返しを仕掛けてくれた親友に心からの感謝を抱き、次の場所へと移動する。
三階から二階のフロアへとショートカットするべく、階段の手すりに手をかけて階下へ向かってためらいなくジャンプする。
すたっと、着地を決めた先には何人かの生徒がいたが、皆目を丸くしてこちらを凝視している。
「あ。お気になさらずに」
手をあげて、軽く挨拶し二階の廊下を人を避けつつ突き進む。
「……って、どこまで、アレなんですかあああああああああああああ!!!!!!!!」
背中に響く仔猫の叫びに、アレってなにかな~っと、笑ってしまう。
せっかくのお祭りなのだし、全力を出させて頂いてますよ。
本気といいながらも、ちゃんと後ろに蔵人くんの姿があるのか確認してあげてるとか、私ってば優しい~と自画自賛もしておこう。
通りがかった教室の時計が視界に入り、残り時間を確認する。
「そろそろ、かな」
現在地から最後に向かうと決めているある場所への距離を考え、食堂経由にするのを諦める。
おばちゃんたちも本日は赤い腕章を装備し、挑戦者たちを嬉々として叩き潰している筈である。ついでに蔵人くんにも攻撃してほしかったんだけど、泣く泣くあきらめよう。
さっきと同じように階段をショートカットし、きっちり靴を履きかえて校舎を出る。
――――目指す場所は、私が彼と初めて会った温室。
私が温室に着いてから、5分遅れて蔵人くんが到着した。……息切れしまくりながら。
本当に、もう少し体力つけようね。
でないと、これから色々と校内を走り回る予定になるんだから、鍛えとかないと身体がしんどいぞ。
「温室は行き止まりって分かってます?」
息を整え、ようやく追い詰めたと脅す蔵人くんににっこりほほ笑む。
「君の横をすり抜けて、入り口から出ればいいだけだろう?」
入ったところから出ればいい。単純明快じゃないか。
さっきの追いかけっこでも分かってるだろう? 君と私では、私の方が身体能力が高いと。
「さて、そこの生徒会役員の後輩くん」
座っていたベンチから、のそりと立ち上がる。
「困りごとはなんだい?」
そして、一年前の春。
入学式が始まる前に迷い込んだ温室で、財布を無くしてべそべそ泣いていた新入生に投げかけた言葉と同じものを、投げかける。
「……そうですね。どこぞの先輩に逃げられてばかりで、追いつけないことに至極困ってますね」
「そう? 君なら絶対に捕まえられると思うけど。試しにおねがりしてごらんなさいな。やり方によってはどうにかなっちゃうかもよ?」
君と私の関係は、決して一方通行ではない。
飽きっぽいとか、淡泊だとか周りに言われている私が、君には自ら寄っていってるのって結構すごいことなんだけど、気付いてる?
今日は、イベントの都合上思いっきり逃げ出してるけど、それでも君がちゃーんと私を呼んでくれれば、勝負なんかすっぱり忘れるんだけどな。
そろそろ、いいんじゃないのかいってお姉さん思っちゃうわけよ。
待った方なんですよ? 催促し過ぎてもウザいかなーとか実は悩んでたりもしたわけです。
蔵人くんがゆっくりとこちらに近づいてくるのを見つめる。
「先輩、捕まってくれますか?」
「やだ」
蔵人くんが、こちらを無言で睨みつけてくる。
いや、だって、ねえ?
「そんなおねだりなら、きいてあげない。前からお願いしてるよね?」
もっと、別のことばで言って欲しい。
蔵人くんが何かに思い至り、すっっっごく渋い顔をしたが、見なかったことにしてあげよう。
いいじゃないか、これぐらいしないと君ってば呼んでくれそうにないんだもの。
ひとつ息をつき、覚悟が決まったのか蔵人くんがこちらを改めて見据えてくる。
「……明子さん」
口元に手をやり、照れて赤くなる顔を隠しながらようやく囁いてくれた言葉に心が躍る。
しかし、
「声が小さい。もう一度」
「………………ちっ」
「はい、そこ、舌打ちしない」
ダメ出しをした私に、仔猫は盛大に舌打ちをし抗議する。
こちらにガンを飛ばしながらも、今度は大きな声でしっかり呼びかけてくれる。
「明子さん。いい加減、捕まってください!!」
ほらっと、投げやりに広げられた両腕に素直に飛び込む。
ようやく名前で呼んでくれた、年下の彼氏の腕の中で満足気に微笑む。
「……やっと、捕まえた」
「お疲れさん」
蔵人くんが、腕の中の私をじとりと睨み付ける。
「なんか、捕まえたのに、弄ばれた気分なんですが」
「一応勝負には勝ったからいいじゃない。私は君とおいかけっこできて楽しかったし、ようやく名前で呼んでくれてすっごく嬉しいもの」
私のご機嫌っぷりに、蔵人くんは何かを言いかけるが、ため息をついて抗議の一環なのか、私を抱きしめる力を少しだけ強めた。
そんなことしても、私が喜ぶだけなのにね~と忍び笑いながら、副会長より預かったとあるブツを蔵人くんの目の前にぶら下げる。
「なんですか、それ?」
「副会長から預かった何でも屋を示すストラップ」
ぽかんとこちらを見下ろす蔵人くんの腕をするりと抜け、少しばかり距離をとってから正面に立つ。
「今日君が勝負を挑んだのは、全員が何でも屋だって気づいてるかい?」
現役と、私みたいな元何でも屋とが混じってるけども、蔵人くんが持っている勝利を示すカードを確認する。
私のを加えると、きっちり四枚が揃っている。
試験内容は歴代決まっている。候補者を挙げた者以外の何でも屋から承認を得ること。
「何でも屋という役目をもらった曲者の集団を取りまとめてるのが、何でも屋の代表者。そして、生徒会とのつなぎをつけるため、最近は副会長と何でも屋代表を兼ねる場合が多いんだ」
蔵人くんが私の言わんとしていることになんとなく気付き、愕然としている。
いえね、私も以前副会長から君の弱みを聞きたいと言われた時にね、もしかしてって思ったわけですね。まっさか、本当に副会長が蔵人くんを自分の後継者として推すなんて、つい先日まで知らなかったんです。
うちの学校は生徒会役員や、委員会などの役職を決めるのに選挙は行わず、指名制となっている。
今日という日は、何人かの生徒にとっては役目の継承式でもあるわけなのさ。
たぶん、生徒会室でも新生徒会長に選ばれてしまった子が、生徒会長から役目を譲渡されている頃合いだろう。
「おめでとう、君が次代の生徒会副会長兼何でも屋のリーダーだ」
頑張って生徒会の仕事をしながらも、かさねくんや盛沢といった曲者たちの手綱を握りしめるがいい。
……いや、本当にお疲れ様。
あの面子をまとめ上げるのとか、本当に大変だと思うが、うん、頑張ってくれ。
――――キーンコーン、カンコーン
そして、宴の終わりを告げるチャイムが校内に鳴り響いた。
ついでに、仔猫の悲痛な叫びも……。
文化祭本編これにて終了です。
次話は、文化祭の後日談です。