梅雨の季節は、幻の美少年メイドの膝枕を堪能する
窓から見える景色はあいにくの曇天。
梅雨だから仕方ないのだが、そろそろ青空が恋しくなってくる。
天気予報では夕方から雨が降り出すということなので、今抱えている案件をさっさと終わらせるべく作業に再び集中する。
傘を持って来ているとはいえ、雨の中家に帰るのは億劫なので、降り出す前に帰路に着きたい。
「やっと、終わった~っ!!」
パソコンとの睨めっこがようやく一区切りつき、背伸びをしながら解放感に独り言をいう。
「一区切りついたんですね。お疲れ様です」
おや。独り言をいった筈なのに、返事が?
声のした方へ視線を向けると、なぜか蔵人くんがいた。
「…………あれ?」
えーと、当たり前のようにソファーに座って何かの書類広げて作業してるけど、いつ私の秘密基地へ侵入したんだい? 確かに君にはここの鍵をお渡ししていますが、いつの間にいらっしゃったのかな。
「結構前からいましたよ? 声をかけても、反応ないのでこっそりお邪魔しました。ついでに電気もつけときましたよ。駄目ですよ、暗い中で入力作業に集中するなんて」
確かに、自分で明かりをつけた覚えがないのに、ちゃんと電気がついている。
しかも、声をかけられたのに反応しないとか、どんだけ集中してたんだ。
「ありがとー……」
「どういたしまして……って、なんでそんな複雑そうな顔でお礼をいうんですか。素直に言ってくださいよ。ほら、終わったんなら一息つきませんか? 学食で珈琲をいただいてきたんです」
蔵人くんは、応接セットの机に置かれた、ポット型の魔法瓶とマグカップを指し示す。
どっから持ってきた、そんな便利な保存容器。
……また、学食のおばちゃんをうまいこと口説いたのだろう。ということは、私の位置からは見えないが、茶菓子もあるのは確定だ。最近、おばちゃんたちの蔵人くんラブ率が半端ないと思う。君はどこまでおばちゃんたちの好感度を上げる気だい?
「よし、いただこうではないですか」
学食のオリジナルブレンドは大変私好みなのですよ。いつも愛飲してるのだ。
ご相伴にあずかろうと、椅子から立ち上がった瞬間、
きぃ――――――――んと耳鳴りがして、視界が端の方から急速に黒く狭まっていった。
……あ、
やばいな。
………………これ、立ちくらみだ。
と、そこで私の視界は完全に暗転した。
――――そして、懐かしい夢を見る。
たぶん一年位前、だろうか。
まだ、私と蔵人くんが恋人なんて甘い関係になってない、単なる先輩と後輩だった時期。
偶然立ち寄った図書室。
一通りの少ない、歴史書のコーナーで一番高い位置の本を取ろうと本棚の前で試行錯誤するとある後輩。
その後ろ姿を見て、すぐに木屋蔵人だと認識できるくらいには纏わりつかれていたあの頃の私は、しばらくその姿を眺めていた。
……貸出カウンター付近にある脚立でも拝借してくればいいのに。
そのまま通り過ぎようと思ったが、あんまりにも必死になる姿に敬意を評し、いらない世話かもしれないけども手を貸すことにした。
ちょっとした気まぐれ。
あの当時は、この後輩に極力関わり合いになりたくないと思っていたのに、なぜかその日は、自分から関わる気になった。
「用事があるのは、この本?」
すっと近づいて、目当ての本を取ってやる。
この子よりは身長のある私には造作もないことだった。
「…………っ!」
いきなり後ろから延ばされた腕と、差し出された目標物に後輩はびくっと肩を揺らし、慌ててこちらを振り向いた。
氷結の美少年や、絶対零度の王子様など冷たいイメージの呼び名がついている子だが、私に対してはキラキラの笑顔を向けていた筈の木屋蔵人。
その彼が、あたかも嫌な人物に遭遇したかのようにその麗しい顔を歪めていた。
「なんで、あんたがここにいるんだ?」
そんな心の声が聞こえたような気がするくらいのしかめっ面だった。まあ、すぐに表情を取り繕っていつもの笑顔を向けてきたけども。
「……ありがとうございます。困ってたんですよ、助かりました」
では失礼しますと、立ち去る後ろ姿を眺めながら、思わず一人呟く。
「これは、余計なことするなってことかな」
感謝を伝えながらも、その瞳にあったのは強い拒否の意思。
小さな親切大きなお世話ってやつを、私はしてしまったらしい。
けれど、
「面白い反応するじゃない」
その時の私は、かなり邪悪な微笑みを浮かべていたことであろう。
好きだと纏わりついてきてるクセに、その大好きな先輩に見せた、あの心底嫌そうに歪んだ顔。いつもの張り付いたような笑顔もかわいくて眺める分には目の保養だと思っていたし、春先に見れた泣き顔もよかった。
けれども、今回のあの表情がやけに印象に残る。
あんな表情を、またさせてやりたい。
と、思ったのが私から木屋蔵人にも関わろうとしたちょっとしたきっかけ。
なーんてことを栞や和子にいったら、
「お前は好きな子をいじめる小学生男子か!?」
と罵られたのもいい思い出だったりする。
でもでも、蔵人くんがただの迷惑な後輩から、ちょっと気になる後輩に変わったのはこの出来事があったからなのは本当の話。
まだ、本人には伝えてないけどね。
……伝えたら、さぞ嫌そうな顔をしてくれるであろう。それもまた、楽しみだったりする。
そんな感じで懐かしい思い出を振り返っていると、遠くで書類を捲る音がした。
そして、たまに「うーん」と何か考え込んで悩む唸り声も。
閉じていた瞼をゆっくりと開けると、蔵人くんの顔がまず視界に飛び込んできた。
「……蔵人、くん?」
「気がつきましたか」
蔵人くんが私を見下ろし、優しく前髪をかきわけてくれる。
「気分はどうですか? さっきよりは顔色がマシになってますけど」
頬に添えてくれる手は、私の体温が低いのかやけに暖かく感じる。
いや、うん。
それよりもこの状況はなんだろう。
「えーっと、どのくらい気を失ってた?」
確か、立ちくらみを起こして倒れたはず。
どこも打ち付けたような痛みがないということは、余程うまく倒れたか、もしくは蔵人くんが受け止めてくれたのだろうか。
「20分くらい、ですかね。30分は経過してませんよ」
「あと、なぜにこの体勢になっているのか理由を教えてくれる?」
そう。
なぜか、私は新年度から生徒会の王子様という新しい呼び名にクラスチェンジされた木屋蔵人に、膝枕されていた。
「寝言でリクエストされましたからね」
蔵人くんは、にやりと笑う。
おぉーい、その人の悪そうな表情は、どこかの会長みたいでお姉さんの好みからちょっと外れるんだけどな。そんな悪い顔じゃなくて、見せてくれるのならキラキラの純真無垢な笑顔をよこせ。
「…………寝言って」
「横になるのなら、クララちゃんの膝枕がいい……と、とても愉快な寝言でしたね」
クララちゃん。
それは、昨年の文化祭で一番の話題になった美少年メイドの名前、ですね。
どこぞの仔猫が紛争した極上の女装メイドは、スカートを捲らねばならないと私が使命に萌えるくらい、素晴らしき出来栄えでした。
「えっと、私ってば、そんな寝言を?」
本能のままに何かを口走ったにしても、その寝言は乙女としてアウトだろう。
「どんな夢を見ていたのか、よければ僕に教えてくださいますか?」
笑顔が怖いよー。蔵人くんにとっては黒歴史でも、私にとっては極彩色の思い出なのだけど。
単に、一年位前の出来事なんぞを夢に見ていただけであって、決して文化祭でのちょっとタガが外れていた夢ではなかった筈なんですが。
確かに蔵人くんの夢を見たが、どっからクララちゃんが湧いて出てきたのだろう。……魂にでも刻まれているのだろうか。
「よ、よく、覚えてない、かな?」
うふふーと笑って誤魔化しておく。
あんな回想しながらも、口にしていた寝言がそれとか、なんと言い訳すればいいのか自分でも説明できないからね!
「あと、なんで座布団挟んでの膝枕?」
そう。なぜだか、私は座布団を頭に引いている。
「それはですね。どっかの誰かさんが、こんな堅い膝はクララちゃんの膝ではないとごねたからですね」
「…………ごねましたか」
「えぇ。眉間にしわまで寄せて、クララちゃんの膝はもっと柔らかい筈だと、寝言で無茶振りしてましたね」
そして、苦肉の策としてその辺にあった座布団を間に挟んだわけか。
高校生男子の膝枕に、柔らかさを求めるなよ……と自分にツッコみを入れておいた。
「ごめん。本当に、何から何までごめん」
取りあえず、倒れたことや寝言などすべてひっくるめて謝罪をしておく。
「別にいいですよ。……いい加減、慣れました」
「いやいやいやいや、待って。何、その何かを悟ったって顔は!?」
何を悟ってしまったのだ、蔵人くん! ちょっと、そこ、詳しく!!
動揺する私の顔を見て、ふっと笑みを浮かべる。
「やっと、顔色がいつも通りになってきましたね。さっきまで青白くて本当に心配したんですけど」
「たぶん、単なる貧血。体調があまりよろしくない時に、無理して睡眠時間削ったりしたからだと思う」
まだ、少しだけど頭がぐらぐらする。血が足りてないのかなぁ。
「体調が悪いんなら、気を付けてくださいよ」
はーいと返事をしながら、心配そうに見下ろす顔をじぃっと見つめる。
見慣れてきたとはいえ、やっぱりこの子は見惚れるような綺麗な顔してると思う。まつげとか絶対に私よりも長い気がする。
何の気なしに腕を伸ばし、亜麻色のふわふわの髪の毛を少しかき乱す。
「先輩?」
いきなり何を、と抗議する蔵人くんの、文句を言う唇がなぜだかやけに目についた。
「このまま頭を引き寄せたら、キスできるよね」
寝起きだったせいだろうか、いつもよりさらに考えなしに自分の思考をぺろりと口に出してしまう。
固まる蔵人くんの姿を見て、自分の発言の不用意さに気づく。
あー……、しくじった。今のなし。覚めきってない頭で思考だけが無駄に空回りする。
ぺちんっ!
と、視界をいきなり何かが覆ってきた。感触からすると、蔵人くんの手、だろうか。
「寝ぼけてますね」
「……否定はしない、けど、ちょっと今のは痛かったんだけど?」
今ので完全に目が覚めたし。
それに、地味に目の周りが痛いんですが。
「ついさっきまで青い顔して気を失っていた人に、誘惑されても困るんですけど」
「ですよねー? はい、マジですんません」
はあぁ~っと、盛大にため息をつかれる。
「勘弁してくださいよ」
小さく、本当に小さく呟かれた、私に聞かせる気のない蔵人くんの独り言に大変申し訳なく思ってしまう。
視界を遮られてるため、どんな表情をしているのか確認できないが、困らせてしまったのはなんとなく分かる。
空気読めなくて本当に、ごめん。
「あの状況で、もし引き寄せられていたら、驚いて先輩を膝から落として、頭を強打させてた自信がありますよ。……本当に、色々と気を付けてください」
……おい、そっちの心配かい。
確かに、私の頭は数々の衝撃に耐えてきた歴史があるけど、外身は無事でもそろそろ脳細胞が死滅しそうなんで、衝撃はマジでやめてください。
一応、受験生なんですよ、私。
「動けそうですか?」
手をのけて、改めて蔵人くんが顔色を見ながら私の体調を気遣ってくれる。
「うーん……」
動けそうではあるけども、せっかくの私的には大変おいしい状況に多少の未練がある。いつぞや、仔猫ちゃんがしたみたいに私も再び目をつぶり、蔵人くんの腰を抱え込んでさらに密着した。
「なんか知らない合間に素敵な体勢になってるんで、もう少しだけ満喫してもいい?」
蔵人くんがどこかできいたことある言い回しに苦笑する。あの時の君は、満喫はしてなかっただろうけど。
「そうですね。この書類に一通り目を通すまでならいいですよ」
蔵人くんが、手持ちの書類を掲げる。
量からして、10分程度で読み終わるぐらいだろう。
「じゃあ。もう少しだけ、おやすみさない」
すりっと擦り寄って、再び瞼を閉じる。
「僕の膝でよければ、どうぞ」
蔵人くんが空いている方の手で、優しく頭を撫でてくれる。
耳に聞こえるのは、書類のかすかな音と、いつの間にか降り出してしまった雨の音。
そうして、私はもう少しだけ、元クララちゃんの膝枕を堪能した。
もう少し、梅雨の話は続きます。




