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検非遺使秘録 §伝説の『白蛇天珠の帝王』とコラボ作あり§  作者: sanpo
カスカニカスカナリ〈全27話〉
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カスカニカスカナリ 3


「な?」

 検非遺使尉(けびいしのじょう)は烏帽子に手をやって降参の意を示した。

 この男、困ったり不安を感じた時、必ずこの仕草をするので傍にいる者にとってわかり易い。

「こりゃ、もう……どう足掻いても有雪の出番だろ?」

「残念だったな、成澄。今宵、有雪は邸にはおらぬ」

 今度、微かに眉を寄せたのは弟の方だった。気にせず、平然と兄は続けた。

「朋輩の宴に招かれたとか。タダ酒を馳走になりに出かけたわ」

「え? そうなのか?」

 露骨に成澄はガッカリした。

「まあ、今日のところはゆっくり休むがいいさ。もう夜も遅い。床を取らせよう。おーい……」

 狂乱丸は手を打って小者を呼んだ。



「兄者、何故、嘘をついた?」

 成澄を寝所へ送って、暫く後。

 兄弟はその間、ずっと身動ぎもせずに、検非遺使が残した紙片を前にして座っていた。

 座敷の隅に置かれた灯台の火が踊るように揺らいでいる。少し肌寒いとはいえ、春の夜の新月の風情を面白がって(しとみ)を開けたままでいるせいだ。

「有雪は何処にも行っていない。一人、自室で大鼾をかいて寝ておるぞ」

「必要ないからさ」

 兄は言い直した。

「今回ばかりはあやつは必要ないだろ? これは我等が狩場なれば……」

「だが、〈玄旨灌頂(げんじかんじょう)〉同様……われらのこれ(・・)……咒文も秘技じゃ」

 紙片から兄に視線を移して弟が言う。

「検非遺使とはいえ、部外者の成澄に〝秘密〟を漏らすことになるが、いいのか?」

「だから、今夜はひとまず成澄を寝かせたのじゃ。このこと俺の一存では決められない。おまえとよく相談しようと思うてな?」

 突然、婆沙(ばさら)丸が声を立てて笑った。

「何が可笑しい?」

「いや、今更と思ってさ! 俺の心ならわかっておろう? 俺たちは顔同様、考えも同じなのだから。つまり、兄者がいいと思うなら──俺もそう思っているのだ」

 満足気に狂乱丸は頷いた。

「成澄は部外者だが真っ直ぐな人間じゃ。あの種の人間は、例えどんなおぞましいものを見知っても決して揺るがないし外れない。もし万一、我等の秘密(・・・・・)を明かさねばならないなら……その時はまさにああいう人間にこそ、と俺は常常思って来たのさ」

 狂乱丸は顔を上げ、今一度繰り返した。

「大丈夫、あやつは決して邪に犯されない類の人間じゃ」

「同感」

 双子の田楽師はお互いを見つめて同時に微笑した。



「人が悪いぞ、おまえたち! 何故、昨晩(ゆうべ)の内に言ってくれなかった?」

 中原成澄は破顔した。

 太陽の光に縁どられて昨夜の陰りは跡形もない。〈容貌第一〉と噂される検非遺使の、精悍で端整な男ぶりである。

 起きて早々、『咒文の意味するところがわかるかも知れない』と田楽師兄弟から告げられて一遍に本来の明るさを取り戻した。

 とはいえ、狂乱丸はあくまで冷静である。

「まずは俺たちを、その、恵噲(けいかい)とやらの僧坊へ連れて行け」

 咒文が記された紙片を指に挟んでクルクル回しながら、

これ(・・)だけじゃなくて──恵噲の残したもの、全て見てみたい。詳しい話はそれからじゃ」



 叡山こと比叡山は、伝教大師・最澄によって開かれた天台宗の総本山である。

 弘法大師・空海の開いた高野山と並び仏教の最高学府としても名高い。

 東塔・西塔・横川(よかわ)の三地域から成り、東西にそれぞれ五つの谷、横川に六つの谷、これより三塔十六谷と称される。

 恵噲の僧坊は東塔西谷にあった。

 叡山の数多ある僧院中、碩学として名高い皇円のそれである。通史《扶桑略記》はこの皇円の著作である。

「ようこそいらっしゃいました! 今回の件につき、ここ叡山の全域において一切を中原様のご自由にお任せするよう阿闍梨様から仰せつかっております」

 一同を出迎えた若い僧は深々と頭を下げた。

「私は源空と申します。以後、御用の際は何なりと申し付けくださいますよう」

 接待役を仰せつかったと言う源空はまだ二十歳(はたち)前に見えた。深い眼差しと秀でた額。後頭部が窪んでいる。いかにも利発そうで、彼もまた将来を嘱望される英才なのだろう。

 この若い僧が先に立って恵噲の室まで案内しようとしたその時、突然、声がかかった。

「暫し、お待ちを──」

 回廊の方から急ぎやって来る一人の僧。

「あ、白昉(はくほう)様……」

 呼び止めた僧は一同の前で改めて頭を下げた。

「始めてご挨拶いたします。私は白昉と申します」

「と、おっしゃると──」

 成澄が瞠目した。

 白昉とは、今回〈玄旨灌頂〉に、恵噲に代えて選ばれた僧、その人である。

 昨日、大殿・藤原忠実と一緒に叡山にやって来た際、折り悪しく不在だったため成澄も白昉に会うのはこれが初めてだった。

「昨日は他出していてお目通り叶わず失礼しました」

 白皙の眉目秀麗。玲瓏な声音と涼やかな挙措。絵から抜け出たような美しい僧である。

「……なるほど、貴僧が白昉殿?」

 複雑な思いで成澄は呟いた。

 長い間、次なる〝唯授一人〟は恵噲だと本人のみならず周囲も信じて疑わなかった。それが間際になって授者に変更があったこと、元を糺せば今回の騒動の最大の原因はそこにある。

 突然の変更は、選ばれた新しい授者が他郷からやって来た、叡山では謂わば〈新顔〉のせいだ。

 白昉は越前の地よりの遊学僧とか。然るに、ここ数年の間に、ほぼ内定していた恵噲を追い抜き〝唯授一人〟の地位を勝ち取った……

(勿論、学識において抜きん出ているに違いない。だが──)

 白昉が選ばれた最終的な理由が何処にあるか、成澄は考えないわけにはいかなかった。それほど白昉は美しかった(・・・・・)……!

 成澄は恵噲その人も実際は見ていない。が、眼前の白昉ほど見映えのする僧侶がこの地上に他にもう一人存在するとは考えられなかった。

(つまり、そういうことかよ……)



「こちらです。恵噲が出て行ったそのままに、私たちは一切手を触れてはおりません。存分にご検分ください」

 恵噲の室まで源空ともども成澄と双子を案内した白昉。

「それでは、私はこれで」

 一揖(いちゆう)して白昉は去った。引き継いだ源空が扉を開けた。

「どうぞ」

 そこは細長い板敷の室。

 元々行僧の居住用に建てられたとあって同じ造作の室が縁伝いにずらりと並んでいる、その中の一室である。

「ちなみにこの隣は私が使っています」

「待て、隣室ということは──では、〈玄旨灌頂〉の授者が告げられた夜の様子も知っている?」

 既に昨日、室の方は見ている成澄、案内役の言葉の方に反応した。

 忠実の話では〈八葉鏡〉が持ち出されたのは、まさに〈玄旨灌頂〉の授者が告示された夜とのこと。

 自分が選ばれなかったことを知ったその夜の内に恵噲は鏡を奪って逐電した。素早い反応と言わざるを得ない。とすれば、夜半、何か平生と違う異変を感じなかったろうか?

「いつもと違った様子、ですか?」

 検非遺使に質されて、扉の前で源空は首を傾げた。

「さあ、どうだったろう。いつも物静かなお方だったから。毎夜遅くまで勉学に励んでおられたから、灯りが漏れて見えることがあったけれど──あの夜は恵噲様の室は暗かったな」

 若い僧は唇を舐めながら答えた。

「それで、流石に落胆して今夜は早く床に入ったのだな、と思ったことを憶えています」

 成澄は微笑んだ。

 昨日は忠実と一緒だったため接触したのは阿闍梨たち上層部のみで、却って詳細を聞くのを憚られた。また実際、阿闍梨たちの口も重かった。上層部の面々が今回の件をできるだけ穏便に、秘密裡に解決したがっているのは大いに理解できるが──

 とはいえ、盗難物を奪還するには〈謎解き〉ばかりでは無理だ。最低限の、正確な情報が必要だ。それが検非遺使の成澄の本音なのだ。

「恵噲はどんな僧だった?」

「素晴らしいお人柄でした。穏やかで優しくて。私たち後輩にもいつも親切で、わからないことは何でも教えてくださいました。だから、正直言って、今でも信じられません。あの恵噲様があんな真似なさるなんて──」

 上気した頬で若い僧は検非遺使を見つめた。

「恵噲様も白昉様も私には憧れの存在です」

「その白昉だが」

 たった今、白昉の去って行った廊下の先に眼をやって成澄は訊く。

「彼もこの僧坊に?」

「いいえ。白昉様は現在、西塔北谷におられます。同じ僧坊だった時期もあったとは聞いていますが」

「もういいだろう、成澄? 早く室を見てみよう」

 狂乱丸が促した。

「ああ。ありがとう、源空殿」

 検非遺使の(ねぎら)いの言葉に反して、田楽師は素っ気ない。

「じゃ、もう行っていいですよ、源空殿?」



 室内は昨夜の成澄の言葉通りだった。

 正面の壁に二対の曼荼羅図。これは一見して特別高価な品ではない。明らかに模写と見て取れた。二面とも同じ絵柄である。

 その曼荼羅図の掛かった壁の前に経机が置かれ、恵噲の置き手紙が生々しく乗っていた。

 厨子は机の右側にあった。

「これだ! この厨子の扉に、こう……折り畳んで紙片が挟んであったのだ!」

 意気込んで再現してみせる成澄。一方、婆沙丸は経机の上の手紙を無造作に掴み取った。

 狂乱丸も弟の肩越しに覗き込む。


挿絵(By みてみん)







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