白と赤 31 ★
「全身が麻痺して意識も朦朧としていた人間を悪く言いたくはないが――それにしてもおまえが悪い!」
後日、全快した布留佳樹を伴って山城の地を訪れた一行。
三柱鳥居を前に有雪は遠慮なく毒づいた。
「夢告を与えるなら正しい情報にしてくれ!」
「え? 私の送った、何処が間違っていたのだ?」
「〈馬と娘〉の光景に加えてあった、あの〈十字の印〉は明らかに間違いじゃ」
これには大いに憤慨して言い返す帝の陰陽師だった。
「何を言う。私は自信を持って伝えたのだぞ。この三柱鳥居――」
見上げながら、
「これは明らかに景教に関わりがある建造物だ。面白い形なので興味を覚えて古書等を調べて研究したんだ。それに、私だけではない、今日日、京師に住む学識ある者なら皆そう思っているぞ」
学識はともかく、官位は持っている中原成澄も割って入った。
「現にイチトイ女房もそう思っていたのだろう? 大陸にいた時、一族は景教及びその信者と接触があった。サンのような西方の……金髪碧眼のこどもが生まれるのはその証しだと」
「ところが、俺はそうは思わない」
自信たっぷりに橋下の陰陽師は言い切った。
「えええ? またかよ? おまえはいつも突拍子もないことを言い出す――」
「まあ、判官。ここは一応話を聞こうではないか」
呆れる成澄を布留佳樹が取り成して――
咳払いして、有雪は話し始めた。
「では、まず、あの娘の名から。〝サン〟は景教の大切な教え、三位一体の数字の三から来ているというが」
「違うのか?」
「もっと単純明快だよ。アレは養蚕の〝蚕〟に由来すると考えたほうが妥当じゃ」
「あ」
「なるほど」
顔を見合わせる帝の陰陽師と検非遺使尉。
「蚕の蚕か? ふむ、確かにな。こっちの方が簡単で無理がないな!」
「何故、気づかなかったんだろう?」
「フン、簡単なことほど見落とす……そういうものさ」
したり顔で頷きながら有雪は続けた。
「だが、この三柱鳥居に関しては簡単ではない。もう少し複雑な読みが必要だ」
「サンの名前はともかく、この奇怪な鳥居は三位一体以外に説明がつかないはずだが?」
「俺は方位を調べてみた。これを見てどう思う?」
有雪は懐から紙片を取り出した。
無言で見つめる黒衣の二人を無位無官の巷の陰陽師はせっついた。
「どうじゃ? 気づいたか? この鳥居の三角形の頂点を伸ばして行った先、またその逆方向……それぞれの指すモノは?」
蔵人所陰陽師が叫んだ。
「全て、秦氏に関係の深い場所だ!」
「その通り!」
松尾山には松尾大社がある。稲荷山には伏見稲荷大社があって、これもまた秦氏が建立した神社なのである。
「だが、双ヶ丘は?」
検非遺使尉は首を傾げた。
「仁和寺は違うだろ? この方角の、それ以外の大寺や神社、俺はチョット思い当たらないが……」
「実は俺もそうだった。だから、行って調べてみたんだ。そこ、双ヶ丘一帯には古墳群があった」
「え? 蛇塚のような、アレか?」
「そう。どうやら渡来した頃の秦氏の最も古い墳墓の地らしい」
図を翳して有雪は胸を張った。
「愛宕山、比叡山も、ともに秦氏の聖山である」
愛宕山には元々秦氏の祖霊・山神・穀霊を祭る稲荷の社があった。
その後、大宝年間(701~704)正式に開山した泰澄は秦氏の出身。
この泰澄が養老元年(717)以降、次々と加賀、越前、美濃の境界山(白山)を開山して行くのである。
『もうひとつの三柱鳥居が美濃の白山近くに在る』と宮司が言っていたのも何か関わりがあるのかも知れない。
比叡山も然り。
元々は日枝山といい、ここに日吉大社を祀ったのは秦氏で、祭神は松尾大社と同じ大山咋神なのだ。
こういうわけで愛宕、比叡の二山は秦氏の山岳信仰を象徴する山である――
「だが、これだけではない」
有雪に代わってその先を布留が続ける。
「比叡山のここ、四明岳は夏至の太陽が昇る場所。松尾山は冬至の太陽が沈む場所でもある……!」
これについては陰陽師なら一目瞭然であった。
「まあな。そういうことだ」
二人を眺め渡して有雪は微笑んだ。
「どうだ? これらの関わりからわかっただろう? この鳥居は景教というより、秦氏の先祖への敬慕と太陽崇拝……日読みの聖地と言うのが正しいと俺は思うな!」
「ううむ……」
「だが、もうひとつ謎が残っている!」
成澄の大音声。
あまりの大声に吃驚したのか(或いは辟易したのか)、有雪の肩から白烏が飛び立って行った。
「サンの容姿についてだ! あれだけは景教抜きには説明できないだろう?」
「なに、秦氏が、本当に秦の始皇帝の末裔なら、その謎は簡単に解けるさ」
スラッと有雪は言った。
「《始皇帝の父は碧眼だった》と記してある書物があるのだ。だから、アレは直系の先祖返りさ!」
長い沈黙。
腕を組んで黙り込んでいた布留が遂に顔を上げた。
「参った! 悔しいが、見事な読み解きだ、有雪。特に最後の……秦の始皇帝に纏わる記述は、私は知らなかった。初めて聞いたぞ」
「まだまだだな? 布留佳樹・帝の陰陽師よ」
勝ち誇って胸を反らす有雪だった。
「博識において俺に勝る人間はこの京師には居らぬ! ハハハハハ……」
「で、何処に書いてあるのだ? その始皇帝の父の話、典拠をぜひ、教えてくれ!」
「甘えるな。そんなものは自分で調べろ」
「そこを何とか! 頼む! 書名だけでも教えてくれ。私もこの目で確認したい」
袖を掴んで懇願する帝の陰陽師を横目に、検非遺使は烏帽子に手をやってボソリと呟いた。
「どうも、怪しい。こういう〆が、いつも限りなく胡散臭いんだよな、この男……」
「ここにいたのか、兄者?」
「婆沙か? この辺りには来たことがなかったから――」
検非遺使や陰陽師たちが何やら言い合っている場所より更に奥。
田楽師の綺羅綺羅しい装束が若葉の新芽の間に見え隠れしている。
「面白い形の堂宇を見つけた。せっかくだから参っておこうと思って」
「ならば、俺も!」
駆け寄って横に並んだ婆沙丸、小声で付け足した。
「サン……あの娘のためにも、な?」
「――」
結局、狂乱丸はサンの真実の姿を見ていない。
「本当にそれで良かったのか、兄者?」
拝み終わると、まだ熱心に手を合わせている狂乱丸に婆沙丸はそっと尋ねた。
「サンの顔を見なくても?」
「いいさ。俺には、見て欲しくないと言っていたのだから。それに」
明るい声で狂乱丸は笑った。泣き尽くして――とっくに涙は枯れ果てた。
「いつかまた会える。だから……その時でいい。おや?」
清清しい羽音を響かせて白烏が堂宇の屋根に舞い降りて来た。
その姿を眺めながら狂乱丸はまた笑う。
「ハハハ、いい時に来た。おい、白烏よ、おまえの主人は言っていたな? 『世界は一つではない』と」
頷くように首を振る白烏。
「あんな胡散臭い陰陽師なのに、何故だろうな? 俺はそのことだけは信じられる気がすのさ」
「……カーーーィ」
「ん? 今、『正解』と言った?」
婆沙丸が目を見張る。
「なんか、最近、コイツ、言葉を喋る気がしてならないのは俺だけかな? いや、それより――」
思い当たって婆沙丸は首を捻った。
「待てよ? 世界はここだけではない、いつの日か、また、何処かの場所で、って――
それはいいとしてさ、今度会えたとして……兄者、その時、サンの顔を知らないのに、わかるのかよ?」
「わかるさ」
きっと一目で。
なあ、サン? 俺が見間違えるものか!
風が吹いて田楽師の漆黒の髪を揺らして去った。
「そうじゃ、おまえにだけ教えてやろう。弟だからな」
兄は腕を伸ばした。手首で煌く青い玉の腕輪。
「ああ、それ!」
山城の古代の墳墓、蛇塚の石棺の中で、暖かく白絹に包まれた狂乱丸を見出した時、その手首にはこの腕輪が嵌められていた。その身を護る護符のごとく。
入れ替わって自ら繭に入ったサンが、その前に約束どおり返したのだ。
サンはお借りしていただけです。
ありがとうございました。
これからも、どうか、貴方様を護ってくださいますように!
「実は、よく見るとな、以前には無かったモノがついていた。見えるか?」
青い石に絡まって一筋、金の糸が…
「あ」
弟の田楽師は叫んだ。
「それはサンの――」
「うん、紡いだ糸だろう?」
「え?」
婆沙丸が何か言う前に狂乱丸は言い終えた。
「俺は、今生、これをサンだと思って大切に身に着けていこうと思う」
「兄者……」
狂乱丸は天に向けて高く腕を翳した。
燦ざめく光。
風には早春の匂いがした。
新しい季節、馨しい未来。そこにはいつも幸福の予感がある。
「見ろよ、婆沙! この糸、 お日様の色と一緒じゃ!
こんなに……陽に輝いている!」
サン、おまえの美しい心、そのままに……!
白は清心、
赤は純愛、そして……
金は永遠。
白と赤 ―――― 了 ――――
✟追記✟
田楽師兄弟が最後に参った六角形の堂宇。
某社最奥にある、この法隆寺の夢殿に似たお堂は何を祀っているか御存知ですか?
実はこれについて私は不詳でした。
今話完結後、更新前に地名等の最終チェックをしていた際、PC検索で見つけたこの小さなお堂の祭神は摩多羅神でした。
そう、謎の多い芸能の神。検非違使秘録の先の長編〈カスカニカスカナリ〉で触れた摩多羅神。
比叡山、常行三昧堂(常行堂)の後戸の神。
その摩多羅神が山城のこの境内に勧請されていた……!?
そもそも、摩多羅神を我が国へ伝えたのも秦氏らしいのです。
養蚕や機織り、酒造り、土木工事のみならず、秦氏が芸能の元を築いたと言われる所以でもあります。
田楽や猿楽はやがて能として大成され現在に至っていますが、
その能の礎を築いた世阿弥もまた秦氏の出身です。
何が言いたいのかって?
とすると、つまり、今回、サンは狂乱丸に出会えたことを一族の神に感謝していましたが、
田楽師の狂乱丸をサンと出会わせ、愛を教え、その上で、命を救ったのは、この摩多羅神であった?
いずれにせよ、胡散臭い例の陰陽師ならこう言うのでしょう。
「今更、驚くことかよ? 俺が言ったろう? この世は不可思議な力、縁に満ちている……!」
もうひとつ。
秦氏が深く関わった日読み=太陽と、養蚕=蚕が、英語、漢語で同一の発音であり、今話で金の髪の娘の名として付けられたのも――不可思議な偶然である?
【参考文献】
大和岩雄 『秦氏の研究 日本の文化と信仰に深く関与した渡来集団の研究』
大和書房 1993
『日本にあった朝鮮王国 謎の「秦王国」と古代信仰』
白水社 1993
山本ひろ子 『異神 中世日本の秘教的世界 上・下』 ちくま学芸文庫 2003
加藤謙吉 『秦氏とその民 渡来氏族の実像』 白水社 1998




