アナザーエピソード①『何者⁉大谷どん吉という男?』
「――青山先輩、少しだけいいですか?」
ミラーマンとの一件があった翌日。
私は、尊敬する青山ミチル先輩が日頃から通っているという、都内の大型施設「矢吹スポーツジム・フィットネスクラブ」を訪れた。
先輩の名は青山ミチル。嵐山高校ハンター科の出身で、現在はプロのブラックリストハンターとして名を馳せる、私の従姉だ。
「やあ、エミリーちゃん。何か用かい?学生服姿のまま、ボクに質問してくるってことは今からトレーニングをしようと思っているわけでもなさそうだけど……」
青山先輩は、女性でありながら世界が誇るトップブラックリストハンター百人の一人に数えられる実力者である。
赤髪をポニーテールに束ね、177センチの長身とモデルのような体躯を持つ彼女は、女性でブラックリストハンターを志す者にとってまさに憧れの的だった。
ランニングマシンでの運動を終えたばかりなのだろう。カル〇ン・クラインのスポーツブラに黒のショートパンツ、足元はランニングシューズという出で立ちだ。
先輩は近くのベンチに腰掛け、トレーニング後のプロテインを準備しているところだった。
「昨日、大谷どん吉の名前を出したら学校からハンター兵器を借りる許可が10分程度で……とにかく、とんでもないスピードで借りることができたのです。いったい彼は何者なのでしょうか?」
昨日、私はミラーマンと対峙した。その際、急遽ハンター兵器が必要となり、ハンター科の教員を通じてブラックリストハンター協会に貸し出しを要請してもらった経緯がある。
ハンター科の学生が兵器を一つ借りるには、通常最低でも一時間はかかる。
ところが、教員と協会の職員は「大谷どん吉」の名が出た途端に目の色を変え、普段とは比較にならない速度で手続きを進めてくれたのだ。
「どん吉くんが天才で特別だから……だと、エミリーちゃんは考えちゃうのかな?だったら、君は彼の本当の凄さに気づいていないようだね」
青山先輩はどん吉君と家ぐるみの付き合いがあり、親戚同然の間柄だと聞いている。だからこそ、私は今日、こうして先輩のもとへ足を運んだのだ。
「本当の凄さ……ですか?彼のブラックリストハンターとしての圧倒的な才能、それによるカリスマ性とか?ではないのでしょうか?」
「ああ。彼にカリスマ性なんて言葉は似合わないよ。彼は人一倍に我々が見えないところで常にハンターとしての能力を上げ続けている。要するに努力の天才というやつだな。聞いたことがないか?どん吉くんが毎日欠かさず続けているルーティンを――」
「えっ?ルーティンですか?」
私は思わず首を傾げた。
ブラックリストハンターを辞めて漫画家になると公言して憚らない、あのマンガオタクのイメージが強いどん吉君に、「努力の天才」という言葉はどうしても結びつかなかった。
「う~ん、そのルーティンをボクが今、ここで説明しても説得力がないからな……ああ、そうだ!エミリーちゃん。この後、深夜に時間あるかな?」
「いえ、別に……明日は学校が祝日で休みなので別に大丈夫ですけど、深夜じゃなきゃいけない理由が何かあるのでしょうか?」
「フフッ、それは来てからのお楽しみということで!とにかく今日の……そうだなあ~深夜二時頃に、このジムに来なさい。詳しい話は……その後だ」
「は、はい……また来ますね」
腕を組み、どこか言葉を探しながら話す先輩の提案に戸惑いつつも、私はその場で頷いた。
私はひとまず自宅へ戻り、先輩に言われた通り、深夜に再びジムを訪れることにした。
すべては、謎に満ちた大谷どん吉の強さの秘訣を解き明かすために――。
*******
――午前二時、矢吹スポーツジム・フィットネスクラブにて。
「……はい、次!お願いします‼」
時折襲ってくる眠気に重い瞼をこすっていたが、ある光景を目の当たりにして一瞬で覚醒した。
黒のタンクトップにショートパンツ姿の大谷どん吉が、百キロはあろうかというダンベルを右手で持ち上げきったところだったからだ。
どん吉君は、白髪で縁の太い眼鏡をかけたジムの会長、矢吹潤一郎氏とマンツーマンでトレーニングに打ち込んでいる。
しかも彼は、矢吹会長にさらなる重量の追加を要求していた。
「……大谷さん、幾らなんでも自分を追い込み過ぎです!このまま続けると体を壊す危険性がありますよ」
六十代とは思えぬ筋骨隆々とした体躯の持ち主であり、経験豊富なトレーナーでもある矢吹会長は、常軌を逸した鍛錬を続けるどん吉君に忠告した。
「会長、俺は金を払ってトレーニングを続けているクライアントですよ。今後、商売を続けていきたいのであれば俺みたいな特殊な事例に上手く対処しなくてはいけませんよ」
どん吉君は苦笑いを浮かべて言葉を続ける。
「あと、この程度で俺は体を壊さない。何故なら、昨日までの自分を超えてきたという自負がありますから!」
「……わかりました。後は自己責任でお願いしますね」
「話が早くて助かります。では、プラス百キロでお願いします!」
「えっ⁉……は、はい。承知しました!」
一度制止したにもかかわらず、さらに百キロの追加を要求するどん吉君に、矢吹会長は一瞬戸惑いを見せながらも、手際よく新たなダンベルの準備に取り掛かった。
まるで、いつものことであるかのように――。
「なるほど……青山先輩、これが彼のルーティンなのですね。どん吉君は睡眠時間を削って自分を高め続けていたと」
どん吉君たちがトレーニングに励む場所から三十メートルほど離れた休憩用の赤いベンチに、私は青山先輩と並んで腰掛け、彼のルーティンとやらを目の当たりにしていた。
「――ああ。君が体験したミラーマンの一件も、どん吉くんの努力によるものだよ。聞く話によると、あの一件で元々が不器用で有名な彼はハンター兵器を忘れ、超能力者のミラーマン相手に武器のない状態で応戦していたそうじゃないか。こうした日々の鍛錬がなければ今頃、どん吉君は死んでいたかもしれないね」
頷きながら青山先輩は言葉を重ねる。
「ただでさえ、ブラックリストハンターは予期しないことが多発する職業だ。そんな中、彼は日々一%の可能性を少しでも上げるために、こうした細かい努力を厭わない。むしろ、努力とは思っていないのかもしれないね」
確かに、ミラーマンとの一件で兵器を忘れたどん吉君に対し、私はプロ意識の欠如に失望を感じていた。
だが、結果的に彼は超能力者を相手に武器もなしで三十分以上も渡り合ったのだ。
それこそが、地道な肉体鍛錬が結実した証なのだと、今なら理解できる。
「努力とは思っていないとは、どういうことでしょうか?」
「おそらく、単純に好きなのだろうね。このブラックリストハンターって仕事が」
「けど、どん吉君は頑なにブラックリストハンターを辞めると豪語していましたよ。そんな人が本当に好きでハンターやっていると言えるのですか?」
私がどん吉君に接近した当初の目的は、遠い親戚にあたる大谷シロウ氏の依頼で、彼をハンター業界に引き戻すためだった。
シロウ氏は、どん吉君の気を引き、彼の心を掴んでくれたなら、将来プロとして破格の契約を用意するとまで私に持ちかけてきたのだ。
それほどまでにハンターという仕事に興味を失ったどん吉君のことで嘆くシロウ氏の姿を見てきた私には、先輩の「好きでやっている」という言葉が、どうしても腑に落ちなかった。
「ハハッ、そうかそうか!不器用な彼らしい言い回しだね。じゃあ、ボクが彼の本心を代弁してあげよう。確か、どん吉君は世界一の漫画家になると言っていたよね?」
「はい。むしろ、彼は周囲に誇示しています。それが何か?」
「では、世界一の漫画とは具体的に何を示すと思う?」
「発行部数が世界一、世界中の人に読まれる物語に仕上げるとか……ですかね?」
「まあ、そんなところだね。それでは今、世界一読まれる本は何か分かるかな?」
「すいません、分かりません。『ハ◯ー・ポッター』とかですかね?」
世界で最も読まれている本と問われ、咄嗟に幼少期に愛読した児童書のタイトルを口にしていた。
「ハハッ!確かに『ハ◯ー・ポッター』は名作だね。けどね、どこまでいっても人間は救われたいという欲の方が強い生き物なのだよ……答えを言おうか、聖書だよ」
「……聖書ですか?それが、どん吉の夢にどう結びつくのですか?」
「世界一読まれている聖書は、どの時代においても人類の希望となってきた。これは世界史を見れば明らかだろう。だとしたら、大谷どん吉くんは聖書同等、またはそれ以上の衝撃を与える漫画を創り上げようとしているのだとすればどうだろうか?」
先輩の言葉に、私はおぼろげながらも核心に触れた気がした。 大谷どん吉という青年が、何故ブラックリストハンターを続けるのか。その問いの真髄に――。
「もしかして彼は、例え戦乱の時代になったとしても後世に残すべき漫画を作ろうとしているのですか?」
「そう、どん吉くんは地球上の誰もが平等に漫画を読める世界を作ろうとしている。貧困や差別、犯罪が限りなくゼロに近づくような世界を彼は思い描いているのだよ。ブラックリストハンターや漫画家活動も彼なりに不器用ながらも世界平和を願ってのことなのだろうね」
「そんな夢のような世界、つくれるわけ……」
すると、先輩は私の反応にクスリと笑みをこぼし、楽しそうに語り始めた。
「フフッ、簡単ではないだろうね。はっきり言って、どん吉くんは馬鹿だよ。でも、馬鹿でいいじゃないか。だって、人類は希望なしでは生きられないものだしね。そんな大谷どん吉君の姿勢に心動かされた人たちが彼の生き様に感銘を受け、サポートしたくなっただけのことさ。今回のミラーマンの一件もそうだろう」
どうやら、どん吉君の日常的な鍛錬は、ブラックリストハンターの界隈では広く知られているらしかった。
だからこそ、周囲の人々は、愚直なまでに一生懸命な彼を全力で支えたいと思うのだろう。
「大きな希望を持って生きる彼の姿勢に、学校やハンター業界の関係者たちの心を動かしたのですね……」
「ああ、ボクも彼に心を動かされた一人だよ。とんでもないことを言い出す彼に戸惑いながらも見てられないから何だか助けたくなる。そういう意味では、どん吉君は不思議な力を持っているのかもね」
「夢は叶うか、どうかではない。真剣に夢に向き合って夢中になるくらいに好きになって突き進む事が大切だということですね。青山先輩、私も今からトレーニングを初めて見ようと思います。付き合ってくれますか?」
「もちろん、構わないよ。もともとボクも、そのつもりでジムに来たからね!」
私は青山先輩と共に、勢いよくベンチから立ち上がった。
もはや、自分が深夜にトレーニングをしているという感覚はない。
むしろ、これから始まる自身の成長を想像するだけで、胸が高鳴っていた。
「――オラあああああああああ‼」
さらに百キロを追加されたダンベルを左腕一本で持ち上げる、大谷どん吉の咆哮が、誰もいない静まり返った深夜のジムに響き渡る。
トレーニングに没頭するどん吉君は、私達の存在に気づく素振りもない。
私も彼の後に続くようにランニングマシンを起動させ、運動を開始した。
「――あっ!」
気づけば、ランニングマシンで汗を流しながらも、私の視線は無意識にどん吉君を追っていた。
いや、見惚れていたのだ。 先輩に悟られまいと、私は慌てて視線を目の前のモニターに戻す。
――うん、やっぱり……彼を見つめると込み上げてくる、この感情の正体はきっと!
「ほう、ボクの前で余所見するとはいい度胸だね?バツとして足に錘を付けてもらうよ」
「は、はい!すいません‼️」
青山先輩に心を見透かされたようで、私は重りを付けるためにランニングマシンを降りると、自分でもらしくないほど顔を赤らめ、その場で頭を下げた。
後日、複数の関係者から聞いた話によると、大谷どん吉君は一日に四十五分しか眠らない、いわゆるショートスリーパーなのだという。
それも、生まれつきの体質ではないらしい。
自ら睡眠について研究を重ね、鍛錬の末に、身体に悪影響を及ぼすことなく、わずか四十五分で質の高い休息を得る術を身につけたというのだ。
世間では最低八時間の睡眠が推奨されているが、きっと彼は、常識に囚われず自らの信じる道を突き進んできたのだろう。
途方もない夢に真摯に挑む大谷どん吉に、私はいつしか、初めて心を奪われていたのだった。




