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2.奇怪な足音の正体




「お前も、来い。一人は寂しいんだ」


「お前だけ、幸せになんてさせねえよ」


 遠いようで、近いようで、声がする。


「秋二、一緒に行こうぜ」


 引かれて手は、異様に冷たく、心臓まで一緒に冷え切ってしまいそう。


 ツンと、引っ張られたとき。


 パチっと目が開いた。


「ここは……家、か」


 見慣れた木の天井に、ほっと息を吐く。

 バクバクと高鳴る胸を抑え込みながら、体を起こす。


 ひっく、ひっく。


 泣き声が聞こえて、振りかえる。


「秋二さん……っ、秋二さんっ!」


 肩を震わせながら涙を流す、なみの姿があった。


 おぎゃあ、おぎゃあ。


 なみの背中に背負われている息子が、顔を真っ赤にしながら泣いている。


「ただいま、なみ。遅くなって悪かった」


 秋二は、なみの頬に手を寄せる。


「心配させたな。まだ病み上がりなんだから、寝ていて——」


 なみの頬をさすったのに、するっと透り抜けた。


「は?」


 目を丸くしての手の平を眺めると、僅かに透けていた。


「秋二さん……、どうして……置いて逝くの」


 わんわん、と泣きはじめたなみ。


「なみ、俺はここにいる! 帰ってきたんだ!」


 なみの肩を掴もうとしても、通り抜けるばかり。


「なみ! なみ!」


「秋二さんが、いなかったら……私、生きていけない」


 黒い瞳から、光が消えていく。


「なみ! 俺はここにいる!」


 なみと、目が合わない。

 目の前にいるのに、何度も呼んでいるのに顔が俯いたまま。


「くそっ、どうなっているんだよ! 俺はいったいどうしちまったんだ」


 だらっと、手を下げる。

 

 ピタッと、何かに触れた。


 見れば、白装束を身に纏った自分が寝ていた。


「ひぃっ」


 飛びのいて、頭上から自分の顔を見下ろす。

 元々の火傷痕よりも色濃い傷跡が、顔にも足にもあって痛々しい。

 肌は青白く、生気はない。


「お、俺なのか……。俺は、死んだ?」


 ペタペタと自分の顔を触っても、目を開けない。冷たい感触だけが残る。


「こ、これじゃあ、兄貴と全く同じじゃないか」


 兄の広昭は、妻が赤子を産んだ日。

 薬草を取りに、山に入ってそのまま帰らぬ人となった。

 以降、みんな怖がって山に入らなくなった。


 自分の体にしがみついて泣く、なみを見る度に悔恨が残る。


「くそ、山になんか入るんじゃなかった」


 滲む視界の中で、話声が一つ、また一つを増えた。


「なみさん、今回はご愁傷様です」


「村長。私はこれから一体、どうすれば……」


 白い髭を蓄えた、腰の曲がった村長は、目を細めた。


「……秋二を、弔おう。我々には、それしかできん」


 うるうると目に涙を溜めたなみは、深く項垂れた。


「なみが悲しんでいるのに、抱きしめてあげられない。俺は、非力だ」


 唇を強く噛みしめても、痛みがやって来ない。


「はは、本当に俺は死んだんだな」


 乾いた笑い声が室内に響く。


「あの足音は、間際に見た女の仕業?」


 そもそも、見目麗しい女は、誰だ。

 何故、あんな夜深い山の中にいたんだ。

 人なのかさえも、怪しい。


「あれは、人じゃなくて……」


 首を捻った途端。


 

 ドドドッ!


 耳を抉るほどの地響きが鳴り渡った。

 家の中の物がガタガタと揺れて、落ちていく。


「山神様がお怒りじゃ! 鎮めるのだ!」


 穏やか村長が声を張り上げると、バタバタと飛び出していった。


「山神様って、枝垂れ山に住んでいるという?」


 外へ出ると、あの時と同じように木々が揺れていた。


 村人たちは、わらわらと声を上げている。

 村の中心部にある社に集まっていく。


「なみさん、行くよ」

 

 なみは、女性たちに肩を担がれ、社へ向かって歩いていく。


 地響きが鳴る中で、秋二がいるところだけが、ガランとしていた。

 山を見つめる度、ズキっと腕が痛みはじめた。


「痛いな。どこかぶつけたのか?」


 手を見ると、おかしなことにしめ縄を握りしめていた。


「は? 俺は何で、こんなものを持っているんだ」


 じっと見つめると、しめ縄の両端は千切れていた。


「こんな罰当たりのことなんか、してないぞ」


 しめ縄に触れた途端、頭の中で映像が弾ける。




 薪を拾っていたとき、誰かに背中を押された気がした。


「うわ!」


 体勢を整える間際、何かに捕まって転ばずに済んだ。


 ブチッ。


 引き裂いた音とともに、辺りが真っ暗になった。




「俺が、これを引きちぎったから、こうなったのか? まさか、何かを封印でもしていたのか?」


 しめ縄は、悪しきものを封じている場合があるから、触れてはならない。


 村に住むものなら、誰しもが知っている。


 それを、破ればどうなるか。


 ザク、ザク。ザク、ザク。


 土を踏みしめる音がした。


 ザク、ザク、ザク、ザク、ザク。


 背後から、何かが近づいてくる気配。


「もしそうなら、俺が死ぬのは必然ってか」


 ふーっと、短い息を吐き出す。


 ゆっくりと背後を振り向く。




「よう、秋二」


 目を丸くして、じっと目の前に立つ男を見つめる。


 ふっと、笑みを浮かべた男に秋二の唇は震える。


「あ、兄貴……?」


 死んだはずの広昭が目の前に、悠然と立っていた。


「なんでここに? 兄貴は死んだはずじゃ……」


 ユラユラと、動く広昭は、秋二の頬を触れた。


「俺は、死んだ。だから、お前のことを迎えに来たんだよ」


「は? どういう、ことだよ」


 ニタリと笑った広昭は、高らかに呟いた。


「一人は寂しい。俺の体は、崖の下に置かされたまま。誰も、亡骸を回収してくれない。山の中で一人きり。自分の体が、カラスたちに啄まれていく様を見届けたときなんか、もう、最悪だった」


 ニタニタと笑う様に、穏やかで優しい面影はなかった。


「あ、兄貴……?」


 声が震えて、何も言えない。


 足が竦んで、動けない。


「だからな、秋二」


 ずいっと、顔を寄せた広昭は、息を含んで艶やかに呟いた。


「お前も来いよ。俺と一緒に、あの世に逝こう。寂しいのは、もういらない」


 憂いを帯びた笑みを浮かべた広昭は、グイっと秋二の首根っこを掴んだ。


「さあ、逝こう」


 ずるずる、と引きずられていく。


「兄貴、待ってくれよ! 俺はまだ、なみに別れの挨拶をしてないんだ」


「あとにしろ。あの方の邪魔が入らないうちに、逝かねぇと」


 グイっと、引っ張られていく度に喉元が苦しい。


 山とは正反対の方へ向かう兄の背中が、霞んで見えた。


 このままでは、マズい。

 

 広昭の裾を掴んでも、止まることはなかった。


 どうすれば……、頭を悩ませたとき。



 シャン、シャン。


 澄んだ鈴の音色が聞こえた。


 見れば、巫女の恰好をした見目麗しい女が立っていた。


「待て、そのものをどこへ連れていく」


 鋭く細めた女に、広昭は飄々と言葉を並べた。


「決まっていますよ。一緒に、あの世へ渡るんです」


「その者は、まだ死んではいないわ。返しなさい」


 女が近づく度に、山の揺れが激しくなる。


「嫌ですよ、山神様。俺は、ずっとあなたに封印されてきたんです。弟と一緒に逝くことぐらい許してもいいでしょ?」


 眉を寄せた広昭に、山神様は、目を吊り上げた。


「それがいけないって、言っているでしょう!」


 グラララ!


 地面が波打つ。


「広昭、お前は死者。死者は生者にはなれないの。いいから、秋二から手を離しなさい」


 ズカズカと歩み寄った山神様は、秋二の手を掴んだ。


 美しい風貌は、怒りに満ちていた。


「あ、あなたは、山神様なのですか?」


 おそるおそる問うと、山神様はほんの少し表情を緩ませた。


「ええ、そうよ。ごめんなさい、お前を助けるために動いたのに、こうなってしまって」


 眉を落とすと、キュッと目の端を吊り上げた。


「秋二は今、生死の境を彷徨っているだけ。今なら、まだ生者に戻れる」


「本当ですか!」


 秋二はパッと、顔を明るくさせる。


「でも、俺は、貴方様のしめ縄を引き千切ってしまいました。死して然るべきです」


 ふっと、顔を曇らせる。

 膝の上で拳を握りしめた。


「いいえ、構わない。それは全て、広昭がお前を連れて行こうとするために、行ったこと。不問よ」


「俺を?」


 じっと、山神様を見つめると、表情が鋭い。

 

 女とは思えない、剣呑の雰囲気を纏っている。


「そう。あの世とこの世の境にあるしめ縄をちぎって、出てきたの。夜の山の中で、お前を追い回したのは、広昭。崖に追い込まれたところを見つけた時には、すでに遅かった」


 あの時の女は、山神様だった。

 それまでの奇怪な足音が、広昭だなんて信じられない。


 ちらっと、広昭を見つめると、むっと表情を曇らせていた。


「あ、兄貴? 山神様がおっしゃることは本当、なのか?」


 虚空を見つめた広昭は、囁くような声で呟いた。


「言ったろ、一人は寂しいんだよ。だから、お前を呼んだんだよ」


 愁眉を寄せた広昭は、パッと手を離した。


「だが、山神様がやってきたのなら、どうしようもないな」


 ははは、と乾いた笑い声は、どこか泣いているようだった。


「しょうがねぇ、一人で逝くか」


 袖を揺らしながら山神様は、広昭の手を掴んだ。


「さあ、お前はあの世へ逝きなさい。死者が生者を連れて行こうとするなんて、断じて許されません。反省するように」


 山神様は、シャンと鈴の音を鳴らした。


 途端に、辺りが白い光に包まれる。


「眩しっ」

 

 目元を押さえると、凛とした声音が聞こえた。


「秋二。お前の素直さに免じて、命を吹き返しましょう。しかし、わらわとの約束を守れ。守れなければ、死がやってくる」


 息を吸い込んだ声は、高らかに響き渡った。


「山には、浮かばれぬ魂が数多くいる。あの世とこの世の境界を破壊し、生者を連れて行こうする。彼らの御霊を祀る祠を作れ。そうすれば、お前のような人間はいなくなる」


「任せたぞ!」


 シャン、シャン、と鳴り響く鈴の音を耳にしながら、秋二は夢の中へと入っていくのだった。



「秋二さん! 起きて!」


 揺り起こされて、目を開ける。

 視界には、涙を浮かべたなみがいた。


「なみ……?」


 おそるおそる、なみの頬を触るとパシっと掴まれた。


「はい、私はここにいます」


 温かい手に包まれて、目頭が熱くなっていく。

 

「俺は、生きているんだな……」


 ポタポタと落涙する雫が、布団を濡らした。


「生きてて本当に、よかった……」


 しがみついてくるなみを抱きしめる度、温かい体温が涙を誘う。


 なみに支えられたながら、外に出ると波打っていた木々は風が木の葉が舞っている。


「秋二! よくぞ生き返ってくれた!」


 村長が忙しなく駆け寄ってきた。


「山の中で倒れているお前を見つけた時は、心臓が飛び出るかと思ったぞ。しかし、あの怪我で生還をするとは、不死身じゃのう」


 まじまじと見つめてくる村長の目が痛くて、スッと目を反らした。


「違います。山神様が助けて下さったんです。だから、俺は生きている」


「ほう、山神様が……。ついさきほどまでは、山が怒っていたのが信じられん。して、山神様はなんと?」


 息を吸って吐く。


「浮かばれない魂を祀るための、祠を作れ。と言っていました」


「祠?」


「ええ。それが、兄貴や浮かばれない魂たちのためになるらしいです」


 開いた口に声を乗せるか迷う。


 死の淵を彷徨っていたのが、広昭がきっかけだったなんて言うべきだろうか。


 どんな場所であれ、死した魂の成仏を願うべきだった。

 

 それが、生者が死者に出来る唯一のことだったのに。


 唇を噛みしめると、ちくっと走る痛み。


 生きているということは、素晴らしい。


 死んでしまったら、何もできないのだから。


「あい分かった。そうしよう。広昭が死んでから早半年。今思えば、何もしてやれなかったな。せめてもの弔いをしよう」


 ぽん、と肩を叩く村長の目は、潤んでいた。


「はい、そうですね」


 頷くと、穏やかな風が吹き荒れた。



 すぐに祠を作って、山の麓に祀られた。

 亡き魂が、浮かばれぬ魂の拠り所のなるよう、御霊の祠と名付けられた。


 風が凪いで、たくさんの虫の声が響く。


 ザク、ザク。

 

 足音は、ピタリと聞こえなくなった。




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