番外編 ふたりの反省会
28と29の間のお話
奈都と純誠はローテーブルを挟み、どちらともなく正座をして向き合った。
「はじめからきちんと腹を割って話をするべきだと思うので、わたしから話しはじめてもいいですか?」
純誠の許可を得て、奈都は彼がすでに知っている部分も含めて、ことの発端を一から話しはじめた。
優一が望まぬ結婚を押しつけられそうになっていたこと、三ヶ月乗り切れば海外逃亡できること、それまでの期間偽の恋人役をすることで彼の両親の目を奈都に向けさせ、時間稼ぎを頼まれたこと。
「それと、これは絶対に言っておきたいことなんですが、ゆうちゃんさんは極度の潔癖症で、人間に触れない体質なんです」
純誠は怪訝そうに小首をひねる。
「……触れない、とは?」
「言葉の通りです。肌と肌が触れ合うのがだめだそうで、握手とか、ハイタッチも基本的に無理で。だから二次元の女の子しか愛せない人なんです」
純誠が呆れや憐れみなどの感情がない混ぜとなった形容し難い表情で絶句している。
人間だけでなく動物も触れないが、それは今はいいだろう。
「数年来の友人ですけど、わたしはゆうちゃんさんと、素手で握手すらしたことがないんです」
純誠を見やる。その顔には困惑が浮かんでいた。
「……ちょっと、理解が追いつかなくて……すみません」
「わたしも最初そんな感じでしたから、大丈夫ですよ。あの人とわたしがつき合っていないという点さえ理解してくれれば、問題ありません」
「それは……とりあえず、理解しました」
「とりあえず?」
「触れられないから愛し合えないわけではないと思うので……いや、疑っているわけではなく!」
肉体的な問題ではなく、精神的な部分について気になっているらしい。
「ゆうちゃんさんは友人ですが、異性としては見ていないし、向こうもわたしのことを異性としては見ていないと思います。ユアステ愛を語りあって一晩を明かすことはあっても、愛を語らったりはないですよ。想像でも、気持ち悪い」
「き、気持ち悪い……?」
「男性として好感を持てるポイントが皆無じゃないですか、あの人」
「いや、あの人のこと、そんなに知らないし……」
「でも、純誠さんはあの人が義理のお兄さんってことは知っていたんですよね?」
「……前に、見かけたことがあったので。一緒にいた母の様子で、なんとなく察したというか……」
あまり聞かれたくないのか、純誠は言葉を濁してから、仕切り直した。
「弁解になってしまうかもしれませんが、俺の話をしてもいいですか?」
「はい」
純誠は彼の身に起きたことを包み隠さず話してくれた。
実の父親に呼び出された日のことをすべて。
悍ましい命令に激怒し、それでも妹の身に危険が迫ると知って、表向きでも従うしかなかったこと。そうやって理世だけでなく、奈都のことも守ろうとしてくれていたこと。後悔の念や、良心の呵責、そして実父への憎悪など、感情面についてもぽつぽつと語った。
「だけど……見ず知らずのわたしのことまで背負う必要なんてなかったのに」
「さすがに知ってしまった以上、無視はできません。あの男がなにを企んでいるのか、わかったものじゃなかったし」
純誠は自分の実父を、犯罪に手を染めることなど厭わない極悪非道な人間だと思っているようだ。そのあたり、父親と暮らして来た優一とはやはり見方が違うのかもしれない。優一は、あくまでも穏便に別れさせようとすると言っていた。主観なので、どちらが正しいのかはわからないし、どちらも正しくないのかもしれない。
「純誠さんの事情はよくわかりました。だけどやっぱり、わたしに対しては後ろめたさを持たないでほしいです」
「だけど思惑を持って近づいたのは事実です」
純誠の中でそれが一番引っかかっているようだが、奈都が気になるのはそこではない。
「それ、いけないことですか?」
「え?」
「きっかけよりも、一緒にいたときにどう思っていたのかの方が大事じゃないですか? そっちの方がわたしとしては気になる問題ですよ。無理して一緒にいたのなら、むしろこっちが申し訳ないと思うし……」
「無理とかは! ……たしかに最初は、無理して近くにいようと思ってました。だけどふたりでいるのは、思っていたより、楽しかった、です」
「無理していたわけではないんですね?」
「無理なんて……いや、していたのかな? 好きになったらいけない人だからと、線を引こうとは、していました。……無理でしたが」
これは告白と受け取っていいのだろうか。すでに好きだとお互いに想いを伝え合っているので今さらだが、そう思ってくれていたことは素直に嬉しい。
「じゃあ、あのとき……別れればいいのにって言ったのは、本当に善意からの言葉でしたか?」
純誠は、うっ、とうめいてから、ちょっと気まずげに視線をそらした。
「半分は、嫉妬、だと思います……」
「もう半分は?」
「あんな男がいるような家と関わったら、俺みたいに苦しむだろうから別れた方がいい、と。これはきっと誰に対してでも、本気でそう思うと思います」
あんな男とは、彼の実父のことだろうか。実の息子に間男を演じさせるような人、たしかにまともでないことは奈都にも理解できる。
「そういえば、なんで純誠さんや充希くんが、そんな損な役回りを? 普通にプロの別れさせ屋を雇った方が確実なのに」
「少しでもあの人……優一、さん、に似ていた方がいいと言っていました」
奈都は純誠の顔を眺めてから、ゆっくりと首を傾げた。
「……似てますか? 目の色だけじゃないですか」
優一と純誠、顔立ちはあまり似ていない。あえて挙げるのなら、どちらも背が高いところくらいだろうか。しかし充希はさほど高くないので、三人並んでも兄弟とわかる人はいない気がする。
「俺は母親似なので。あの人は父親に顔立ちは似ていると思いますけど、普段の雰囲気は真逆ですね」
あちこちに隠し子を作って回るような女好きな男と、潔癖で人を拒絶する優一とでは、雰囲気が違うのもうなずける。
(というか、父親の背を見てゆうちゃんさんはあんなに潔癖になったのかもしれない……)
そう考えると優一が不憫に思えて来た。
「奈都さんといるときは、また雰囲気が違うようですが」
「わたしとだけじゃなくて、同志たちといるときはあんな感じですよ? 基本的に人の話は無視するし用がなければ自分から話しかけない人ですけど、ユアステの話ができる人には、わりと気さくに話しかけるんですよねぇ……。純誠さんにも普通に話しかけるでしょう?」
「え?」
「純誠さん、ゆんちゃん推しってことになってるので」
「え? いつの間に?」
「どの子が好みか聞いたら、ゆんちゃんって言ったじゃないですか」
「推しってほど……いえ、なんでもありません」
純誠は粛々と受け止めた。その論議は後回しにしたらしく、話の軌道修正を図った。
「そういうわけで、俺はきっと、代替品としてちょうどよかったんだと思います」
こういう目から光が消えて闇深くなった表情は優一に少し似ているかもしれない。子供にこんな顔をさせる親とは一体どんな人間なのか。
「わたしが一発本気で殴って性根を叩き直してあげればよかったですね」
「そこは蹴りじゃないんですね」
ようやく少し笑みが戻ってきた純誠に、奈都はちょっと迷ってから、右手をぐっと握って言った。
「蹴りの方が安全ですから、あえて拳で」
「……うん?」
「顔って、目とか鼻とかこめかみとか急所だらけで、そうでなくとも脳があるし、やりすぎたら首が折れるし、歯なんて何本あっても足りないしで、後遺症を残さないよう配慮するのが難しいからあんまり使わないだけで、別に手を使うのが苦手なわけではないんですよね」
むしろ独学の蹴りよりも祖父直伝の右ストレートの方が殺傷力は高い。
「……」
「冗談です。忘れてください」
純誠がどう反応すればいいかわからないというぎこちない笑みを浮かべる。変な空気になってしまった。
「それに、もう制裁を受けたと聞いていますし」
「……」
なぜかもっと変な空気になってしまった。
「……あの男のことは、もういいです。俺たちの話をしませんか?」
「……はい」
「奈都さんも俺のことを、好き、ってことで合っていますか?」
改めて言われると恥ずかしいが、その通りだ。
「はい、好きです」
素直に認めると彼はほっとしたようにこわばった正座姿が少しだけ弛緩したように見えた。
「俺も……好き、です。人としてもですが、女性として」
「わたしも。男性として好きです」
両思いということなのだが、未だ不思議な気分だ。純誠は大きく肩を撫で下ろしている。
「てっきり、嫌われたと思っていました。さようならって言われて、ああ、終わったな……と」
「それは……。元はと言えばわたしが安易にゆうちゃんさんに手を貸したのが原因ですし」
「いや、俺が」
奈都は身を乗り出して純誠の口を指で封じた。
「ほら、そうなるでしょう? お互い罪悪感を抱えたままで、いつまでも謝罪し合って、たぶんどっちも引かない。だから離れた方がいいと思ったんです」
彼の唇から指を離すと、その手を握られた。
「罪悪感は、たぶん消えない」
「わたしもです」
「だけど……会えなくなって、つらかった」
「わたしもです。……ずっと、泣いて……」
視線が絡む。奈都が泣いていた跡を探すように、頰に手が触れた。
「俺のこと、許してください」
「はい。……わたしのことも、許してください」
「うん」
唇が重なって、すぐに離れる。ふたりの間を隔てているローテーブルがじゃまで、ふたりして苦笑した。
いつものようにソファに座り直して、純誠が言った。
「俺と、つき合ってください」
「はい、喜んで」
↓泊まると決まった後の会話
「お風呂、早くないですか?」
「……」
事故物件が頭によぎって烏の行水の純誠




