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「先輩はバカなんですか? 警察を呼べばいいじゃないですか」
奈都は通話を終えたスマホを理世のポケットへと返しながらふくれた充希へと答えた。
「警察はまずい」
「なんでですか」
「揉み消される気がするから。それにとにかく、警察沙汰はだめ。誰のためにもならない。充希くんだって、こんなことに関わってるのがバレたら困るでしょう?」
家にも学校にも知られたら困るはずだ。どんな噂をされるか。
「……僕のため?」
「みんなのため。余計な醜聞はないに越したことはないから」
奈都としても、極力国家権力と関わり合いになりたくはなかった。
「それより……少し訊いてもいい? さっき脅されて仕方なく、って言ったよね?」
壁に背を預けていた充希は、叱られた子供のように背を丸めてうなずいた。
「……うん」
「なんで脅されることになったの? 相手はわたしの友……恋人の、ゆうちゃ……優一さんの両親で、合ってる?」
充希はゆっくりと顔を上げた。いつもと違う表情をしている。感情の読めない暗いその顔は、不思議と奈都のよく知るものと似ていた。
たまに優一が垣間見せる根深い闇を感じさせるときの顔。
(あ……)
奈都は瞠目した。
(そうだったんだ……。なんで今まで、気がつかなかったんだろう)
顔立ちはそこまで似ていないが、色素の薄めのその茶色い瞳は、優一のものと似ていた。……純誠のものとも。
その瞬間、すべてが腑に落ちた。
優一は家族のことはあまり語らなかったが、理世が純誠とは父親が違うと言っていた。そして充希は祖母とふたり暮らし。おそらくだが、彼らはみな、父親が同じなのだろう。
そんな偶然、普通はあるわけがない。となれば答えはひとつ、必然的に集められたのだ。優一と奈都を別れさせるだけのために。
奈都が気づいたことを悟ったのか、充希は無理やり笑みを浮かべた。
「あいつにとって、子供って、都合よく利用するためのものなんだって。僕、こんなことしたくないって言ったよ? そうしたら……あいつ、ばあちゃんに手を出すって……」
ぎり、と充希が歯を噛み締めた音を立てた。
充希はおばあちゃん子だ。彼女を人質に取られたら、従わざるを得ない。
こんな子供を脅すとは。さすがの奈都も怒り心頭だった。
今このときも、充希は怯えているはずだ。おばあちゃんは大丈夫だろうか、と。
(このつけは、ゆうちゃんさんに必ず払わせよう)
そもそも彼が発端なのだから。
他人に興味のない優一だが、義理とはいえ、未成年の弟をこのまま放置しないだろうし、情はなくともお金はある。奈都が出させる。慰謝料という名の愛情を。
「具体的にはなにを強要されたの? わたしを落とせって?」
「はじめはね。だけどいつの間にかあの人が先輩と親しくなってたから、ひとまず様子見に徹して報告だけするようにって。あれも手駒だからって」
純誠のことだろう。奈都が純誠と親しくなったことで、充希は一旦はお役御免となったわけか。年齢的にも充希よりは純誠の方がいいと踏んだのかもしれない。
「ほっとしたんどけどね。ただ監視してるだけなら楽だし。罪悪感はあったけど。先輩がさっさと彼氏と別れてくれたら、こんなことにはならなかったんだけどねー……」
ちくりとした嫌味のこもったその言葉に、奈都は苦く笑った。
「なのに先輩、別れもしなければあの人にもふらふらするし。騙されてると知らずに乗り換えるんじゃないかと、実は結構ハラハラしてた」
「……うん。そうならなくて、よかったと思うよ」
これで純誠は、奈都のことが好きで近づいて来たのではないとはっきりした。
奈都もさすがにもう、認めざるを得なかった。
きっと彼も、充希のおばあちゃんのように、おそらく理世あたりを人質として取られていたのだ。理世の感じていたあの視線は、やはり監視の目だったんだろう。純誠が裏切らないよう、すぐに理世を害せるよう見張っていたのだ。そう考えると納得がいく。
彼の心情が理解できるだけに、悲しいけれど怒りはない。
(だけど……やっぱり恋愛なんて、もうこりごりだ)
親しくなれば好きになる。その感情は自分でどうこうできるものではない。高い勉強代を払ったと思って忘れるしかないのだ。
諦観のこもった嘆息を落としたとき。
「それって、どういうこと……?」
理世が体を起こして、奈都と充希を交互に見やった。
状況が飲み込めていない彼女になんと説明するか迷っているうちに、充希が洗いざらい事情を暴露してしまった。
「嘘」
「嘘じゃない」
にらみ合うふたり。理世は奈都を向いた。
「奈都さんは? 知ってたの?」
「今知った感じ、かな……」
せめて和むように険しい顔の理世に微笑んだが、奈都の笑顔はどうやら引きつっていたらしく、火に油を注いでしまった。
「……お兄ちゃん、最っっ底!! ストーカーより悪質!」
「あのね? お兄さんはたぶん理世ちゃんのために」
「わたしのためってなに? それで誰かを騙して傷つけていいとは、わたしは思わない!」
正論だ。だけど、誰もがそんなに強いわけじゃない。
「わたしなら平気だから」
「だって! そんな別れさせ屋みたいなこと……あり得ない!」
このままヒートアップしたら外に声がもれるかもしれない。
それに充希も洗いざらい話したのだ。奈都も誠意を見せなくては。
「ごめんね。騙してたのは、わたしもなの。わたしたちは、本当はつき合ってない。偽の恋人だったの」
充希が弾かれたように顔を上げた。
「え? つき合ってないって、どういう……?」
「言葉の通り。頼まれて恋人のふりをしてただけ。しかも、こうしてハニートラップを仕掛けられるのがわかった上で。だからみんな、気に病む必要はないんだよ。お互い様だから」
充希がヘナヘナと脱力して頭を抱えてしまった。
「だったら、なんのために……」
「ごめん。事情を知ってたら、そっちとも協力したんだけどね。だから充希くんのことは責めたりしないから、きみも自分を責めないであげて?」
充希はくしゃりと顔を歪めさせて、せんぱーい、と弱々しく叫びながら奈都の胸に飛びこんできた。
「はいはい。もう大丈夫だから。後のことは大人に任せておきなさい。ふたりは絶対に守り切るから」
「……頼りないんですけど」
そうだろうなと思いながら奈都は苦笑した。生まれてこのかた、頼り甲斐があると言われたことはない。
「理世ちゃんも。元はといえばわたしたちが悪いんだから、純誠さんのこと、お願いだから嫌わないであげて」
「……奈都さんは、あますぎる」
むすっとしているが、おいでと手招きしたら寄ってきた。それでもまだ純誠のことは許していなさそう。だがそれは後回しだ。
「いい? 今は仲間同士ケンカしてる場合じゃないの。一刻も早く逃げないと」
すでに結構な時間が経っている。
いつまでもここに閉じこめておくだけのはずがない。
「逃げるって言っても窓もないし、ドアに鍵もかかってるじゃないですか」
「大丈夫」
奈都はドアまで歩いて行って、一応ドアノブを回してみた。カチャカチャ鳴るだけで、もちろんドアはびくともしない。
「みんなで蹴破ったらいけません?」
「できれば音を立てたくないから」
ドアノブとは反対側へと少しずれた。視線の先にあるのは、上下につけられた蝶番がふたつ。
「人ってなぜか、こっち側は絶対に開かないって無意識に思っているから不思議だよね」
工具箱から目当てのものを取り出して戻る。錆びついてはいるものの、このドライバーを見つけたときは、内心、よし、と拳を握ったほどだ。
(まぁ、ね……なければないで、やりようはあるけども)
ドライバーでネジを外すだけ。それだけでドアはドアとして機能しなくなるからおもしろい。
「じゃあ、はい。みんななるべく足音物音を立てずにわたしについて来てください」
引率の先生のように言って、ゆっくりとドアを押し開けた。人がひとり通れるほどの隙間が開く。
「先輩、本気で何者……?」
順応性の高い理世が先に奈都に続き、充希も慌ててすり抜けて来た。
出口までの道は覚えている。ほの暗い倉庫の中を抜き足差し足で進む。三人とも無言だ。
誘拐犯たちはまさか逃げるとは思ってもいないのか、明かりの灯る事務所のような一室からは、誰も出てくる気配はない。
そのまま拍子抜けするくらいあっさりと出口まで到着した。
「てっきり見つかって追いかけられて大乱闘……みたいな展開になるかと思ったのに」
「現実なんてこんなものだよ」
奈都は素直に喜べずにいる様子の充希を慰める。
「ここ、山の中ですか?」
連れて来られたときに気絶していた理世が周囲を見渡して言った。
「たぶん。でも山奥ではないと思う。街まで降りようと思えば降りられる距離だと思うけど、助けが来るからへたに動かないほうがいいかな」
奈都は注意深くあたりへと目を巡らせた。
車があるが、さすがにキーを差しっぱなしにはしていないようだ。
「助けって?」
理世にかかってきた電話のことを伝えた。そのうち助けが来るであろうことと、純誠がいることも。
「今お兄ちゃんに会っても、どう反応すればいいかわからない……」
そんな複雑な心境の理世に、充希が適当に言った。
「一発殴ればいいんじゃない?」
「殴るにしても、家についてからにしてね」
せっかくの救助隊を負傷させられても困る。
「助けを呼んだって言ってもまださっきのことだし、場所がわかったとしても、ここに来るのに時間かかるんじゃないの? 先輩、どうするの?」
「そうだね……」
法定速度は守ってもらわないとと思っていると、とうとう倉庫内が騒がしくなった。気づかれたようだ。
奈都はすぐさま、理世と充希の腕を引いて茂みに身をひそめた。
補足
三人がしゃべっている間、誘拐犯たちは奈都を貶めるための動画撮影の準備に手間取り中でした




