22
純誠視点
今日も彼女の書店に寄る勇気を奮い立たせることができず、うなだれながら帰宅すると、なぜかドアを背に亮太が膝を抱えて座っていた。エレベーターから降りた純誠を目にすると、慌てて立ち上り駆け寄って来る。
「純兄!」
いつもと違うその焦った様子を訝しみながらも冷静に尋ねた。
「どうした?」
「どうしよう、りーちゃんと連絡がつかない!」
「部屋で寝てるんじゃないのか?」
それほど騒ぐことではないだろうと真剣に取り合わない純誠に、亮太はそれでも必死にすがりついて来た。
「家にはいないって! なんかファイルみたいなのを抱えて、深刻な顔して出て行ったきりだもん!」
(ファイル……?)
純誠は、まさか、と思い部屋に駆け込み、自分の寝室のドアを押し開けた。引き出しが開いている。案の定、中は空っぽだった。
あのファイルには奈都の個人情報が事細かく記された書類が挟んであった。それを見つけてしまった理世がどこへ行くかなんて、考えるまでもない。
「あいつ……」
純誠はひとまず目の前の亮太を落ち着かせることを優先した。奈都のところにいるだろうと気休めを言ったのだが、それでも亮太から焦りが消えることはなかった。
「そう思って奈都さんにもメッセージ送ったけど既読つかないし、電話にも出ない! 絶対なんかあったって!」
「……それ、本当か?」
「うん。りーちゃんも同じで、まだなんの反応も返って来ない……」
理世と奈都の両方と連絡が取れない。
これはいよいよおかしい。
「やっぱり俺、奈都さん家行ってみる。いるかもしれないし……」
「いや、俺が車で行って見て来るよ」
話が盛り上がりすぎて気づいていないとかならば。そんなはずないと思いながらも、彼女の家に行き、この目で確かめることで安心できるのなら、行ってみることに価値はあるだろう。ひとまず亮太は家に帰るよう押し留めたが、今日は頑なに言うことを聞かない。
「一緒に行く」
亮太の真剣な目を見て、純誠は折れた。亮太も心配なのだ。置いていって逆にひとりで行動されるよりは、見えるところに置いておく方がいいかもしれない。
車でほんの十数分の距離だ。途中あのふたりがよく使うファミレスをのぞいたが、どちらの姿もなかった。
到着した奈都のアパート。彼女の部屋の明かりは消えていた。ポストを見ると郵便物が入ったまま。それはまだ彼女が帰宅していないことを示していた。
やはりなにかあったのだ。ふたりの身に。
理世が例のファイルを手に奈都のところに行ったことは彼女を監視しているやつにも見られていたはずだ。ファイルの中身に気づかれていなければいいが、楽観視はできない。
純誠は奥歯で後悔を噛み締めてうめいた。
優一にバレてからもあの男からなにも連絡がなかったことに戦々恐々としながらも、ほっとしていたのだ。使えない人間だと捨てられたのなら幸いだと。
そんなあまい男じゃない。
わかっていたはずなのに。
奈都だけでなく、理世まで連れて行った。おそらくは、秘密を知ったから。
純誠はそばに亮太がいるにもかかわらずあの男へと電話をかけたが、こちらも繋がらなかった。
「くそっ」
吐き捨てたとき、亮太が、あっと声を上げた。
「奈都さんの彼氏!」
純誠が顔を上げた先、優一がスマホ片手にこちらへと歩いて来るのが見えた。
「あの人なら、もしかしてなにか知ってるかも!」
知らないだろうと引き止めたが、亮太の方が一足早く、臆することなく優一へと突撃した。
ふたりがどこにいるか知らないかという質問をする亮太の元へと純誠も足早に向かう。
優一はポケットにスマホをしまうと、奈都のアパートをちらりと見上げ、それからため息のようにつぶやいた。
「……やっぱり、なにかあったのか」
「なにかって!?」
食い気味の亮太に、優一は気圧されたのか、上半身を仰反るように引かせている。
「電話があったから出けど、すぐに切れた。かけ直したけど、今も繋がらない」
優一は亮太から距離を取りながらじりじりと後退したところで、地面になにか発見したのか、大きく目を見開いた。
「これ……」
アスファルトの片隅に落ちていたのは、見覚えのあるストラップ。奈都がゲームセンターで引き当てた、みのりんのストラップだった。
優一は震える手でそれを拾うと、大事そうに手のひらで包みこんだ。
「それは、彼女の……」
「……でしょうね」
抑揚のないその声に、ぞくりとした。優一が、本気で怒っている。
「やっぱりなにかあったんだよ! 警察! 警察に通報しないと!」
慌てる亮太を優一が片手で制した。
「警察は困る。……よね?」
優一は純誠へと咎める目で問いかけてきた。
警察を呼んだところで相手があの男ならば、簡単にもみ消されてしまうだろう。これが仮に優一の自称婚約者だとしても、同じだ。この世の中権力と金がものを言う。悔しいがここは優一に従わざるを得ない。
「まあ、これはうちのやり方ではないけど……」
優一がぼそりとそうつぶやいたが、純誠はそうは思わない。やはり息子として育てられた情が、彼の目を曇らせているのだと思った。
「きっと報復に」
「いや、それはない。きみのことは話していないから」
優一は純誠にだけ届く声量でごく短く言った。
(なんで……)
優一が純誠をかばう理由なんてないはずなのに。
「今さらだけど、きみたちはなっちゃ……奈都に会いにここへ?」
「りーちゃんが! あ、りーちゃんというのは俺の彼女で純兄の妹なんですけど、奈都さんのところに行ったっきり帰って来なくて! それで……!」
「……ああ、なるほど」
「大丈夫ですよね!? なんか、事件に巻き込まれたりとか……」
青ざめ泣き出しそうな亮太の肩を抱き寄せて励ますように叩いた。純誠には、目の前の亮太を慰めることしかできなかった。
「彼女がどこにいるかとか、わからないのか?」
追跡アプリとか、GPSとか。こっそり彼女のスマホに細工していたりはしないだろうかと一縷の望みにかけたが。
優一は引きつり切った顔で、またわずかに後退した。
「してるはずないじゃないか……気持ち悪い」
そこまで引かれるほどのことを言っただろうか。まるで純誠がとんでもなくやましい発言をしたかのように、優一に突き刺す目で見られ困惑する。
「純兄……それは絶対、嫌われるやつ」
亮太まで。
してるわけでも、したいわけでもない。ただ念のために確認しただけなのにと理不尽さに震えるながらも、再度理世へと電話をかける。
また留守電に繋がるだろうと思ったそれは、しかし、予想に反して繋がった。
だが聞こえてきたのは理世ではない、男女ふたり分の聞き取りにくい声。電波が悪い場所にいるのか、相手がなにを訴えているか正確には聞き取れなかったが、片方が奈都のものだということだけは確信した。
しかしいくら耳を澄ませど、理世の声が聞こえない。
なにかが起きているのだろう状況で、妹の声が真っ先に聞こえて来なかったことに不安が募る。
「理世は? 理世はそこにいますか?」
「……ごめんなさい」
純誠はスマホを持つ手を震えさせた。最悪の結果が脳裏に浮かんでは追い払う。そんなこと、考えたくもない。
「理世に、なにか……」
「いえ……、今のところ無事で……」
電波の調子は悪いが確かに無事と聞こえ、ひとまず安堵する。
「……ますけど、大丈夫。万が一の……は、……めますから」
奈都の声にかぶせるように、すかさず若い男の子のつっこみが入る。よく聞けば、書店の男の子の声だと気がついた。
「無理に決まっ…………ですか!」
スマホの向こうで言い争うような声。
すると黙って成り行きをうかがっていた優一が、すっと純誠からスマホを取り上げて話しかけた。
「今どこですか?」
その冷静な質問に、もれ聞こえていた争う声が一瞬で消えた。
「……わからないなら目印になりそうなものを思い出してください」
自分たちがどこにいるのかわからないという危機的状況にいるのだ。奈都も、理世も。
「りーちゃん、大丈夫だよね……?」
亮太には悪いが、大丈夫だと安易に言えなかった。
今はまだ無事でも、今後どうなるかはわからない。
焦燥だけが募る。純誠が話すよりも、表面上は落ち着いている優一の方が、的確な問いかけで必要な情報を得られるだろうと引き下がった。
「そうですか。わかりました、調べてみます。居場所を特定次第、すぐに迎えに行きますので。後始末は僕が請け負います。気にせず、動いてください。……さすがに、僕の堪忍袋の緒も切れました」
ストラップを握りしめて、ぼそりとつぶやいた最後の言葉は、おそらく電話の向こうには届かなかっただろう。
だが、届かなくてよかったかもしれない。ぞっとするほど冷たく微笑んだ優一は、純誠へとスマホを返しながら言った。
「きみ、もちろん、車で来たよね?」
車内は沈黙に満ちていた……わけではなかった。
助手席の亮太は必死に自分を落ち着かせようとしゃべり続けているし、優一は集中したいからとユアステの曲をかけることを要求してきた。
純誠は運転に徹しながら、後部座でタブレットを操作する優一をミラー越しに見た。それに気づいた優一は肩をすくめながら言う。
「だいたいの見当はついたから、そんな目で見ないでくれないか。さすがはなっちゃ……奈都というべきか、目印になりそうなものを順にしっかりと覚えてくれていたおかげで、監禁場所が絞れたよ」
「監禁って!?」
亮太が叫ぶ。それを聞き流して、優一は身を乗り出して来て、カーナビに住所を入れた。
「ねえ! 監禁って!」
「落ち着け亮太。理世は見た目通りタフだから、大丈夫だ、きっと」
安易な慰めに苦笑するように、優一は後ろでため息をつく。
「元はといえば、あなたが彼女を両親に認めさせれなかったから、こんな面倒なことになっているんじゃないか」
「あの人たちは誰であろうと認めない。息子でさえ、認めない親だ。ただ今回は……たしかに僕が彼らの行動を見誤ったという責任はある。まさか彼女が拉致されることを許すなんて」
「わかってただろう! そういうやつなんだって。彼女を脅して無理やり従わせることになんとも思わない、最低なやつだって!」
理世のことも奈都のことも、本当は心配でたまらなかった。亮太のようにそう叫びたかった。これは完全に八つ当たりだ。わかっていても、感情が抑えられなかった。
優一は怪訝そうに片眉を上げて純誠を見ていたが、ふっと視線を外した。
「わかってるよ。……誰よりもね」
その横顔を見て、純誠はなにも言えなくなった。
ハンドルを握る手に力がこもる。
ぐっ、とアクセルを踏みこんだ。
優一がスパイアプリを入れていたところで、奈都のスマホはすでにご臨終なので、残念ながら追跡はできない状態




