22.幕切
たかがメモとはいえ相当量の文章を書き終えて、ほとほと精根を使い果たした俺は、ほんの気晴らしのつもりで三号室をあとにした。廊下へ出ると、まだ夕刻には間があるようで、窓からほんのり薄明るい日差しが差し込んでくる。
ふと見ると、西野がベランダへ出ていた。ひざまずいてなにかを必死に探している様子だ。ドレスのスカート越しに浮かび上がるコンパクトなお尻は、まさに至高の芸術作品である。こんな時刻になにをしたいのかはよく分からないが、むやみに詮索するのはやめておいた。もっとも、俺だってそんなに暇ではないのだ。というのも、このまま何も抵抗を企てなければ、今晩の会議で、俺か一ノ瀬氏のどちらかが、確実に吊るされてしまうからである。これまでに起こった出来事を懸命に掘り起こしつつ、順番にしてメモに整理していったものの、決め手となる手がかりはなに一つ発見できずじまい。疲れ果てた脳細胞にシェイクスピアの名台詞がむなしくから回りする。生きるべきか、死すべきか、それが問題だ――。不死身のなんでも屋も、さすがに今度ばかりは絶体絶命といったところか……。
重々しいムードの晩餐が済んで、禍々しい空気の会議が始まった。孤軍奮闘の俺は自己弁明をひたすら繰り返すが、その主張は、仮に俺が犯人だったとしても密室を作り上げることは断じて不可能であった、といった単純な論点に限定されており、それ以上に陪審員たちを説得するネタはなにひとつなかった。
疑わしきは罰せず――とは、いわずと知れた刑事訴訟裁判の根幹をなすべき大原則であるが、今回に限っていえばその大原則は俺と一ノ瀬氏を救済してくれないのである。というのも、クローズドサークルにおける殺人ゲームでは、疑わしきを罰せずに見過ごしていればやがて自分が殺されてしまうわけであって、疑わしき者から罰せよ――こそが、真理となるのだ。
案の定、会議は淡々と進行していき、俺の置かれた立場が圧倒的不利に陥ったちょうどその時、聴衆のひとりがおもむろに立ち上がった。西野摩耶だった。彼女にしてはめずらしく、集団の中央へ歩み出ると、懐からなにやら小さな黒い機器を取り出した。
「なんだ、そいつは」真っ先に俺が叫んだ。
「武器です。人狼の……」
そういって、西野は俺へ向けてその機器をかざす。それはスタンガンであった。とっさに俺は、両手をかざして身構える。すると、それを見た西野がうれしそうに口元を緩ませた。もっともそれは俺に差し向けた微笑みではなかったようだが。
「大丈夫です。放電しつくしてありますから、電池を交換しなければ使えません」
「そんな物騒なもの、いったいどこで見つけたんだ?」
「ベランダにある掃除器具庫の中の棚に置いてありました。たぶん、人狼にとって手軽な隠し場所だったのでしょうね」
「なあるほど。うっかり自分の部屋にしまっておいて、他人に見つかったりしたら、大変なことになっちまうからなあ」と、川本が、俺のほうへ目を向けつつ、わざとらしくにやついた。
「一ノ瀬さん、ベランダの掃除は毎日なされないのですか」
俺はとっさに一ノ瀬氏をとがめた。とにかく、議論の中心から俺への注意をそらすことが肝心だ。
「はい、まことに申し訳ございません。ベランダのお掃除のご指示はご主人さまからお受けしておりませんので、こちらへ参りましてからベランダはほったらかし状態でございました」
俺の黒い思惑に気付くすべもなく、一ノ瀬氏はハンカチを手にしながらかしこまった。
「なあに、かまわんよ。単にそこを人狼に付け込まちまっただけだ」
川本が椅子の背もたれにどっかと体重を掛けた。しゃくではあるが、もはやこいつは自分がこの会議で吊るされる心配がないから、左団扇で余裕をぶっこいているのだ。
「でも、これで、分かっちゃいました。人狼の正体が……」
すまし顔でさりげなくこぼした西野の発言であったが、さすがにこれにはその場にいた全員が大きくざわついた。
「なんだって。誰なんだよ、そいつは?」
俺が問いただすと、西野はコホンと小さく咳を入れて、こちらをじっと見つめてきた。吸い込まれてしまいそうな、魅惑的なまなざしである。
「これから私が告げる人物を、みなさんで協力して、電気椅子に掛けて処刑してください……」
静かに西野が切り出した。「そうすれば、このくだらない茶番劇は、もうおしまいです!」
誰もが度肝を抜かれた西野の提案は、即座に審議に掛けられた。結局、それに対する反対意見を述べたのはたったの一人だけで、残り四人の賛成による多数決で、西野が告げた人物の処刑を行うことが確定した。
正直なところ、今回の処刑の執行には思いのほか労力を要した。やっとのことでその人物を電気椅子へしばりつけると、俺たちは電気椅子から離れ、部屋の外へ出て、無言でこの処刑を見守った。くじ引きで選ばれた三人が、能面のごとく無表情を貫きながら、同時に三つのスイッチを押すと、椅子に固定された人物の身体は一瞬ふわりと浮きあがり、直後の大きな衝撃音とともに激しい痙攣をのたうったが、しばらくするとピクリとも動かなくなった。
処刑が終了した瞬間に、天井から流れてくる聞き覚えのある女の声――、人工知能のアオイだ。
「生き残られたみなさま、おめでとうございます。ただ今、人狼が処刑されましたので、村人側が勝利いたしました。
勇敢なるみなさまへ当局からささやかなる褒賞がご用意してございます。さあ、勝者のみなさま、どうぞ大急ぎで居間へお集まりくださいませ」
俺を含む生存者の全員は、ほっと安堵をしたのち、意気揚々と居間へ移動を始めた。
ところが、それは霊安室を出た直後の廊下での出来事だった。以前にも感じたのだが、ここの廊下は異常に天井が低くなっていて、極度の密閉感に襲われてしまうのだ。
先頭を歩いていた俺が、突如目の前に立ちふさがる見えない壁にひたいをぶつけ、そのまま行く手を阻まれてしまう。
「なんだ、こいつは……。透明な、アクリル板?」
とっさに俺は後方を振り返った。あとに続いていた連中は、なにが起こったのかを把握できずに、混乱したまなざしで、呆然と俺の顔を見つめていた。突如、天井からアオイの声が響いてくる。
「それでは、みなさま、しばらくの間の我慢でございます。どうぞ、安らかにお休みなさいませ――」
声と同時に、四方の壁から一斉に白いガスが吹き込んできた。しまった、こいつは、罠だったのだ――。だが、そう思ったのもつかの間で、意識は着実に遠のいていった……。