それから
神世は穏やかに営まれていた。
箔翔は、維明と共によく学び、帝羽は変わらず淡々と学び、龍の宮も落ち着いていた。
箔炎は、再び地の宮を出て陽華と共に鷹の宮で箔翔の代行を務め、箔翔の帰りを待っている。
鵬加も、父の恨みなど全く継がずに穏やかに神の会合にも出席していた。
公青には、箔翔が修行中なため、もうしばらく結蘭の嫁入りは待つようにと伝えられ、あちらも準備を万全にしたいのでと快く承諾されていた。
それから数ヶ月、月の宮では、維月が里帰りして戻って来たところだった。いつものように嘉韻が迎えに出て、十六夜に抱かれて降りてくる維月に手を差し出した。
「維月。」
維月は、微笑んで十六夜から離れると、嘉韻の手を取った。
「お待たせしてしまったわ。嘉翔はどう?」
嘉韻は、その肩を抱きながら微笑んだ。
「おお、健やかぞ。常は維織殿が世話をしてくれるが、宮に居ると世話をしてくれる者には事欠かぬようでな。」
十六夜が苦笑した。
「あいつは何しろ、めちゃくちゃかわいいんでぇ。嘉韻そっくりで小さいだろう。最近じゃ、単語じゃなくてきちんと話をし始めて大氣と二人、自分の子みたいにかわいがってやがる。」
維月は、笑った。
「まあ。早く会いたいこと。」
嘉韻は、微笑みながらも維月を抱き寄せた。
「それも良いが、もうしばらく待てぬか?嘉翔にはいくらでも会えるが、我にはこの三日だけ。先に屋敷へ戻ろうぞ。」
維月は、困ったように笑った。
「まあ嘉韻…。」
十六夜が、それを見て呆れたように言った。
「はいはい、オレは邪魔だな。じゃ、また三日後にな、維月。」
維月は、十六夜を振り返った。
「ええ、十六夜。ありがとう。」
そうして、十六夜は宮へと飛んで行き、維月と嘉韻は、嘉韻の屋敷の方へと飛んで行ったのだった。
蒼は、戻って来た十六夜を見て、言った。
「ああ、母さんは帰って来たのか?」
十六夜は、頷いた。
「例によって、最初は嘉韻の所だ。あいつも待ってるし、仕方がねぇよな。でもよ、維心の子が腹に居る間は、維心の気に負けるあいつじゃ、手出しできねぇのに。」
蒼は、苦笑した。
「それでも、二人きりで一緒に居たいんだよ。維心様だって、念願の二人目のお子が出来て喜んでらしたじゃないか。今回は快く里帰りを許したんだって、母さんだって伝えて来てたもの。」
十六夜は、ふんと鼻を鳴らした。
「誰も手出し出来ねぇのを知ってるからに決まってるじゃねぇか。あいつって、そういうの丸分かりなんだよな。ま、オレはそんなの関係ないけどよ。維心の気には負けねぇからな。」
ふふんと笑う十六夜に、蒼は苦笑して答えた。それにしても、また今生でも何人も皇子が増えるんじゃないだろうな。ごたごたするのは、避けたいんだけどなあ…。
するとそこへ、維織が嘉翔を抱いて入って来た。大氣も横についている。十六夜が、維織を見て言った。
「お、維月か?今は嘉韻の所だぞ。」
維織は、頷いた。
「ええ、知っているけれど、嘉翔が十六夜十六夜って言うから。」
十六夜は、嘉韻にそっくりな、人でいう一歳ぐらいの大きさの嘉翔を見て笑った。
「なんだ嘉翔、オレに用か?こっちへ来な。」
十六夜が手を出すと、維織は、嘉翔を床へ下ろした。嘉翔は、よちよちと歩いて十六夜の方へ向かった。そして、十六夜までたどり着くと、その膝へ倒れ掛かった。
「いざよい。ははうえは?」
十六夜は、嘉翔を抱き上げて、困ったように言った。
「今は、父上と一緒だ。すぐにこっちへも来るからな。」
嘉翔は、嘉韻と同じ薄っすらと赤い瞳でじっと十六夜を見て、こくんと頷いた。
「ちちうえが、いざよいにはかなわぬと。われは、いざよいにおしえてもらわねばならない。」
普段は、嘉韻や大氣と一緒に居て、その話し方を聞いている嘉翔は、使う言葉も結構難しかった。十六夜は、顔をしかめた。
「教える?オレに何を教えてもらおうっていうんだ?」
大氣が、クックと笑って言った。
「立ち合いのことぞ。この間嘉韻と我が話しておるのをじっと聞いておったのだ。どうやら維月が、こやつにいつも父のように強い神になれというらしいぞ。こやつなりに、焦っておるのだ。」
嘉翔は、頷いた。
「ははうえにおあいするまでに、われはつよくならなければ。」
まだよちよち歩きの嘉翔に、立ち合いを教えることなど不可能だった。しかし、十六夜は言った。
「そうか、なら教えてやろう。だがな、強いってのは立ち合いだけじゃねぇぞ?」
嘉翔は、驚いた顔をした。
「たたかうだけではないのか?」
十六夜は、頷いた。
「そう。それよりもまず、心を強くしなくっちゃな。でないと、立ち合いで強くっても役に立たねぇ。嘉翔、お前はまだ体が成長していないから、まずは心を強くすることを先にしなきゃならねぇよ。オレと立ち合うのは、それからだ。」
嘉翔なりにじっと考えているようだ。だが、頷いた。
「こころをつよくする。われは、そうして早ようおおきくなって、ははうえをおまもりする。」
十六夜は、それを聞いて満足げに頷いたが、しかしこれは、もしかして将維の二の舞などになるんじゃないか、と今から心配になった。何しろ、維月は歳を取らないし、月なのだ。しかしまあ、この歳の子供が母親が好きなのは当然のことだろうし…。現に維明は、きちんと育っているじゃないか。
十六夜は、そんなことを思いながら、また嘉翔を連れて出て行く維織と大氣を見送ったのだった。
とにかくは、神世は穏やかだった。
蒼も、この流れて行く時間の中で、自分だけが歳をとらずにいる事実を、じんわりと実感し始めていた。
娘も妃達も、段々に老いて来始めている。孫まで育って来始めて、それでも変わらない自分の姿に、なぜか回りに取り残されているような、そんな気がしてならなかった。
前世、臣下達や他の宮の王が死んで逝く中、たった一人姿を変えずに君臨し続けていた維心を、蒼はなぜか思い出した。共に戦った中で、最後まで一緒だったのは、唯一炎嘉のみだったという。
その炎嘉も、最後には維心を置いて先に逝った。維月が居なければ、到底その孤独に耐えられなかったのだと、後に聞いた。
蒼は、空を見上げた。いつか、自分はまた一人になってしまうのではないか。不死の十六夜や維月でさえ、闇を葬るために一度世を去った。地の二人がその間側に居てくれたが、それでもその孤独は並のものではなかった。
蒼は、寒気を覚えて身を縮めたが、それが季節が冬へと移り変わって行くからなのだと暗い考えから無理に気持ちを引き離して、じっと空を見つめていたのだった。
箔炎が、陽華と二人で王の居間から空を眺めていた。
もう、千数百年の間、ずっと孤独に見上げていた空。それを、今は陽華と共に見上げることが出来る。これが、これほどに幸福であろうとは、生きて来た中で思いもしなかった。
陽華が、黙って横に寄り添って立っている。箔炎はそれを見て、ふと思い出したように横へと歩いて、文机の上の筆を手に取った。
「何か、思いつかれましたか?」
陽華が、箔炎の背後で、不思議そうに問う声が聴こえる。箔炎はすっすと筆を動かすと、顔を上げた。
「主に、贈りたいと思うておったに。」箔炎は、墨も乾かぬ間に、それを陽華へと差し出した。「我の心、そのままぞ。」
陽華は、それを見て見る見る瞳に涙を溜めた。
「まあ…。」
そこには、維心とは違う、それは華やかな字体で、美しく流れるように書かれた和歌があった。箔炎は、陽華の肩を抱いた。
「月の宮で見掛けての。維心が、維月へと贈ったものだという。我は維心ほど書に長けてはおらぬが、これは我の心と同じ。主へ、我も贈りたいとその時思うたのだ。」
陽華は、微笑んで潤んだ瞳のまま、頷いた。
「ながくもながと。我も、そのように。出来れば共に、お供したいと思うほど…。」
箔炎はそれを聞いて、驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を戻すと、首を振った。
「主は不死。地が、一時でも我に主を許してくれただけでも我は良い。その気持ちだけで、充分ぞ。」そうして、陽華に唇を寄せた。「陽華…最後まで、共に。我の側に居れ。」
陽華は、頷いた。
「はい、箔炎様…。」
そうして、二人はしばらくそのまま、そこで抱き合っていた。
時が過ぎるのが、早過ぎる…。
陽華は、箔炎の暖かさに包まれながら、思っていた。
しかしまた月が昇り、新しい日に向かっての、準備の夜が始まったのだった。
ありがとうございました。今回も、昼メロ状態でだらだらと、神達の生活が描かれるだけの話になりましたが、最後までお付き合いくださった方々には感謝です。
次のお話は明日の朝7時から続・迷ったら月に聞け7~新芽 http://ncode.syosetu.com/n5627ck/です。次も、普通に神の生活を描くだけではありますが、まるで親戚か近所のおばちゃんになった感覚で読んでくだされば嬉しいです。まあ維心さんちの維明くんがここまで大きくなったのーみたいな。それでは、また明日からお会い出来るのを楽しみにしております。




