交渉のはじまり
王都の外環――物流と商業の拠点として発展した一帯に、《ヴェゼル商環》の本館は構えていた。
その応接室に、ダルトンは静かに腰を下ろしていた。
痩身で長身。鷹のような目を細め、金縁の眼鏡の奥で客の表情を測る。
手入れの行き届いた外套の袖口に、神経質に指を走らせながら、――目の前の男を見ていた。
「また、風を連れてきたってわけだな、ライネル君」
その名を呼ぶと、客人――ライネル・トラヴィスは、微笑みながら軽く頭を下げた。
“灰の通り者”。
そう渾名される旅の商人は、軍用装備と医療物資を等しく扱い、
戦場と王都の間を風のように渡ることで知られている。
名義登録の商人ではない。
だが、彼が持ち込む品は常に“最先端の気配”を帯びていた。
「また妙なもん持ってきたな」
ダルトンの視線は、机に置かれた連射式クロスボウに移る。
簡易モデルとはいえ、連射機構は滑らかで、矢の弾道も制御されている。
表面処理は粗めだが、用途を“実戦”に絞った合理性がある。
「連射構造。軽量。……ガキの玩具かと思ったが、違うな。
仕上げは荒いが、“道具”としては優秀だ」
「製造は簡素、再現性も高く、修理も容易です」
「ただし、主要部材の一部に魔力不導性の鉱石を使用しています。
東方の鉱脈地帯でしか採れない性質のものですが」
ライネルの説明は簡潔かつ無駄がない。
装備の構造と性能だけでなく、調達難易度と市場価値の釣り合いまで計算している――
ダルトンはその様子に、いつも通りの“厄介な匂い”を感じていた。
「で、どこの製だ?」
「名義未登録の工房製です。正式な提供契約を前提に、私が仲介を一任されています」
「つまり、“あそこ”ってわけだな」
ライネルは何も言わない。ただ、微笑を崩さず、沈黙で肯定を返す。
ダルトンは眉をひそめ、再び装備に視線を落とす。
「遼って名の拠点主がいる……あの避難拠点。
名前も軍籍もない場所が、こんなもん作ってるって話を、俺は今、信じたことになるのか」
「価値を見れば、誰が作ったかは問題ではなくなります」
「……うまいこと言いやがって」
応接室の扉の隙間で、人影がすっと引いていった。
このやりとりを聞いていたのは、商環の別担当か、それとも誰かの密命か――
いずれにせよ、風はもう吹き込んだ。
「他には?」
「こちらも」
ライネルが差し出したのは、小型の探査装置。
魔力感知と熱反応の複合センサー構造を持ち、限定された範囲の索敵に向いている。
「……軍属の連中が欲しがりそうだな、これ。しかも、まだ誰も持ってない」
「“まだ”という言葉が、私の売り物です」
ライネルは鞄を閉じ、静かに立ち上がる。
「試供品は二点。名義は現在登録中。製作者は“技術の主張”を明確にしています」
「王家には?」
「ここが最初の提案先です」
「……なら、火が着くまでそう遠くはねぇな」
「ええ。風は通りましたから」
そう言って、扉を閉じた。
「……戦場に出るな、これは。
価値と名義が揃った、“正当な力”として」
ダルトンは呟きながら、じわりと笑った。
扉が閉まったあと、応接室の壁の裏――
そこに設置されていた小型の“魔力記録珠”が、微かに赤く点滅を繰り返していた。
ヴェゼル商環の一角。
その最奥にある管理室では、一人の男がその記録を確認していた。
「……“名義付きの技術”、か。しかも、あの名前が絡んでくるとはな」
男の名は知られていない。ただ、王家直属の技術監視部門と繋がっている者の一人だ。
その報告は、翌朝のうちに複数の監視ルートを経由し、
“特異技術の動向リスト”に登録されていた【拠点由来と思われる装備】の項目と照合された。
“連射式構造”、“東方鉱脈素材”、“未登録商人ライネル・トラヴィスの持ち込み”――
複数の一致により、その情報は即座に“優先観測対象”に分類され、
王家内部へと転送された。
◆
王都・内環区画――王家直属の行政棟、その地下階層。
騎士団でも、貴族院でもない、限られた者のみが出入りを許された“観測と報告”の場。
そこに、オリヴァー・セイルベルの姿があった。
灰のコートを纏い、書面を手にした彼は、中央の石机に資料を並べている部下たちを静かに見下ろしていた。
「――連射式クロスボウ、です」
報告を続けていたのは、情報分析局の若き書記官。
「発見されたのは王都近郊、《ヴェゼル商環》。
試供品として提出された装備が“規格外の構造”を持っており、供給者は“風追い”を名乗るライネル・トラヴィス」
オリヴァーは無言のまま書類を一枚ずつめくっていく。
装備の寸法、材質、運用想定、出所未記載――だが、どれも明らかに既存の工房規格から逸脱している。
「……その“ライネル”は、王家登録の商人では?」
「いえ。流通名簿には記載なし。ただし、過去数回、諸侯領の医療物資輸送や前線物資支援にて記録あり。
いずれも“結果を残している”との報告です」
オリヴァーは目を細めた。
あの男――斎藤遼。
そして、その拠点が持つ“技術力”と“中立の意志”。
それらが、いよいよ“外に出始めた”ということ。
「彼らは“旗を掲げない”。だが、“名を記す意志”は持っていた」
ぽつりと漏れた独り言に、部下が顔を上げた。
「失礼ですが……“それ”は、敵意とみなしますか?」
オリヴァーは答えない。
代わりに、指先で卓上の資料を並べ替える。
“貴族派への影響予測”、“軍部の技術掌握計画”、“傭兵ルートでの流出シミュレーション”――
どれも、技術が“所属不明のまま広がった”場合の危険性を示す文書ばかりだ。
「危険か、否か。……それは、“誰がその名を語るか”次第だ」
オリヴァーは静かに言った。
「技術そのものは、道具に過ぎない。
だが、名義――“出所の意志”がついた瞬間、それは理念となり、旗印にもなる」
そしてその旗は、必ず“力を欲する者”たちに見つかる。
「では、王家として……」
「――観測を継続」
オリヴァーは、はっきりと指示を下す。
「交渉の余地はまだある。だが、必要ならば次の接触者を検討せよ。
“名を持つ者”には、“名を以って”対すべきだ」
部下たちが頷き、静かに退出していく。
静けさに包まれた部屋で、オリヴァーは書類を片付けながら、誰にともなく呟いた。
「……まだ、動き出したばかりか」
その声音には、警戒でも敵意でもない、淡い興味とわずかな警告が滲んでいた。
「名を出したからには、いずれ責任が伴う。
彼がそれを、どこまで抱ききれるか――見届けよう」
◆
短い報告が、通信装置に届いた。
「……ライネル・トラヴィス、王都方面へ向け出発。取引先にて装備試供完了」
それだけだった。
文面は簡素。情報量も多くはない。
だが、それが意味するところを、遼は理解していた。
拠点の技術が――誰かの元へ届いたということ。
しかも、“名義を添えて”だ。
「通ったか」
司令室で椅子にもたれ、遼は呟いた。
クラフトメニューの画面には、外部提供候補の設計図が並んでいる。
その中でマークされたのは、【簡易型クロスボウ】と【探査装置・試作型】。
“最低限の機能を、最低限の構造で”――
それでも、価値はあった。そう判断されたということだ。
夕刻、食堂の片隅では生活班のメンバーが在庫リストを見ていた。
「布地、新しく調達候補に入ったって。保存薬も、交渉次第じゃ一段階上のが入るかも」
「……まだ、何も取引してないんでしょ?」
「うん。でも、“売れる物”があるって分かったから。
これまでみたいに、手探りじゃなくなる」
言葉に浮かぶのは、確かな“希望”よりも、“備えの輪郭”だった。
一方その頃、倉庫裏ではガイルと遼がドローンの通信調整を行っていた。
「応答安定。反応遅延なし。……中継用なら、この設定で問題ない」
「ライネル経由の回線は、これで一本確保。
あとは――誰が最初に動いてくるか、だな」
「窓口は一本。“出す”も“止める”も、こっち次第だ」
「……だから、踏み込んでくる相手を、選べる」
拠点の空は澄んでいた。
だがその静けさの奥には、わずかに重たい気配が混ざっていた。
夜の司令室、遼はクラフトメニューを閉じて立ち上がった。
「選ぶ。誰と繋がるか。誰に託すか」
「その意思を、曲げないために」
その言葉に、誰かが応えたわけではなかった。
確かに、この場所はただの避難所ではなく――
“選ぶ意志”を掲げる、ひとつの城になりつつあった。
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