表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

21/26

誰の旗も掲げずに

 拠点に、奇妙な平穏が続いていた。


 あの夜、結界杭が展開され、光の壁が空を貫いたあの日から、もう三日以上が過ぎている。


 誰もがあの光景を覚えている。

 防壁が音もなく立ち上がり、魔力の気配が空間を満たしていく様は、神の奇跡としか言いようがなかった。


 避難民たちは「これで守られる」と口々に言った。

 警備班の面々も「これでもう夜警は半分でいいかもな」と笑っていた。

 生活班は、魔力の影響を記録しておくようにと、サラの手帳が真っ黒になるくらい走り書きされた。


 あの日、確かに希望が生まれた。


 だが今、その希望は少しずつ、別のものに姿を変え始めていた。


 俺は、司令室の窓辺に立っていた。


 日差しが穏やかで、風も静か。

 モニターは起動していたが、警告は出ていない。

 クラフトメニューも、ログ整理も、すでに今朝のうちに片付けていた。


 今この瞬間、俺には“何もやることがない”。


 ……けれど、心が落ち着くわけじゃなかった。


 この拠点にとって“何も起きない”というのは、実はかなりの異常だ。


 転移初日から、ガイルの救出。

 偵察隊の来訪、王国との交渉。

 ラグナ、ルーク、そして帝国の将軍――カスラ・ヴェルドラン。


 この十数日、俺たちは常に“何かに晒されていた”。


 だが今――この数日だけが、まるで世界から切り離されたように、静かだった。


「ふわああ……」


 廊下の奥から、間延びしたあくびが聞こえる。


 警備班のマコト――かつて村で農夫をしていたという青年が、制服のまま背伸びをしながら通り過ぎていく。


「昨日の夜番、星が綺麗だったっすよ~」


「報告書に“星の輝き”は書かなくていいぞ」


「えっ、まじっすか?」


 軽口を交わしながら、俺はほんの少しだけ笑った。


 ……こういう時間が、増えてきていた。


 食堂では、生活班のサラが記録帳に新しい付箋を貼っていた。


「“結界杭稼働後に発生した空間のひずみ”ってどう書こう……“なんとなく揺れてる”じゃダメだよね……」


 その隣では、マリアが穏やかにティーカップを片手に座っていた。


「記録ってのはね、あとで“分かる人”が見ればいいのよ。今は“分からないまま”書いとけば?」


「それでいいのかな……?」


「いいのよ。誰だって、“あの時の揺れが”って言われても、ピンと来ないことあるでしょ? でも、“揺れてた”って書いてあれば、“ああ、そうだった”って思い出すの」


 日常の中の、知恵と記憶のやりとり。

 そのすべてが、この拠点の“強さ”になっていくのだと思う。


 一方で、ガイルは警備塔の整備に顔を出していた。


「ターゲット指定の応答速度が0.2秒落ちてる。これ、ソーラーパネルの出力じゃないか?」


「でも日照条件は同じですぜ」


「じゃあ、蓄電ユニットの容量テストを午後に回す。ついでに、赤外線センサーももう一回調整しておけ」


 彼の目はいつも通り冷静だったが、その奥には“何かが来る”という警戒の色が薄く残っていた。


 ――何も起きていない。けれど、何も終わっていない。


 俺は再び司令室へ戻り、椅子に腰を沈める。


 クラフトメニューを開いてみるが、新しいレシピはまだ未解放だった。

 結界杭、錬金釜、魔導アシストグローブ――必要な装備は揃った。


 あとは、“何が来ても”耐えられる準備を、静かに整えていくしかない。


 (本当に……何も起きないな)


 そんなことを考えていた、その時だった。


 〈警告:東方監視ラインにて動態検知〉

 〈識別反応:アルテナ王国標章、複数反応あり〉

 〈接近速度:徒歩、騎馬なし。構成:文官+軽従者。武装:軽微〉


「……来たか」


 俺は自動でマグカップを手に取り、残っていたお茶を一口含む。


 ほんの少し苦かった。


 門は開けなかった。

 けれど、視線は合わせる。


 監視塔からの映像を確認した俺は、司令室を出て城壁の上に向かった。


 東の地平線には、灰色の馬に乗った一団が、砂煙をあげながら進んでくる。

 王国の紋章――赤金の双剣が描かれた旗が、風にはためいていた。


 だが、その旗の裏にある“気配”は、これまでのものとは少し違う。


 最初に現れたのは、ただの偵察隊だった。

 次に来たのは、軍部の高官・ルーク・ヴェルナー。剣の論理を携えてきた男。

 その後に来たのが、貴族派代表・ラグナ・アストリア。権謀術数で心を絡め取るような提案をした男。

 どちらも、“力”と“構造”で俺を飲み込もうとした。


 だが今回の一団――彼らは、明らかに違う歩き方をしていた。


 騎士らしい重厚な鎧ではない。

 法衣でも、貴族のような装飾でもない。


 柔らかい灰のコートに、実務向けの旅装束。

 荷馬車も伴っており、従者の数は最小限。


 全体からにじむのは、“礼儀と観察”の気配だった。


「……王家直属の使者、か」


 俺の横に立ったガイルが、城壁の下を見ながら呟く。


「この編成……武装も控えめだ。貴族や軍部の色は一切ない。可能性は高いな」


「つまり、“王そのもの”の意志が動いたってことか」


「それも、“最後通告”じゃなく、“観測”の域だ」


 俺は小さく息を吐いた。


 ――本気で取り込みたいのなら、もっと軍事的な圧力をかけてくるだろう。

 だが、そうしないということは、彼らもまだ迷っている。

 この拠点の“立ち位置”を、どう扱うべきかを。


 しばらくして、一団は拠点の前で停止した。


 前に出たのは、一人の青年――三十代前半くらいか。

 栗色の髪を後ろで束ね、目元には軽い笑みを浮かべている。

 派手な威圧感はないが、その背筋は正しく、言葉を発すれば静かに空気を支配しそうな佇まいだった。


「拠点主、斎藤遼殿に謁見を求める」


 彼は、決して大きな声ではなく、けれどはっきりと、透き通るような声音で言った。


「我はアルテナ王国王家直轄の特命補佐官、オリヴァー・セイルベル。王命により、貴殿と直接対話を行うべく参上した」


 ……“王命”。


 貴族派でも軍部でもなく、まさしく“王家そのもの”からの意志。

 俺は城壁から通信を繋ぎ、声を返す。


「交渉の場は用意する。ただし、拠点内への立ち入りは不可。そちらの代表だけを、警備の監視下で案内する。それで構わないか?」


「もちろん。目的は接触と意志の伝達、敵意は一切ない。証として、我一人で向かおう」


 そう言って彼はコートの前を開き、武装のないことを示した。


 俺は短く指示を飛ばし、東門脇の応接棟――交渉用に用意された外部者向け施設へ、彼を案内することにした。


 応接棟。

 重厚な木製のテーブルに、質素だが整った椅子が並ぶこの部屋で、俺とオリヴァー・セイルベルは対面した。


「……静かな空気だ。貴殿がこの地で“守る”ということを、肌で感じる」


 開口一番、彼はそう言った。


 俺は頷く。


「守るべきものが増えた。それだけだ」


「その“増えた”ものに、王家を加える気はないか」


 まっすぐに、穏やかな声で。

 だがその提案は、はっきりと“所属”を意味していた。


 オリヴァーが提示した条件は、これまでよりもさらに“柔らかい”ものだった。


 ・拠点は完全自治を維持


 ・軍部や貴族の干渉は禁止


 ・王家からは定期的な支援(情報・技術・物資)を提供


 ・ただし、「王家の印章」を掲げ、“王国領のひとつ”として登録すること


 一見、理想的な中立支援案だった。


 だが、俺はすぐに気づく。


 これは――“形式だけの支配”だ。


 たとえ実質自由でも、“旗”を掲げた時点で、この拠点は“誰かの所有物”として認識される。


 そして、それは“敵”を増やすことにもなる。


「申し訳ないが、その提案は受けられない」


 俺はゆっくりと答えた。


「この地は、誰のものでもない。ここに集まった人々のものであり、俺たち自身のものだ。王家の旗も、帝国の紋章も、ここには必要ない」


「……王家と敵対する意思があると?」


「ない。ただ、“誰の味方でもない”というだけだ。

 ――俺の敵は、この拠点を壊そうとするやつだけだ」


 その瞬間、オリヴァーの目が、わずかに細くなった。

 けれど、怒りではない。どこか、納得するような、あるいは惜しむような視線だった。


「ならば、伝えよう。貴殿の意志は確かに受け取ったと。

 だが、王家はこれを“拒絶”とみなす可能性がある。今後、いかなる立場にも属さぬというのであれば――」


「それでも、俺の答えは変わらない」


 静かに、だがはっきりと、俺は言った。


「選ばぬことは、逃げではない。俺は、俺の足元を選び続ける」


 オリヴァーはそれ以上何も言わず、立ち上がった。


 そして最後に一つだけ、問いかける。


「もし、王が直接貴殿に会いたいと望んだら……その時も、拒むのか?」


 俺は、わずかに笑った。


「その時は……茶くらい出すさ。条件次第では、クッキーも添えてな」


 オリヴァーが去ったあと、応接棟にはしばらく沈黙が残った。


 だが俺の中では、ひとつの確信が根を下ろしていた。


 ――この拠点は、もうただの“避難所”じゃない。

 ここは、“選ばぬ者たちの城”だ。


 応接棟を出たオリヴァー・セイルベルの背中を、俺は最後まで見送った。


 彼は最後まで、穏やかな顔のままだった。


 怒らず、焦らず、嘲らず。

 ただ、深い静けさの中で“理解した者”のようなまなざしを残して去っていった。


 ――きっと、彼は王にすべてを報告するだろう。

「この拠点は、交渉では取り込めない」と。

「力を使えば、対抗されるだろう」と。


 そしてその報告が、次の“何か”を生む。


 俺は司令室に戻ると、マントを椅子に引っかけ、そのまま背中を預けた。


 静かだった。


 オリヴァーとの対話は、剣も魔法も交えずに終わった。

 けれど、それは“交渉が済んだ”というよりも、“矛盾を持ち帰らせた”だけのような感覚だった。


 自分たちの立場を貫いた満足感と、それがもたらす不確実性――

 そのふたつが、心の中でせめぎ合っていた。


「……で、王家の使いは帰ったのか?」


 ドアをノックもせずに入ってきたのは、ガイルだった。


 俺は手だけ挙げて応じる。


「穏やかな顔してたよ。“斬りかかってくる方がまだ楽だ”って思うくらいに」


「そりゃ、そっちのほうが俺たちの土俵だからな」


 ガイルは椅子をひとつ引き寄せ、対面に座る。


「王家はどう出る?」


「……時間稼ぎになるなら、それでいい。オリヴァーは、あくまで“観察者”だった」


「つまり、“次の観察”が始まるってことか」


 俺は黙って頷いた。


 数時間後――


 拠点内では、通常の作業が再開されていた。


 資材置き場では、作業班のリーダーが木材の乾燥具合を確認している。

 畑では、子どもたちが雑草取りをしていて、それを見守る生活班の女性が日除けの布を張っていた。


 結界杭の周囲では、まだ魔力の揺らぎが残っている。

 サラはその場に座り込んで、小さなノートに何かを書いていた。


「“杭の周囲だけ、空気がちょっと冷たい”……うーん、“ちょっと”ってどれくらいだろ……」


 彼女は自分で書いた文に首をかしげると、魔導温度計の針をもう一度覗き込む。


「……変わってない。でも、やっぱり、感じる気がするんだよなぁ」


 一方で、マリアは医療棚の整理をしながら、衛生班の若手に声をかけていた。


「“静かすぎる”って、今朝からみんな言ってるわね。気持ちは分かる」


「……はい。でも、静かなのって、悪いことじゃないですよね?」


「そう。でも、“ずっと静か”ってことは、ありえないのよ。この世界じゃ、ね」


 その言葉に若手が黙り込むと、マリアはほんの少しだけ笑って言い足した。


「だから、整えておくの。“静かじゃなくなった時”のために」


 夕暮れ。


 空はオレンジ色に染まり、拠点の輪郭が長く伸びる影の中に溶けていく。


 俺は久しぶりに、拠点の高台に登っていた。


 あの“最初の日”――狼の咆哮が木々を揺らし、ガイルが血まみれで倒れていたあの風景。

 あの日から、ここまで来たんだ。


 あの時は、たった一人だった。

 今は、たくさんの人がいて、灯りがあって、名前のついた班があって。

 それでも、この景色の先にある“静けさ”は、どこか――怖い。


「選ばなかっただけ、じゃない」


 ぽつりと、つぶやいた。


「選ばなかったことで、選べないものが、増えていく」


 俺は、自分がこの場所で何を作ろうとしてるのか、まだ分かっていない。

 でも――


「守るって、選ぶことより、よっぽど重いんだな……」


 風が吹いた。


 旗は、立っていない。


 けれど、俺たちの城は、今も、ここにある。

お読みいただきありがとうございます!


この小説を読んで「面白そう」「続きが気になる」と感じていただけましたら、ぜひブックマークや☆☆☆☆☆の評価をしていただけると嬉しいです!


皆さまの応援が、執筆の大きな励みになります。どうぞよろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ