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秩序の重さ、自由の代償

 昼下がりの拠点に、どこか殺伐とした空気が漂っていた。


 作業班の男たちが資材倉庫の前で口論しており、生活班の女性たちはその様子を遠巻きに見ながら、洗濯物の手を止めていた。


 俺は監視所のモニター越しに、騒ぎの中心にいた中年男の顔を確認する。名前はタルク。避難民の中でも古株で、最初に「農作業経験がある」と名乗り出た人物のひとりだ。


 年は四十代半ば、がっしりとした体格に、浅黒い肌。額の深い皺と、日に焼けた腕は、長年の野外労働者であることを物語っている。ぶっきらぼうな言動が多く、仲間内でも“強引なまとめ役”として知られていた。


 その彼が、今日は倉庫の前で怒声を上げていた。


「てめぇ、昨日の夜番はお前だっただろうが! 何やってたんだよ!」


 怒鳴られていたのは若い男で、所在なげに視線を逸らしていた。


 その様子を見て、俺はすぐに状況を察した。


(……倉庫の監視に不備があったか)


「……倉庫の乾燥肉が、三日分消えてる?」


「はい。生活班の当番が確認したときには、すでに袋ごとなくなっていたそうです」


 報告してきたのはマリアだった。冷静な口調だが、わずかに眉間に皺が寄っている。


「人数分きっちり配ってるはずだが……誰かが勝手に持ち出したってことか?」


「そう考えるのが自然ね。今のところ、誰も名乗り出ていないわ」


 名乗り出ないのは当然だろう。


 だが、こういう小さな“ズレ”が、大きな崩壊に繋がる。


「──全員集める」


「え?」


「夕方、広場に。全避難民を集めて、改めてルールの確認をする」


「了解したわ。でも……」


 マリアの視線が、少しだけ揺れた。


「こういうやり方、反発も出るかもしれない」


「ああ。でも、“ここは戦場”だ。それを忘れてもらっちゃ困る」


 俺は席を立ち、倉庫の鍵を確認した。


 この拠点は城だ。生きるための砦。だが、そこに住む人間が“中から”壊し始めたら、どんな防壁も意味を成さない。




 ◆




 夕方、拠点の広場に避難民たちが集まった。


 ざわつく空気の中、俺は前に出て、いつものように短く告げた。


「物資の盗難が発生した」


 一瞬で、空気が張り詰めた。


 誰かが声を上げるでもなく、ただ沈黙が広がる。


「今のところ、被害は小さい。だが──これが続けば、拠点の運営は立ち行かなくなる」


 俺は皆を見渡しながら言葉を続けた。


「だから改めて言う。“この場所は、生活を保障する場所”じゃない。“生き延びるための共同体”だ。生きるために、全員が役割を持ち、協力する」


「そのためにルールがある。守れない者には、それなりの対応をする。……それが嫌なら、ここを出てもらう」


 言葉を言い切ったとき、誰かが小さく息を呑んだ音が聞こえた。


 視線を上げると、サラが少し不安そうな顔でこちらを見ていた。


 だが、彼女は黙っていた。ガイルも隣で腕を組んだまま、うなずくでも反論するでもなく、ただ沈黙で支持を示してくれていた。


(……必要なのは、信頼じゃない。秩序だ)


 それでもどこか胸の奥で、“信頼を壊すリスク”が蠢いている。



 広場での通達が終わり、人々は沈黙のままそれぞれの班へと戻っていった。

 だが、その足取りには明らかに重さがあった。口にこそ出さずとも、動揺と緊張は拠点全体を包み込んでいた。


 ◆ 


 ──夕暮れ前。



 俺は食堂の片隅で、粗末なテーブルに腰を下ろしていた。作業報告を確認していると、トレイを手にしたサラがそっと隣に座った。


「ねえ、遼……」


 彼女の声はいつもより控えめだった。


「……今回のこと、犯人を見つけるつもりなの?」


「可能ならな。ただ、それより“再発を防ぐ”方が優先だ」


「でも……怖いよ、みんな。今朝までは普通に話してたのに、なんだか急によそよそしくなって」


 サラの手が、膝の上でぎゅっと組まれている。


「こんなに厳しくする必要、あったのかなって……。もっと、皆で話し合って解決とか、できなかったの?」


「甘い理想論だ。話し合いで解決できるなら、そもそも盗みは起きない」


 俺は短く答えた。サラは少し俯いて黙り込む。


 しばらくして、別の足音が近づいてきた。


「その言い方、ちょっと乱暴じゃない?」


 マリアだった。冷めた紅茶の入ったマグを片手に、向かいの椅子に腰を下ろす。


「あなたの言ってることが正しいのは分かる。でも、拠点は“軍隊”じゃない。弱い人間も、不安な人も一緒に暮らしてる。秩序が必要なのは同感だけど、それだけじゃ皆、ついてこれないわ」


「……じゃあ、どうする。許せって言うのか?」


「いいえ。でも、もう少し“支える姿勢”を見せてあげて。今のあなたは、“上から命令する人”に見えてる」


 その言葉が、胸に少しだけ刺さった。


 俺はもともと、支配者になりたかったわけじゃない。ただ、生き延びるための拠点を築きたかっただけだ。


(でも今は、“誰かの生活”を預かる場所になっている)


「……考えておく」


 ようやく、それだけ言えた。


 サラが顔を上げて、ほっとしたように微笑む。マリアも、わずかに口元を緩めた。


「うん、きっとみんな、あなたの言葉なら聞けると思う。……怒鳴らなければ、ね」


「……善処する」


 ◆


 日が沈み、拠点は夜の静けさに包まれつつあった。


 警備班の火灯が灯り、巡回の足音が遠くに響く中、俺は書類の整理を終えて執務室の扉を閉めようとしていた。


 そのとき──


 コツ、コツ、と小さなノック音が響いた。


「……入れ」


 扉を開けたのは、生活班に所属している若い女だった。名前はミナ。二十歳前後で、避難民の中でも目立たない存在だが、毎日黙々と作業をこなしている、真面目なタイプだった。


 彼女は周囲を気にするように何度も振り返りながら、そっと部屋へ入ってきた。


「……あの……遼さん……少しだけ、話をしてもいいですか?」


 声は細く震えていたが、目には確かな決意が宿っていた。


「なんだ、内容によっては記録を取るぞ」


「いえ……その……言うだけで、信じてもらえるかわかりません。でも……黙っている方が、もっと悪い気がして……」


 彼女は唇を噛み、数秒の沈黙の後──搾り出すように呟いた。


「……倉庫のこと……たぶん、私、誰がやったか、知ってます」


 その言葉に、俺は立ち止まり、視線を彼女に向ける。


「誰だ?」


 静かに問いかけると、ミナはぎゅっと拳を握りしめた。


「……タルクさんです。あの人……私が夜、物資室の掃除に行ったとき、倉庫の裏で袋を抱えてるのを見たんです。でも、その時は気づかれたくなくて……怖くて……声をかけられませんでした」


「……確かか?」


「はい。でも、確証はありません。袋の中身も、何だったか見えませんでした」


「他にそれを見た者は?」


「……いません。私だけです」


 その答えに、俺は静かに息を吐いた。


(……やはりか)


 タルクは作業班のまとめ役。体格も声もでかく、他の避難民に対して半ば“威圧”で仕切っている部分がある。マリアも以前、「あの人、少し手綱が要るかもね」と警戒していた。


(だが、証言は“状況証拠”止まり。これで動けば、拠点内に亀裂が走る)


「……この話、誰にも言っていないな?」


「……はい。今のところ、遼さんだけです」


 俺は彼女の目を見つめた。その奥には、怯えとともに、確かな“責任感”があった。


(なら──今、俺が選ぶべきは、力で抑えるやり方じゃない)


「分かった。協力してくれて、ありがとう。今後も気づいたことがあったら、直接俺のところへ来てくれ」


「……はい」


 ミナは小さく頭を下げると、そっと部屋を出ていった。


 残された俺は、しばし黙考する。


(タルク……お前が本当にやったのなら、“秩序のため”に処分する必要がある。だが、それが間違っていた場合──今の拠点は崩れる)


 証言は、貴重な情報。


 だが、情報だけではまだ、“判断材料”には足りない。


(……次は、証拠を掴む)


 深夜、拠点内の明かりは最小限に落とされ、各班の活動もすでに終了していた。


 だが、その静寂の裏で、俺は一部の警備班メンバーを動かしていた。


「……いいか。倉庫周辺に不審な動きがあるかもしれない。今夜からしばらく、巡回ルートを一部変更して、重点的に監視してくれ」


「了解しました」


 小声で頷いたのは、警備班の中でも慎重で観察力に優れたレイ。もう一人には、身の軽い若者・イアンを選んだ。どちらも、余計な詮索をしない信頼の置ける人材だ。


 警備班による倉庫周辺の監視は、五日間続けられた。


 昼夜を問わず、レイとイアンは交代制で見張りを行い、物資の動きも帳簿で逐一管理された。

 しかし、最初の数日は何事もなく過ぎ、拠点の空気にも徐々に緩みが戻りはじめていた。


「……もう、犯人は警戒して動かなくなったんじゃないか?」


 イアンがぼそりと漏らしたのは、四日目の深夜。


 その声を、レイは答えず聞き流していた。




 ──五日目の深夜。




 そのときは、予想もしない形でやってきた。


 倉庫裏に通じる裏道で、不自然に物音がした。


 気配を殺して様子をうかがっていたレイが、身をひそめながら視線を送ると──一人の青年が、慌ただしく何かの袋を持ち出していた。


「……イアン、囲むぞ。気づかれるな」


 二人は影のように回り込み、青年の背後を押さえた。


「動くな。袋の中身を見せろ」


 捕まった青年は、生活班の“シノ”という男だった。まだ二十代前半、避難民の中でも地味な存在で、これまで問題を起こした記録もなかった。


「っ……違うんだ、これは!」


 震える声で弁解を始めるも、袋の中からは干し肉、乾燥果実、保存パン──すべて倉庫の備蓄から盗まれたものと一致する物資だった。




 ──翌朝、執務室。




「……すみませんでした。俺が……全部、勝手に……」


 うつむいたシノは、ついに犯行を認めた。


「理由は?」


 俺の問いに、シノは唇を震わせる。


「……母さんが、体調崩してて。食欲もなくて、でも少しでも口に合うものを……って。配給分じゃ足りなくて……!」


「誰かに命令されたわけじゃないな?」


「はい、ひとりで……勝手にやりました……!」


 その言葉で、ミナの告発との“矛盾”が明らかになった。


 ──タルクは潔白だった。




 俺は監視報告を手に、別室で待機していたタルクの元を訪れた。


「……お前がやったんじゃなかった。疑って悪かった」


 その言葉に、タルクはしばらく無言だった。


 やがて、低く、しわがれた声で返す。


「……俺がやったって、みんな思ってたろ」


「だが、事実じゃなかった」


「証拠が出るまで、何も言わなかった。信じなかった。……そういうことだよな」


 重たい沈黙が、部屋を満たした。


「……信じるためには、確認が必要だった。悪い」


「分かってる。あんたがそういう人間だってのも、分かってる」


 だがその言い方は、納得ではなく“線引き”だった。


 俺とタルクの間に、確かにあったはずの“信頼の萌芽”は、ひとつ距離を取ってしまった。


(……これが、統治するってことか)


 

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