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悪役令嬢は夜告鳥をめざす  作者: さと
どうにかな三歩目
32/60

30 心の準備は十分か

今回、えぐい表現がありますのでご注意ください。

誰得のオマージュな副題が続いてますが、まさにこれにつきそうです。

ローテンションがデフォのセドリック様を活気づかせたのは、まさかのプリンだった。

しかも味でも食感でもないときている。

何を言っているのかわからないって?

かくいう私もいまいち状況が理解できていないのだが。

なんでも細菌を増やすための培地は肉汁を使ったものが一般的……というか、それしかなかったらしい。

液体培地だと他の細菌が混じりやすく、取り分けることがとても難しいようなのだ。

それゆえ純粋培養には時間を要し、なかなか量を確保しづらいのだとか。

セドリック様はプリンの上の生クリームよろしく、お邪魔な細菌を取り除いちゃおうと、まあそう考えたわけだ。


まったく役に立てる気のしなかったペニシリン製造においてわずかでも関われたことはものすっごく嬉しいんだけど、プリンかあ……

まだ器に残っていた、とってもおいしくできたプリンを口に運ぼうとして。

シャーレ内でもっさりしていたアオカビと思わしき物体が脳裏によぎる。

…………せめて食べ終えてからにしてほしかったかな。

哀れ、ふるりと揺れるプリンはそれ以上持ち上げることができず、私はゆっくりと匙を置いた。




セドリック様はその後も目をらんらんとさせて今後の計画を練っていたが、おばさまと二人でなんとか寝かしつけることに成功した。

子守唄の大サービス中にテンションが戻ったというのもある。

君ばかじゃないの、と捨て台詞を残して布団をひっかぶり、そのまま眠りの淵へと旅立っていった。

あいかわらずの失礼千万であるが、寝顔は幼く可愛げが感じられる。

おばさまがいなければ頬をむにむにしてやるところだ。


「セドリックってば、はしゃいじゃって。リーゼリット様にはいつも甘えてばかりでごめんなさいね」

おばさまはセドリック様の眼鏡を外し、優しい手つきで髪を梳いた。

がんばりすぎるのは心配でも、息子が夢中になれるものが見つかったことは喜ばしいのだろう。

「元はといえば私が風邪を引かせてしまったせいですから、お気になさらず」

私の返答におばさまは小さく笑顔を返し、視線をプリンへと向けた。

「セドリックのことは私がみておくわ。このプリン、最後の一つは夫の分でしょう? 今日は病院に泊まるそうなの。着替えを届けさせる予定なのだけれど、もしよければ一緒にどうかしら。リーゼリット様が直接渡してくださった方が、夫も喜ぶと思うの」


その提案に、一も二もなく頷く。

実際の医療現場を見られるチャンスだ。

ヘネシー卿の病院は、効果実証でお世話になる5病棟のうちの一つである。

物品の不足がないようにする上でも計画段階でお邪魔させていただく方がいい。

ヘネシー卿に直接お会いできるなら、心肺蘇生法伝授の日程も詰めておきたいところだ。

それに、骨折時の治療がどんな形かも見てみたい。

前世と同じようなギプスがすでに使用されているなら、レヴィに頼む必要ないもんね。



おばさまに見送られ、カイルとともに馬車に揺られてヘネシー卿の病院へと向かう。

到着したのは3階建てのレンガ造りの建物だ。

併設施設には医学院もあるらしく、格式高い造りになっている。

侍女の案内で執務室を訪れると、ヘネシー卿ご本人が温かく迎えてくれた。

プリンも喜んでくださったし、心肺蘇生法伝授のアポも無事にとれたし。

その上、院内を散策しても構わないとのお達しを得て、侍女とカイルを伴いひょこひょこ回る。

エプロンドレスを着た、おそらくは看護師たちが不思議そうにこちらを見やるのを、脳内お辞儀で応対する。

あ、どうも、近いうちお世話になります、どうもどうも。


そうして辿り着いた病室は一部屋が大きく、ベッドが20近く並ぶ。

外科病棟は男女別で二部屋あるらしいが、科による区別はなく手術部位は四肢に目にと混在しているようだ。

ふむ、患者は自分で動ける者とそうでない者と半々といったところか。

ギプスらしきものは見かけない。

ベッド間は人が二人行き交える広さがあるから、作業スペースとしては上々と言えるだろう。

ただ、効率化ゆえかベッドの間にはついたてもカーテンもない。

処置時であってもあけすけだというし、ベッド上でトイレをする際も例に漏れないのだとか。

お金持ちは自宅での治療・静養を行うため、この病棟の患者はもっぱら労働者階級らしいのだが。

だからといってプライバシーゼロの生活が甘受されていいわけはない。

人としての尊厳は守られてしかるべきでしょ。


こうなると、効果実証時にはついたても必要だな。

水場まで距離があるから、カートを準備した方がよさそう。

カートの大きさはこのくらいまでにするとして。

その前に、お湯はどこで確保するんだろう。

シーツの予備は十分か?


実施する上での確認事項を一通り調べ終えて執務室に戻ると、ちょうどこれから手術が入っているのだという。

手術室への入室も許され、喜び勇んで向かう道中、気になっていた骨折治療について尋ねてみた。

結論から言うと。

この国にはギプスはあるがギプス包帯はなかった。

軽度の骨折であれば接ぎ木での固定や牽引、軟膏湿布、もしくは石膏を型に流し込んでの固定となるらしい。

型に流し込む方が容易なのか、包帯にする発想がないのかはわからない。

開放骨折はもれなく切断、さらに言えば釘を踏んでも切断である。

抗生物質も破傷風ワクチンもないのだろうから、感染は必至だとはいえ、まじか、まじかあ……


思わず頭を抱えそうになるが、見学させていただいた手術室はもっと衝撃だった。

前世での手術室や解剖実習の見学なんて比にならない。


血の痕が染みついた木製のベッド。

そこに横たえられた患者は何をされたのか、目はうつろで涎が垂れている。

火鉢で熱される手術器具の中に混じる、大工道具と思わしき品の数々。

ベッドを取り囲む医学生はおろか、手術を行う医師たちですらも私服だ。

紐が巻かれ圧迫した脚に、消毒薬と思われる液体がべしゃりとかけられ。

真っ赤に灼けた刃が脚に触れたとたん、獣のような呻き声が上がった。

人体の焦げる、あの凄まじい匂いが鼻につく。

助手らしき人が跳ね上がる体を押さえつける中、医師が一心不乱にぎこぎこと刃を滑らせている──


ちょ……っと待ってくれる?

麻酔かかってないよねこの人、薬は何使ってるの。

下腿切断を、手袋もマスクもなしでやるとか正気?

手術衣という概念もないの?

しかも今足を削ってるそれ、どう見てものこぎりですよね?


え、これが普通……? これがこの国の外科治療? うそでしょ……

百聞は一見に如かずとは言うけれど、以前ヘネシー卿からお聞きしたときはここまでとは思っていなかった。

生前では、かつてのヨーロッパは医療の暗黒時代だったらしいが……

だからってこれは、とんでもなさすぎる。

術後の清拭程度でどうにかできるものじゃない。


めまいを覚えてふらついた体をカイルが支える。

けれど、肩に触れた掌は細かく震えていた。

私についてきたばっかりに、やばいものを見せてしまった。

大の大人でも卒倒必至のこの状況下で、私を守ろうとしてくれているのだ。

ここで私が倒れるわけにはいかんでしょ。

脚を踏ん張り、背筋を伸ばし、安心させるようにカイルの手にとんと重ねる。

重ねた掌から、自分の手がひどく冷えていたことを知る。


落ち着け、整理しよう。

ひとまずは加熱による器具消毒は行われている。

肉の焦げる匂いは電気メスを使っていたって同じことだし、焼くことで止血にもなるのだから合理的だ。

手術部位の消毒の概念もある。

足りないのは十分な麻酔薬と、医療者自身の清潔意識。

大丈夫、もともと次の検証には手術室の環境を予定していたのだ。

目標が明確になったと思えばいい。

効果実証は有効性評価を下方修正して、……帰ったらレヴィに手袋を追加依頼するとしよう。


一つ長く息を吐き、再び目を開けると、めまいはすっかり治まっていた。

指の先まで血が行き交うのがわかる。

カイルの手の震えも落ち着いたようだ。

こうして互いを奮い立たせながら、なんとか手術見学を乗り切ったのだった。




・・・・・・



おかえりなさい、と出迎えてくれたレヴィの華やかな笑顔に、心の底まで浄化される。

脳裏にこびりついたうめき声やら匂いやらが霧散したぞ。

今なら最強の癒し手として名乗りを上げられるんじゃないか。

推薦状を100枚書いたっていい。


「ゴム風船の中にコイルばねを入れてみました。これで握っても元の形に戻りますよ」

私の外出中の成果として見せられたのは、アンビューバッグのバッグ部分──送り込む空気をためる箇所──だ。

さっそく取り掛かってくれていたらしい。

言葉通り、円柱状のバッグをにぎにぎするたびちゃんと元の形に戻っている。

バッグの口側は重ねた輪に挟まれ、口径を固定しているようだ。

反対側にも同様に何重もの輪がついており、おそらくこれが吸気弁になるのだろうと思われた。


「ご依頼のあった弁に関しては、いったん竹で工作してみました。南の国から取り寄せた木材なのですが、中が空洞なので使い勝手がいいのですよ。数は手に入らないので、形状が決まればこちらで石膏の型取りをしますね」

竹だあと懐かしさに目を輝かせていた私に、押してみてください、とバッグを向けられる。

レヴィはバッグの口側に掌を押し当てたままだ。

促されるままに握ると抵抗が強くて押し込めなかったが、レヴィが掌を離すと途端に抵抗がなくなった。

すなわち、空気の出口は口側のみということになる。


「今度は手を離してみてください」

再び口側を押さえた状態で、レヴィがにこりとほほ笑む。

バッグを握る手を離すと、口側を押さえたままだというのに空気が充填された。

「細工部分に可動式のゴム片を仕込んでいるんです。ゴム風船を押したときの力と戻るときの力によってそれぞれゴム片の位置が変わるので、空気の出入りを一方向にしています」

たった半日でここまで。


それからこちらも、と渡されたのは、L字に加工された竹だった。

竹細工の内部を覗いてみると、継ぎ目部分のちょうど真ん中にゴムの蓋がぶら下がっているのが見えた。

「リゼ姉さまはこちらを見ていていただけますか。手は筒の下にあてていてください」

レヴィはゴム風船の口にL字の竹をはめると、L字の角を見るように示し、ゴム風船をぐっと握った。

筒内部の蓋が手前に振れ、掌に空気を感じる。

顔にも空気が触れたがごくわずかだ。

すごい、と驚いたのもつかの間、今度はレヴィが手を開くと蓋が奥側に傾き、ゴム風船が元の形に戻った。

掌にも覗いていた角にも、空気の流れは感じられない。

バッグがもとに戻ろうとする力で蓋が引っ張られ、バッグの口側を押さえたときと同じ状態になったのだ……!


「ゴム風船がもとに戻るときに引く力で、この蓋が風船側に倒れて閉じる機構になっています。ゴム風船の空気は蓋に阻まれ、人形から奪うことなく細工したゴム片の隙間から補充されます。ゴム風船を押すとゴム片の隙間はなくなり、逆に蓋が押されて開く形です。これで余すことなく人形に空気を送りこめるかと」

感動のあまり打ち震える私を、レヴィがそっと窺い見る。

「……これなら人形に、口づけなくてもよくなりますか?」

その優秀さに、天使っぷりに、健気さに。


「~~~レヴィ!! さすがだわ! まさしく思い描いた通りよ! これならばっちり使えるわ!」

たまらずぎゅううと抱きしめ、柔らかな頬にうりうりする。

「り、リゼ姉、様……っ」

腕の中で逃げを打つレヴィにも構わず力を込めた。

「もう私、絶対にレヴィなしでは生きていかれないわ……!」

「ほ、ほんとうですか……? 本当に? 姉さま」

本当よ! と頷き返すべく顔を上げると、熱のこもった眼差しに射抜かれて言葉をなくす。

両頬を熱い掌が包み、真摯な言葉がゆっくりと鼓膜を揺らした。

「ずっと、僕だけの、リーゼリットでいてくれますか……?」




…………え……?

こ……の場合は、どうしたらいいんだ……?


思考が停止し、完全に固まってしまった私の耳に、硬質な音が届く。

部屋の入口からのノックの音だと気づき、視線を移すと。


「……どういう状況か説明してもらおう」

そこには、こめかみに青筋を立てたギルベルト殿下が立っていたのだった。

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