29 やあプリン食べないか
朝一でエレノア嬢への手紙をしたため、マクラーレン邸へ急ぎ届けてほしいと託す。
内容は、お会いできなくてさみしいことと、時間が許すようでしたら合間にでもお顔を拝見したいというものだ。
いきなりお宅訪問なんてできるわけないから、お手紙でアポを取り了承を得てってプロセスを経なきゃなんだけど、なまじ電話やメールの便利さが当たり前だった前世を経てきたばかりに、このプロセスについつい気が遠くなってしまう。
少しでも早くお返事が来ることを願うしかない。
さて。
焦ったところでやれることは決まっている。
まずはできることからと、料理長のところへ顔を出した後、カイルとナキアにお願いして清拭の説明図を作成した。
協力を得るにあたり、カイルにはセドリック様以上に抵抗されたのだが。
『ちょっと恥ずかしいかもしれないけど、絶対気持ちいいから! 昨日迷惑をかけちゃったお詫びだから!』と押し切ったらなんとかいけた。
さすがに下着を剥ぎ取るまではしていない。
足まで拭かせてもらいはしたが。
始終羞恥に耐えるカイルが、何の拷問なんだ、と零した言葉は聞かなかったことにしておく。
臥床時と座位時に加えて、片腕の手術後を想定したものなど様々な状況を想定したものを用意した。
ラフのようなサラサラとした線で描かれた説明図は大変見やすくわかりやすい。
続けてアンビューバッグの図面も依頼し、余白に要求事項を追記していく。
鼻口を覆うように顔にフィットする部分と空気を送り込むポンプ部分はゴム製にするとして。
模型人形と異なり、ゴム風船は膨らんだ状態がデフォだ。
人体に空気を送り込んだあと、外から空気を補充する機構が必要なわけだけど、残念ながらその部分の仕組みがまったくわからない。
ゴム同士をつなぐ石膏部分に逆流防止の弁を施してもらって、ゴム風船のおしり側にも吸気弁があればいけるか?
頭の中でイメージを膨らませてみるが、私ではどうにもまとまりそうにない。
うーん……この辺の機構はレヴィに一任しよう。
レヴィ用に作業スペースとして割り当てられた部屋へと向かうと、こちらを振り返ったレヴィは粘土のようなものを捏ね回していた。
特有の匂いが辺りに充満しているところをみると、おそらくはそれがゴムの元なのだろう。
「進捗はどうかしら」
「リゼ姉さま。ゴム風船は小さくできましたよ」
はっや。
優秀すぎて痺れるわ。
よだれの効果はさすがに切れたらしく、いつも通りのレヴィに促される。
私の拳大ほどになったそれへと息を吹き込んでみると、体積分以上には大きくならないものの、呼気分しっかりと膨らんだ。
「人形の方もゴム風船を入れる窪みも小さくし、膨らむ方向に指向性をもたせてみました。胸板が完成してから再度確認をしますね」
「いつもながら仕事が早くて本当にありがたいわ」
「せっかくなので匂いに関してもいくつか試してみてはいるのですが、こちらはまだまだですね」
煮出してみたり洗ってみたりと思いつく限りのことはしているらしいのだが、思うような成果は得られないようだ。
門外漢すぎて全く役に立てる気がしない。
「少し休憩しない?」
ナキアに持たせたトレーを指さすと、レヴィの華のような笑顔がぎくりとこわばる。
「……リゼ姉さまの手作りですね。うれしいなあ、いただきます」
努めて喜ばしい風を装ってはいるが、言葉が上滑りしているところを見ると……
私め、前世の意識が覚醒する前もおぼろ気な記憶のまま何やら作り出していたのだろう。
ヘネシー邸での一件は、あれでも奇跡的な出来だったようだ。
ご、ごめんねレヴィ。
大丈夫よ、安心してほんと、今回はうちの料理長と相談して再現したものだからね!
そんな事情などつゆ知らずのレヴィのもとにサーブされたのは、ゼラチン製のプリンである。
ごくりとつばを飲み込むと張り付けた笑顔のまま、えいやっと口に運んだ。
「……っおいしい!」
私とプリンとを見比べるレヴィの目は驚愕に見開かれている。
……過去の料理スキルはよほど壊滅的だったとみえる。
それをひた隠しにしてくれていたレヴィの優しさよ。
泣ける。
「口に合って安心したわ。それでねレヴィ、昨日話していた、手動で空気を送り込む装置の案を練ってみたの。時間のある時にお願いできる?」
アンビューバッグの図面を渡すと、もちろんですよ、と快諾してくれた。
「レヴィが来てくれて本当に心強いわ。一週間と言わず、もっといてくれたらいいのに」
心のままに告げると、天使のごとき柔らかさでほんわりと頬を緩めた。
うちの従弟最高すぎる。
・・・
所変わって馬車の中。
自信作を手に、タイヤつきの車輪で向かうはヘネシー邸である。
本日はもともとヘネシー邸での勉学日なんだけど、セドリック様の具合を思うとそうもいかないだろう。
なにせ池に落としてからまだ2日しかたっていないのだ。
前世でだって風邪の特効薬など存在しなかったというのに、この国の医療レベルでは完治しているはずがない。
看病兼、見張りである。
「セドリックったら、まだ本調子でないのに研究室にこもってばかりいるのよ」
出迎えた夫人は困ったように頬に手を当てた。
やはりか。
私も人のこと言えた義理じゃないけど、セドリック様は夢中になると周りが見えなくなるタイプなのだろう。
「悪化されてはいませんか?」
私の問いかけに、声をかけてやってくれる? と夫人はにこりと笑んだ。
初めて立ち入る研究室は、日当たりが悪いのか昼間にもかかわらず薄暗い。
大きなデスクの上にはたくさんの本や書きつけの紙束が置かれ、前世で見たものよりもずっとシンプルでレトロな顕微鏡が鎮座している。
棚には色付きの瓶が所狭しと並べられ、ガラスや金属製の実験器具が丁寧に保管されているようだ。
小さな箱の中には、得体のしれないものが入ったシャーレ──ガラスでできたふたつきのお皿──がいくつも並んでいる。
セドリック様はこちらに背を向け書き物をされており、ノックの音にも扉の音にも気づく様子はないようだ。
ふうと一つため息をつき、頭を抱えるかのように髪をくしゃりと乱した。
小さく咳き込んだその口元にマスクの類は見受けられない。
こらこら、仮にも細菌学を志そうという者が。
布の一つでも巻きなされ。
傍まで寄って机の端をノックすると、こちらへと顔を向けたセドリック様が驚いたように瞬いた。
「具合はいかが?」
「……少し喉に違和感がある程度だよ。もうそれほどつらくはない」
気まずそうに視線をそらすところを見るに、その言葉の信頼度は低いのだろう。
「ちゃんとご飯は食べてますの? 睡眠は?」
隈がないか確かめるためにずいと身を乗り出すと、その分後ろに退かれる。
以前のような隈はないようだが、顔に赤みが残っている。
熱がまだ引いていないのかもしれない。
額に手をあてるとガタリと椅子が鳴った。
「熱は……」
自分の額の温度と比べてみるが、子供体温のせいか違いが分からない。
熱はなさそうかなと首を傾げたところで、ぱしりと手を外されてしまった。
「……ないよ」
相変わらずの態度である。
「ずいぶん頭を悩ませてみえるようでしたが、うまくいっておりませんの?」
「再現自体はできるけど、ごく微量だからね。ペニシリンのもととなるアオカビだけを培養したいのに、どうしても他の菌が混じるし」
シャーレに視線を移すセドリック様が、再びこんこんと咳き込む。
「まずは体調を戻すことが先決ですわ。咳をしたままでは菌も混じるでしょう」
さあ立って、と手を引きセドリック様の寝室へと押しやる。
寝室ではヘネシー夫人が侍女とともにお茶の準備をしてくれていた。
「さすがリーゼリット嬢ね。私ではセドリックの重い腰が動かせないのよ? 毎日でも来ていただきたいくらいだわ」
「……そんなわけにはいかないだろ」
ぶすくれるセドリック様には同意だ。
そんなことしたらあの殿下が何と言うか。
「それならば、セドリックは自分で体を労わらないとね。さあ、お茶にしましょう。リーゼリット嬢がお見舞いの品を持ってきてくださったのよ」
侍女たちが手際よく準備を整えていく中、部屋の隅で料理長が所在なげに帽子を握っている。
「私もいただけると伺ったのですが、よろしいので?」
夫人に頼んで呼んでもらったのだ、むしろ食べていってほしい。
あのフ〇ーチェもどきのみしか口にしないままなんて申し訳がなさすぎるからね。
「もちろんですわ。実はこの間作ろうとしたものがこちらですの。料理長もぜひに」
にこやかに告げると、人の好さそうな料理長は相好を崩した。
グラスに固めたプリンの上には、生クリームとミントの葉で飾りつけをしておいた。
うちの料理長と一からちゃんと作っただけあって見た目も美しい出来栄えとなっている。
「マーシュマロウは用いておりませんので喉への効果はないのですが、卵と牛乳を使用しておりますから栄養価はいいですわ」
「見た目は蒸したプディングに似ているけれど、こちらの方が喉越しがよくておいしいわ」
「ゼラチンを使用しておりますの」
「ほう。デザートにゼラチンをというのは聞いたことがありますが、なるほどこれはいろいろと工夫が効きそうですな」
なんでも、この国ではゼラチンはもっぱら料理に用いられるらしいのだ。
うちの料理長も驚いていた。
話を聞いているのかいないのか、黙々とスプーンを動かすセドリック様は、どうやらこのプリンも気に入ったようだ。
よしよし、いっぱい食べるがよい。
一方で、夫人のグラスは減りが良くない。
私の視線に気づいたのか、夫人は肩を落とした。
「……ごめんなさいね、わたくし生クリームが少し苦手で。その部分だけ取り除いても構わないかしら」
「構いませんわ、わたくしこそ先にお聞きしておくべきでした」
とても申し訳なさそうに眉根を寄せる夫人に、こちらの方が恐縮してしまう。
「…………取り除く……」
ぽつりと呟いたかと思うと、スプーンの背でプリンの表面を叩いた。
「セドリック、お行儀が悪いわ」
夫人にたしなめられるが、それには答えずじっと考え込んでいる。
「リーゼリット嬢、これの材料はなんて?」
「ゼラチンと卵と牛乳、あとは砂糖ですわ」
「この固まっているのはゼラチンによるもの?」
「……おそらくは」
卵も一因なんだろうけど、ゼラチンなしにこうはならないだろうしなあ。
「ゼラチンの原料は」
動物性ということはわかるが、さすがにそこまでは知らない。
矢継ぎ早に出てくる質問に戸惑っていると、調理長がにこやかに助け船をくれた。
「動物の皮膚や骨を煮出したものですよ、坊ちゃま」
マジか、そんなえぐい製造方法だったの。
そりゃあデザートに使おうとは思わないわなあ。
「……料理長、俺が今使っている培地は」
「ブイヨンですな。肉や骨や野菜くずを煮込んで作った肉のスープです」
そこまで確認すると、セドリック様は勢いよく立ち上がった。
「料理長。我が家に今、ゼラチンはあるか」
「ありませんが……すぐに手配いたします」
勢いに押され、料理長が目をぱちぱちさせている。
「ここまで固めるには、どのくらいの量を使うんだ」
こちらへと向き直ったその目は、今まで見たことないほど生き生きとしている。
「え、ええと」
うちの料理長と考案した比率を告げると、ぎゅううと手を握られた。
「リーゼリット嬢。……感謝する」
痛いくらいに握りしめるその手は力強く、まっすぐに向けられた熱意のこもった眼差しは今から休もうとする人のそれではない。
あの、ちゃんと休んでくださいね……?




