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悪役令嬢は夜告鳥をめざす  作者: さと
どうにかな三歩目
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28 模型人形さんいらっしゃい

「こ、……これは……」


ご所望の品ですとの案内のもと、どーんとお目見えしたのは、横たえられた石膏の胸像であった。

注文通り、鼻の部分はおそらくゴム製と思わしき柔らかな素材に変えられているのだが。

顔が石膏像でおなじみの、アポロンだかマルスだかを模した妙に芸術性の高い代物なのだ。

衣服の代わりにまとっているのは、シンプルな鎧である。

リアルさ皆無のチープ極まりない模型人形に慣れていた身としては、歴史的彫像物のような仕上がりに若干……どころではないほど戸惑いを隠せない。

心肺蘇生用の模型人形ってなんだっけ、と思考が宇宙への旅路に出るレベル。



「人形の素材に木や布も考えたのですが、石膏とゴムはどちらも型取りができるため量産しやすいのです。胸には小さなゴム風船を。強度と重さの問題から、胸板は薄くした鉄板にしました。喉元にはストッパーがついていて、首をそらすとストッパーが浮くしくみになっています。ちょうどタイヤの開発をしていた時にこの人形の話が来たので、転用しちゃいました」

いかがです、との問いかけになんとか意識を取り戻せたけれど。

「いや……想像以上すぎて……」

言葉が出ないよ。


石膏だと量産できるとかはじめて知ったし、何かもういろいろと衝撃がでかいんだけど。

ひとまず使用感の確認をせねば。

なんとも精巧な鼻をむにむにつまんでみると、程よい弾力とともに、鼻の穴に見立てた中のチューブが塞がるのがわかる。

唇部分にも穴があけられており、チューブが通っているようだ。

首は張子の虎のようにぐらぐらだが、一定以上は後屈できないようになっている。

おそらく、実際の人の動きを見ながら考えて作ってくれたのだろう。

丁寧な仕事ぶりに頭が下がる。

この時点で鳥肌ものだが、最も重要なのは機能性だ。

胸骨圧迫に対する耐久性に加えて、『正しい方法で息を吹き込んだ時だけ胸に空気が入ること』を視認できなければならないのだ。

いろいろ試してみるか。


人形の鼻をつまみながら顔を寄せると、ゴムの何とも言えない匂いが鼻につく。

時間がたてば薄らぐかな。

顔を近づけなきゃならない分、匂いについては要検討だな。

唇の幅も厚みもファルス殿下より大きいから私の唇で覆えるかどうかは疑問だが、まずは顎を引いた状態で行ってみて、胸元が動かないことを確かめよう。

そう考えながら唇を寄せていくと、くんと腕を引かれた。


「? レヴィ?」

私を引き留めるレヴィの顔には必死さが滲んでいる。

「……何を、なさるおつもりですか?」

そういえば用途を伝えていなかったんだっけ。

大口開けてただろうし、食べる気だとか思われたのかな。

いくら私でもそんなことはしないぞ。

「人形に息を吹き込むのよ」

「…………え? っだ、だめ! 絶対にダメです……っ」

私の答えを耳にしたレヴィは、一瞬呆けたのちにすごい勢いで青ざめてしまった。

石膏はちょっとでも口にしたら人体に害を及ぼすものなのかな。

ゴムの方が安全なら、唇部分もゴムに替えてもらうべきか。

とはいえ、すぐに変更というわけにもいかないだろうしなあ。


「では、ハンカチ越しにしますわ」

ポケットからハンカチを取り出すと、レヴィは渋々といった風に手を離した。

さてと、気を取り直して。

口を縦に大きく開け、ハンカチ越しの唇を覆うようにかぷりと食む。

はむはむと唇で大きさを確かめれば、顎が外れそうではあるもののどうにか全体を包めているようだった。

そのまま息を吹き込むと、抵抗はあるが胸元は動かない。

鼻から指を離すと、吹き込んだ分の空気が鼻から漏れた。

おお、すげえ。

ちゃんと鼻と口がつながってるわ。


次は本命。

鼻をつまみ、顎を逸らして息を吹き込んでみる。

抵抗はないが、胸元が上がる様子もない。

どこからか漏れているのかと確かめながら再度息を吐くが、隙間から空気が漏れている様子もなかった。

もう一度とばかりに大きく息を吸い込み吐ききってみるが、やはり1ミリたりとも動きはしないようだ。

鎧が重いのではと外してみたところ、石膏の空洞部分には両の掌を広げた大きさのゴム風船が入っていた。

外した状態で再度吹いて確かめてみると、空気自体は入っているようでゴム風船はうっすらと膨らんだ。

なるほど、ゴム風船が大きいんだな。

このサイズだと私の肺活量じゃ持ち上がらないわ。

大人ならいけるかもしれないが、もう少し風船のサイズを小さくしてもらった方が確実だろう。

紐でしばって確かめてみてもいいが、これ以上は顎がつらい。

しかも、こう連続だと息も上がるわ。

必死に息を吹き込み続けたせいで、酸欠なのかくらくらする。

調整を依頼しようと顔を上げると、開けっぱなしだった口からよだれがわずかに垂れた。

おっといかんと慌ててぬぐい、傍らで様子を見守っていたレヴィを見やる。


レヴィはこれでもかってくらいに顔を赤く染め、口元を手で覆ったまま固まっていた。

ものすっごく検証風景以外の何物でもなかったと思うんだけど、今の光景のどこに照れる要素があるのか。

よだれまで垂らしたまぬけ顔でしたよね?

さっき止められたのは素材によるものかと思ったけど、この様子ではその可能性も低そうだな。

ファルス殿下が事故に遭ったときも、周りの反応はよくなかったのを思い出す。

ようするに、はしたないってことか。

こんな状態で、この世界に普及するか不安だ。

胸骨圧迫だけに絞った方が導入されやすいかもしれない。

だとしても気道確保の方法はマスターしてほしいしなあ……


「あの……リゼ姉さま、これはどういう、その……意図の……?」

「説明不足でごめんなさい。呼吸が止まった人を助けるためのものなの。その練習用の人形なのよ」

「中に空気が入ればいいんでしょう? それなら口から息を吹き込まなくとも、そういう道具を作ってみるのではいけないのですか?」


アンビューバッグか……!

手動で人工呼吸を行うための装置。

そうだよ、ゴムがあればできるじゃない。

プラスチックはないけど、成型しやすいというのなら石膏で代用も可能だろう。

しくみを説明しろと言われても困るけど、まったく一緒のものを作る必要はないのだ。

ようは鼻口に密着できて、空気を送り込めればいい。


「その方法で行きましょう!! レヴィ、あなたほんっとうに天才よ!」

喜びのあまりぎゅうと抱きしめ、うりうりと頬ずりすると、腕の中のレヴィがひゃあと鳴いた。

「それはそれとして、ゴム風船は一度の吐息でこの鎧を持ち上げられるくらいの大きさがいいわ」

調整を頼めるかしらとお願いすると、頬を赤らめたままかくかくと首肯する。



よし、次は胸骨圧迫の確認ね!

解決困難だと思われた問題に光明がさして楽しくなってきた。

鎧もどきの金属板の上から体重をかけるように押し込むと、上にかぶせた形の金属板が沈み込む。

中のゴム風船によるものだろう、ほどよい弾力で押し返してくる。

こっちも素晴らしい完成度。

あとは強度か。


「カイル、ちょっと試してみてくれる?」

突然話を振られたカイルがびくりと体を揺らす。

軽くどもりながらも短い了承を述べ、人形の傍へと膝をつくカイルの頬はうっすらと赤い。

あなたね、人工呼吸が医療行為だってすでに知ってるでしょうが。

今さら何を赤くなってるんだ。

とはいえ体はしっかりと覚えていたみたいで、ファルス殿下の時の要領で胸元を押し込んでくれた。

カイルの力で押しても、人形はぎしりとも言わない。

レヴィ、あなたいい仕事しすぎ。


難を挙げれば、これだと鎧の上からでも胸骨圧迫が可能だと誤認してしまう恐れがあるか。

人形は胸元を押し込めるようにと鎧は前半分だけ被せてある形状だが、実際の鎧は胸部全体を覆っているのだ。

レヴィにその旨を相談すると、優秀な従弟はすぐに回答をくれる。

「それでしたら、胸板部分も石膏に替えましょうか」

「強度は大丈夫なの?」

「力を加える部分は一点のみのようですし、その箇所を厚くしておくなどしてみましょう。そうすれば強度も重さもカバーできます」

そう言いながら、おもむろに水差しからかめへと水を移しはじめる。

たくさんの古布と、石膏と思わしき白い粉の入った器をどこからともなく取り出してきた。

「完全に固まるには数日かかりますから、すぐ取り掛かりましょう」

レヴィは鎧をひっくり返すと、袖をまくり上げた。

目の前で繰り広げられる制作現場にわくわくが止まらない。


「他にご要望は」

「唇部分の切れ込みを深くしてほしいわ。唇全体を覆わないと息が漏れるようにしてほしいの。あとは匂いかしら……もう少し和らぐと助かるわ。それ以外は全く何の問題もないわ。素晴らしい仕事ぶりよ、レヴィ」

「わかりました、そちらも取り掛かりますね。匂いについては、僕も今検討中なんです。初めて嗅いだ時は鼻がもげるかと思いましたから」

レヴィは楽しそうに目じりを下げながら、目地の荒い布に粉をまぶしていく。

その布をそっと水に浸して軽く絞り、鎧の上に広げては重ね、なじませるように撫でていった。


──これと似たようなのを、前世で見たことがある。

入院患者のギプスの巻き直しに付き添ったときのことだ。

こうやって白い粉のついた包帯を水に浸して巻いていた!


ギプスだ、と声に出ていたのか、レヴィがこちらを振り返る。

「さすが姉さま、よくご存じですね。異国の言葉で、石膏のことをギプスというのです」

まじか。

材料なんて気にしたこともなかったわ。


おっかなびっくりで見守る中、鎧の形のままですと誤解されてしまいますからと、器用にも薄手の衣服のように仕上げてくれた。

「このまままる二日置けば、この形で固まります」

えっ そうなの?

前世ではそんなに時間かかった覚えはないんだけど……あれは改良を重ねたものなのかな。


「もっと短くすることはできないかしら」

それができれば、骨折の治療に活用できる。

「では、いろいろと試してみますね」

私が次々投げかける要求に、レヴィはまるで楽しい遊びのお誘いを受けたかのように目を輝かせている。

なんって頼もしいのかしら……!

感極まって抱きつくと、汚れますのでっ、と身を固くされてしまった。



……なぜだろう。

さっきといい今といい、何か違和感を覚えるんだが。

領地では抱きつこうが顔をすり寄せようが、無垢な天使のごとき反応だったのに。

赤みが落ち着いていたはずのレヴィの顔は、早くもぶり返している。

人工呼吸を医療行為だと知らずに驚いたとしても、すでに理由は伝えたわけだし。

しかも反応長くない?


ちらりと走らせた視線の先、渋い顔をしたカイルは、俺は言いませんよ、と返した。

ということは、また私が何かやらかしたのか?

今回は、女の武器たる涙は流していないぞ。


思い当たる節はひとつだけ。


すなわち、原因は…………よ、よだれ、なのか……?

ギプス解説

オランダ語で石膏をさす言葉。骨折の治療で用いられる、あの白くて固いやつです。1852年にオランダの軍医が患部を石膏を含んだ巻軸帯で固めたのが始まりなんだとか。石膏を使って患部を固める方法は、それこそメソポタミアのころから行われていたので、息の長ーーーーい治療法でした。現在では全く異なる素材の、より良いものが使用されておりますよ。

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