menu173 ディッシュ、受ける
「ディッシュ殿、この街で店を出すつもりはありませんか?」
商業ギルドのギルドマスターは告げた。
その一言に周りはざわめく。
つい今し方、プロポーズを終えたランクと、婚約を受けたヘレネイも呆然としている。
彼らの結婚以上に、商業ギルドのギルドマスターの申し出は、驚くべきものだったからである。
しかし、アセルスは冷静だった。
ディッシュの『ゼロスキル』の料理の噂は、すでに国境を越えて、知られている。
加えて、王族や、それに連なる王家の覚えもめでたい。
むしろ、そんな彼に目をつけなかった方がおかしい。
とはいえ、気が引けるのも理解できる。
ディッシュが材料とするのは魔獣である。
『魔獣はマズい』。
それは昔から言われていた定説であり、一般的に市中にあるものは、まずくて、パーティーや動物の飼料などに使われる。
そんなものに金を出す人間など普通はいないだろう。
そもそも魔獣が賞味期限は、限りなくゼロに近い。魔獣が死んだ時点から劣化が始まる。ディッシュはそれを燻製や切り方などを工夫して抑えてはいるが、山でとったものを市中におろす頃にはかなり鮮度が落ちている。
そんなものを料理に対してストイックなディッシュが許すはずがない。
ましてディッシュは魔獣料理にこだわる。
普通の料理もできるにはできるが、果たしてその腕前で、魔獣料理以上のインパクトある料理を生み出せるかといえば、疑問であった。
アセルスはディッシュが断ると確信していた。
事実、ディッシュは蓬髪を掻きながら、言葉を返した。
「うーん。それは難しいんじゃないか? 魔獣はとっても足がはやいんだ。山でとっても、市中に卸す頃には、腐って食べられねぇ」
「はい。そのように聞いております。だから、これを使おうかと……」
商業ギルドのギルドマスターが懐から瓶を取り出す。
ディッシュとアセルスは揃って、じっと見つめた。
「「砂??」」
「はい。その通りです。でも、ただの砂ではありません」
すると、アセルスはハッと何かに気づいた。
「もしかして、『時の砂涙』か」
「さすがアセルス様。レアアイテムをご存知で」
ギルドマスターは穏やかに笑う。
「『時の砂涙』?」
「ディッシュが知らないのも無理はない。かなりのレアアイテムだからな。この砂をまぶすことによって、その時間を止められるアイテムだ」
「時間を?? そりゃすげぇな」
ディッシュは興味深そうに瓶の中の砂を見つめた。
「しかし、かなり高価なものと聞くぞ。そんなものを使えば、値段が上がってしまうのでは? それとも貴族や王族しか相手をしないようなお店作りをするのか?」
「いえいえ。それもよろしいかもしれませんが、私どもと致しまして、もっとディッシュ君が作る魔獣食を広めてほしいと考えているのです」
ギルドマスターは首を振る。
出っ張ったお腹に、如何にも商人という風なちょび髭。人懐っこい丸い顔には、愛嬌もある。
一見悪い人には見えない。
「商業ギルドのギルドマスターは本気です、ディッシュくん。本気で、あなたの魔獣料理を皆に食べてほしいと思っています」
ルヴァンスキーはギルドマスターを弁護する。
そのギルドマスターは説明を続けた。
「確かに『時の砂涙』を使うとコストはかかります。しかし、私はこの砂を出る採掘場の採掘権を持ってまして、魔獣食材のために使おうと考えています。……そうですね。最初は1週間だけでも料理屋を開いてみてはどうでしょうか?」
「お試しということか」
「はい。その後やめるか否かは、ディッシュ殿次第ということで。その際の違約金もお支払いいただく必要はございません。こちらが無理を言っているのですから」
「破格の条件だな」
小難しいことはわかっていないディッシュの代わりに、アセルスは首を捻る。
魔獣食材に対する対策。
1週間というお試し期間。
その後についても、ディッシュの判断を委ねている。
アセルスの言う通り、破格の条件だった。
それだけ商業ギルドのギルドマスターが魔獣料理にかけているのか。
それとも他に何か裏でもあるのか。
アセルスにも判断できなかった。
とはいえ、アセルスがディッシュに助言することはなかった。
ディッシュならば、断ると思っていたからだ。
山の生活を選ぶと、これまでの傾向からそう考えていた。
ディッシュが首を捻りながら考えていると、痺れを切らしたルヴァンスキーが答えを促した。
「いかがですか、ディッシュくん。悪くない条件だと思いますが」
「ルヴァンスキーさん、私は答えを急ぎませんよ。ディッシュくんが答えたい時に、お伺いできれば」
「しかし……。彼は山育ちですから……」
「いや、そんなに待たなくてもいいぞ」
そう言って、ディッシュは自分の胸をポンと叩いた。
「やる。そのお店の話、受けさせてくれ」
…………。
…………。
まさしく周囲はしんと静まり返った。
ディッシュが断ると思っていたのは、アセルスだけではない。ヘレネイやランク、居合わせたフレーナ、エリーザベトも同じことを思っていた。
きっとディッシュは断るだろう、と。
でも、ディッシュははっきりと答えた。
〝受ける〟と……。
「「「「「えええええええええ!!」」」」」
突如、叫び声がこだまする。
ディッシュを知る者たちは一斉に、群がった。
「本気か、ディッシュ?」
「マジ? マジなの?」
「楽しみだけど……。いいの?」
「受けるとは思わなかった」
「ちょ~っと。信じられないですね~」
アセルスが、ヘレネイが、ランクが、フレーナが、エリーザベトが、口々に言う。
ディッシュはさっきより戸惑った顔で、蓬髪を掻いた。
「なんだよ。そんなにおかしいことかよ」
「いや、だって……。ディッシュはてっきりそういう話は受けないとばかり。そもそもディッシュは以前、アリエステル様の料理番の話を断っていたではないか?」
「ああ。そう言えば、そんなことがあったなあ。忘れてた」
あっけらかんというと、皆が一斉に下を向く。
王族の料理番など、どんなに研鑽を積んだ料理人でもなかなかない話だ。
それを忘れてた――なんて言えるのは、ディッシュぐらいなものだろう。
「アリスの話を蹴ったのは、王族専属だったからだ。確かにアリスに食ってもらえるとよ。勉強にはなるとは思うんだ。でも、そこのおっさんが言ったみたいに、店なら色んな人が食べにこられる、だろ?」
「た、たしかに……」
アセルスはちょっと意外に思った。
ディッシュはノリと勢いで、店をやること承知したと思っていた。
けれど、ディッシュなりの考えがあったのだ。
「それにさ。俺も料理人だ。昔から夢があったんだよ」
自分の店を持ちたいって夢がさ。
「ディッシュ……」
アセルスは思わず泣きそうになった。
普段はおくびにも出さないが、ディッシュはスキルがないことによって、幼少期に迫害を受けた。それによって、山での生活を強いられることになった
ディッシュの口から「苦しい」という言葉は聞いたことがなかったが、それでもつらかったことは間違いない。
スキルのない彼が認められ、お店を持とうと誘われている。
その門出を喜ばずして、他に何があるというのだ、と邪な心をアセルスは今一度正した。
「ありがとうございます、ディッシュ殿」
商業ギルドのギルドマスターは、ディッシュの手を取り、固く握手をする。
こうして『ゼロスキルの食堂』計画が始まったのである。







