26. 運命
(注意)本日2回目の投稿です。(4/27)
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ベルタが目を覚ましたのは、屍竜が離脱した直後のことだった。
脳震盪でまだ朦朧としたままの頭を振って、うめき声をあげる。
意識を失ってしまっていたらしい。
探索隊と同行する作戦には真の姿を隠して参加していたため、本来の実力を発揮できなかったとはいえ、不覚だった。
「なにが……?」
状況がわからない。
誰ともなしに問い掛けると、こちらを向いた者があった。
「……ベルタ」
同行者のリーダーである真島孝弘だった。
彼は身を起こすのが、やっとというほどの怪我を負っていた。
周りにいる仲間たちも、酷い有様だった。
リリィはダメージが大き過ぎて、スライムの本性を隠せていなかった。
ロビビアは頭から流れた大量の血液と滂沱と流れる涙で、ぐしゃぐしゃの顔をしていた。
シランは倒れたままで、ただの死体のようだ。
あやめは足が折れているらしく、弱々しく横たわっていた。
なにか酷い出来事があったことは明らかだった。
しかし、意識を失う前のことはすぐに思い出せなかった。
「ここは……」
言いかけたところで、ベルタはいま自分たちが、王の駒である屍竜の掌の上にいることに気付いた。
いったい、自分が気を失っている間になにがあったのか。
ますます混乱するベルタに、真島孝弘が答えた。
「異界から脱出した直後に、中嶋小次郎が攻撃を仕掛けてきたんだ」
「……攻撃?」
言われてベルタは記憶を探った。
異界から解放されたあと、この場の全員が集まったところで記憶は途切れている。
その瞬間に、強烈な光を見た気がした。
あれが光剣の一撃だったのだろう。
それで自分は意識を失い、同行者である彼らは戦闘続行不可能な重傷を負ったらしい。
しかし、それならどうしてこのように逃げられたのか。
それに、屍竜の上に乗せられたこの状況は、いったい。
そう疑問に思ったとき、蒼褪めた顔をした真島孝弘が言った。
「工藤のやつが割って入ったんだ」
「……え?」
「いまは、代わりにあいつが残ってる」
「それはつまり……我が王と、あの『光の剣』が戦っているということか?」
理解した瞬間、ぼけていた意識が明瞭なものになった。
ぞっと悪寒がした。
いかに王の魔軍が強力とはいえ、あの『光の剣』は相手が悪過ぎる。
王の命が危ない。
そう思ったときには、ベルタは普段は隠すように命令されている自身の真の力を発揮していた。
狼の腰のあたりから、ずるりと少女の体が生えてくる。
少しの時間、無防備になってしまうので、先程の戦いの間には咄嗟には本性を現すことができなかったのだが、いまは近くに敵の気配はない。
それも王が戦っているからだと思えば、焦りはますます募った。
「ま……待て。ベルタ!」
飛び出していこうとしたことはすぐにわかったらしく、肉体を変化させている途中で、真島孝弘が声をあげた。
「とめるな!」
「ただ行っても死ぬだけだろう! せめて、おれたちも……」
そう言って身を乗り出した、その膝が折れた。
バランスを失った彼は、両手を床に突いて倒れてしまう。
慌てたリリィが駆け寄ろうとするが、ずるずると体をひきずる動きはにぶい。
彼らはもう、まともに動けるような状態ではないのだった。
「ベルタ……」
それでも、必死にこちらに目を向けていた。
その眼差しが仲間に向けられるものなのだと、いまのベルタにはわかった。
仲間だから、確実に死ぬ場所に向かおうとしているのを黙って見てなどいられないのだ。
「……真島孝弘」
そこでベルタは、確かに逡巡を覚えた。
その事実は、彼女自身も彼らを仲間だと感じていることの表れに他ならなかった。
とはいえ、足をとめるまでにはいたらない。
そうするためには、あまりにも王の存在はベルタのなかで大き過ぎた。
しかし、そのときだった。
「待て」
第三者の冷たい声が、今度こそベルタの足を完全にとめた。
なぜなら、その声は彼女をとめられる唯一の存在の、代弁者であったからだ。
「王のもとへ行くことは許されない。それが王の命令だ」
そう言ったのは、精悍な顔に似合わない無機質な表情をした青年だった。
正確には、その紛い物だった。
「アントン!?」
十文字達也の姿をコピーした、アントンの分体がそこにいたのだ。
「いつの間に……」
「最初から乗り込んでいた」
驚き尋ねる真島孝弘に、アントンが答える。
同じ王の配下である以上、屍竜に分体をあらかじめ乗り込ませておくことは簡単だっただろう。
だが、そんなことよりも、いまは伝えられた内容だった。
「お、王の命令だと……!?」
ベルタは大きく動揺した。
王命と言われてしまえば、首輪をかけられた彼女には無視することはできない。
「そんな、馬鹿な……王の命が危ないのだぞ! いますぐに撤回を……!」
「無駄だ。撤回などあるはずがない」
必死で抗議するが、アントンの表情は変わらなかった。
実際、王の『魔軍の王』による無形の首輪の強制力もまた、それが事実であることを認めていた。
愕然とした。
意味がわからなかった。
王が自分を遠ざけているのは知っていたし、ときに合理的とは思えない判断を下すこともあった。
だが、いまはそんなことを言っている場合ではないのだ。
真島孝弘のもとで様々なことを知ったとはいえ、自分にとって王の価値がなくなるわけではない。
絶望の破滅に向かう王。
ならばせめて、その終わりに救いがあってほしい。
そう思っているのに、どうしても伝わらない。
わかってもらえない。
受け入れてもらえるのではないかと感じたことでさえも、いまはあまりにも遠い。
そのまま、永遠に手の届かない場所に行ってしまおうとしている。
それだけでも堪えがたいほどだというのに、とどめを刺すようにアントンは言うのだ。
「お前が来ることを、王は望んでおられない」
まるで機械のように、口にされる言葉に感情は含まれない。
その事実に、思い知らされる。
王が望んだ完全なる配下。
これこそが、自分がなりたくてもなれなかったものなのだと――そう思い知らされたから、ベルタは歯を喰いしばった。
「それでも、わたしは行くのだ」
「……ベルタ、貴様」
「行かねばならないのだ」
自分は出来損ない。
王の望む完全な駒にはなれない。
だから、そうだ。
ここでだって、大人しく退くことなんてできるはずもないではないか。
首輪の強制力はすでに痛みを伴っている。
ここで食い下がることが、王の駒として失格なのだとまざまざと思い知らされる。
しかし、それでも。
「アントン!」
ベルタは訴えかける。
アントンとベルタ。
魔王の配下、最古参の眼差しが交差する。
向けられる眼差しに、感情は含まれない。
説得の余地などありえない。
……そのはずだったのだ。
「やはり、こうなるか」
アントンは、不意に目を伏せたのだ。
「愚かしいな。わたしには、理解できない」
感情を持たない王の忠実な駒であるアントンにしてみれば、それは当然の感想だろう。
だが、ベルタは戸惑った。
いまのアントンの言葉は、ただそれだけではないように感じられたからだ。
「ああ。理解はできないのだ。だが、わかることもある」
そんな彼女に、再び無機質な視線が向けられた。
「ベルタ。お前はここに留まるべきだ」
「……アントン?」
その言葉が先程とニュアンスが違っていることに気付かないほど、ベルタは鈍感ではなかった。
行くことを許されないのと、ここにいるべきだと言われるのとでは、話が違う。
実際、淡々とアントンは続けた。
「いい加減、気付くべきだろう。いいや。頭のどこかでは気付いているのではないか。最初から、お前は居場所を間違えているだけだ。我が王のもとは、お前に相応しい居場所ではなかった」
酷いことを言われている。
それは、王の配下として生きてきた自分の全否定と言ってよかった。
怒ってもいいはずだ。
なのに咄嗟の反論が出なかったのは、それこそ気付いていたからだ。
王に自分が相応しくないのか、王が自分に相応しくないのか。
そんなものは考え方次第だと、ベルタは真島孝弘と一緒にいることで知った。
そして、王が自分に相応しくないのであれば……自分はずっと居場所を間違えていたことになる。
認めたくなどなかった事実だった。
けれど、アントンは淡々とすべてを明らかにした。
「お前は間違えていた。それはつまり、本来いるべき場所があるということだ」
そう結論付けて、視線はベルタの背後にいる真島孝弘たちに向けられた。
「お前は、自分を受け入れる者のもとにいるべきだ。ふさわしい仲間と、新しい場所で。お前はきっと、そこでなら……」
言葉を探すように一瞬、口ごもってからアントンは告げたのだ。
「幸せになれるのだろうから」
***
「――」
言葉を失う。
思考が停止する。
考えたこともない選択肢が、そこにあった。
ふさわしい仲間と、新しい場所で幸せになる。
確かに自分は、いまや彼らを仲間だと感じている。
あとは、彼らのほうがどう思ってくれているのかということだが――
≪ベルタ≫
――呼び掛けられて、ベルタは振り返る。
立ち上がれない怪我を負ったあやめが、身を起こしてこちらを見ていた。
≪行っちゃ駄目だよ、ベルタ≫
くーっと鼻を鳴らす。
≪駄目。駄目。一緒にいよう≫
その訴えが、アントンの言葉を肯定する。
いまだって、あやめとふたりでまるくなって寝転がった、あの陽だまりの温かさは思い出せた。
穏やかで、あたたかで。
力を求めて夜な夜なモンスターを狩っては血みどろの時間を過ごすよりも、こうして生きるほうがよっぽど性に合っているのかもしれないと感じたことがないといえば嘘になる。
これまでの日々があればこそ、アントンに言われた「幸せになれる」という言葉には実感があった。
それは妄想ではなく、手を伸ばせば確実に手に入る未来だ。
そして、とっくの昔に、それを阻むものは力を失っていた。
「……」
自身の首にかかり、全身にからまった無形の鎖をベルタは意識する。
繋げられた『魔軍の王』の能力。
戒め、従え、堪えがたい苦痛さえ与えられるが、その強度自体はいまのベルタを繋ぎとめられるほどのものではない。
皮肉なことに、王のために求め続けた力が、王から離れることを可能にしていた。
これまでこの鎖が維持されていたのは、ベルタ自身がその下にあることを良しとしていただけの話に過ぎない。
だから、ほら。
こんなふうに、いまの自分が牙を立ててしまえば、それだけで砕けてしまう……。
「心を決めたか、ベルタ」
砕けた鎖が、体を滑り落ちる幻聴が聞こえた。
同じ王の配下ということで、アントンには感じ取れるものがあったようだった。
「これで、お前は自由だ」
「……ああ」
思っていたよりも呆気ない。
いざやってみれば、こんなものなのかもしれない。
改めてベルタは、真島孝弘に視線を向けた。
「ベルタ……」
「礼を言う、真島孝弘」
その言葉に、万感の想いを込めた。
本当に感謝していた。
ここで選択肢をくれたのは、間違いなく彼らだった。
誰かを想う尊さも、願いを諦めない大切さも、陽だまりの温かささえ。
彼らと同行することで、自分は様々なことを知った。
お陰で、自分はこの選択ができるのだと言い切れる。
だから、これで――
「――さよならだ」
「……え?」
虚を突かれた声は、置き去りに。
とめる暇なんて与えない。
いいや。とめることなんて、誰にもできなかっただろう。
全力のベルタをとめられる者は、この場にはいなかった。
とめられたのは王の命令だけで、すでにその鎖は砕け落ちていた。
竜の掌から身を投げる。
「ベルタ!」
声だけが追いかけてきた。
仔狐の悲痛な鳴き声も聞こえた。
それも一瞬で遠ざかる。
もう届かないことはわかっていたけれど、「ありがとう」と再び告げる。
これが彼女の選択だった。
***
壊れかけている屍竜に、高く飛ぶだけの力は残されていなかった。
その掌から飛び出したベルタは、木々を足場にして地面に降りた。
即座に走り出した。
屍竜は大した速度を出せていなかった。
これならすぐに戻ることができる。
規格外の狼の肢が地を踏み、すさまじい速度が生まれた。
あっという間に、屍竜が遠くなった。
温かなものが遠ざかる。
それがひどく寂しい。
けれど、後悔はなかった。
それもまた、彼らのお陰だと思えた。
選択肢を提示されたあのとき、確かにその先にある穏やかな幸せが見えた。
けれど、そこに王の姿はなかった。
だから……だからだった。
ベルタは駆け出すことに決めた。
穏やかで幸せな日々を捨てることになろうとも、王のもとへ行きたいと思ったのだ。
結局のところ、それが自分の真実だった。
そして、選択肢を得られたからこそ、自分の想いに確信を持てた。
その確信こそが、絶対のものだった王の縛鎖を砕くという決断に繋がり、命令を振り切る結果になったのは、やや皮肉めいた成り行きではあったかもしれない。
もちろん、ベルタは理解している。
王のもとに自分ひとりが駆け付けたところで、どれほどの意味もないだろう。
あの『光の剣』という男は、そういう次元の存在ではない。
王は死ぬ。
仇とも言うべき存在を前にして、復讐を遂げられずに無為な死を迎える。
やがて訪れるとわかっていた絶望の破滅こそが、これなのだ。
ベルタはこれまで、せめて穏やかな終わりを迎えてほしいと願ってきたが、それもここまで。
自分では、この状況をどうすることもできない。
駆け付けたところで、死体がひとつ増えるだけだ。
そんなことはわかっている。
それでも、ベルタは駆けることをやめなかった。
ここで想いを捨ててしまえば、自分から願いを捨ててしまうことになる。
傷付いたあの少年を見捨てることになってしまう。
それだけはできない。
自分はあの少年の傍にいる。
なにがあろうと、どうなろうと、最後の瞬間まで希望を捨てない。
ベルタは一心に駆け続けた。
最期の瞬間まで、この想いを貫き通すと決めていた。
命を懸けて、想いの炎を絶やさずに。
そうすれば、あるいは、奇跡が起こるだろうか?
……いいや。
そんなことは、ありえない。
「――っ!?」
現実は残酷だ。
それは、ひとりと一匹が出会ったそのときからわかりきっていたことだった。
いまもまた、現実は彼女に牙を剥いた。
なにもかもを切り裂く白刃として。
***
避けるのが一瞬でも遅ければ、両断されていただろう。
全力疾走をしていたベルタは、ぎりぎりのところで攻撃から身を翻した。
腰から伸びた触手が、纏めて何本も撥ね飛ばされた。
強靭な筋繊維からなる触手は、本来であればそう簡単に切断できるものではない。
斬線の持つ異様なほどの鋭さの為せる業だった。
「……これは、驚いた」
どうにか生き延びた彼女に、男の声がかけられた。
「どういうことだ。まさか、こんなところで死人の顔を見るなんてな」
「お前は……」
ベルタは目を見開いた。
遭遇したのは、彼女にとっては恐ろしく因縁のある人間だったのだ。
「『絶対切断』日比谷浩二……!」
彼もまた異界から弾き出されていたのだった。
しかし、中嶋小次郎と工藤陸との戦いに加勢はしていなかった。
他に加勢する者がいたので必要性が薄かったのと、彼自身が異界での工藤陸との戦闘でかなり深い怪我を負っていたからだ。
結果、ここでベルタと鉢合わせをすることになったというわけだった。
その場には、他にもふたりの転移者がいた。
中嶋小次郎の加勢に行かなかった彼らは、回復魔法で日比谷浩二の傷を癒していた。
完調には程遠いにせよ、異界を出てからいままで治療を受けていた彼は、戦闘行為が可能な程度には回復していた。
実際、その手に下げられたなんの変哲もない剣は、あまりにも危険な気配を放っている。
ここに、因縁の男が立ち塞がったのだった。
***
「この先に行かせたところで、中嶋さんの敵になるとも思えないが……あえて行かせる理由もないな」
日比谷浩二は、ゆらりと剣をかまえた。
「同じ顔の女を二度斬ることになるとは思わなかった」
冷たい殺意が押し寄せてきて、ベルタは全身の血が凍るような悪寒を覚えた。
死だ。
目の前にあるのは、己の死だった。
「これも因果か。今度こそ、迷って出ないように確実に始末をつけてやる」
脇腹に痛みを覚えた。
かつて日比谷浩二によって、轟美弥が死に至るほどの深手を受けた箇所だった。
その死に際して、屍を食べたことが影響したのか、ベルタが手に入れた少女の上半身は彼女によく似ている。
ほとんど生き写しと言っていい。
だからこそ、この最期は避けられない運命のようにも感じられて――
「……ふざけるな」
――その感覚を、ベルタは牙を鳴らして噛み砕いた。
「わたしは轟美弥ではない」
脇腹の痛みなど錯覚だ。
それは自分の経験ではない。
運命などではない。
目の前の男は、自分の死ではない。
「わたしはベルタ。王に名前を与えられた第二の配下だ!」
自身の不甲斐なさの象徴であり、呪いのようにさえ感じられた名前だった。
けれど、そんな自分だからこそ、ここまで来れたのだ。
ただ付き従うだけではない。
悩み、苦しみ、出会い、選択をした結果として、ここにいる。
たとえ報われることがなくても、そのすべてに価値があった。
そう信じられた。
だからこそ、ここで彼女は臆することなく自身の死に牙を剥いた。
「そこをどけ。わたしは王のもとへ向かわねばならないのだ!」
◆本日の更新はここまでになります。
圧倒的な戦力を前にした工藤のもとへとベルタは駆け付けられるのか。
工藤はなにもできずにやられてしまうのか、次回をお待ちください。
◆平成最後の更新でした。ではまた令和の世にて。






