14. 魔王が生まれた日
(注意)本日3回目の投稿です。(2/2)
14
それは、少年がどうしようもない弱者だったときの記憶。
魔王が生まれる、まさにその日のこと。
暗い森のなか、少年は呆然自失としていた。
目の前には、少女がひとり転がっていた。
彼女はひどく傷付いていた。
特に脇腹の傷は致命的で、内臓が零れてしまっていた。
血液はとっくに乾いて変色しており、手の施しようがなかった。
いいや。そうでなかったとしても、少年にはなにもできなかっただろう。
彼にはなにもできない。
できなかったのだ。
けれど、少女は違った。
こんないまにも死んでしまいそうな状態で、彼女はここまで森を移動して、そのうえで戦いに身を投じたのだ。
そして、ついには力尽きた。
結果として少年は生き残り、少女の命は尽きようとしていた。
生き残った少年も、遠からず死ぬだろう。
踏み躙られた彼には、生きるだけの意志が残っていないからだ。
少女の死には意味がない。
それが一番、少年にはつらかった。
「なんで、わたしが……」
そのとき、少女が呻き声をあげた。
苦しいのだろう。
悲しいのだろう。
憎いのだろう。
呪いの言葉が、その口からこぼれた。
「こんな世界、滅びちゃえ」
「……」
少女は世界を呪い、少年はそれを聞いた。
それは、魔王が生まれた日の話。
少年と少女の出会いは、さらにときを遡る。
***
きっと少女にとっては、なんでもない日常の一幕だった。
けれど、少年にとっては、運命を変えた出会いだった。
「なにをしてるの?」
柔らかい印象の声が耳朶を震わせたとき、工藤陸は自分が夢を見ているのだと思った。
口のなかには土の味。
疲れて萎えた手足には、打撲の痛み。
異世界転移からしばし経ち、コロニー建設が進みつつあった頃だった。
慣れ親しんだ世界から引き離された非常事態にあるにも関わらず――いいや、むしろそうであればこそ、弱者にその鬱憤や不安をぶつける者は現れる。
悪いことに、そうしたグループのひとつに、工藤陸は目を付けられてしまっていた。
不幸だったのは、そのなかに探索隊のウォーリアがひとりが含まれていたことだった。
探索隊のメンバーに正義感の強い者が多いのは確かだが、なかにはそうではない者もいた。
そうした者にとっては、弱者に鬱憤をぶつけるときに気を付けなければいけないのは、他の探索隊の仲間に知られることだけだ。
なんの力も持たない者が偶然見かけるようなことがあっても、なかなか注意は難しい。
学校という閉鎖空間では往々に起こりうる陰湿な事態が、この異常事態の特殊性も含めて、少年を追い詰めていた。
世界は暗く澱んでいた。
彼は諦めきっていた。
抵抗なんてもってのほか、救いも期待してはいなかった。
惨めで苦い、地べたを這いずる日々。
そこに、まるで奇跡のように少女は現れたのだった。
「もう一度訊くけど、なにをしてるのかな?」
少年よりも年上と見える少女は、ふわふわとした笑みを浮かべて立っていた。
女の子同士で、どこそこのスイーツが美味しいとかなんとか、お喋りでもしていそうな表情だった。
けれど、その前にあるのがひとりを威圧的に囲んだ五人の集団となれば、変わらない優しげな笑みは異様なものにも見えた。
「な、なんでもねえけど」
その場にいた唯一の探索隊メンバーが、震える口調で答えた。
動揺していたのは、ひとつには、うまく人目を避けていたのに見付かってしまったため。
もうひとつは、目の前の少女が何者であるのかをよく知っていたからだった。
「そう? だったら、んー、いいんだけど」
少女はゆるやかに首を傾げてみせた。
その手が、傍らに座る犬の頭を撫でた。
形だけはシェパードに似ているが、尋常な生き物ではないことはひと目でわかった。
全身が闇を固めたような真っ黒な物質で構成されていたからだ。
獣が小さく唸ると、その場にいる少女以外の人間が全員びくりとした。
それは、少年も例外ではなかった。
まったく、どうしようもないくらい、そのときの彼は弱かったのだ。
自分を助けてくれようとする人間にさえ、怯えてしまうくらいに。
「悪いけど、わたし、彼に用事があるんだ」
少女は気負った様子もなく言った。
「だから、あなたたちは行ってもらえるかなぁ?」
もちろん、用があるなどというのは方便に過ぎなかった。
だが、それを通す力が彼女にはあった。
集団が逃げ出すと、そこにはふたりだけが残された。
「……」
助けられた少年は、しばし呆然としていた。
先程まで自分をなぶっていた者たちを、あっさりと少女は追い払ってしまったのだ。
その立ち振る舞いは、あまりにも颯爽としていた。
いささか現実味がないくらいに。
夢のなかに出てくる魅力的な登場人物を見詰めるように、少年は少女に目を奪われた。
「……あ」
たっぷり十秒ほどそうしていて、少年は我に返った。
慌ててよろよろ立ち上がり、助けてくれた彼女に礼を言おうとして、口のなかの土が邪魔をした。
げほごほと咳が出た。
だから、危うく聞き逃すところだった。
「……くだらない」
あまりにも冷たい声。
まるで、先程までのふわふわとした雰囲気など嘘だったかのような。
聞き間違いかと思って顔を上げれば、そこに感情のない横顔があった。
それは、弱い者に暴力を振るう愚か者に対する、怒りや嫌悪の表れだったのだろうか。
少年にはわからない。
ただ、確かなのは、流れるように自分に向けられた視線もまた、冷たいものであったということだけだ。
再びビクリとしてから、どうにか口を開いた。
「あ、あの……先輩。ありがとう、ございま……」
「お礼なら要らないよ。わたしは、ゆっちゃんの代わりをしただけだし」
ゆっちゃんと言ったとき、ふっと表情が緩んだ。
すると、少女は元のふわふわとした雰囲気に戻った。
少年にはそれが誰のことなのかわからなかったが、きっと大事な人なのだろうと思った。
彼はほっとして、頭を下げた。
「それでも、助けられましたから。ありがとうございました。お強いんですね」
「そうかな?」
少女は首を傾げて、むしろ少年をしげしげと見詰め返した。
「そういうあなたは弱いんだね」
天然なのか、柔らかな口調で告げられた台詞は、思いのほか直球だった。
けれど、腹は立たなかった。
少女の口調に悪意がなかったのもあるが、事実として少年は弱かったからだ。
それをどうしようもないと諦めていた。
そんな自分自身には、価値がないと思っていた。
それを指摘されたところで、今更、悔しいとか苦しいとか思うはずもなかったのだ。
けれど、そんな彼に少女は言ったのだ。
「だけど、それでいいの?」
「……え?」
「弱いままでいいの?」
彼女にしてみれば何気なく。
ひょっとしたら、少年のこれから先を変えてしまうかもしれない言葉を。
***
これが、ふたりの出会いだった。
少女にとっては、なんてことのない出来事だっただろう。
だが、少年にとっては違った。
助けられた。
見惚れた。
問い掛けられた。
言ってしまえばそれだけの話だが、それだけで十分過ぎた。
気付けば、たまに見かける彼女の姿を目で探すようになっていた。
顔を合わせれば挨拶をした。
一応、顔は覚えてもらっていた。
わずかにやりとりをすることもあった。
もちろん、探索隊の二つ名持ちである彼女にしてみれば、彼はそのほか大勢のひとりでしかなかっただろう。
だが、それでよかった。
別に、少女と特別に仲良くなりたいと思っていたわけではなかったからだ。
少女は恩人だった。
そして、憧れの人だった。
少女は本当に強かった。
自分自身に価値がないと思えばこそ、少女の価値は本物だと思えた。
強烈に憧れた。
その感情が、奇しくもコロニー崩壊の日の運命を変えることになった。
***
「はぁ……はぁ……」
その日、わけのわからないままに、工藤陸は崩壊するコロニーを逃げ回っていた。
ほうぼうで悲鳴があがり、魔法の爆炎が頬に吹き付けた。
みんなで造りあげたコロニーが崩れていく。
暴力が恐慌を生み、恐慌がまた暴力を生む最悪の循環が、なにもかもを台なしにしていく。
周辺の安全は確保していたはずなのに、モンスターの咆哮さえ聞こえ出した。
ただただ、工藤陸は必死で逃げ続けた。
気付けば、彼は深い森のなかをあてどなく彷徨っていた。
死なずに済んだのは、運が良かっただけだった。
とはいえ、その幸運を掴んだのは少年自身だった。
当時の彼にとって、あまりにも悲惨なコロニー崩壊という出来事は、心が折れてしまってもおかしくないものだった。
逃げ続けることを諦めてしまえば、生き延びることは絶対にできなかっただろう。
けれど、そうはならなかった。
思い出すことがあったからだ。
――だけど、それでいいの?
――弱いままでいいの?
そう過去の彼女に問われるたびに、歯を食いしばった。
なんの力もない人間が樹海を歩くのは、筆舌に尽くしがたい恐怖の体験だ。
歩かなければどこにも辿り着かない。
けれど、歩いていればいつモンスターに遭遇してしまうかわからない。
それは、ひとつ弾の入った拳銃を、自分の頭に向けて引き金を引き続けるのに似ている。
昼でも暗い森のなかでは、目に映るすべての場所にモンスターが潜んでいるように見える。
そして、実際に遭遇したら終わり。
無残に殺される。
歩いている間ずっと、脳裏には死体となって転がる自分自身の姿がちらつくのだ。
この恐怖に堪えられるのは余程に精神力が強い者か、そもそも想像力がかけらもない楽観家くらいのものだ。
工藤陸はそのどちらでもなかった。
自分がどうして頑張れるのか、彼自身にもわかってはいなかった。
憧れに一歩でも近づきたかったのかもしれない。
まだ他に彼自身、自覚していない感情があったのかもしれない。
自分の感情を精査している余裕などあるはずもない。
ただただ、必死だった。
あと少し。
もうちょっと。
そうして日は落ちて、さらに次の朝がきた。
少年は生きていた。
たいした怪我をしていたわけでもないので、それなりに距離は稼げた。
モンスターには遭遇しなかった。
ただし、人里にも辿り着かなかった。
このままでは遠からず、野垂れ死ぬだろう。
そう予感した。
恐ろしくて仕方なかった。
けれど、同時にどこか満足感もあった。
虐げられるばかりの自分。
価値のない自分。
だけど、諦めずにここまで逃げてきた。
たとえなんの意味もなくても、少女にもらったあの言葉を切っ掛けに自分は変われた。
ほんの少しだけ、少年は自分にも価値があるように感じられていたのだ。
ここでただ力尽きたとしても、彼はどこかで満足して死ねたかもしれない。
あるいは、このまま人里にまで辿り着いたのなら、希望を抱いて紡がれる物語があったかもしれない。
けれど、そうはならなかった。
工藤陸は運がなかった。
「こんなところで会うなんてなぁ」
「あ……あぁ……」
遭遇したのは、モンスターでも現地の人間でもない。
自分を虐げる者たちだったのだ。
***
どうにかここまで歩き抜いてきた少年の体が、地面に引き倒された。
抵抗なんてできるはずがなかった。
あとは、これまでとなにも変わらなかった。
いいや。もっと酷かった。
コロニー崩壊を経験したことで、少年の周りを取り囲んだ彼らの箍は外れていた。
特に、ひとりだけいた探索隊のウォーリアは酷かった。
彼は弱者を虐げる気質があったものの、常時は殺人を嗜好するほど外れているわけではなかった。
しかし、いまや衣服は他人の血で汚れており、理性を失った目はただ刹那的な快楽と暴力だけを求めていた。
たとえどれだけ強大な力を持とうと、結局、彼はどうしようもなく弱い存在だった。
けれど、こうした人間がすべてを台なしにするのだ。
少年の胸に芽生えかけていた希望は、無残に踏み潰された。
ぐりぐりと靴裏で踏み躙られた。
変われたと思った。
けれど、駄目だった。
これから先、もはや二度と彼が希望を抱くことはないだろう。
「……」
暴行を受けた工藤陸は、ボロ雑巾のように打ち捨てられた。
楽しみを長引かせるためだけに、致命傷は避けられていた。
とはいえ、あと数分も暴力が続けば、死んでしまうのは目に見えていた。
意識は朦朧としていたし、精神的には死んでいたも同然だった。
「……?」
だから、なにが起きたのかは曖昧だ。
犬の鳴き声を聞いた。
遠吠えも聞いた気がする。
血が溢れ、絶叫が響き、暴力が駆け抜けた。
気付いたのは、すべてが終わったあとだった。
少年を傷付けていた者たちは五人いたが、そのすべてが獣に喰い散らかされた無残な死体になっていた。
そして、それを成し遂げた者は、虫の息で横たわっていた。
強烈な憧れの存在が、血と泥に塗れて倒れ、臓物をこぼれさせていた。
「あ……ぁあああ……」
あってはならないことだった。
憧れは地に落ちて、希望は無残に潰えた。
価値あるものは、なにもかもが踏み躙られた。
少年の絶叫が森を震わせた。
***
「そのとき、王は彼女の死体を検分した」
周りを急ぐ探索隊メンバーに聞こえないように、抑えた声でベルタは語った。
「怪我は受けてから時間が経っていた。コロニー崩壊のときに負って、重体ながら下手人から逃げ延びたのだろう。仇の情報はひとつだけ。持ち物のうちのいくつかには、異様に滑らかな断面で切断されたものがあった。彼女が受けていた傷と、同じ攻撃によるものだった」
「だったら、工藤は……」
「ああ」
ベルタは頷く。
「王はいまでも、その仇を探しているはずだ」
◆工藤回でした。やっと過去を明かすことができました。
本筋ではないですが、気付く人は「あれこの死体って……」と気付くかもしれないことがあったりなかったり。
本日の更新はここまでになります。
◆前回、ちょっと更新がゴタったので改めまして。
コミックス『モンスターのご主人様 ③』が発売となりました。
表紙は先月の書籍13巻に引き続きの加藤さんが目印です(ページの下に表紙があります 2019/2/2 時点)。
こちらも応援いただけましたらさいわいです。






