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41. 誇りなき裏切者

(注意)本日4回目の投稿です。(7/29)














   41



 狭い部屋だった。


 暮らしていくうえで不自由がないように、室内の調度は揃っている。

 だが、その一方で、分厚い扉には鍵がかけられており、窓という窓は鉄格子で塞がれていた。


 いっそのこと、見目の良い牢獄と言ったほうが、現実を表しているかもしれない。


 そんな部屋に、女がひとり虜にされていた。


 彼女は扉に開いた小さな窓越しに、廊下に立つ少年に言った。


「……すまない。本当に、すまない」


 女は窓に顔を見せなかった。

 だが、その声は明らかに湿っていた。


 それがどれだけありえないことなのか、少年はよく知っていた。


 強いヒトだった。

 憧れの女性だった。


 けれどいまは、彼女と彼女が率いた騎士たちの多くは、無力な人質の身の上に堕ちていた。


 同時に、彼女たちは少年を縛る首輪になろうとしていた。


 ……別に、そう不思議な話でもない。


 殺害してはデメリットが多い真島孝弘でさえ、かの組織は殺そうとしていた。

 であれば、彼女たちが例外である理屈はなかった。


「わたしのことはいい。お前は自由に生きろ」


 人々を守るために振るわれた剣は取り上げられた。

 誇りの証であった鎧は剥ぎ取られた。


 彼女にはもう、なにもない。


 だから嗚咽を堪えながら、こんなふうに願うことしかできなかったのだ。


 少年は血が滲むほどに強く、拳を握り締めた。


 自身の無力を呪い、無能を嘆いた。


 けれど、表面上はいつものように笑った。

 そうする以外に、彼は自分の大事なものを守るすべを知らなかったからだ。


「はは。そんなこと、できるわけないじゃないっすか」


 少年が決意したのは、このときだった。


「ごめんなさい。おれは、あなたを守ります」


 自分のなかの優先順位を定めた、と言い換えてもいい。

 大事なものを守るためだけに動くことに決めたのだ。


 ……もちろん、わかっていた。


 それはつまり、切り捨てるものを決めたということだった。


 言い訳なんてできようもない。

 本来なら決して切り捨ててはならないものを、少年は諦めたのだ。


 いまからもう、何ヶ月も前の出来事だった。


   ***


 オットマーに報告を行った鐘木幹彦は、人質である加藤真菜を連れて移動した。


 辿り着いた場所には、聖堂騎士団第一部隊所属の、エリナーをはじめとした騎士たちが待っていた。

 真島孝弘との再会の場で『モンスター討伐の際に一緒に戦う仲間だ』と紹介をされていた者たちだった。


「ああ。ここまででいいですよ。お勤めお疲れ様でした」


 オットマーの部下たちとはそこで別れて、鐘木幹彦はエリナーたちと合流した。


「よっす。首尾よくやってきたよ」


 へらへらとした笑顔を浮かべて手をあげる少年に、騎士たちから向けられたのは、見下げ果てた視線だった。


 当然といえば、当然のことだった。


 彼らは鐘木幹彦の事情を知っている。


 たとえば、これが『人質を取られて嫌々従っている』ということであれば、なにも思わなかっただろう。


 しかし、嫌々どころか、鐘木幹彦は教会にすり寄ったのだ。


 プライドのかけらもなく尻尾を振り、一挙一動におもねり、どんな命令にも従った。

 果てには、親友さえも売り渡した。


 信頼を裏切ったうえで、不意打ちで刺したのだ。

 そのうえ、彼の大事にしている少女を誘拐してきた。


 ここにいるのは、聖堂騎士団に所属するまっとうな騎士たちだ。

 鐘木幹彦の行いに眉を顰めるのは、当然のことだった。


 もっとも、軽蔑の目を向けられたところで、鐘木幹彦の軽薄な態度は変わらなかった。


「ああ。疲れた。エリナー、悪いけど拘束は頼んだよ」

「わかりました」


 唯一、エリナーだけは、無表情で応対していた。


 事務的に応じると、加藤真菜の身柄を受け取る。


 彼女は指示通りに荷物から道具を取り出すと、丁寧な手付きで手足を拘束していった。


「あと、エリナーには彼女の監視を頼みたいんだけど、いいかな」

「かまいません。確か、男性恐怖症なのでしたか」

「うん。そうそう。下手にパニックになって暴れられて、舌でも噛んだら大変だし、そうでなくても大怪我されるとね」


 鐘木幹彦は、肩をすくめてみせた。


「ほら。おれにとっては、大事な人質なんだ。くれぐれも、そこのところ、よろしく頼むぜ?」

「……はい」


 あくまで自分の都合を喋る姿に、周囲からの非難めいた視線は強まるばかりだった。


 鐘木幹彦は開き直ったように軽薄な笑みを浮かべ続け、エリナーは鉄面皮を崩さない。


 申し訳程度の敷物の上に、気を失った加藤真菜が寝かせられるのを見届けると、鐘木幹彦は踵を返した。


「それじゃ、おれは次の指示を受けに行ってくるから。あとは頼んだ」


 そのうしろに、この場に残ることになったエリナー以外の騎士たちが続いた。


 しかし、数分と経たないうちに、彼らは足をとめた。


「よお」


 正面からやってきた人物に、声をかけられたからだ。


 騎士たち全員がびくりとした。

 ただ声をかけられただけなのに、そこには聞く者を本能的に怯えさせるものが含まれていた。


「あれ? さっきぶりですね」


 鐘木幹彦は目を丸くした。


 通路の向こうから姿を現したのは、エドガールだったのだ。


 騎士たちの間に緊張が走るなか、鐘木幹彦は何事もなかったかのように応対をしていた。

 それは、彼の図太さの表れだったのかもしれない。


 眼鏡をかけた顔には、へつらう笑みが浮かんでいた。


「どうなさったんですか?」


 人によっては不快に思われるくらいに、卑屈な態度で尋ねる。


 もっとも、いまのエドガールはひどく危険な気配を撒き散らしていたので、そうした態度を取るのも無理ないことだったかもしれない。


 実際、同行する他の騎士たちは、表情を強張らせたままだった。


「おいおい。つれないことを言いやがるな。おれたちは仲間だろう。顔を見に来るくらい普通だろうが」

「……ああ。それもそうですね。失礼しました」


 言葉とは裏腹に、エドガールの声には親しさのようなものは皆無だった。


 それに対しても、特に疑問や反発を表すでもなく、少年はへらへらと追従した。


「……つまらねえ野郎だ」


 エドガールが顔を顰めた。


「あの神宮司ってガキは、骨があったもんだがな」

「はは。おれはただのガキですよ。同じ転移者っていったって、探索隊の二つ名持ちと一緒にされても困ります」

「ああ、そうだったな。お前はただのガキだ。それに、大したクズでもある。不意打ちで、真島のやつを刺してきたんだって? やったじゃねえか」

「ありがとうございます。でも、結局、殺し損ねましたからね。いやあ、面目ない」

「くだらねえことを言ってんじゃねえよ。お前も、わからねえわけじゃねえんだろ?」


 謙遜をする少年に、エドガールは舌打ちをした。


「……当初の計画は、失敗もいいところだ。必殺の罠を張っていたってのに、『万能の器』の野郎は目的の場所にやつらを移動させられなかった。本来なら『韋駄天』や『輝く翼』は、引き剥がしておくはずだったってのに、それも失敗しちまってる。そのうえ、考えもしなかった『魔軍の王』までいるってんだから、もう滅茶苦茶だ。切り札の『竜人』たちは『韋駄天』相手に切らなきゃならなかったし、『魔軍の王』の助力もあって、トラヴィスの化け物は撃破されちまった」


 こと戦闘に関しては、戦鬼の認識は的確だった。


 当初の計画では、飯野優奈もゴードンも工藤陸もこの場にはいないはずだった。

 真島孝弘とその眷属は、まず異界の生み出したモンスターのただなかに放り込まれ、疲弊したところを『竜人』やトラヴィスの成れの果てを含めた戦力で叩き潰す予定だったのだ。


 もしもそうなっていれば、ひとたまりもなかっただろう。


「あとは『万能の器』も死体が出たらしいな。近くにいたトラヴィスの化け物にやられたのか、モンスターどもに殺されたのかはわからねえが……休ませれば戦力になっただろうによ。まったく、誤算だらけだ。さすがは、数々の困難を乗り越えてきた『アケルの英雄』だけはある」

「まあ、しぶといのは確かですね」

「ああ。あいつはしぶとい。そんなあいつに、唯一、深手を負わせたのがお前だ。大金星だろうが。殺せなかったっていうのも、不意打ちをするためにひとりで動いてたんだから無理はねえ。それとも……ひょっとして、いまのは当てこすりのつもりか?」


 エドガールは目をぎらつかせた。


「前におれがやったときだって、殺せやしなかったからな」

「いえいえ! そんな、滅相もない! エドガールさんはひとりで奇襲したのはおれと同じですけど、眷属たちに邪魔されながらですからねえ。無防備なとこを襲って、殺し損ねたおれとは違いますよ。さすがは『戦鬼』ですね」

「はっ。言ってろ」


 慌てて弁明をする少年を、エドガールは鼻で笑った。


 とげとげしい会話だった。

 同行する騎士たちが取りなすこともなかった。


 荒んで乾いたやりとりは、彼らが決して仲間同士というわけではないことを示すものと言えた。


「世辞には興味ねえよ。気色悪い」


 エドガールはバッサリと言ってのけると、卑屈な少年を睨み付けた。


「なんにせよ、今回のお前の働きは大したもんだ。真島孝弘に深手を負わせたこともそうだが、そもそも、『万能の器』を送り込んだのもお前だろう」

「ええ。まあ、そっすね」


 今回の襲撃に際して、まず『万能の器』岡崎琢磨は、転移の魔法道具で真島孝弘の部屋に移動した。


 工藤陸によって、この魔法道具は斧に取り付けられて室内に投げ込まれたことが目撃されている。


 これを投げ入れたのが、鐘木幹彦だった。

 正確に言えば『エアリアル・ナイト』の異能を利用したかたちになる。


 他にも神宮司智也など、同じことができるだけの身体能力を持つ者はいたが、自分がやるのが確実だと鐘木幹彦が主張したのだ。

 そして、実際に滞りなく成功させてみせた。


「お膳立てをしたのもお前なら、初めて深手を負わせたのもお前だ。おまけに、人質まで取ってきた。誇れよ。これで、ますます上の覚えがよくなるんだろうからよ」


 エドガールは心底くだらなそうに言ってから、なにかに気付いたようにあたりを見回した。


「そういえば、人質の女はどうしたんだ」

「拘束してありますよ。まだ意識は取り戻していません」

「はっ。気を失ってるのか。くだらねえな」


 吐き捨てるように言ったエドガールの口元に、ふと獰猛な笑みが浮かんだ。


「……真島孝弘とずっと一緒にいたって女か。丁度いい。少し顔でも見させてもらうか」


 この場に加藤真菜の仲間がいたなら、蒼褪めたに違いない。


 あまりにも無防備な状態で、彼女は戦鬼の興味を惹いてしまったのだ。


 顔を見るだけならいい。

 だが、果たしてそれだけで済むだろうか。


 かつて我が身を顧みない執念で、真島孝弘を奇襲したのがエドガールという男なのだ。

 その仲間にどのような非道な行いをしたとしても、不思議ではなかった。


 そうでなくても、なにをしでかすかわからないような危うさが、いまのエドガールにはあった。


「お前らが来たのはそっちの方角だったな。ちょっと邪魔するぜ」


 危険な鬼が、無防備な少女に向かって歩を進め始める。


 しかし、鬼の歩みはそこで停まった。


「勘弁してくださいよ」


 困りきったような笑みを浮かべた鐘木幹彦が、行く手を遮っていたからだ。


 自然、鐘木幹彦とエドガールは向かい合うかたちになった。


 とはいえ、両者の立場は対等なものではなかった。


「あれは、おれの手柄なんです。わかるでしょう、おれの立場は。お願いですから、勝手なことはしないでください」


 鐘木幹彦は、あくまで下手に出た。

 それこそが、いまの彼の立場の表れだった。


「あんたは孝弘に恨みを持ってる。大事な人質に、下手なことをするかもしれません。おれはそれが怖いんです」


 理解を求める口調は、いかにも卑屈だった。


「だから、近付けるわけにはいきません。どうかこの通り、お願いします」


 抗議というにも弱り切った、懇願に近い言葉だった。

 まともな人間であれば、気が引けてしまうだろう。


 しかし、エドガールの反応は違っていた。


「はっ。それがどうした」


 一言で切って捨てると、再び歩を進めたのだ。

 たとえ誰に懇願されようと、頓着するような『戦鬼』ではなかった。


「どけ」


 エドガールは間に立った幹彦を、無造作に押しのけようとした。


 ここを通ってしまえば、もう邪魔をする者はいない。


 無力な少女は、危険な鬼の手に落ちるだろう。


 そのはずだったのだ。


「あん?」


 けれど、エドガールの歩みは再び停まることになった。


 正確に言えば、停止させられたのだった。


「なんのつもりだ、てめえ」


 エドガールは剣呑極まりない声をあげた。


 それも当然の反応だっただろう。

 彼の鼻先には、戦闘ナイフの切っ先が突き付けられていたのだ。


 宙に静止したナイフは『エアリアル・ナイト』で操られたものだった。


「……お願いですよ、ホント。やめちゃくれませんかねえ」


 少年の言動は、あくまで卑屈であり続けていた。


 しかし、空気はもはや明確に変化していた。


 表情からは笑みが抜けて、能面のような無表情になっていた。


 戦闘用ナイフは『エアリアル・ナイト』の異能で、いつでも切り付けられる位置にあった。

 空いた左手には、いつの間にか、コンパクトな手斧が握られていた。


 腰に下げていた魔法の道具袋から取り出されたものだったが、手品じみた手際の良さがあった。

 それだけ、扱いに習熟しているということだ。


 この近い間合いであれば、騎士剣を振るうより速いだろう。


「……へえ」


 初めて、エドガールが楽しそうに笑った。


「いいじゃねえか。悪くないぜ、お前」


 戦に酔う鬼の笑みだった。


「話には聞いてたが、『樹海の白い蜘蛛に認められた戦闘の才能』だったか。ああ。おれも認めてやるよ。大したもんだ」

「離れてください」


 対照的に、鐘木幹彦は醒めた態度だった。

 端的に告げる声は、丁寧ではあるものの、感情が欠け落ちていた。


 事態のまさかの急変に、周囲の騎士たちは反応すらできていない。


 いますぐにでも殺し合いが始まると、彼らは思ったかもしれない。


 だが、意外なことにそうはならなかった。


「……ああ。わかった。離れてやるよ」


 エドガールが、矛を収めたからだ。


「確かにそうだったな。お前が怒って当然だ。なにせ……そう、せっかくの『手柄』だからな」

「……あんた」


 鐘木幹彦にとっても、これは予想外だったのか、能面のようだった顔に怪訝そうな表情が浮かんだ。


 意図を探るように、眼鏡の下の目が細められる。


 対するエドガールは、相手の戸惑いに頓着などしなかった。


「ああ。おれだって『お前の立場』は知ってる。『手柄』を横取りされたり、台なしにされたりしたら大変だ。いまのは、そういうことなんだろう?」


 言葉だけでなく、実際にエドガールは退いてみせた。


 戦意はすでに霧散していた。


 まるで嵐のような気まぐれだった。

 とはいえ、エドガールがこうした行動を取るのは、これが初めてではなかった。


「……そうですね。その通りです。ご理解いただけたみたいで、ありがとうございます」


 鐘木幹彦も、元の調子を取り戻した。


 へらへらとした笑みを浮かべてみせる。


 これで手打ちだとお互いに示してみせるふたりの姿に、周囲の騎士たちはほっとした様子を見せた。


「それで、結局、エドガールさんはなにをしに来たんですか」


 そうした間隙に挟み込むようにして、鐘木幹彦は質問を口にした。


「まさか本当に、顔を見に来たってわけじゃないんでしょう」

「まあな」


 エドガールはにやりとした。


「伝言だよ」


 不穏で物騒な、鬼に相応しい笑みだった。


「おれとお前で、真島孝弘を迎え撃てって命令が出た。必要があれば、こっちから出ることもありえる」

「……へえ」

「今度こそ、確実に殺せってご命令だ。せいぜい気張れよ。お前の求めるもんも、そこにあるんだろう?」

「ええ。わかってますよ」


 幹彦もまた、口の端を笑みのかたちに歪めた。


 強い者に服従し、どんな非道でも為す、裏切者に相応しい卑屈な笑みだった。


「真島孝弘は、おれが殺します」


◆また一時間後です。


活動報告にカバー絵とキャラデザをを上げました。

よろしければ、この時間にご覧ください。

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