16. 喪失の黒、回帰の白
(注意)本日2回目の投稿です。(1/14)
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道がない。
工事で通行止めなんて、当たり前の理由ではない。
あくまでここはおれの世界なのだから、そんなことはありえない。
だからそういうことではなくて――ただ、道を含めたその一帯が黒く塗り潰されていたのだった。
まるで誰かが誤って、風景画に黒のインクを零したかのようだ。
もっとも、それは黒インクのように、光を吸収する黒ではなかった。
世界そのものが欠け落ちたがために生じた、あまりに寒々しい虚ろな黒色だった。
「なんだ、これは」
文字通りに、世界がここで途切れている。
存在しない。
そんなはずないのに。
「ここには確かに……」
高校に続く道があったはずだと。
そう言おうとして、気付いた。
……気付いてしまった。
毎日、通っていたはずの通学路。
なにげなく自転車で走り抜けていたとはいえ、馴染みのある風景。
それがどのようなものだったのか、おれはまったく思い出せなかったのだ。
だからこそ――これは『そういうこと』なのだと理解できてしまった。
「……それはそうか。ここは、おれの世界だからな」
もとより、そう認識はしていたのだ。
だから答えに行きつくことは、そう難しいことではなかった。
「記憶にないところは、欠け落ちてしまっているってことか」
以前にもサルビアに忠告されたことだった。
人のものだった魂が元のかたちを失って、目減りして、結果として取りこぼしてしまったもの。
おれの固有能力には、元いた世界の思い出を失う副作用がある。
その喪失が、この世界には反映されているのだった。
「旦那様……」
「サマー?」
気遣うように、ふたりが呼びかけてくる。
おれは小さく苦笑を零した。
笑えていた、はずだ。
「サルビアは、知っていたんだな」
さっき『あまり遠くには行っていないのか』というおれの質問に、サルビアは少し引っかかる反応をしていた。
あの反応は、これを知っていたからなのだろう。
彼女は遠くに行かなかったわけではない。
行けなかったのだ。
この世界は、きっと思いのほか狭い。
欠けて、失われて、壊れてかけている。
これまで通って来たのが馴染みのある道だったから、異変がなかっただけのことで、一歩そこを外れれば、きっとそこにはなにもない。
実際、毎日通り過ぎていたはずの通学路でさえ、この有様だった。
わかっていたことだった。
覚悟していたことだった。
ただ、このようにわかりやすく示されてしまえば、まったくなにも感じずにいるほど、おれは強くなかった。
喪失された記憶は、黒く世界を塗り潰す。
この黒が世界をすべて覆ってしまったとき、おれはどうなってしまうのか。
それを予感してしまうのに、目の前の光景は十分過ぎたのだ。
「……」
だけど、やっぱりそれは覚悟していたことではあった。
だから、一拍だ。
おれが凍り付いていたのは、たったそれだけの時間のことに過ぎなかった。
けれど、その間に動く者があったのだ。
「大丈夫よ、旦那様」
そう言って、サルビアがおれの前に出た。
軽やかな足取りだった。
目の前の寒々しい光景など、気にも留めていないかのようだった。
彼女はその場に屈みこんだ。
伸びた女の指先が、失われた地面に触れた。
「なにを……」
尋ねかけたところで、その現象は起きた。
「霧が……?」
サルビアの体から霧が生じていたのだ。
霧は渦を巻いて広がり、濃さを増していく。
それと比例して、魔力の気配が高まっていく。
そして、ある程度広がると、今度は逆に集束した。
その中心で地面に手を突くサルビアが口を開く。
「……最高位の幻惑の魔法は世界そのものを欺き、現実を書き換える」
失われた地面に触れたサルビアの手元に、白い霧が集められていく。
「それこそが『霧の仮宿』。その権能をここに示しましょう」
集まった霧の白色が、黒く失われた世界を埋めていく。
それと同時に、霧は景色に置換される。
失われたものが再構築される。
まるでそれは……夢のように。
「こんなものかしら」
サルビアがつぶやき、立ち上がったときには、道は再構築されていた。
市役所裏の広場の前に街路樹が並び、それに沿って道が延びている。
そうだ。こんな光景だった。
そして、そう思ったところで、自分の記憶が戻っていることにおれは気付いたのだった。
「……どうして」
「こんなことができるのか、かしら」
サルビアは両手を後ろ手に組んで、こちらを振り返った。
「違うわよ、旦那様。わたしはもともと、こういう存在よ」
そういえば、さっきもそんなことを口にしていたか。
出会ったときに、彼女の性質について説明は受けていた。
ありえない願いを現実にする魔法――それこそが『霧の仮宿』の異界だ。
だとすれば、これは確かにサルビアの本分であったのかもしれない。
「なんて、ちょっと格好付けちゃったかしら」
サルビアは照れた笑いを浮かべた。
「白状すると、いつもこんな楽にできるわけじゃないのよ。今回のは旦那様にとって馴染み深い場所だったから、そのぶんだけ簡単だったの。現実の世界と違って、こうして一度作り直して――ご主人様が思い出してしまえば、世界は固定されるしね。普段は安定するまで待たなくちゃいけないんだけど、今回はそれも必要ないみたい」
その告白は、ある事実を示唆していた。
「……ひょっとして、これまでもこんなことを?」
可能性に思い当たって、おれはサルビアに問い掛けた。
「ここのところ、顔を出さずにいたのはそのせいか」
欠けたものを元の形に。
失われたものを再生させて。
壊れゆくものを喰いとめる。
だけど、そのためには相応の魔力が必要だ。
もしも彼女がこの世界の修復をしていたのなら、溜め込むべき魔力なんて即座に消費されてしまっていたに違いなかった。
「おれのために……」
「駄目よ、旦那様」
言いかけたおれの言葉を、サルビアは遮った。
じっとこちらを見詰める眼差しが、おれの目を優しく縫いとめた。
「そんなことを言わないで」
かけられた言葉には、それ以上を言わせない不思議な力があった。
おれが静かになったのを確認して、サルビアは微笑んだ。
「これは、わたしが好きでやっていることなんだから」
そう言った彼女の表情があまりに満足そうなものだから、これがさっき言っていた『傍観者ではない』という言葉の真意なのだとわかってしまった。
「ねえ。アサリナちゃん」
「サーマ」
仲良くアサリナと顔を合わせて、零れるように笑う。
おれはなにも言うことができなくて――そのときだった。
「美しいね」
声がしたのだ。
それはまるで深淵から届いたかのように、背筋を凍り付かせる響きを伴っていた。
***
完全に油断していた。
だって、ここはおれたちの世界だ。
何者もいるはずなどなかった。
だから、あるいは、その衝撃は頬を唐突に殴り付けられるのに匹敵したかもしれない。
「互いを想い合う絆の純粋さがゆえの強さ。なるほど。ここまで至れたのも頷ける」
聞き覚えのない青年の声が届いた。
この世界で聞くはずのないものだった。
「なっ」
慌てて振り返ったおれたちを、緑の瞳が見返した。
「お前は……?」
焦げ茶色の髪をした青年が、サルビアが修繕した道の向こうに立っていた。
つい先程まではいなかったはずだ。
異常事態だった。
「どうしてここに、他の人間が!?」
咄嗟におれは腰の剣を抜き放った。
この世界に入れるのは、おれの眷属だけだ。
過去に例外はひとりきり。
トラヴィス――『霊薬』によって怨霊と化した男だけだった。
「お前はなんだ!」
剣の切っ先を突きつける。
アサリナは牙を剥き出しにして威嚇の声をあげ、サルビアはなにがあってもいいように霧を漂わせる。
目の前の青年は、あのときの腐って溶けたようなトラヴィスの様子とは違っている。
だが、だからといって、警戒を解けるわけもなかった。
現時点で、こいつはおれたちの内側に土足で踏み込んでいるのだから。
けれど、青年はそんなこちらの態度をまったく無視した。
「お前はここまで来た。なんの助けもなしに。短い間に、これでふたり目だ」
話し掛けてくる口調は平静なものだ。
こちらの緊張とは対照的に、青年は自然体だった。
だからこそ、どこかが噛み合っていない。
その感覚が気味悪い。
ますますおれは警戒心を強めるが、やはり青年は頓着しなかった。
「まったく、驚くべきことだ」
一方的に語り掛けてくると、青年は初めて表情を変化させた。
「お前は面白い」
笑ったのだ。
だからといって、もちろん、友好的な感情なんて湧いてくるはずもない。
「……お前は、なんだ?」
おれはかまえたままで、青年を睨み付けた。
青年は笑顔を引っ込めた。
「いずれわかる」
「なにを……」
「いまは、まだ」
そう言うと、青年の姿が掻き消えた。
狐につままれたような気持ちで、おれは立ち尽くした。
わけがわからない。
薄気味の悪さだけが残っていた。
すると、ふっと意識が遠くなった。
「時間ね」
サルビアがつぶやき、世界が遠ざかった。
それはつまり、この世界からの離脱を意味していて――。
***
――目覚めた瞬間、おれは上半身を跳ね起こした。
「先輩?」
声が聞こえた。
顔を上げてみれば、ベッドの脇に立った加藤さんがこちらを見詰めていた。
「大丈夫ですか、先輩。うなされていたようですけど」
どうやら睡眠中のおれがうなされているのを見て、様子を見に近付いたらしい。
あたりを見回せば、次々と起き出したみんながこちらを心配そうに見詰めていた。
「どうかした、ご主人様?」
一緒に寝ていたリリィが身を起こすと、伸ばした手を額に当ててきた。
汗で少し湿った額に、掌の低い体温が心地良かった。
「悪い夢でも見たの?」
「……」
そうだと言えたらよかっただろう。
「サマー」
そこで、アサリナが鳴き声をあげた。
おれは溜め息をついて、口を開いた。
「サルビア?」
「……ここにいるわ」
白い霧からサルビアが現れる。
目が合うと、彼女は頷いた。
ということは、あれは夢というわけではやはりないらしい。
溜め息をついて、おれは告げた。
「みんな、話がある」
***
今回の件については、すぐに情報を共有した。
おれの内面世界に対する侵入者――トラヴィスのことがあるので警戒すべきだが『霊薬』を使われた心当たりはないし、体調も悪くなってはいない。
そもそも、あのときとは違って、自分の内側に何者かを感じてもいない。
確実なことは言えないにせよ、一時的な接触と考えたほうが納得がいった。
「精神に干渉するような能力持ちによるなんらかの介入……といったところでしょうか。チート持ちの転移者なのか、恩寵の愛し子なのか、あるいは勇者の遺物によるものなのかはわかりませんが」
というのは加藤さんの意見だったが、おれも同意だった。
一応、あの場で顔を合わせたのは異世界の住人らしかったが、それも本当かどうかはわからない。
ただ、精神干渉能力といえば、最初に思い付く存在がある。
チリア砦襲撃事件に関わっているほか、高屋純にも接触していた能力者――『天の声』だ。
「だが『天の声』が能力を発揮するためには、対象への接触が必要なはずだ。少なくとも探索隊の話ではそうだったな?」
「ええ」
これは飯野が請け負った。
「岡崎くんの証言ね」
「信用できるのか?」
尋ねてみると、飯野は当然のごとく頷いた。
「岡崎くんの能力は『他人の異能を扱える』ってものだからね」
さらりと告げられた事柄は、にわかには信じられない類のものだろう。
とはいえ、当然、探索隊と接触するにあたり『万能の器』を含めた探索隊の二つ名持ちの固有能力について、飯野はもちろん島津さんにも話は聞いている。
それが事実であることは揺るぎなかった。
「『万能の器』か」
岡崎琢磨には、他の異能者の能力が扱える。『天からの声』もだ。
だから能力の詳細についてもわかる、ということらしい。
とはいえ、それと岡崎琢磨が本当のことを言っているかどうかは、また別の話ではあるが。
まあ、そこは信じるにしても、コロニー時代、まだなにも知らない頃のおれが『天からの声』と接触していなかったかどうかもわからない。
可能性はありうるのだ。
そして、もしもあれが『天からの声』だったのだとしたら、一方的に話された内容も解釈はある程度可能だった。
――互いを想い合う絆の純粋さがゆえの強さ。なるほど。ここまで至れたのも頷ける。
つい昨日、おれはようやく帝都に到着したばかりだ。
場所という意味でもそうが、眷属たちと一緒に穏やかに暮らすという目的に到達するまでも、遠く険しい道のりだった。
多くの障害を乗り越えて『ここまで至れた』のは、眷属のみんなのお陰だ。
あれがそういう意味だとすれば、言っていることは理解できた。
――お前はここまで来た。なんの助けもなしに。短い間に、これでふたり目だ。
こちらは意図が取りづらい。
だが、たとえば、転移者の助けのことを言っているのならわからなくもない。
飯野や島津さんの協力はおおっぴらにしていることではないので、もしも『天の声』が探索隊の外に出ているなら知らないだろう。
ふたり目というのはわからないが、あの不審者が注目している何者かが帝都にまで来たのかもしれない。
――お前は面白い。
そして、この最後の台詞だ。
チリア砦襲撃を手引きし、高屋純をそそのかした『天の声』の手腕は、どこか愉快犯的なものが感じられた。
そういう点で言えば、あの謎の人物とは共通点がある。
無論、そうではなくて、最悪、なにか適当な言葉を並べ立てていただけという可能性もあるが……なんにしても、警戒をしておくに越したことはない。
おれはみんなと相談したうえで、聖堂騎士団にも今回の件について報告することにした。
とはいっても、なにか実害が出たわけではない。
眠っている間の出来事だということもあり、悪い夢でも見たのではないかと思われても仕方のない状況だ。
まともに取り合ってくれるかどうかは五分と考えていたし、注意を喚起することができればいいというくらいに考えていた。
だが、思いのほか、騎士団の反応は良かった。
「ご安心ください。ただちに対処いたしましょう」
早朝からやってきてくれたゴードンさんは、おれのいうことを信じてくれるだけではなく、即座に動き出してくれた。
「精神干渉を妨害する魔法道具をお出しいたします。お部屋に設置することで、外部からの精神干渉を遮断することができるでしょう」
「そんなものがあるんですね」
さすがは世界最大の宗教機関。様々な魔法道具を持ち合わせているらしい。
「手続きが終わり次第、夕方には運び込みます。加えて、警備体制の再度の見直しも行いましょう」
ゴードンさんはこう請け負ってくれた。
むしろ安全性については、より確固たるものになったと言えるだろう。
***
「さて。それじゃあ、朝食にしませんか」
ゴードンさんが帰ったところで、加藤さんが提案した。
「腹が減っては戦はできないと言いますし、考え込んでばかりいても仕方ありません」
「そうだな」
不可解な出来事ではあったが、あまり気にし過ぎていても仕方がない。
というのも、なにかされたわけでもないし、なにかをされる可能性も低いからだ。
おれはあのトラヴィスと、勇者の遺産『霊薬』を打ち破った実績がある。
あの世界でおれに害を与えようとすれば、あれ以上の侵食能力が必要だが、そこまでの脅威となると勇者でもほとんどありえないレベルになる。
実際、そんな脅威は覚えなかった。
あれが『天からの声』だったのだとすれば、甘言に惑わされるようなことがないようにだけ心掛けておけばいい。
……まあ、ちょっかいをかけられたのだとすれば不快ではあるが、聖堂騎士団のお陰で対策も打てている。
嫌がらせをされたのだとしたら、気にしていればそれこそ思うつぼだ。
おれたちは予定通りに英気を養うべきだろう。
そう決めて朝食を摂り、ゆっくりすることにした。
ロビビアがちょっとぴりぴりした様子だったので、かまってやりながら時間を過ごしていると、エレナーさんたちと一緒に幹彦がやってきた。
「聞いたぜ、孝弘。大丈夫か」
「問題はないよ」
「そっか。なら良かった」
幹彦はまずおれを気遣い、問題がないと知ると屈託ない笑みを見せた。
「それじゃ、午前中は空いてるって話もまだ生きてるかな?」
「そっちも大丈夫だ。幹彦が来るって聞いてるから空けたままだ」
「よしっ。だったらさ、ちょっと付き合ってくんない?」
「いいけど、なにに?」
尋ねると、幹彦はにやっとした。
「ほら。昨日、なにもなければリリィさんとかローズに相手してもらって、体を動かそうかと思ってたって言ってたじゃん」
ちょっと駅前まで遊びに誘うような口調で言う。
「その相手、おれがやるってのはどうかな?」
◆告知です。
2週間後に書籍11巻が発売になります。近日中には、表紙も出るものと思います。
応援いただけるとさいわいです。
書き下ろしとしては、
開拓村でのエピソードがところどころに挟まれていますので、お楽しみに!






