ワイバーンの塩ラーメン5
峡谷の風が変わった。熱い息が、谷底から逆流してくる。
ワイバーンは翼を広げたまま、岩肌に爪を引っかけてこちらを見下ろしていた。喉の奥が赤く灯り、次の火炎を溜めているのが分かる。
だが、リプイはもう怯まない。
足元に張ったマハソールの膜が、地面の形にぴたりと馴染んでいた。砂が沈む場所も、石が浮く場所も、全部まとめて“道”にしている。
その上でリプイは、もう一枚――今度は胸の高さに、薄い壁を立てた。
膜が“面”になって、三人の前へスッと伸びる。
「……来ても、通さない」
言い方は淡いのに、声は揺れていない。
ワイバーンが口を開いた。
『ゴォォ……!』
火炎が放たれる。
熱の塊がぶつかった瞬間、マハソールの壁が白く光った。
火は、壁の表面で砕けて散り、峡谷の横へ流されていく。爆ぜた火花が岩を焦がし、乾いた音がいくつも跳ねた。
――防いだ。
リプイは直ぐに杖先を地面へ向けた。
壁が、地面に沿って伸びる。
そして、宙を舞う、ふわっとした砂が急にまとまった。
「足場……?」
シュリルが目を見開く。
「道を作ったの。かまして来なさい!」
シュリルは笑みを浮かべると、足場に向かって飛んだ。
狙いはデカい所じゃない。胴でも喉でもない。
欲しいのは――“鈍り”だ。
ワイバーンの目。
あの視界が揺れた瞬間、巨体は一拍遅れる。
砂を踏む。沈む。嫌な沈みだ。
でもシュリルはそこで止まらない。膝を落として、沈んだ分だけ力を溜める。
『ドンッ!』
跳ねた体ごと、腕がしなる。
その反発が、拳の芯に一気に集まった。
「弾力筋砲!」
『バァンッ!』
拳がワイバーンの“目”へ叩き込まれた。
硬い鱗の音じゃない。
ぬるい水袋を潰したみたいな、嫌な破裂音。
ワイバーンの首がねじれ、巨体が空中でふらついた。
片目が瞬きすらできずに固まり、翼が一瞬だけ、上下のリズムを失う。
『ギャァァッ!』
叫びが谷に反響する。
ワイバーンは反撃に出ようとした。
喉がまた赤く灯る。翼で体勢を戻し、首を振って火を――
でも、動きが“すぐ”には繋がらない。
目の衝撃が効いている。
視界が揺れて、距離感が狂っている。
首を振った分だけ、軸が遅れる。
翼を広げた分だけ、風が乱れる。
そこへ――
シュリルが、もう一歩入った。
今度は叩き落とすために。
『ドンッ!』
跳ね上がった体が、ワイバーンの胸元へ重なる。
「二発目、行くぞ!」
腕がしなる。
反動が拳へ集まり、今度は“押し潰す”力になる。
「弾力筋砲!!」
『バァァァンッ!!』
衝撃が、ワイバーンの内部に通った。
鱗じゃなく、骨じゃなく、“中身”が揺れる。
ワイバーンの翼がばたつき、空中で大きく体勢を崩す。
浮いていた巨体が、落ちる。落ちる。落ちる。
『ドォォンッ!!』
砂と岩が跳ね上がった。
地面が震え、谷の空気が一瞬だけ止まる。
ワイバーンは倒れた。
いや、倒れただけじゃない。
“息を整える時間”すら、奪われている。
首がぴくりと動く。喉が赤く灯りかける。
でも、その動きが遅い。視界がまだ戻っていない。
――勝負は、今。
シュリルの二発目の衝撃で、焦げた翼膜の端がびりっと裂け、薄い破片がひらりと宙を舞った。
龍拓は反射でそれを拾った。
そして、迷いなく――口に入れる。
「……」
ごくん。
リプイは一瞬だけ目を見開いて、すぐにため息を落とした。
呆れたまま俯く。
(今それやる?)
龍拓は喉の奥に残った熱を確かめるみたいに、短く息を吐いた。
「……うまい! 味は鶏っぽくて、皮の香ばしさが強い。脂は少ないけど、旨味が鋭い」
焦げの香ばしさの奥に、脂の甘み。
噛めば噛むほど、出てくる旨み。
龍拓の目が、戦場でありえない輝きを放っていた。
ワイバーンが地面で暴れようとする。
翼が片方、うまく動かない。
目が揺れて、狙いが定まらない。
龍拓はヘレスケスを握る。
『ブゥン……』
吸われる感じはない。
力を制御できている”。
「……早く捌きたい!」
龍拓は踏み込んだ。
暴れる首の“付け根”へ、刃先を滑り込ませる。
『シュパンッ!』
首が落ちる。
ワイバーンの暴れが、嘘みたいに止まった。
シュリルが一拍遅れて目を丸くする。
「……今の動き、昔のヤーハンみたいだったぞ」
龍拓は落ちた頭を見下ろして、目を輝かせた。
「やっと“仕込み”に入れる……!」
シュリルが口を開けたまま固まっている。
リプイも、言葉が出ない。
「あ、証明品を先に取らないと」
龍拓は思い出した様にワイバーンの翼へ回り込み、折れた翼膜の端を掴む。
『ビリィッ』
薄い膜が、硬い鱗の縁から外れた。
龍拓が頭部へ近づき、顎を開いてヘレスケスで牙を切断した。
「鱗も牙も取れたぞ」
リプイが短く頷く。
「これで“討伐証明”が手に入った……」。
シュリルが拳を握る。
「……借り、返したな」
リプイは一度だけ目を閉じて、すぐ開いた。
「うん。――でも、まだ終わりじゃない」
龍拓はもう次を考えていた。
(巣があるなら、食材が増える)
その目が、峡谷の奥へ向いた。




