ワイバーンの塩ラーメン4
ギルドを出た三人は、そのまま大通りを外れて西へ向かった。
町の喧騒が背中に遠ざかるほど、風の匂いが乾いていく。
「……西の峡谷帯、ってどのくらいかかる?」
龍拓が歩きながら聞く。
「半日ってとこだ」
シュリルが即答した。
「走ればもっと早い」
「走らない。私の胃が死ぬ」
リプイが即座に釘を刺す。
「じゃあ俺が背負えば――」
「やめて。前回それで酔った」
龍拓が淡々と言うと、シュリルは「ちぇ」と口を尖らせた。
町の端、石の水路の先に小さな露店が並んでいた。
リプイが足を止める。
「ここ、最低限の補給だけする」
「何買う?」
「包帯。止血剤。……あと、水袋」
リプイが指を折る。
「ワイバーンは火を吐く。焼けるのが一番厄介」
龍拓は頷き、露店の木棚から塩と酒の小瓶も追加で取った。
リプイが眉を寄せる。
「……それ、何に使うの」
「下処理」
「今は戦いに使うものだけ買いなさいよ!」
「戦いの後に回収もある」
龍拓はさらっと返す。
「翼膜、熱で縮む前に処理できたら勝ちだ」
リプイが一瞬だけ口を開けて、閉じた。
「……もういい。好きにして」
会計を済ませると、三人は西の道へ戻った。
街道は次第に細くなり、足元の石が土に変わる。
視界の先に、山の裂け目みたいな黒い谷が見え始めた。
「……あれが峡谷か」
シュリルが目を細める。
その時、風が変わった。
強い――というより、向きが定まらない。頬に当たったと思ったら、次の瞬間には背中を押す。
「うわ、落ち着かない風」
龍拓が目を瞬かせる。
「言われた通りね」
リプイが地面にしゃがみ、土を指でつまむ。
粉がふわっと舞って、すぐ上へ吸い上げられた。
「上昇気流……谷底の熱」
リプイは立ち上がり、先を見た。
「火が乗る。吐かれたら、普通より広がる」
「じゃあ避けりゃいい」
シュリルが軽く言う。
「避けるための“足場”を作る」
リプイは淡々と言い切った。
やがて、黒い石柱が見えた。
崩れていない。人が触らない場所の“印”みたいに、無言で立っている。
「これが目印」
リプイが石柱の根元へ近づく。
龍拓は周囲を見回した。
谷へ続く道は一本。左右は岩壁。上は狭い空。
確かに、ここを越えたら戻るのに手間がかかりそうだ。
「張るなら、ここが起点」
リプイが杖を握り直す。
呼吸を一度落としてから、手のひらを地面に向けた。
「癒しのバリア《マハソール》」
淡い光が、ふわっと広がった。
でも“ドン”と張る感じじゃない。
薄い膜が、地面の上を滑るように伸びていく。
石柱から峡谷の入口へ。
さらに、岩壁の縁に沿って――細い道筋みたいに光が走った。
「……道に、膜ができてる」
龍拓が小さく言う。
シュリルが足で試すように踏んだ。
『コツッ』
硬さはない。けど、滑らない。
ふらつく風に押されても、足が“戻る”。
「おお。踏ん張れる」
シュリルが笑う。
「これ、いいじゃん」
リプイは息を吐いた。
肩で呼吸はしているが、前みたいに崩れない。
「“薄く伸ばす”のがコツ。厚くすると勝手に疲れる」
「……できるようにしたって言ってたな」
龍拓が言うと、リプイは目線だけで頷いた。
「今度は、下を向かない」
声は小さい。
でも言い切っていた。
峡谷の入口に立った瞬間、温度が変わった。
熱い。肌に直接触る熱じゃない。足元からじわじわ上がってくる熱。
「これ、下が熱源か」
龍拓が短く言う。
「そう。谷底が“息してる”感じ」
リプイが杖を握り直す。
「油断すると、火が一段増す」
シュリルが首を鳴らした。
『ゴキッ』
「なら、さっさと倒して帰ろうぜ」
その言い方が軽いのに、目だけは重かった。
リプイが横を見て、短く言う。
「……借り、返すんでしょ」
「ああ」
シュリルの返事は一言だけ。
龍拓は二人の間の空気を、邪魔しないように歩いた。
その代わり、目だけで周囲を拾う。
岩壁の擦れ跡。黒い焦げ。乾いた骨。
「……この辺、焼けてる」
龍拓が言うと、リプイの目が細くなる。
「巣が近い」
シュリルの声が落ちる。
その時だった。
峡谷の奥から、低い羽音が響いた。
『バサァ……バサァ……』
風が一瞬、止まる。
次の瞬間、上から影が落ちた。
岩の縁――頭上。
黒い翼。裂けた膜。
燃えたような鱗の匂い。
リプイが息を止める。
シュリルが拳を握る。
龍拓は、ただ一度だけ目を細めた。
ワイバーンが、ゆっくり首を伸ばしてこちらを覗き込んだ。
『ギロ……』
「……来た」
シュリルが、低く言った。




