第五十五話 混沌の御使い(2)
新たな骸に宿りし“骸渡りのトリストロイ”――。
その姿は、まず頭部がつるりとした白い円柱状で、縁に紫光が走るシルクハットのつばのようなものが生え、下方には縦長のスリットが存在する。
体は、黒く爛れた樹木の根が寄り集まって人型をなしたもので、合間に白濁した粘体まで絡みついていることから、奴こそがトリストロイで間違いない。
全長は五メートル。体はあくまで樹木なものの、盛り上がった様は筋骨隆々の巨漢にも見え、漂う腐敗臭は鼻をもぎ取りたくなってしまうほど。
そして、その背には枯れ枝が形づくる翼が生えていて、もはや何を模してそうなったのかすら俺には理解ができなかった。
少なくとも、あんなものが人であっていいはずはない。
【えベッ、マえンッ、おママま、ほシッ、おマえっ、オデ、ホしいンッ】
「余は誰のものでもない。力づくであろうと奪われはせぬ」
【グげっ、ヨよこセッ、オまえっ、オデ、デ、もノッ、よこで、セッ】
その吐き出される歪な音は、たしかに頭部のスリットから漏れている。
「皆の者、呆けるでない! 奴こそが“骸渡りのトリストロイ”ならば、我ら臆さず混沌の異形であろうと何者よりも果敢に討滅せしめようぞ!」
「おおっ! ニオ姫さまの御前、一の騎士ベルクが推して参る!!」
「む、むむ無理ですよぉっ! あんなの、聞いてないぃっ!」
「怖がらないで、あたしたちが守る」
異形を眼前にして、ツキウミは臆病風に吹かれているようだけど、ベルクとイースラはすぐにも気勢を整えて臨戦態勢を取った。
「アエカ」
「……」
「アエカッ!!」
「はいっ!?」
「トリストロイの様に心当たりがあるのであれば、話せ」
「そ、それは……」
「話せ! 何があろうとも、余がなんとかする!」
アエカは彼女らしくなく動揺している。
表情を歪ませ、明らかに何かを知っている。
「あれは……あれは……」
「大丈夫だから」
「……混沌の御使い、偽神“アルコーン”です」
「アルコーン……?」
配信コメント欄もにわかにざわつく。
「本来であれば、第三層に封じられていた存在です……。それがなぜか、“骸渡りのトリストロイ”の骸渡りの対象となり、いまここに現出した……」
「それは、たしかなのか……?」
「トリストロイが知性を獲得していることからも確たる事実です……。いったいどうして、封印から解き放たれたのか……。まだその時は……」
「アエカ、しっかりしろ! おまえが頼りなんだ!」
「はっ、はいっ!? おじっ、ニオさまっ!」
心あらずに答えていたアエカを、俺は彼女の頬を押さえて一喝した。
すると混沌から呼び戻されたかのように、ようやくはっきりと返事をする。
トリストロイとはすでに戦闘がはじまっていて、イースラが遠間から矢を放ち、ベルクが盾で奴の樹腕を受け止めているところだ。
何かあるのなら、戦うか撤退するかを迅速に決定しなければならない。
「教えてくれ。いまの段階で、我らが対峙することのできる相手か? もしも放置すれば、ユグドウェルはどうなる? 頼む、教えてくれ」
「危険、です……。本来なら、あれはレイドボス以上の存在ですから、スキルと装備を整え、数百人規模のアライアンスを組織してようやく……」
「なら……」
「ですが、こうなってしまった以上、あれは地上を目指すでしょう……」
「――っ!!」
「地上に出てしまえば、ユグドウェルは人の住めない地へと汚染されてしまいます。まだ傷の浅いうちに人と町を移すことはできますが、それだって、あれが復活してしまった以上はいずれ侵蝕されるのです……!」
「なら、どうすれば……」
そんな奴が、なぜいまのタイミングで復活したのか。
アエカの言うとおり、まだ発展途上の町を放棄することはできる。
だけど、数百人を連れて移動できる距離には限度があり、どうしようとも追跡されるのなら、どこかで迎撃しないと行き場を失ってしまうんだ。
ムーシカやロジェスタにティコ、それにトーレや多くの領民の顔が浮かぶ。
彼らを守っての撤退戦となれば、多くの被害が出てしまうのも必定。
ならどうすれば、俺はニオとしていったい何をすれば……。
『これ、まずくね?』
『三層のボス?が二層にっておかしいよな?』
『何が起きているんです?』
『ルール違反だけど、増援を呼びかけたほうが』
『ユグドウェルがなくなるのは嫌だな……』
『でも近くにいるのはあいつしか……』
『俺たちじゃ間に合わん……』
『どうする……?』
俺は、俺たちは、必死に考える。
何ひとつ失わずに事態を収束させる方法を。
どうしてこの状況なのか、それを考えるのはあとだ。
「どうするもこうするもない……」
「ニオ……さま……」
『ニオさま?』
『なんか雰囲気変わった?』
『なになに、どうした?』
「不測の事態、それがどうしたというのだ……」
『……?』
「悩む暇があるのなら、まずは剣を掲げるのが先であろう……!」
『……っ!!』
「我らは勇猛果敢な世界を切り拓く者ぞ……! 守るべき者がため、いかな不条理だろうと、いかな神理だろうと、己が力で打ち砕くのだ……!!」
「ニオさま……!」
『ニオ姫さま……!』
『やだ、イケメン……』
『濡れた』
『画面越しでも超怖いのに、まじか』
『やっぱこっちのニオ姫さまも好きぃっ!』
『そうでなくっちゃなあっ!』
俺は怖気を無理やり心の奥底にしまい、特大剣を天へと掲げる。
「刮目せよ! 余が“輝竜種の姫”なるぞ!!」
『『『うぉおおおおぉぉぉぉおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!』』』
自らを奮い立たせる口上は、配信も盛りに盛り上げた。
それでも、異形となった“骸渡りのトリストロイ”から放たれる気配は、この場で腰を抜かしてしまいそうなほどに恐ろしい。
そうだ、おかしい……。
おぞましい“気配”までを再現している、この世界……。
ゲームだと疑わずにいるプレイヤーたちに、それも配信画面越しに、そうした“気配”までを伝搬させることは本当に可能なのか……。
やはりこの世界は、アエカの異常な動揺は、おかしい……。
核心を疑うことで、圧せられた心は徐々に冷静さを取り戻していく。
掲げた手には――≪星宿の炉皇≫。
光焔の剣をもって、いかな異形であろうと灰塵へと帰す。




