第二十二話 澱みの底に潜む者(5)
威勢よく啖呵を切ったものの、俺はすぐに逃げ出した。
できることなら、準備を整えてパーティメンバーも集って再戦したい。
だけど、速度の上では怪我人を抱えたこちらが圧倒的に不利。
遭遇時に数十メートル空いていた距離はあっという間に詰められ、すでに特大剣を伸ばせば届くほどの間合いに接近されてしまっていた。
「せぇいっ!」
振り返り一閃、特大剣の回転斬りで巨大ネズミを牽制する。
ただ、制動して避けると思っていた目論見は外れ、特大剣は巨大ネズミから伸びる白く濁った触手によりはじかれてしまった。
俺の体は、特大剣の重量も相まって大きく体勢を崩されてしまう。
「くっ!」
「ニオさま! ≪親愛の加護≫!」
「助かる! 行け!」
だけど、こんなことでやられるわけにはいかない。
アエカの支援スキル≪親愛の加護≫は、主に防御系の関連ステータスを向上させ、運動性に補正まで入れる破格のもの。
おかげで、巨大ネズミの触手による追撃を、はじかれた特大剣の重量にあえて身を任せることで避けられた。
小柄な体にはギシギシと加重がかかるけど、一撃を食らうよりはましだ。
「はっ、触手プレイだけはごめんだ……!」
「ピイィッ!」
その鳴き声は巨大ネズミのものか、それとも内に巣食うスライムのものか。
どちらでもいい。
それよりも、“骸渡りのトリストロイ”はまるで俺の発言に応えるかのように、背から伸びる触手を一本、二本、三本と増やしていく。
その数は計六本、ちょっと洒落にならない。
「わ、悪いけど、いまのオレがいくら美少女だからって、その期待に応えるわけにはいかないかな……」
俺は、触手が勢いよく伸びたのを目にした瞬間、踵を返した。
全力でその場を逃れる俺の背後に着弾する、弾丸のような触手。
辛うじて避け、横薙ぎにされたものも咄嗟に身を屈めてなんとか凌ぐ。
これでは多勢に無勢でこちらから攻撃をすることもできないけど、すでにひと区画は離れたアエカたちの背を見送ったところで、時間稼ぎは成功。
“骸渡りのトリストロイ”は、まんまと俺に敵対値を移したようだ。
「ピイィィィィィィッ!!」
触手の攻撃をすべて避けられ痺れを切らしたのか、巨大ネズミが鳴く。
その動きは乱雑になり、しまいには二足で立ち上がって前脚で殴りかかってくるものの、触手よりも遥かに短いネズミの足が届くわけはない。
スライムはしょせん単細胞生物、その思考も単純だ。
「ここ!」
俺は触手が伸びきった瞬間を見計らい、はじめて特大剣で斬った。
光焔属性を込めた斬撃は有効で、分断された触手の先端は床に落ち、ゴブリンと同じく黒い粒子となって霧散する。
この程度なら、冷静に対処をすればソロ討伐も可能なのではないか。
「ピィイイイイィィィィィィィィッ!!」
「げぇっ!?」
だけど、その考えは次の鳴き声であっさりと覆された。
巨大ネズミの背後から、大ネズミ――“ジャイアントラット”がワサワサと群れをなして進み出てきたから。
ボスに取り巻きまでつくと、さすがにソロでは無理かな……。
「かっ、帰りますっ。それではごきげんよう~」
そんなわけで、俺は再びボスに背を向けて逃げ出した。
だけど、これからどうすればいいのか。
周囲は延々と牢が立ち並び、逃げ込んだところでよほど奥行きがないとあの伸びる触手に捕まってしまうだろう。
だからとこのまま逃げていても、再びアエカたちに追いついてしまうか、その前に俺自身がやはり捕まってしまう、という状況だ。
結局、どうにか討伐するか退けなければ、脱出の可能性は著しく低い。
「ならば……」
俺は全力で走りながら、レリックに原理を充填しはじめた。
剣身はうっすらと光をまとい、徐々に輝きを増すとともに周囲まで照らす。
充填可能時間はいいところ一分だというから、その間だけ逃げればいい。
背後から迫るのは、群れが津波のような濁流となった強い圧迫感。
少しでも足を取られれば、その瞬間に終わる。
ネトゲの世界で、プレイヤーの死は終わりでないとはいえ、一般常識とは少し状況の異なる俺は本当に現実へと戻れるのか……。
ここにきて、弱気が心を蝕んでいく……。
俺は……。
「ニオさま!」
「――っ!?」
しまった、もう追いついていた。
思った以上のニオの健脚に驚きながら、少し離れて前を走るアエカたちの姿を認める。
うしろからは黒い濁流、すでに監獄区画の出口もそう遠くない。
だけど、ボスエリアから出られない“骸渡りのトリストロイ”はともかく、これだけのジャイアントラットを引き連れた状態では、結局……。
やはり、ここで止めなければ――。
「あっ、ぐっ!?」
そんな俺の思考を嘲笑うかのように、巨大ネズミから勢いを増して伸びた触手は、あろうことかこちらを追い抜いてアエカの背に突き刺さった。
とうの昔に俺を射程に捕らえていたにもかかわらず、それでも俺が狼狽える様を見たいと言わんばかりに。
アエカが、そしてイースラが吹き飛ばされ、通路に転がる。
そして、戻る触手と、背後からも襲いくる触手に、俺は拘束された。
「くっ、こいつっ、離っせっ!!」
「ピィィ……」
ネズミが笑うはずはない。
だけど、その顔は愉悦で興奮しているように見える。
高く持ち上げた俺を赤い眼で見上げ、触手は全身を舐めるように這いまわり、次第に強くなる拘束力も肉に食い込むほどで抵抗は意味をなさない。
さらに、触手からにじみ出る液体は服に染みを作り、ただでさえ肌が露出している腕やふとももに垂れ――。
「ぎっ!? がああぁぁああぁぁぁぁああああああぁぁぁぁぁぁっ!!」
途端に、むき出しの肌に激痛が走った。
涙ながらに見ると、付着した液体はジュウジュウと音を立てて肌を刺激し、辺りには鼻を突く刺激臭まで漂っている。
「ごほっ……。ニオ、さま……いけない……。酸……です……」
アエカが、口に血の筋を垂らしながらよろりと立ち上がった。
俺はあまりの激痛に歯を強く噛みしめ、満足に動くこともままならず、それでも思考だけはまるで他人事かのように、ニオを遠くから眺めている。
もう、覆すことも難しい状況……だけど……だけど……
おかしい……。
いくらなんでも、強い痛みはシステムによって緩和されるはず……。
それがなぜ、自らコントロールできなくなるほどの痛みが……。
あまりにも真に迫ったアエカの様子にしてもおかしい……。
この世界はなんだ……?
芽生えてしまった疑問をよそに、アエカにジャイアントラットが殺到する。
そうだ、いまはそんなことよりもなさねばならないことがある。
「……おい……クソネズミ。……彼女に手を出すな」




