志
魂として南華老仙や左慈と話をする時は「志朗」、それ以外は、特別なことがなければ「簡雍」もしくは「俺」として表記しています
意識は取り戻したものの、二人は全身に傷を負っており、とても旅を再開できる状態では無かったので、傷がある程度治癒するまでは宿屋に留まることとなった。
その後、簡雍は自分で人を斬った、殺したということを改めて自覚し、凄まじい反動に襲われたが、劉徳然の渾身の励ましのおかげで、どうにか乗り越えることができた。
「村を救ってくれた英雄」として、宿屋はタダで泊めてくれた。村の人々が自家製の漬物やら何やら持ち寄り、傷を治すためわざわざ医者まで呼んで世話をしてくれた事も、簡雍の心を癒すのであった。
その厚意や、劉徳然の護衛たちの筋肉にものを言わせた献身的な治療のおかげもあり、一週間も経つ頃には怪我もだいぶ良くなっていた。
劉徳然が父親を通して色々と手を回してくれたようで、逃げ延びた山賊達は、後々軍が討伐してくれるそうだ。
少し気になることと言えば、劉備の事である。
山賊達の戦いの後、彼はめっきり明るい表情を見せなくなった。反動で苦しんでいるのかと思ったがそうではなく、「それは既に覚悟の上だ。」とだけ語って、後は黙り込んでしまった。
俺達は、世話をしてくれた村の人々にお礼を言うと、再び洛陽に向けて出発した。
劉備は、馬車の中でも目線を下に向けたままだった。劉徳然が何度か話しかけたが、どこか上の空だ。
「玄さん、どうしたんだ?」
「どうした、って?」
「最近の玄徳兄は、どことなく元気がないように見えます。どこか、思い詰めておられるような・・・」
劉徳然も気になっていたようだ。
「俺も徳然も心配なんだ。何か思う事があるなら、俺達に言ってくれよ。」
「救えなかったんだ」
「え?」
「山賊たちに襲われていた人を、救うことができなかった。俺は、自分の非力が許せねえんだ」
そうだったのか。劉備は、目の前で山賊に蹂躙される人々を救えなかったことを、深く、深く後悔していたのだ。
本来の簡雍なら、ここでなんと言ったのだろう。劉備の志が本物であることを彼は「知っている」。ここでその志を曇らせる訳にはいかない。
「・・・じゃあ、やめちまうかい?」
「・・・」
「一人救えなかった、二人救えなかった、十人、百人救えなかったから、やめるのかい?玄さんの志は、その程度のものだったのかよ」
「お前も見ただろ。殺られてた連中の顔。皆、苦しそうな顔をしていた。俺の行く道は、茨の道だ。ああいう奴らを、これからも沢山生み出してしまうかもしれない。俺の志は、正しく無いかもしれないんだ」
「正しいとか正しくないとか、俺にゃ分からん。玄さんみたいにでっかい志を持ってる訳じゃないからな。」
「だけどよ、玄さんはあの村の連中の顔を見なかったのかい?あいつらは、あんたが救ったんだ。」
「百人救えなかったなら、千人救ってやればいい。一万人守れなかったなら、百万人を守ればいい。その道の先に、あんたの天下があるんじゃないのかい?しっかりしな、劉備玄徳!」
自分でも驚く程に、言葉が心の底から湧き上がってきた。きっとこれは、「簡雍」の偽らざる想いなのだ。
「玄徳兄、私はあの後、山賊に殺された人々の埋葬をしたんです」
「苦しそうな顔だったろ。」
「確かに、私があなた方の救援に向かった時はそうでした。でも・・・」
「でも?」
「翌朝、私たちが埋葬に向かうと・・・穏やかな顔になっていたんです。まるで、救われたかのように・・・」
亡くなった人にも、表情がある。志朗も、元の時代で看護師をやっていた従兄弟から、その話を聞いたことがあった。苦悶の表情で亡くなる人もいれば、眠っていると勘違いするような安らかな表情で亡くなる方もいると。
「私も、難しいことはわかりません。けれど、けれど私は、玄徳兄が山賊を撃退したから、あの村を守り抜いたから、彼らは眠れたんだと思います。」
劉備は、顔を上げた。その目には、再び決意が漲っていた。
「そうだ・・・俺の志は皇帝となって百年、二百年と続く平和な時代を創ることだ。苦しむ人々を救うことだ。」
「そうだ。あんたが志を果たすことが、百年、二百年先の人まで守れる国を創ることが、死んでしまった奴らへの一番の供養なんじゃないかい。」
「ああ。。。。二人とも、ありがとう。俺は、もう二度と迷わんぞ!」
そう言って劉備は勢いよく立ち上がった。
ここは馬車の中。15歳にしては長身の劉備は、思いっきり頭を打った。
「背が高いのに、急に立つからだよ」
「ホントですよ、玄徳兄」
「・・・すまん」
三人は、顔を見合わせて笑った。締まらない終わりだが、この方が俺達らしい。心からそう思えた。
ひとしきり笑った後、劉備は再び真剣な顔になり、二人の顔を見た。
「・・・創ろうぜ、生きている皆が、こんなふうに笑える時代を」
劉備なら、そんな時代を創れる。簡雍は確信していた。だから即答した。
「ああ!」
徳然も同じだった。
「はい!」
出発した時の劉備の決意が、三人の生涯を貫く誓願に変わった瞬間だった。