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花と歌


(こんなものを用意したところで、もう遅い……)


机の上に並べてあるのは、たくさんの白バラ。


アランに頼んで、知り合いのバラ園へと連れていってもらった時、注文してきたものだ。


「とにかく、凄いですよ。バラに関しては研究論文も書いてて、この道のプロってやつです」


ここです、と連れて来られた場所は、リンデンバウム城の中庭のバラ園の、何十倍もの大きさの敷地だった。


「これはリューン様、お初にお目にかかります」


口元にヒゲを蓄えた中年の男は、ロイズと名乗った。


「まあ、私は道楽半分、研究半分でやってるんで、気楽なもんですよ」


敷地を見て回らせてもらった。そのバラ園は、説明を聴きながら回ると、ゆうに一時間を要するくらいの代物だった。


ぐるりと回っている途中に、珍しいバラが咲いていて、リューンの目を引いた。


それは、白バラだった。幾重にも花びらが重なり合い、そして中心へいくほどに薄っすらとピンクに色づいている。


その控えめな配色が、リューンにはムイの分身のように見えた。


「これは、珍しい品種だ」


「はい、これは交配種なんです。私が掛け合わせました」


「それは素晴らしい。名前はなんと?」


「月光、と名付けました」


聞きなれない発音に、リューンは問うた。


「ゲッコウ? どういう意味なんだ?」


「東洋の言葉で、月の光という意味です」


リューンの胸が、どっと鳴った。


「月光、か……」


脳裏に浮かぶムイの笑顔。リューンは、そっと指を伸ばして、そのバラに触れた。ムイの肌と、同じだと思った。


(そうだ、これだ。ムイの……)


たくさんの種類のバラが咲き誇るその中から、この白バラを選んだ。数が咲き揃った頃に、分けてもらうことにした。


(ムイの、花だ)


そして収穫祭に合わせて届けられた白いバラを前に、リューンは涙を零した。


「けれど、もう、遅い、」


好きな人に花を贈る、それすら叶わない。


いつもなら、怒り狂って投げ捨ててしまうことも、このバラがムイ自身だと思うと、それもできずリューンは苦しんだ。


✳︎✳︎✳︎


「見ろ、リューン様だ」


「リューン様のお話があるぞっ」


今までは城に閉じこもっていたリューンだったが、名を握る力を失ってからはこうして領民の前に出て、演説することも徐々に増やしていた。


後夜祭では、皆の日頃の労働や苦労をねぎらう意味もあり、最後にリューンが演説をすることが前々から決定していた。


今夜、リューンはローウェンと相談しながら、演説の内容を決めていた。


楽器を持った楽団の諸々が、それぞれの楽器を楽しげに演奏している。


収穫祭は、この最後の夜に開かれる後夜祭に向けて盛り上がっていき、そしてクライマックスを迎えようとしていた。


人々は踊り、そして酒が酌み交わされ、ぐいぐいと飲み干される。


楽団が奏でる曲が半ばを過ぎると、ローウェンに促されて、リューンは壇上に立った。


それを合図に楽団の音楽がキリのいいところで沈黙する。


皆が、リューンへと注目した。


「リューン様は、なんて素敵なお人なんだろうね」


「ああ、それに威厳がある」


「お話しされることも、どこかの賢者のように、素晴らしい出来だ」


人々が口々に言う。


その人混みに混じって、ムイは笑った。


(そう、リューン様は本当に素晴らしい人……)


顔に掛かったフードを少しだけ、よける。


(リューン様……)


遠くから、リューンを見つめる。


隣で。


ユウリが頬を染めながら、リューンを見つめている。


二人の姿をムイは悲しい目で見た。


(リューン様は優しく、強くて、そして何より慈愛に満ちている)


ムイは、手を胸に添えた。


(こんな……こんな私にでも、手を伸ばして救ってくださった)


養父に連れてこられた汚れてきたない自分を、自ら抱えて運び風呂に入れ、髪を洗ってくれた。


リューンがこっそりと渡してくれた、花の髪飾り。ムイはそれをずっと心の支えにしてきた。


(寒い時には、暖かいブランケットを掛けてくださった)


そして。


(こんな何の取り柄もないみすぼらしい私を……)


リューンの姿が、ぼやけた。


「……本当に、素晴らしいお方」


声に出ていた。それに合わせてか、周りがさらに囃し立てる。


「リューン様あっ」


「リューン様っ‼︎」


ムイは、人々のその声に涙を零しそうになった。


(リューン様には、お幸せになって欲しい……ユウリ様とご結婚されるなら、どうか幸せな家庭を作って欲しい……)


ぐっと、涙をこらえる。


(でも最後に。どうか、最後に一度だけ)


ムイは唇を噛んだ。そして、それから息を吐くと、ついに唇を開いた。


細い声が。


最初は、わっと興奮した民衆の歓声に、埋もれてしまっていた。


それでもムイの声は、その騒ぎをかいくぐって、人々の耳へと届こうとどんどんと伸びていった。


その声を耳にした人々はひとりひとり、なんだなんだと言いながらも、声を上げるのを止めた。


フードを深く被ったムイが、細い声を発していく。


(……夕暮れに浮かぶ雲はどこへいくんだろう。僕も連れてっておくれ。あの人の元に……)


しん、と、静寂がやってきた。その静けさが、ムイの歌声を際立たせる。


「ムイ、何を……してい、る」


それに気がついたリューンの顔色が、さっと変わった。みるみる青ざめていき、色を失っていく。


「……ムイ、止めろ」


リューンの愕然とした声が、震えて聞こえてきた。


(流れる雲にのって、どこまでいくのだろう。あの人の元に運んでくれるのだろうか……)


何事かと沈黙していた人々が我を取り戻して、一瞬、ざわついた。けれど、すぐにムイの歌声に耳を傾け始めた。


驚きや慄きの顔を浮かべていた人々の表情が、次第に柔和になり、うっとりとしたものに変化する。


それほどの、美しい歌声だった。


けれど。


壇上には、リューンの悲しみに歪んだ顔。


それを目の中に入れながらも、ムイは歌った。


(愛しい人のことを想いながら、僕は生きている……)


カイトやミリア、マリアもその場にいて、ムイの歌に耳を傾けている。が、ムイの目には入らない。ただ一人、視線を交わしているのは、リューンだけだった。


(側にいったら、もう離れないよ。きっと君は、僕の運命だから……)


いつもはアドリブの演奏で人々を楽しませる楽団も、今回ばかりは沈黙している。ムイの声以外の音は邪魔だと判断したのだろう、敢えて皆、楽器を置いていた。


「この世のものとは思えない声だ……」


「しっっ、静かにしろっ」


ムイは歌い続けた。そして、リューンを見る。


リューンは、悲しみの表情を浮かべている。ぐっと寄せられた眉根、引き結ばれた唇、歪んだ頬。


リューンは喘ぐようにして、ようやく次の声を出した。


「な、なんてことを……」


これでムイが歌声を取り戻したことは、すぐにも国中に広まるだろう。そして、ゆくゆくは国王の耳に入り、そして連れ戻される。


「な、なんてことを、ムイ、ムイ、」


何度も、名を呼ぶ。


そして、リューンは叫んだ。


「……ムイいっ‼︎」


名前を呼ばれて、ムイの身体が自然と動いた。それほどに、ムイの名を呼ぶリューンの声に慈しみが含まれていた。


手を。


無我夢中で伸ばす。


「リューン様、」


人垣が邪魔をする。


人と人とをかき分け、さらに手を伸ばす。


所々盛り上がる土や石に足を取られ転びそうになりながら、ムイは進んでいった。


「リューンさ、ま」


人々に揉まれながら、ムイは一生懸命、手を伸ばす。フードが外れて、ムイの黒髪が散った。


「ムイ、ムイ、」


リューンが、祭壇の階段を駆け降りる。リューンも人々の波へと滑り込んだ。


肩と肩がぶつかり、けれどそれでもリューンは人をかき分け、ムイの元へと向かった。


リューンの着物の裾に泥が跳ね上がる。覚束ない足元を踏みしめて、リューンはムイの元へと走った。


「ムイっ」


「リューンさまあ」


ムイの伸ばした手が、リューンの指に触れる。リューンはそれをぐっと掴み、引っ張った。ムイの身体が飛び込んできて、リューンは力いっぱい抱きしめた。


「ムイ、」


黒髪に、顔を埋める。そして、腕に力を込める。


「……ムイ、なぜ、歌った。どうして歌ってしまったんだ」


弱々しい声しか出なかった。リューンの目から涙が溢れた。


「この声はリューン様だけのものです」


「どうして、」


「リューン様に……覚えていて欲しくて」


「ムイ、……嫌だ」


「リューン様、」


「嫌だ、他の男に取られたくない。国王にも誰にも。嫌なんだ、俺のものなんだ。ムイ、お前は俺のものだ」


ぐっと抱きしめられ、ムイはリューンの広い胸に顔を埋めた。


「リューンさま、この声はリューンさまだけのも、の、」


震える涙声。


「愛してる、愛してるんだ、ムイ。俺の側にいてくれ。お願いだ、お前の心が欲しい。お前に好かれたい、愛してもらいたいんだ」


ぐいっと腰を抱え上げてリューンが顔を近づけると、二人は頬と頬とすり寄せた。二人の涙が重なり合って、ひやりと冷えた。


「他の誰でもなく、この俺を、俺だけを愛して欲しい」


✳︎✳︎✳︎


「結婚の許可状にサインがないのですよ。この許可状は無効ですわ」


「許可状など必要ない。国王の許可なんか不要だ。ローウェン、結婚式の準備を進めろ」


ローウェンがしたり顔で、かしこまりました、と部屋を出ていく。


「国王陛下はお許しになりません」


ユウリが食い下がり、リューンが反論しようとした時、「私が、お願いに上がります」と、ムイが言った。


「あなたに何ができると言うのっ」


「何もできません。ですが、真摯にお願い致します」


震えながらも、真っ直ぐに見据えてくるムイの目を見返すことができず、ユウリは部屋から出ていった。


後夜祭の次の日だった。


ユウリは腹を立てながらも、大人しく帰っていった。


「良いのでしょうか」


ムイが心配そうに呟いた。


「大丈夫だ。結婚式は予定通り、執り行う。もう、後悔したくない。早く、お前を妻にして安心したいんだ」


「あ、ありがとうございます」


恥ずかしそうに俯く顔を、ぐっと指で掴むと、半ば強引にキスをした。


「そ、そうだ。ムイ、少しここで待っていろ」


リューンが、部屋の奥に続く寝室へ入っていく。


ムイは手持ち無沙汰になり、ソファに腰掛けてみる。


(一週間後に、リューン様と結婚……)


「わたくし、リューン様と結ばれておりますの。あなたが入り込む余地はございませんわ‼︎」


ムイに向かって投げたユウリの最後の悪あがきに、リューンが激怒した。


「お前を抱いたことは一度もないっ」


そして、リューンが真っ直ぐにムイを見て言った。


「そんなことあるわけない。愛してもいない者を抱くなんて、俺にはできない」


リューンが抗議し、そしてそのぶれない態度にユウリもすぐに折れて、嘘だったことを白状した。


それを聞いてムイは、心底、胸を撫で下ろした。


「……こんなことを訊くのもどうかしていると思うが、その、妬いてくれたのか?」


その後、リューンが、おずおずと問うてきた。


ムイは苦笑しながら答えた。


「私では、ユウリ様に到底かなわないと、思いました」


「俺だって、」


口をつぐむ。少しの間をおいて、リューンは訥々と話し始める。


「……お前が他の男を愛するようになってしまったら、どうしようかと考えた」


「リューン様」


「嫌われたら、とかそういうことではないのだ。お前の気持ちがあの男に向けられて、俺から離れていくのが怖かった。俺を想う気持ちが冷めて、お前が……お前が、あの男を愛してしまったら、と」


リューンが、目を伏せる。


「あ、あの、男を、」


言葉が続かないというより、続けたくないようだ。

リューンが呼吸を整えた。


「……これでも、お前を諦めようとしたんだよ。俺といるより、あの男の方がお前を幸せにできるのではないかと思ったりもした」


「リューン様」


ムイは顔を横に振る。涙がぽろぽろと溢れていく。


「私もリューン様を諦めようと、何度も‥…けれど、辛くて……」


ムイの涙で濡れる頬を両の手で包み込む。


「覚えているか? お前が、ガゼボの近くで雛鳥を拾っただろう。お前と俺が面倒を見て、そして最後には空へと飛び去っていった」


「はい、覚えております」


「あの時、お前もあの小鳥のように、どこかへ飛び去っていくのではないかと、不安に思った。それと同時に、俺はお前をあの小鳥と同様に、鳥籠の中にでも閉じ込めているのではないかと思ったのだ」


リューンが顔を寄せて、ムイの額に自分の額をすり寄せた。


「ムイ、お前には幸せになってもらいたい。けれど本当は……本当は、この俺がお前を幸せにしたい」


「リューン様、私はいつも幸せでございます。こうしてリューン様のお側にいられて、」


「ムイ、」


「どうか、私を離さないでください。リューン様から離れてしまうと、それこそあの巣から落ちた雛鳥のように、弱って死んでしまう」


「ムイ、ムイ」


「リューン様、私と結婚していただけますでしょうか」


涙でぐしょぐしょの笑顔で、ムイは言った。


「は、お前には敵わないな。俺にもプロポーズをさせてくれ。愛してる、ムイ。俺と、結婚してくれ」


その時のリューンの笑顔が眩しすぎて、ムイはいつもその笑顔を思い出しては、陶酔する。


思いを馳せていたところを、ガタンと音がして、奥のドアが開いた。


ムイは、その陶酔からするりと抜け出すと、立ち上がってリューンを見る。


「ムイ、お前にこれを、」


リューンが抱えているのは、白いバラの花束。大ぶりな花に加え、その数が巾をきかせて、大柄のリューンでも両手に余るほどだ。


花びらの滑らかな白さのところどころに、薄いピンクがふわりふわりと浮き上がっていて、ムイの心を熱くさせる。


「リューン様、こんなにたくさんの綺麗なバラを……ありがとうございます、すごく嬉しいです」


「好きな人には、花を贈るのだと聞いた」


「ふふ、そうです」


「実はこれを使って、お前の心を取り戻そうと目論んでいたのだ」


リューンが苦く笑う。その表情を見て、ムイがくすくすと笑う。そんなムイを花束と一緒に抱きしめると、リューンは息を呑んだ。


「ああ、何という幸せだ」


リューンが、ムイにそっと耳打ちする。


「結婚式でも、この花をお前のブーケに使おう」


「はい、」


ムイは笑うと、近づいたバラの花に顔を寄せて、その香りを胸いっぱいに吸い込んだ。


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