綺麗
「その絵が、芸術家先生の目に留まるとはねえ。しかも、大先生に認められたムイがうちで先生をしてくれるなんて、あたしゃ鼻が高いってもんよ」
「マリアのお陰で、私もとても楽しんでいます」
「あんたにとって今までは辛い日もあっただろうけど、今はリューン様にも愛されて、幸せだろう」
「……はい」
ムイの胸にはいつもある種の不安があったが、リューンがそれを忘れさせてくれる。
(こんなにも幸せで、良いのだろうか)
ムイは手元に散らばる赤いバラの花びらを一枚、摘んで取った。
(……そうだ、これを使ってリューン様にも何か、)
その時わあっと声がして、幼い男の子が二人、中庭へと駆け込んできた。
「ムイせんせい、こんにちはあ」
「シノ、キノ、今日も元気ね」
「…………」
ムイが立ち上がって迎え入れると、シノが真っ先に走ってきて飛びついた。その後ろをとぼとぼとキノが歩いてくる。
双子の顔は似ているが、その表情が正反対だったため、ムイは優しく首を傾げた。
「あら、キノは元気じゃないみたい。どうしたの?」
キノが伏せていた顔を上げると、すぐに駆け寄ってきてムイの巻布に顔を埋めた。
「何があったの?」
キノの栗色の髪を優しく撫でる。シノがその様子を見て、「あんなの気にしちゃだめだよ」と言った。
「男のくせに押し花なんて、って言われたんだ」
「まあ、そうだったのね?」
「……花で遊ぶのは女がやることだって」
「私はそんなことないと思うけど」
キノの背中が震え出した。
「うえ、うわああん」
声を上げて泣き出し、ぎゅっと瞑った目から、涙が流れていく。ふっくらとした頬を、すっと流れていく涙を見て、ムイは眉を下げた。
「あらあら、泣かないで、キノ」
ムイはその場でしゃがみ込み、泣きじゃくるキノの背中をぎゅっと抱きしめた。
「キノ、お花は人を癒す効果があるってこと知ってる?」
「いやす?」
「おつかれさま、元気出してって、その人のことをこうしてぎゅっと抱きしめることよ」
キノが握りこぶしで涙をぐいっと拭った。
「お花はそうやって、みんなを元気にしているの。だから、女の子だけのものにしてしまうと、お花が可哀相かな」
「……うん」
キノは再度、ムイの巻布に顔を埋めた。ムイは改めて、キノを抱きしめた。
「大好きな人にお花を贈ると、とても喜んでもらえるの。だから、キノもお花のことを嫌わないでね」
「うん、じゃあボクもお花を渡すっ」
「ふふ、良い考えだわ。誰に渡すの?」
「パパだよっ」
「とても喜ぶと思う」
「たくさん木を切っているんだ。いつもありがとうって、」
そこでシノもムイの腰に抱きついた。
「ムイ先生、ボクもパパにあげるっ」
「良かった。元気になったわね」
ムイが笑うと、双子も顔を上げて笑った。
「先生、お歌うたってよ」
「国王の歌姫」という地位を捨てる理由として、話すことはできるが歌を歌えなくなったとしてリューンの元に来た手前、ここでまた本当は歌えるのだと知られると、国王の元へ連れ戻される可能性もある。
「いいわ。でも内緒にしておいて、ね」
そして、ムイは息を吸った。声を細めて、このリンデンバウム地方に伝わる子守唄を歌う。
(夕暮れに浮かぶ雲はどこへいくんだろう)
シノとキノが、ムイの腰に抱きついている手で、巻布をぎゅっと握った。ムイはその小さな手の存在を愛おしく思った。
(僕も連れてっておくれ。あの人の元に)
「あの人って、誰のことかなあ」
キノの呟きに、シノがしぃっと、人差し指を立てる。
(流れる雲にのって、)
「パパあっ」
歌の途中でシノが声を上げた。ムイが振り返ると、シノとキノの父親が立っている。
双子は父親の元へと走ると、父親は両腕で二人を抱き上げ、中庭へと入ってきた。
「カイトさん、こんにちは」
ムイが頭を下げる。カイトが両腕から双子をぶら下げながら、ムイへと近づいてきた。
「こんにちは、ムイ」
「今日はお迎えが早いですね」
ムイが笑うと、カイトも笑みを浮かべた。
「仕事がひと段落してね。早く引き上げることができたから」
「そうですか。良かったね、シノ、キノ」
双子は父親の肩によじ登りながら、うんっと元気よく返事をした。カイトはマリアの家の近くに家を構えていて、男手一つで双子のシノとキノを育てている。
普段は、木を切り出して裁断し、建築材として木材を売っている。
力仕事に相応しい、がっちりした体躯。それに気持ちの良い性格が加わり、材木店の運営は順調だ。
「ムイ、君の声は……なんていうか、その、とても綺麗だ」
歌を歌うことができなくなった、という建前もあり、カイトに歌を聞かれたことにムイは狼狽えたが、なんとか取り繕おうとして言った。
「あまり長くは歌えないのですけど、今くらいの程度なら、」
苦笑する。けれど、カイトは被せるように言った。
「とても、透き通った歌声で……この世のものとは思えないくらい、その、」
シノとキノが、きゃっきゃと首回りにまとわりついているが、カイトは気にせず話し続けた。
「綺麗で、その、美しい」
「パパはムイ先生のことキレイって、いつも言ってるんだ」
シノの言葉に照れることもなく、ああそうだね、と素直に答える。
「すごく、綺麗だ」
ムイは、苦く笑いながら、ありがとうございます、と言った。
「じゃあ、シノ、キノ、今度は押し花を作りましょうね」
すると、キノが「パパ、好きな人にはねえ、お花をおくるんだよ」と言う。
「そうか、じゃあ今度、は、花を探してくるよ」
「ボクも探すー‼︎」
「ボクもっ」
「マネすんな」
シノとキノが騒ぎ始めたため、カイトは頭を下げて挨拶をすると、双子を諌めながら帰っていった。
ムイは、そのまま手を振った。




