最終章 四月七日:野球と最終回
朝早く、部屋の中で逃げ回る猫をなんとか捕まえた。
先輩の車の後部座席に猫を放す。犬も連れていくことにした。ドッグフードと猫缶も持って行く。
それと、一応、用心のために金属バットも持って行く。
薬はトランクに積めるだけ入れた。
「おい、犬猫の爪で座席のシートが傷つくじゃねーか」と先輩が文句を言う。
「今さら、いいじゃないですか。もうゾンビだし」
とりあえず縦田基地まで行くことにした。
空は晴れ渡っている。
「いやあ快晴のドライブ。気分が良い。これで隣が若い女だったらなあ」と先輩が助手席の俺を見ながら言う。
「ゾンビとドライブいやですか?」
「ゾンビでも美女ならなあ。男じゃなあ」
「だいたい若い美女を隣に乗せたことあるんですか」
「あるわけねーじゃん。ガハハ」
なにか吹っ切れたような先輩。
「先輩、短波ラジオがなにも音出さなくなってますよ」
「乾電池交換してくれよ」
俺が後部座席の短波ラジオを取ろうとすると、猫がまた「シャー!」と威嚇する。
おいおい、お前に危害を加えるつもりはないよ。
「その猫、凶暴だなあ。犬のほうは大人しくしてるのに」
犬は外の景色を珍しそうに見ている。
「最近拾った野良猫だから、まだ慣れてないんですよ」乾電池を交換しながら答えると、
「猫からも嫌われる。さえない人生やのう」とまた嫌味を言う先輩。
「もうゾンビですがね」と俺。
縦田基地に到着した。
そのまま、自動車で中に入り、広い道路を走る。
誰もいない。
「もう米軍はいないのかな。自衛隊もいないぞ」
基地内はガラーンとしている。
ゾンビもちらほらとしかいない。
基地内の倉庫も見たが何もない。
「なにもかも撤収したようだな」憮然としたような表情を見せる先輩。
「あのオスプレイはここから来たんですかねえ」
「わからん」
「けど、広々として気持ちがいいですねえ」
広大な基地の敷地には動くものはいない、ゾンビ以外は。
「あっ! ショッピングモールがありますよ」
「米兵の家族用かな。ショッピングモールと言えば、ゾンビ映画の定番だよな。こうゆう場所に立てこもるのが夢だったのだがなあ」
「立場が逆になってしまいましたね」
「中に入ってみようぜ」
ショッピングモールの駐車場に入ったところで、自動車をとめた。
外に出ようと、ドアを開けたすきに猫が素早く飛び上がって、外に逃げた。
「ああ、逃げられた」
猫は逃げる際に短波ラジオをひっくり返す。
「放っとけよ、もともと野良猫だろ」
猫はどこかに行ってしまった。
「ラジオの周波数はどこに合わせておきます?」
「適当でいいよ」もう短波ラジオには期待してないようだな、先輩は。
犬も放してやる。広い場所で走り回って嬉しそうだ。
先輩とショッピングモールに向かう。
「もし米兵が立てこもっていたら、頭を撃たれるかもしれないな」
「それはいやですね」と言いながら、俺は先輩の後ろにかくれる。
「お前汚いぞ」と先輩はかがんで、俺の後ろにかくれる。
お互いを前に押し出そうとして、二人でぐるぐる回りながら、ショッピングモールの入り口まできた。
中に入ると、ここも真っ暗でガラーンとしている。
「スッカラカンじゃねーか。外人は撤退が早いな」
「外資系企業も業績悪いと、あっと言う間に撤退しますもんね」
「アメリカでしか買えないレアグッズでもあさろうと思ったのに」と先輩は悔しそうだ。
「それが目的だったんですか」
「転売でもしようと思ってたんだが」
「いまさら買う人いませんよ」
「そりゃそうだ、ガハハ」
「屋上までいきますか」
「やめとこう。もう誰もいないだろう」
ショッピングモールから出て、自動車に戻る。
先輩は背広とネクタイを脱ぎ、「ちょっと、キャッチボールでもしようぜ」と自動車のグローブボックスから野球のグラブとボールを取り出した。
「いつも持ち歩いてるんですか」
「おうよ」
晴天のなか、先輩とキャッチボールしながら会話する。
「これじゃあ米軍に知らせようがないぞ、佐藤」
「他の基地にも行けばいいんじゃないですかあ」
「そうだな、このまま全国周るってのもいいなあ」
俺が投げたボールが、誤ってそこら辺でウロウロしていたゾンビに当たった。
「スンマセーン」とゾンビに謝る。
「そういや、お前、なんで、ゾンビに丁寧なんだ?」
「いやあ、こっちもゾンビなんで同類のよしみですかね」
「同類のよしみなら、ちょっとゾンビたちにも野球を手伝ってもらおうぜ」
あまり動き回らないゾンビたちを八体選んで、各守備位置に配置した。
俺はピッチャーになりボールを投げる。
先輩が、持ってきた金属バットで打った。
カキーン!
センター前ヒットだ。
「センター!」と叫ぶが当然のことながらゾンビが動くわけもなく、遠く後方へ転がっていく。仕方がなく俺がボールを取りに行く。
すると犬が走っていき、ボールを口にくわえて俺のところへ持ってきてくれた。
賢い犬だ。
いや、犬ってそんなもんかな。
そのまま、キャッチャーのゾンビに投げても受け取ってくれないので、ホームを目指して走る。
先輩もサードベースをまわって、ホーム目がけて走っている。
「ランニングホームランだぞ!」
「負けるかあ!」
先輩は滑り込んでホームイン。俺はあと一歩でタッチできず。
「セーフ!」と喜ぶ先輩。
「チキショー!」と悔しがる俺。
「野球をやっていたころは某メジャー日本選手のゴジラの再来といわれた俺をなめんなよ」と笑う先輩。
ホントかよと思う俺。
その後も、ランニングホームランを連発する先輩。
「もうボール取りに行くの疲れましたよ、俺にもバッターやらせてくださいよ」
「しょうがねえな」と言いつつ、先輩はピッチャーに変わってくれた。
先輩が投げる。
俺は打った。
ライトフライだ。
しかし、ゾンビがとるわけない、と思ったらライトを守る、というかライトの位置にただ立っているおばさんゾンビの買い物カゴにボールが偶然はいった。
「アウト!」喜ぶ先輩。
「クソー!」また悔しがる俺。
「ださいぞ、ヒーロー!」笑う先輩。
もう疲れた。
「少し休みましょうよ、先輩」
「おう」
自動車の横で寝っ転がる。
晴天で雲一つない。
風は涼しい。
気分がよい。
これが「生きる」ということだろうか?
何の目標もなく生きる。
いや、一応の目標は持つがのほほんと生きる。
俺はこのまま人間ゾンビでいるのも悪くないと思った。
突然、自動車の後部座席に置いてあった短波ラジオが鳴った。
何やら英語のような放送が流れている。
立ち上がって聞くが、俺は外国語が全然ダメだから、何を言ってるのかさっぱりわからん。
先輩が半身を後部座席に突っ込んで、聞き入っている。
放送が終わった。
田中先輩は、おもむろに自動車から離れると、腕を組んで遠くを見ながら言った。
「ゲームセットだ」
「何事ですか?」
「米軍が東京に核ミサイルを撃ち込むんだと。疫病を浄化するってさ。目標は東京都文教区大東強大学大キャンパス」
「えー! そりゃひどい、あれから一週間しかたってないじゃないですか!」
「なんだか、大東強大学がキャンパス敷地内にでっかい穴を掘って、そこから太古のウィルスがあらわれたのがゾンビウィルスと言ってるぞ」
「あの大東強大学新大図書館が崩壊した穴のことですかねえ。シベリアの永久凍土じゃあるまいし。まだ先輩の説の方がましですよ」
「知らんよ、アメリカが言ってるんだから。そういや、米軍のオスプレイが着陸しようしたすぐ近くにあったな、新大図書館。まあ、もうジ・エンド、あきらめだな」明鏡止水といった表情の先輩。
「だいたい、日米安保条約違反ですよ」
「その条約の中身知らんけど、非常事態だからしょうがないんじゃね」
「俺も知らないっス。けど、同盟国ですよ。思いやり予算とかいうのもたっぷりと上納してきたのにひどい、ひどい」
「非情だねえ」鼻くそをほじくりながら、くだらんことを言う田中先輩。
「そんなこと言ってる場合ですか!」
「まあアメリカさんも必死なんだろ。それにしても東京に核ミサイルを落とすのは北朝鮮と思ってたんだがなあ。またアメリカか。あいつら、今回も実験もかねて強力な核兵器を落とすつもりだぜ」
「じゃあ、ここら辺一帯も終わりですか」
「二度あることは三度あるってのは当たってたんだな」
「そんなことわざ、どうでもいいですよ、で、いつですか? 東京に核ミサイルが落とされるのは」
「うーん、三分後ぐらいみたい」
「ええええ、それじゃあホントにもう助からないですよ、て言うかもう死んでますけど。ただ、どうすんですか! もしかしてもしかしたらウィルス発祥地の大東協大学に何かしらの証拠とか残ってるかもしれないし、もしかしてもしかしたら人類を救うヒントを教えてくれる可能性があるかもしれない薬があるっていうのに、全部吹っ飛んで消えちゃいますよ!」興奮して喋りまくる俺。
「今さら止める方法ねえじゃん。どーんと逝こうや!」
「逝きたくないですよ! つーか、もう逝ってますけど」
「人間、いやゾンビもあきらめが肝心だ。とは言え、やっぱり山奥に逃げればよかったかな」と言いながらじろりと俺をにらむ田中先輩。
「……えーと、すんません」
「まあほんとはぶっ殺したいくらいだが」
「もう死んでますしね」
「そうだよな、まあええよ、やっぱりダメな奴はなにをやってもダメ、ダメをこじらせるだけだよな」
「そっすね」
ハハハと二人で乾いた声で笑う。
「けど先輩、こんな結末でいいんですか?」
「しょうがねえよ、昨日言ったじゃん。俺たちその他大勢のキャラが世界を救うのもおかしいってさ」
腕を組んで、晴れ上がった空を見上げながら、再び諦観の境地という表情を見せる先輩。
「結局、俺たちはエキストラでしかなかったと」
「エキストラはエキストラらしく、ただ核ミサイルが落ちるのを眺めていようぜ。それにお前、ゾンビ映画はバッドエンドのほうが好きだとか言ってたじゃん」
「そういや、そっすね」
ハハハハハハ。
「あっ! お前の黒猫だぞ」
俺と先輩と犬がいるところに、猫が近づいてきた。俺の足元に来て、ニャ~と鳴きながら体をなすりつけてくる。
「お前にエサをねだっているんだな、猫はエサがほしいときだけ近寄ってくるからなあ」
「うーん、ちょっと間に合わないですねえ。すまんな、猫よ」
俺は猫を抱き上げた。
猫は抵抗しなかった。
猫は「はやくエサをくれ」という顔をした。
その後、俺と先輩は無言で核ミサイルが東京に落ちるのを見ていた。
晴天の中、ミサイルが落ちていく。
閃光が走った。
爆風に吹き飛ばされ、俺は意識をうしなった。
あの世とはどんなとこだろうかと考えながら。
いや、もうゾンビになって死んでたのだから、すでにあの世にいたのだろうか。
それと、最後に一応猫がなついてくれたのが嬉しかったなあ、と。
(終)