キングの恐怖
彩奈に尋ねてもクィーンのことだけは全然教えてくれなかったことを思い出す。クィーンことを俺が口にするだけで、いっつも暗い顔で俯いちまってたな。
だいたいクィーンてどんな奴なんだ!?
キングの話から察するに相当ヤバい輩のはずだ。ゴッツイ女子プロレスラーのゾンビしかイメージできない。
動揺する俺を尻目に、キングは首や肩を動かして軽くストレッチをしている。
「ククク……手間取ってるところ見られたら、また芽衣に怒られちまうぜ。早く片付けねえとな」
───何言ってんだこの野郎……時間ねぇのは俺だ!───と叫ぶ余裕も今の俺にはない。全く泣きそうだ。
この場にクィーンがやってくるなら、俺が生き残る方法はただ一つ。クィーンが来る前にこの化物を撃破して、その後でクィーンを迎え撃ち、これを倒す。超一級のスーパーゾンビを相手に2連戦を強いられることになるが他に方法はない。───ってハードが過ぎるだろ!───
かと言ってキングに手こずって2体同時に相手するハメになればジ・エンド。これは……確実に俺が殺されてしまう。
いよいよ逃げたくなってきたが、逃げれば全員皆殺しか。ちっくしょうギリギリまで踏ん張るしかねえ……。せめて彩奈がそばにいてくれたら……もう少しマシだったのかな。いや違う。アイツをこんな地獄に巻き込まなくて良かったんだ。
「全く……な〜んか勘違いしてるんだよなぁテメェは。お前みたいなゴミが芽衣に出会うことはねぇんだよ。それまでに死んじまってるんだから……よ!」
キングは突然、高く飛び上がり一回転すると、大きな音を立てて俺の背後に着地する。あの巨体で、俺たちと同じように動けるとは驚きである……。なんという運動能力だろうか。
「ちっ……」
俺は少し後ろに飛んで距離を取り構えた。ちょうど先程とは位置関係が逆になっている。こうなったらもうやるしかない。1分でコイツをバラバラにしてやる!きやがれ。
東京第5コロニー
「いくぞぉぉぉぉ〜!」
キングは走り出す。あっという間に加速し、猛烈な勢いで突進してくる。そして俺の顔を目掛けて掌底を繰り出した。
「ずりゃああああ!死ねぇ!」
例によって恐ろしく長いリーチだ。しかもスピードは先程よりずっと速い。あの野郎……さっきは相当手を抜いてやがったようだ。
「だぁっ!」
俺はジャンプして奴の長い腕をかわした。だが力みすぎて80メートルは舞ってしまっているだろう。最高点に達するまで少し時間がかかった。
───ちっ。キングの野郎、驚かせやがって……。結局、さっきと変わらねえじゃねえか!───
上空からは空振りに終わった間抜けなキングの姿が丸見えだ。このままニードロップを決めて、今度こそ奴の頭頂部を破壊してやろう……そう思って落下体勢に入った時のことだった。
「うぉぉりゃぁぁ!食らいやが……え!?」
突然、キングの巨体がピカリと光ったように見えた。何が起きたのか考える間もなく、奴の体を中心にして何かが半球状に広がっていく。
それは衝撃波だった。
「なっ……」
上空の俺にまで衝撃波が伝わり、気温と気圧が一気に変わったような妙な感覚を味わった。その直後だ。キングの腕の伸びた先……つまり西側の収容棟が、核爆弾による爆風を食らったように崩れ去り、そしてふっ飛ばされていく。
激烈な光景だ。中にはまだ大勢の人が残っていたが、彼らの体もコンクリート建造物ごと散っていく。多数の腕、胴体、首が瓦礫の合間を縫うように舞ってる様がスローモーションのように見える。
「そんな!」
一体何が起きたのか理解できない。キングはビルには全く触れてもいなかったはずだ!
この爆風の一部は激しい上昇気流となり、落下中の俺を襲う。
「くっ!」
それは一瞬熱風のように感じられ、思わず顔を腕で覆ってしまう。視界を奪われたまま空中でバランスを崩してしまうと、どうにも体勢を立て直せない。
気づけば背中から地面に落ちてバウンドしてしまっていた。
「げあっ!しまっ……」
この瞬間を奴は狙っていた。
「うはははは!寝てんじゃねえよ!」
走り込んできた巨大なキングは倒れていた俺の脇腹をサッカーボールのように蹴り飛ばす。
「どりゃぁぁシュートォォォ!」
「がはぁっ!」
奴の強烈な蹴りをマトモに食らってしまい、まともに呼吸もできない。激しく回転しながら俺は200メートルの高さまでふっ飛ばされた。
「ゲッ……ゲハッ……あの野郎!」
上空で痛みのあまり脇腹を押さえていると、突然下からキングが姿を現した。あの巨体でここまでジャンプしやがったらしい!
「な……なにっ!」
「そしてぇアターック!」
と叫ぶと、その巨大な腕を豪快に振り下ろし、俺の背中にダブルスレッジハンマーを叩きつけた。
「ぐ……ぐぎゃああああ!」
自分の体が地上に向かって亜音速で落ちていく。恐ろしいスピードで地面の瓦礫が迫ってくるのが見える……しかし分かっていてもどうしようもなかった。
体勢を立て直す余力もなくそのまま瓦礫の山に頭から突っ込んでしまった。その衝撃の凄まじさでコンクリートの破片は四方に吹っ飛び、近くを彷徨いていたゾンビ達の上に降り注ぐ。数十体のゾンビが瓦礫に押しつぶされてしまっただろう。
「ぬ……ぬぐああ……」
俺は自分が再び死んでしまったかと思ったが、まだ生きていた。
どうにか体を瓦礫の中から引っこ抜いたものの、そのまま起き上がれず、うつ伏せに倒れてしまう。苦痛で顔が歪むが、もう一度立ち上がらなければならない。奴が上空から迫っているのが分かるから。
「くそ……今のは効いたぞ……なんて破壊力だ」
頭から血がダラダラと垂れてくる。しかしどうにか四つん這いの態勢になると、無我夢中で別の瓦礫の山に飛び、キングの三次攻撃をかわした。奴は着地の勢いでそのまま瓦礫の山を粉砕してしまっている。
「はぁ……はぁ……くそっ!」
気合で起き上がったものの、体がフラついて仕方がない。たった2発でこのザマとは……。───こんな野郎には勝てんかもしれん───
俺の心の弱気を見抜いたキングは、仁王立ちしながら嘲笑った。
「グヒヒ。少しは分かったかよ……。テメェが非力な餌だったことをよ」
髪の毛から垂れ落ちる血が目に入り込む。俺は目に入った血を拭って奴を睨んだ。しかしこれも虚勢に過ぎない……。計り知れない奴の底力を前に、恐怖を感じている。───しかもクィーンがここに到来するんじゃ話にならないぜ───
「そんな程度の腕で俺たちに逆らおうってのが間違いなんだよ。大人しく死んどけ」
俺たち……か。キングだけでもバカ強ぇのに、クィーンってのが来たらどうなっちまうんだ……。
○○○
小杉さんの要請を受けた楓さんは、やむを得ず体育館を離れることにした。
コロニーの中は既に侵入してきたゾンビで溢れていたが、小杉さんが派遣した隊員の奮闘により楓さんは無事に誠心寮に到着することができた。
緋袴に着替えた彼女は祖母のいる共同室に入り、畳の上に正座する。
「婆様……ただいま戻りました」
「楓か。よう戻った」
そう言ったきり、大神子は孫娘の方を見ずに黙って祈祷を続ける。
楓さんは目を瞑って集中しはじめる。彼女は祖母の大神子から受け継いだ力を用いて、この戦いの推移を感じ取っているのだ。
しかし彼女の額に汗が滲ぶ。
「やはり敵はあまりにも強すぎます。彼の力は驚異的ですが、ゾンビの王はそれを遥かに上回っています……。このままでは、あの人は死んでしまうでしょう」
目を開けると、彼女は大神子に嘆願した。
「婆様!やはりあの青年に勝ち目はありません。これ以上、彼を絶望的な戦いに巻き込んでしまうのはいけない……」
しかし大神子は黙って祈祷を続ける。その表情は暗いままだった……。




