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マンガニーズ  作者: クン・パジャマ
3章 アンサンクラー年少期編
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カンパーニの朝

 クシータは熟睡を得意とする。睡眠時は常に眠りが深いので、鳥の鳴きがほのかに聞こえてきたとともにぼんやりと目が覚めると、朝だと気づいた瞬間には閃いたように起き上がる。


 クシータの添い寝を仕事としているデナはむにゃむにゃと寝返りを打ち、主人が寝間着から衣服に着替えようとも、雑音を遮断するかのように全身を毛布にくるめてしまう。


 クシータはちかごろデナと一緒に寝るのがイヤになってきている。デナがナウビム城に来た当初も添い寝はイヤだったが、チャンバリンやラソイハラに強く言いつけられ従うしかなかった。


 それから2年のうちに自然として慣れてきていた。


 アンサンクラーに来たころからまたイヤになってきた。なんとなく、デナが女っぽくなってきているのをクシータは感じていた。胸の膨らみなり、体の肉付きなり、クシータは気恥ずかしい。


(女の子と一緒に寝るだなんて男の子のすることじゃないよ。ラジャは1人で寝ているんだもん)


 それにデナが羽根の生えた妖精であるのも気がかりである。


(僕が悪いことしたからデナが来たのかな)


 チャンバリンの迷信を今でもわずかながらに信じている。


 ただ、デナがエンドラ語をわりかし理解できるようになって、クシータは彼女に訊ねたことがある。どこから来たのかと。


「あっち」


 デナが指差した方角は、ダクシナ郡の南部、エンドラセトラの壁とも言える巨大なヴァパサ山脈である。


「デナ、フェアリー。マンガニーズはおいでおいでする。デナがタルミナルホールに来る。でも疲れる。さよならマンガニーズ。デナが逃げる。山、飛んでくる。デナが逃げる。でも疲れる。ワルモノにデナが見つかた。ダーランはワルモノやつけた。デナがダーランは好き」


 クシータには言っている意味がまったくわからない。追われているのかと訊ねたら、デナは首を振る。


「マンガニーズはこっち来ない。だいじょぶ。さよならマンガニーズ」


「マンガニーズって何?」


「レイトアン」


「レイトアンって何?」


「アー。レイトアンがタルミナルホールは作る人。フェアリーはおいでおいで」


「タルミナルホールって何?」


「バチバチッ」


「バチバチ?」


「タック。バチバチッ。デナがバチバチは中にヒューン。マンガニーズが踊れ。デナは踊れ。デナ疲れる。さよならマンガニーズ」


 さっぱりわからないので、それまでとした。フェアリーだのメイドだのと仕組みがよくわからないままに、デナもまたクシータの友達である。


 早起きすると、もっぱら川めぐりであった。従者のラジャも引っ付いてくる。


 郡令府と敷地を同じくしている広大な居館をあとにし、レンガ造りの建屋が並んだ町並みを行く。朝日の昇り立ってくるまで、目抜き通りには柔らかな風が流れる。まだ、荷役労働者や奴隷たちの姿はまばらであって、小鳥が石畳の縫い目をついばむ姿が散見できる。


「おはようございます、クシータ様」


「クシータ様、今日もお元気ですね」


 朝早くから店子に青果を並べている主人だったり、パンを焼いている婦人だったりが声をかけてくる。クシータの名は市民たちにも聞こえが高い。


 朝日を浴びて、レンガ積みの屋根がきらめき始める。


 アンサンクラー郡の都、カンパーニという名の町である。エンドラ古語で「湿地帯」の意味であった。


 郡の北部を囲うファワラ山脈には多量の地下水が貯蔵されており、峰々のそこかしこから大小数々の細流が湧き出ている。


 細流は裾野に下るにつれて川を成してき、やがては平野部に出ると合流して1本の大河となる。


 セット川だ。


 郡都カンパーニは、水流を利用した鉄精製の盛んな町であるが、はるか大海原まで続くセット川の恩恵にも預かる交通の要衝であった。


 ダクシナ郡のナウビム城や、ルハ・オーラ・パヌカのような戦乱時代の遺跡たる城塞を持たないのは、エンドラセトラ統一後に町を成した地域ゆえである。


 湿地帯が意味するように、大昔、この辺りは葦の草ばかりが生い茂る泥濘地帯であった。ファワラ山脈にぶつかった季節風が毎年大雨を降らし、セット河の氾濫は毎度のことであった。一面水日だしの光景で、穀物はおろか、住居を設けるなど、とてもじゃなかった。


 治水事業に着手したのは、初代アバラータ家当主パヌカ・アバラータの次男にして、治水の神として祀られている、アンサンクラー家の初代、バディニャ・アンサンクラーであった。


 バディニャは、本家アバラータ家が鉄鉱石で得た豊富な財力を後ろ盾に、親子三代100年に渡ってセット川に堤防を築き上げた。レンガ造りの頑丈な建物が多いのも、洪水対策である。


 治水事業の目処が立てば、水車小屋を軒並み建設していき、葦の草原ばかりであった不毛な土地も、一大鉄産業の町へと変貌した。さらにルハ・オーラ・パヌカとカンパーニをつなぐアバラータ街道も開通され、今では水陸一体の大動脈の心臓部となっている。


 そんな富み栄えるカンパーニ。


 クシータはこの町の為政者のトップになることを約束されている。ところが、彼には、用水路に回る水車もセット川を埋める櫓船にも興味がない。


(どんな魚がいるんだろ)


 毎朝やって来ては、川魚が川波から跳ね上がってくるのをじっと待つ。


(釣りしたいな)


 レナティリアの無理解に腹立たしくもなって唇をとがらせると、ラジャがたしなめてくる。


「クシータ様。先生のおっしゃる通り、クシータ様は聖旗軍で修行して、大人になったらアンサンクラーの立派な跡継ぎになるんです」


 アンサンクラー家の養子になってしまって、レナティリアの野望は潰えたかのようであったが、実のところ彼女はあきらめてはいない。


 本家当主のアハラがかつてそうであったように、クシータを聖旗軍士官学校に入れてしまい、そのまま都会の水に慣れさせ、なし崩し的に聖旗軍の将校にしてしまおうと今はたくらんでいる。


 ラジャも、レナティリアの野心の詳細は知らないが、先生から「聖旗軍将校になりなさい」と言われている。そればかりか、聖旗軍の勇猛さ、高潔さをこれでもかと聞かされており、ほぼ洗脳されていた。


「私もクシータ様と一緒に聖旗軍で修行して、クシータ様の立派な侍従長になるんです。魚屋の子分なんかになりたくありません」


「僕はそんなこと言ってないよ。川を見てただけだよ」


「魚屋になりたい顔をしてました」


「魚屋さんじゃないよ。魚を育てる人だよ」


「ほら。言いました。やっぱり魚屋みたいなのになりたいんじゃありませんか」


「そんなこと言って! ラジャは友達じゃないや!」


「友達じゃありません。私はクシータ様の従者です」


「どっちも同じだよ」


 レナティリア先生の手下のようなラジャにぷいと顔を背けると、地団駄を踏むようにして川岸から草はらの土手を上がっていく。


 早朝、鉄鉱炉の水車小屋は稼働していない。大河から用水路へとつながる小ぶりの水門は分厚い鉄板に堰き止められている。クシータはぷんすかと堤防を登っていきながらも、水門が川波を跳ね返す様子を何気なく眺めながらだった。


 と。クシータは、切り立った水濠の岸辺、まだらになびいている川藻の茂みの中に動くものを見つけた。ふとして足を止める。じいっと見つめる。


 どうしたのかと言って歩み寄ってきたラジャに「しいっ」と人差し指を唇の前に立てた。


 ラジャもクシータの見つめる先をじっと見つめる。


 わずかに朝日をきらめかせながら、ぬるりと動いた。


「わっ!」


 と、先に跳ね飛んだのはラジャのほうで。


「なんだあれっ! 気っもちわるいっ!」


 しかし、クシータの目は輝いている。


「ウナギだっ! やっぱりウナギだよっ! こんなところにウナギが住んでいるよっ!」


「ウ、ナ、ギ?」


「そう! ウナギ! 食べたら美味しいんだよ!」


「ええっ! ダクシナ郡ではあんな気っもちわるいのを食べるんですかっ!」


「ううん。ダクシナにはウナギはいなかった」


「じゃあ、パヌカ城で食べたんですか?」


「ううん。食べたことないよ。でも美味しいんだよ。カバヤキにして食べるんだ」


 ラジャは首をかしげる。クシータの言っていることが支離滅裂でまったく理解できない。ただ、主人のクシータは変わっているところがある。さして気にもしない。


「ウナギ食べたいなあ。カンパーニの市場にはウナギがあるのかな。父上に聞いてみよ」


 クシータは足早に居館に帰ってくると、継母のファミアには見つからないよう注意しつつ、庭園にイファサを探す。彼は毎朝、植木に水をやるのを日課にしており、やはり色とりどりの花に囲まれながら、じょうろの水をやっていた。


「父上! おはようございます!」


「やあ、クシータ、おはよう。ずいぶん元気じゃないか」


 クシータがファミアに忌み嫌われるようになって以降、気兼ねしてクシータにいっそう優しくなっている。髭面をほころばせながら、駆け寄ってきたクシータの頭を分厚い手で撫でてくる。


 クシータは「ウナギ」のことを話した。


「ウナギ?」


 川の岸辺にいたのだと教えてやる。蛇みたいな形をしていて、ぬるぬるしているものだと。


「ああ。バーママチチャリのことか」


「あれはカンパーニの市場には売っているんですか? 僕はあれを食べたことがないんでとても食べたいです」


「食べる? 何を言っているんだ。あんな気持ち悪いのを食べるだなんて」


 クシータ贔屓のイファサもさすがに眉をしかめる。


「いいかい、クシータ。バーママチチャリはみんなの嫌われ者なんだぞ。あんなの食べていたらクシータが嫌われ者になっちゃうぞ」


「どうしてですか?」


「気持ち悪いじゃないか。すごいヌメヌメしているんだぞ。それにね、バーママチチャリは蛇の偽物だから川に住んでいるんだ。風の神様に嫌われて泥蛇にさせられたんだ」


 エンドラセトラ南東部、アバラータ県あたりでは、蛇を風の神の使者としている。蛇を見かける日はよく風が吹いているという当たり障りのない辻褄合わせからだが、クシータが「ウナギ」としているバーママチチャリは、その風の神に嫌われて川に叩き出されたという迷信である。


 さらにカンパーニの人々にかぎれば、バーママチチャリをことのほか嫌っている。ぬめりもさることながら、川が氾濫し、水が引いたあと、大量のバーママチチャリがそこかしこでうごめいている。


 風の神様が嵐を巻き起こし、それに乗じてバーママチチャリが人々の食料を食い荒らしに来たとして、洪水すなわちバーママチチャリ、人々の災難にかこつけてノコノコと現れてくる泥棒のような生物と位置づけている。


 なので、頭を踏みつぶして川に投げ捨ててしまう。むしろ、水害のあとの憂さ晴らしとして、バーママチチャリを根絶やしにしていくのは一種の狂騒的な祭になってしまう。


(帝都のザルカダエルでもそうなのかな)


 気になったがレナティリアに訊ねるのはやめた。魚の話をするとすぐに機嫌を悪くする。


(みんな食べたことがないからそんなこと言うんだ。食べたらおいしいんだ。絶対に)


 思い浮かべるのはウナギのカバヤキ。じゅうじゅうと小気味よく脂が跳ね上がりながら、しっとりと垂れ落ちてくるのは、潤沢に塗りたくられた琥珀色のタレ。


 よだれが湧いてくる。


(捕まえよ……)


 と、食欲だけには旺盛なクシータは、ひそかにたくらんだ。


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