継母
イファサ・アンサンクラーが「アンサンクラーの父上」ならば、「アンサンクラーの母上」もクシータにはいる。
クシータが居館の広間に朝食を取りにやって来ると、「アンサンクラーの母上」は毎朝誰よりも早く食卓の長テーブルの席に着いている。
「クシータ。ご機嫌よう」
と、レリーフが施された扇子をはためかせながら、にこやかに微笑みかけてくる。
「おはようございます、母上」
「おはよう」
三つ編みに巻いた金髪を頭に結い上げている彼女は、ファミア・アバラータ・アンサンクラーという。母はワキア大公妃殿下、3歳年下の弟には本家当主のアハラ・アバラータである。
おそらく、ナディバインカの鈴と称されたワキアはこれだったのだろう。美しい女性である。また、鋭い眼光を持つ肥え太った母と違うのは、政治の場に出ることもないので、36歳にしてもたおやかな美貌を意地できている。
ただ、少々、ファミアは神経質であった。クシータがやって来た当初は、
(アンサンクラーの父上も母上も優しい人で良かった)
と、クシータを安心させる人であり、彼女も彼女で誉れ高くも可愛げのあるクシータに目を細めていたが、実家の弟のアハラ・アバラータが周囲に振りまいているという噂を聞いた。
クシータの将来の妻には姪をあてがわない――、つまり、ファミアの娘をクシータに嫁がせるつもりでないことを知ると、彼女は眉間にしわを寄せるようになった。
「おかしいですわ!」
と、ファミアは夫のイファサ・アンサンクラーに金切り声を立てる。
「わたくしとクシータがはとこで、パミアとクシータは血がさして濃くありませんもの! それなのにどうしてクシータのお嫁様がパミアではよろしくないのです! あなた、アハラに申し立ててくださいませ!」
「いやはや――」
夫のイファサ・アンサンクラーは、本家からやって来たこの嫁にだけは頭が上がらない。とはいえ、本家当主にしてアバラータ県の支配者であるアハラの思惑もなんとなくわかっている。
アハラはサング利権獲得のために、自身さえ、遠方の公から妻をめとったぐらいである。そんな彼はゆくゆく姪を政略結婚の駒に使いたいのである。
「筋が通っていませんわ。あなたもクシータのお嫁様にはパミアとお思いでしょう?」
「それはそうだが」
「アハラに言ってくださいませ!」
ファミアに叩き出されるようにしてパヌカ城のアハラのもとを訪ねると、
「パミアの嫁ぐ先はもう決めている」
と、アハラは言う。
「イファサ。今回ばかりは俺の言い分を聞いてもらうぞ。なぜなら、クシータを嫡男に迎えたいという貴様の願いを叶えてやったのだ。クシータのような有望な者ならば西部の大公家にも婿入りできたはずだ。バフータも実のところそれを望んでおったのだ。しかし、俺たちは貴様の要求を呑んでやったのだ。わかるな、言っている意味が」
毅然として自身の考えを貫くアハラにイファサはたじたじであった。重い足取りでアバンクラー街道を戻ってくると、ファミアは発狂した。
「アハラはめちゃくちゃですわっ! 私が母上に申し立てますわっ!」
ところが、すでに大御所のワキア殿下もアハラの強い意志で言い含められていたのだった。
「クシータにはナディバインカの美しい者をあてがいます」
「母上っ! ならばわたくしはクシータの母をしている意味がないではありませんかっ!」
「意味がないなどと何をおっしゃっておるのです。クシータはあなたと同じアヤガラ一族、どころかアバラータ家の血縁者ではありませぬか。それにクシータは私の従姉妹の子ですよ。それをあなたは、なんと器量の狭い」
ファミアはアバンクラー街道の石畳に揺れる馬車の中でうなだれた。
悲しみに暮れるファミアを「仕方ない」と言ってイファサが励ますが、ファミアは発狂してイファサを部屋から叩き出す。
イファサもアンサンクラー家初代当主からの直系ではない。イファサの祖父はアバラータ郡の小公の出自で、やはり、跡継ぎのなくなったアンサンクラー家に入ってきたのである。なので、血縁云々では強気に出られない。
イファサも娘のパミアをクシータの妻にしたいのは山々である。
いっぽう、妻のファミアにとっては、ワキアにわめいた通り、クシータを息子にしていることなどまったく意味がなくなった。
「おはようございます、母上」
「……」
クシータを無視し始めた。
三食共にするときも目を合わせない。よく喋り、よく笑っていたというのに、クシータの前となると途端に無口になる。つまらなさげにパンをちぎり、スープを喉に通せば、いちいち溜め息をつく。
侍女を連ねているときに居館の回廊ですれ違い、頭を下げて行く手をゆずるクシータであっても、そんなものハナからいなかったようにして通り過ぎて行ってしまう。
(悪いことしちゃったのかな……)
クシータはファミアの態度が急変したことについて、ラジャに相談した。
「イファサ様にご相談すべきです」
なので、ファミアがいないときを見計らい、
「母上は僕をお嫌いになってしまったんですか? 悪戯してしまったのなら、母上に謝ります」
「いや――」
イファサはこういうことになるとはっきりしない人だった。嫌いになったわけじゃないから案ずるなと言って、なんら解決しようともせずにごまかした。
クシータが修行に身が入らなくなったので、レナティリアが叱責する。
「坊っちゃま! やる気があるのですか!」
「先生」
と、助け舟を出したのはラジャだった。
「クシータ様は悲しいことがあったのです」
「悲しいこと?」
うつむきながら鼻をすするクシータの脇で、ラジャは明解に説明した。事情を知ったレナティリアは溜め息をつきながらも、「駄目です」と言う。
「エンドラセトラにはさまざまな人がいるのです。そうした人たちに気分を左右されてはなりません。自分を信じて正しい道を歩むためには、どんな悲しいことも辛いことも克服していかなければなりません。ラジャ。あなたにも言えることですよ」
鬼先生の情け容赦のなさに、2人の子供はうつむきながら「はい」と力なくうなずくしかない。
しかし、修行を15時に終えると、レナティリアは居館の庭園で侍女たちとともに花を愛でているファミアを見つけ、歩み寄っていった。
「奥方様、なにゆえクシータ坊っちゃまを邪険に扱われるのです」
「邪険?」
ファミアは母親によく似た鋭い眼光をレナティリアにぶつける。
「あなたは何をおっしゃっているのです。かようにつまらぬことを申されるのであれば、アンサンクラーから引き払っていただいて結構!」
金切り声を響かせると、レナティリアから顔を背けた。レナティリアもさすがに退かざるを得ない。
(厄介な年増お嬢様ね……)
レナティリアがそう思えば、ファミアは扇子をぎりぎりと握りしめながら、
(軍人くずれのくせにお澄ましして! いけ好かない女!)
苛立ちの日々が続くと、レナティリアの若さに弾ける美貌さえ忌々しくなってきていた。
ついにはある日、クシータやレナティリアの修行の時間に乗り込んでき、こう言い出した。
「あなたたち、剣の腕を磨くのは結構でございますが、毎日毎日、カコンカコンと騒がしいものですから、あなたたちが来る前にはよくお庭に訪ねてきた鳥たちもいなくなってしまったではありませぬか」
レナティリアはしぶしぶ剣技の修行は居館の外、町の外れの川べりまでやって来て行うようになる。
これをきっかけにクシータを無視していただけが、ぐちぐちと言うようになってくる。
「あなた」
と、食事中にクシータを呼びつけると、フォークを持つ手がなっていないと難癖をつける。イファサが苦笑しながらたしなめても聞く耳を持たない。
ある日にはパンツに皺が寄っている。
ある日には姿勢がだらしない。
挙げ句には髪の毛に綿埃が付いている、と言って、何事もなっていないのはダクシナ家の下級貴族だからだ、ダクシナの田舎者なんかと食事をしたくないとわめき散らし、広間を出て行ってしまった。
仕方なく、イファサはクシータだけは朝昼晩の食事を広間で取らせず、自室で取るようにさせた。
「ダーラン、こっちいい。あっちダメ」
と、共に食事を囲むようになったデナが言えば、ラジャもうんうんとうなずく。
「クシータ様。これで良かったんです。ファミア様と会わなくても大丈夫になったんです」
「うん……」
お人好しのクシータはラジャの言うように割り切れない。自分が何か悪いことをしてしまったせいだと意気消沈してしまう。
(僕はアンサンクラーに来ないほうが良かったのかな……)
もっとも、ファミアと顔を合わせなくなったことにより、しばらくは継母イビリも落ち着いた。




