独占社会
早朝にミヤラー村を発って、アバラータ郡の草原を行く。
「フェアリー?」
さっそくレナティリアに訊ねると、レナティリアの声が大きかったので心配になってクシータは後ろを見やった。
デナは鼻歌を口ずさんで気に留めていない。
「メイドのくせに」
と、サイニカに悪態をつかれながらも、デナはウシの背中に乗って上機嫌である。
「フェアリー? さあ? なんです、それは。どうしてそんなことを訊いてくるのです」
「え。いや、あの、昨日、夢に見たからです」
「それは――」
と、盗み聞きしていたチャンバリンが笑みを浮かべながら振り返ってくる。
「精霊ですぞ、坊っちゃん。イタズラをする精霊です。夢に見たということは坊っちゃんはおとなしいから、そのフェアリーはイタズラしに来たんですな」
「ちゃ、チャンバリンは見たことあるの?」
「ないです。ただ、お祖母さんによく言われてました。フェアリーと遊んじゃ駄目だと。フェアリーはものすごく可愛くて愛想がよくって、でも遊びに誘われても付いていっちゃ駄目だと。イタズラをされるから。なあ、サイニカ」
チャンバリンが後ろに顔を振ったので、クシータも見やった。
「ああ。フェアリーとかエルフとかはイタズラをするし、一晩中一緒に踊らされて頭をおかしくされるし、バカになるから付いてくなって言われたな」
デナが鼻歌をやめており、サイニカをじっと見つめている。
フェアリーという単語に反応してサイニカの表情をうかがっていた。
そうして、デナは頬を膨らませながら、つぶらな瞳でクシータと目を合わせてきたのだった。目を合わせると首を小さく振った。
レナティリアが言う。
「戒めみたいなものです。悪い女に引っかかるなということです」
「違うっ。レナティリア殿は何を言っておるのだっ。私のお祖母さんは言っていたのだっ。昔々、エンドラセトラの南部に住んでいた若い兵士が、フェアリーの踊りを見て頭がおかしくなってしまい、フェアリーがいなくなってもその若い兵士は一週間ずっとバカみたいに踊っていて、食事も水も摂らんかったからしまいには死んでしまったのだと言っていたのだぞっ」
「お伽話ではありませんか」
「お伽話ではない! フェアリーはいるのだ! だから、悪いことはしてはいけないのだ!」
「はいはい」
「坊っちゃん、わかりましたか。おそらく、坊っちゃんは昨日悪いことしたんではありませんか。だから、フェアリーが夢に出てきたのではありませんか」
「坊っちゃまは不思議なお子さんゆえ、そういう不思議な夢を見るだけです。坊っちゃまが悪いことをしたからそんなものが出てきたのではありません。そもそも、坊っちゃまは悪いことしてませんよね? 悪党を追い払って、むしろいいことをしているじゃありませんか」
「坊っちゃん、レナティリア殿は頭がいいかもしれませんが、こういう変人っぽいところがあるので、あまり鵜呑みにしてはいけませんぞ。私たちは常にたくさんの神様に見られているのです。悪いことをすると神様の命令でそうした変なものがやってくるのです。善いことをすれば神様のご加護が与えられるのです。そして、ダクシナ家のために善いことをすれば、坊っちゃんにはご先祖様のご加護、創立帝様のご加護が与えられるのです」
レナティリアが鼻を背けて黙ったので、くだらぬ論争はおさまった。
クシータは再び鼻歌を口ずさみ始めたデナを見やる。何か悪いことをしたから彼女は現れたのかと心配になってしまう。
(でも、デナは踊っていないもんな……)
どう見てもただの女の子。羽根が生えているというだけだ。
それに気付かなければここにいる誰もがデナをフェアリーとは知らない。
アバラータ郡の草原はナウビム城周辺と似たような光景である。
ただ、ウシやウマが集団で放牧されているのが散見できた。
ナウビム城の周りでも一頭か二頭、草を食んでいるさまが視界に入ってくるが、パハロマ山のこちら側は家畜生産を職業としているようであった。
レナティリアがクシータに語る。
「ウシはさばいて肉にしたり、乳を搾り取ったり、このように運搬用を育てて売ったり。ウマはもっぱら移動手段のために育てられます」
社会見学授業になっている。
「どうしてナウビム城ではそれをやらないんですか?」
クシータが訊ねると、レナティリア以外の大人たちは後ろめたいふうに目を伏せた。
レナティリアもいっとき口を噤んだが、そういう性格の彼女はやはりずけずけと言った。
「育てるだけの資本力と労働力が不足しているからでしょう。カネと人がないのです」
チャンバリンがむっとした。
「語弊がありますな、その言い方は」
さきほどの論争の余韻もあってチャンバリンはいちいち突っかかってくる。
「確かにですな、カネがない、人がいないのは事実ですぞ。しかし、アバラータ県のアディカセラで、ウシやウマの酪農で商売するには畜産サングに入っていなければならんのですから。酪農だけではありませんぞ、麦だって、麦サングがありますし、ミヤラー村の木こりだって、伐採者のサングがありますし、皇帝直轄の帝都や帝都周辺の中西部のようにですな、自由に商売できるようなところではないんですぞ。こういう田舎はがんじがらめなのですぞ」
「それぐらい私とて存じております。とはいえ、ダクシナ家はアバラータ家の分家であって、遠い庶家ではないのですから、本家のご当主の県令殿に斡旋してもらえばよいではありませんか。それが田舎の慣習でございましょう?」
「これだから軍人は――」
またしても一行の雰囲気が殺伐としてしまい、クシータは気が気じゃない。
「たとえ本家に口をきいてもらったところで、新参者はサングに入会するために莫大なカネを払わなくちゃならんのです。毎年の上納金も高額ですし、それに、アバラータのサングに所属している者たちがダクシナ郡に来ないということは、ダクシナ郡の狭い土地でそれをやっても利益が上がらんということなのですぞ」
レナティリアはむっとしながらも反論できないでいた。
つまり、「サング」とは特定産業を独占するために組織された組合である。
エンドラセトラ全土には万単位で、サングが散らばっている。各産業を生業にしている者たちが同業者と組織を結成し、自分たちの利益を確保するため、新たに商売を始めようとする者や、他所の地域から進出してくる者が現れないよう、土地や市場を独占している。
例えば、林業であれば、サングに加盟していない木こりが木を伐採してきても、その木材を購入する材木業者が買ってくれない。運搬業者が運んでくれない。林業系のサングが彼らに圧力をかけるためである。
材木の加工業者や運搬業者からしてみると、サングには既存顧客が大勢加盟しているため、サングの指示を受けた加盟者たち(既存顧客)に取引を打ち切られてしまったら、生計が成り立たなくなってしまう。
また、農作や酪農を始めようとした者が、土地を購入もしくは借用しようとしても、やはり、畜産農作系のサングが土地の所有者に圧力をかけ、新参者に売らせないようにする。サングの目を盗んで新参者が購入できたとしても、サング加盟員たちから嫌がらせを受ける。殺されてしまうときもある。組織が巨大なサングは私兵すら雇っているのである。
そうした巨大なサングともなると、その地方の行政府と繋がっている。彼らは昔で言う大公や公、今で言う県令、郡令たちに上納金を支払っている。そうして、自分たちに有利なアディカセラを作成執行してくれるよう取り計らう。
アバラータ県には、アバラータ県のアディカセラが、「指定しているサングに所属していなければ新規事業は起こせない」となっているので、県内の経済は県令とサングによって独占支配されている。
なので、サングから税金を徴収しているアバラータ本家ばかりが潤っており、ダクシナ家は貧しいのである。
「レナティリア殿には信じられんかもしれんが、セゴ屋のようなあんなちっぽけな店ですら食料商人のサングに加盟しておるのだからな」
セゴ屋の女店主はアディカセラで定められている食料サングに加盟しているため、サングに上納金を支払っている。そして、食料サングがアバラータ県令府に加盟者一覧を報告するとともに業界を代表して納税している。
となると、ダクシナ郡令府には一銭も入ってこない。
実質、ダクシナ家はダクシナ郡の支配者ではなくて、アバラータ本家から派遣された警備員というだけである。もちろん、警備員なのでアバラータ本家から対価は支払われているが、サングを取りまとめている本家の収益に比べればたかが知れている。
さらにダクシナ家を困窮させてしまったのが、階級撤廃によって発生した納税の義務であった。
アバラータ本家も納税の義務を課せられたが、本家は執行しているアディカセラが剥奪されないかぎり、サングからの収益が半永久的に入ってくる。経済を促進させればさせるほど本家が潤うシステムには変わりない。また、納税先の州令府の幹部に賄賂でも送れば、納税率をごまかせる。
ダクシナ家はダクシナ郡を開拓したところでどのみちサングに上納金を支払わなければならない。収益よりも支出のほうが多くなりかねなく、手の打ちようがない。歳月が経つごとにマイナスしていくばかりなのである。
サバーセが頭に来ているのも無理はないのだ。
「もしも頭の悪いサバーセ様がそういうところまでわかるようになってしまったら、大変なことになってしまう。いや、もうわかっているんだろうかな。本家がアディカセラを撤廃すればダクシナ家だってダクシナ郡だけでやっていけるかもしれんのだから……」
各所でラグタラが発生しているのはそういう事情があった。
一連の構造をかいつまんで聞いていて、子供ながらになんとなく理解したクシータは、不安を覚えた。
サングに所属していなければ新規事業を起こせない。
となると、
(お魚さん生け簀で育てるのも駄目なのかな……)
夢は養殖業者のクシータは、心配になって、チャンバリンのコートの裾を引っ張って訊ねてみた。
「アヌパビーを育てる? そんなサングがあるはずないじゃありませんか。アヌパビーなんて育てられないのですから」
クシータはほっと安堵した。しかし、レナティリアが厳しい視線を送ってきている。
「まだ、坊っちゃまはそのようなことをおっしゃっているのですか。そんなものは趣味でおやりなさいと申したはずでしょう」
「はい……」
と、クシータはうつむいたが、胸中、そこだけは譲らないつもりでいた。