鉄の星に座する
アバラータ県を統治する県令府、及び、アバラータ郡を統治する郡令府は、ルハ・オーラ・パヌカ城のちょうど中央の内城に構えられている。
アバラータの町はダクシナの町と同じく城塞都市である。しかし、ナウビム城内の町並みに比べ、パヌカ城は規模の大きさが歴然としている。
いったい、パヌカ城内にナウビム城は幾つ入るだろうか、鉄柱の巨大な門をくぐり入り、クシータは度肝を抜かれていた。
この城塞も、パヌカ城の城壁の向こうに望めるメーラー山も、クシータが想像していたものとはまったく違った。
そびえ立つ城壁は、積み上げた土塁の表面を大量の石材でびっしりと埋めており、ナウビム城のような掘っ建て板でなければ、その高さは城壁の上を歩いている衛兵の表情がうかがえないほどである。そして分厚い。門をくぐったときにクシータは両手を広げて厚さを測ったのだが、腕があと十本は必要だと思った。
また、門をくぐって諸手を見やると、城塞の端から端までがとにかく広かった。右手の城壁の上に掲げられている旗が、そこにあるのかないのか、目を凝らさなければわからないほどに小さく見える。
城壁の向こうに広がるメーラー山は、パハロマ山のようなごつごつとしたものを想像していたらまったく違っていて、逆に丸い。山というよりか巨大な丘である。山頂が真っ平らに広がっており、山の斜面は段々になっている。その段々は裾野に下がるほど長くなる。
レナティリアいわく、メーラー山はもともとは丸い山ではなかった。鉄鉱石を採掘するために削られ、あのように丸くなった。
また、城塞内部は木造の建屋にびっしりと埋め尽くされている。チャンバリンによれば、約十万人の人々がここで生活を営んでいる。
「創立帝様の統一戦争期、パヌカ城はルハ・オーラ城と呼ばれておりました。エンドラセトラの昔の言葉で、鉄の星という意味だそうですな。戦乱時代から今まで、ここはエンドラセトラ南東部における最大の都市なのですぞ」
アバラータ県の歴史ならレナティリアよりチャンバリンのほうが詳しい。
エンドラセトラ平定後、イスカ・ザルカダエルの五男、パヌカ・アヤガラがアバラータ県を与えられてパヌカ・アバラータとなり、やがて、次世代になると、太古からの呼び名にパヌカの名が付けられるようになった。現代ではパヌカ城が通称となっている。
「つまり、坊っちゃん、ダクシナ・アヤガラ家は、創立帝様の五男、鉄の星を与えられるほどの人物の血を分けた由緒ある家なのですぞ」
まったく、説得力がなかった。血を分けたなどとはおこがましいほどにパヌカ城は巨大なのだ。
大手門から内城まで続く真っ直ぐな目抜き通りを行けば、クシータは何度も何度も身を交わすぐらい人の往来が激しくて、軒を並べる建屋の先では、がなり声を立てて客の呼び込みをしている野菜売り、色彩にあふれる果物売り、軒に吊るした巨大な肉塊を長刀でスライスしている肉屋、通りにせせりでた屋根の下ではすす汚れの男たちが肩を寄せ合いながら得体の知れない長細い食べ物をずるずると吸っており、痴話喧嘩をしている若い男女、大きな水瓶を頭に乗せながら練り歩いている女、路上でウマの死体に試し切りをしている武器商人、それを囲う客なのか野次馬なのか不明な者たち、覆面を剥いだレナティリアにへらへらと笑いながら声をかけてきたものの睨み飛ばされて逃げ出した男、見るものすべてがクシータの目には斬新かつ忙しくて、内城の大門の前に来たときには精神的にへとへとで、両膝に両手をついて溜め息をついた。
「先生。帝都ザルカダエルはもっとおっきいんですか」
「ええ。ただ、こんなガサツな雰囲気ではありませんが」
レナティリアも目抜き通りを来る最中、終始しかめっ面であった。
内城も城壁に囲まれているが、さすがにそこまで高くない。また、都市を囲っている城壁と違って、石の色が白っぽい。なので、ゴミゴミした町の中にあって、ここだけは毅然と高貴に浮かび上がっていた。
大門付近は十数人の衛兵に警備されており、チャンバリンはその中の格上そうな衛兵に用件を伝えた。すぐに大門の通過を許された。ダクシナ郡のちっぽけな貧乏貴族だが、それでもやはり元は貴族であるらしく、クシータ一行が大門を通過し終えるまで衛兵たちすべてが頭を下げてきていた。
内城は正面に宮殿、左右それぞれに県令府と郡令府が入る庁舎があった。やはり内部も同じく白っぽい石で組み上げられて、白い土で塗られており、レナティリアがこそこそと耳打ちしてきたところによると、この白の造りは帝都ザルカダエルを真似ているらしい。
帝都の町並みはすべてこうした白亜の造りだそうだが、
「おそらく」
と、付け加えたレナティリアの話だと、白い壁や土は、石灰岩だったり海藻だったりが原料であり、エンドラセトラ南東部にはそれらの産地がないので、本当はアバラータ家の当主は帝都のような町並みにしたかったが、資金が足らないので内城だけは帝都を模したのではないか。
宮殿と庁舎に挟まれた噴水池も、帝都の中央広場を小さくしたものに似ているようである。
帝都育ちのレナティリアは小馬鹿にしていたが、ナウビム城育ちのチャンバリンは大門をくぐった途端、急に背筋を張り上げた。この田舎者は、ここに何度も来ているくせに、白亜の装いに飲み込まれてしまっているようであった。
また、彼ら一行は滑稽でもあった。太った田舎者の侍従長であったり、薄汚れた白いマントを背負う家庭教師であったり、ウシ二頭を連れている衛兵、サイズの合わないチュニックを着ている少女、庁舎を行き交い、あるいは噴水池でくつろぐ役人たちは、この一行を言葉には出さなかったものの、嘲笑していた。
しかし、大門を警備する衛兵が伝言していったらしく、このダクシナ家御一行に含まれている子供が、釣り竿を発明し、誘拐団を撃退した、あのクシータ・ダクシナ・アヤガラだと知った者は、見る目を変えた。というよりも、驚いていた。彼らが耳にしていたよりも遥かに可愛げのある田舎のお坊っちゃまだったのである。アバラータ県を騒がせているサバーセの弟とは思えないほど、鳶色の瞳の輝きが純粋に優しい子供だったのである。
無論、クシータは周囲の目に気づかない。噴水池に皆を残し、チャンバリンと二人きりで宮殿に入っていくそのつど、人見知りのクシータは気分を暗くさせていた。
(本家の人は怖いんだろうなあ。やだなあ。お話したくないなあ)
県令府及び郡令府の庁舎には人の出入りが見受けられたが、宮殿の石柱が立ち並ぶ吹き抜けの回廊はしんと静まり返っていた。ところどころで衛兵が銅像のように身動きせずに立っているだけである。
その点、ナウビム城の天主塔に似ていた。古びた天主塔と小奇麗な白亜の宮殿では見た分はかけ離れているが、ある種の陰気さ、沈鬱さはほぼ同等であった。
玄関口から入って真っ直ぐ来ると、木製の両扉の前でクシータとチャンバリンを待ち構えている者がいた。上等そうな黒いウールのチュニック、裾の幅が広く足首まで丈の長いものを纏っており、黒の短髪に白肌の、ユーヴァぐらいの青年である。その青年がこちらにゆっくりと頭を下げてき、下げ終わる前に、チャンバリンがあわてたふうに回廊の石床に足音を鳴らして駆け寄っていった。
「これはジャバン殿っ。わざわざお出迎えいただきっ」
クシータは置いてけぼりにされてぼうっと突っ立ってしまう。恰幅のあるチャンバリンがジャバンなる背高の青年にへこへこと腰を丸くし、かつて見たことのないおもねりようである。
「ぼ、坊っちゃんっ。何をされているんですかっ。こちらに来て、ご挨拶をっ」
チャンバリンにせっつかされてクシータはちょこちょこと扉の前に駆けていく。チャンバリンの脇に立ち止まると、黒い瞳に端正な顔立ちのジャバン青年を一度見上げ、姿勢も良くして頭を下げた。
「初めまして! クシータ・ダクシナです!」
「これはご丁寧に。私はアバラータ家の侍従長、ヌラ・ジャバンです」
彼が自己紹介を終えてもクシータはしっかと頭を下げたままでいたので、ヌラ・ジャバンは片膝をついてクシータの目の高さになると、クシータの肩を取り、微笑みながら「丁寧なご挨拶、ありがとうございます」と、クシータに頭を上げてもらうよう促してきた。
頭を上げたクシータは緊張で瞼を大きく広げながらヌラ・ジャバンと向かい合う。ヌラ・ジャバンはクシータの彫像ぶりがおかしかったようで、微笑みの上にさらに目尻を緩めた。
「誉れ高きクシータ様にお会いできて光栄です。クシータ様は噂通りに見目麗しいですね。是非とも賊徒を退治したお話をゆっくりとお聞かせ頂きたいものです」
クシータは思わずはにかんだ。例の事件後、大勢の人々に囃し立てられたものだが、クシータはこのとき初めて照れた。ヌラ・ジャバンの物腰の柔らかさと清潔さがクシータにそうさせたのだった。
もっとも、チャンバリンは情けないほどおもねる。
「ジャバン殿のお褒めの言葉に預かれるとは、恐縮でございます」
「アハラ様がお待ちかねです」
チャンバリンの過度なおもねりを制するようにしてすっと立ち上がったヌラ・ジャバンは、両扉のそれぞれの引き手に手を伸ばし、開けた。
謁見の間である。
クシータは思わず口を広げた。
回廊の陰鬱さは、この広々とした部屋の色彩を際立たせるための演出だったのか、何本ものろうそくを立てた大きなシャンデリアの橙色の明かりが、壁画や彫像、柱に彫られた模様を荘厳に浮かび上がらせ、まばゆいばかりに真紅のレース、金房に縁取られた白い絨毯、正面両袖の花柄の磁器の瓶には色とりどりの花々がさらに活けられていて、見るも鮮やか、クシータのまったく知らない世界がそこには広がっていた。
「これはアハラ様っ! お忙しい中恐縮でございますっ!」
と、チャンバリンが這いつくばらんばかりの平身低頭で騒いだが、クシータは謁見の間に呆気に取られるばかりで頭を下げるのを忘れていた。
「ぼ、坊っちゃんっ!」
と、チャンバリンに頭を掴まれ、無理くり押し込まれるも、すぐに正面の座から低く響く声が届いてきた。
「よいではないか、チャンバリン。幼な子にそう強要するんじゃない」
「ご挨拶をっ」
「く、クシータ・ダクシナですっ! は、初めましてっ!」
「ああ、存じている。クシータ、おもてを上げろ」
クシータはチャンバリンの手に襟首を掴まれるままに頭を上げた。
そうして、クシータが置いた視線の先、金で飾り付けられた正面の椅子に座しているのは、思いがけずに若々しい男であった。アヤガラ一族伝統の金髪を肩まで伸ばし、鳶色の瞳をらんらんと輝かせ、やがてはクシータに波乱の生涯を歩ませる宿命の男は、口許に確固たる自信を覗かせてクシータに笑むのだった。
「俺がアバラータ家当主、アハラ・アバラータだ。クシータ、遠路はるばる大義であった」




