現れた、妖精
石灯籠の淡い火だけが頼りの庭に出ると、ちょうど、サイニカたちがテントを組み終えていた。
「ダーラン!」
と、クシータの姿を確認したなり、金髪少女は飛び跳ねて喜ぶ。謎の単語を弾ませ、駆け寄ってくる。唐突にクシータの頭を抱きしめてくる。
「ヘッタビューサモシー。ニエザウバビ、チャチウサウストレッカ。ヤ、ニエ、チャック」
「おいおいおいおい! 何をやってんだ!」
にわかにサイニカとユーヴァが駆け込んできて、クシータから少女を引き剥がすした。
ユーヴァに羽交い締めにされながら、少女は騒ぎ立てる。
「カムウ! ヤ! エンツジラスト、ヲン!」
「坊っちゃんにベタベタ触るなっ! お前はっ、坊っちゃんのっ、メイドっ! メイドっ! メイドっ!」
「ビエクリサリ、ア、メイドゥ!」
少女は髪を振り乱しながら首を大きく振る。
仕草からしてメイドは嫌だと言っているのだろうが、メイドという言葉を何か違うものと勘違いしているのかもしれない。
クシータが言ってやる。
「大丈夫だよ。メイドじゃないから」
「メイドですよっ、坊っちゃんっ。いやっ、それすらもまだ決まっていないんだ。バフータ様は了承していないんだから」
少女はサイニカの言葉を理解しているのだろうか、サイニカに向けて頬を大きく膨らませたものの、落ち着きを取り戻し、ふてぶてしい顔つきでうなずき出した。
「タックタック、ヤ、ナッソウ。メイドゥ、メイドゥ、ヤ、ナッソウ」
おそらく、はいはい、わかりました。メイドでいいですよ、メイドで、と、言っている。
サイニカがうなずくと、ユーヴァは少女を腕から解放した。
フン、と、少女は鼻先をそむけ、テントのほうへ歩いていく。
「ファック」
と、テントの中へ入りぎわ、少女はサイニカとユーヴァに向かって中指だけを突き立てた。眉間に皺を寄せつつ、歯を剥きたてて、明らかに侮辱的な仕草である。
その意味は、クシータはおろか、サイニカにもユーヴァにもわからない。異境の野蛮人のやることとして相手にしない。
「まったく、とんでもないのを拾っちゃって。ところで、坊っちゃん、何を持っているんですか」
「あ、うん、これね、ペーラさんからお肉を貰ってきたんだ。みんなも食べて」
「えっ、いいんですか、私ごとき」
サイニカとユーヴァは顔を見合わせたあと、切り分けられた鶏肉を革手袋のまま一切れずつつまみ、口に運んだ。
「おおっ、うまいっ。いやあ、鶏肉なんて久しぶりだっ」
「いやあ、私なんて5年ぶりぐらいですよ、兵長」
「先生は? レナティリア先生は?」
「ああ、レナティリア殿なら不審者がいないかどうか見回ってくるなどと言ってどこかに行ってしまいました」
「そっか」
クシータは皿を両手に持って、てくてくとテントへ歩いていく。
「坊っちゃん、あの娘にもあげるんですかい」
「そうだよ」
「いや、坊っちゃん、そういうことをするもんじゃありませんよ。そういうことをするとね、味をしめてしまうんですよ。あの娘はメイドなんですから。坊っちゃんの奴隷なんですから」
「奴隷なんかじゃないよ。友達だよ」
「友達じゃないですって。坊っちゃんはあの娘の主人なんですよ」
「じゃあ、主人が友達って言っているんだからいいじゃない」
「あの娘の主人はバフータ様っ。坊っちゃんのお父上様っ」
「僕が主人じゃなければ、あの子は僕の奴隷じゃない」
サイニカは溜め息をついた。ああ言えばこう言うクシータにかなわなくなって、
「好きにしなされっ。あとで怒られても知りませんぞっ」
と、さじを投げて、食事の支度を始めた。
クシータはてくてくとテントへ歩いていく。
「我々にも肉を分けてくれる気遣いはありがたいが、あの強情ぶりはバフータ様に似たんじゃないのか。そういや、サバーセ様やドサーラ様も性格は違えど強情だな。ダクシナ家には強情者の血が流れているんだろう、まったく」
サイニカがユーヴァにぐちぐちとつぶやいていたが、クシータは気にせずにテントの出入口の裾を広げる。
少女はランプの火の照明を浴びつつ、テントの真ん中に大の字で寝そべっていた。一度はふてぶてしい目つきを寄越してきたが、クシータと気付くなり、灰色瞳を喜色に輝かせながら起き上がってくる。
「ダーラン!」
少女はクシータに飛びついてきて、クシータをテントの中に引っ張ってくる。テントの外に顔を突き出してサイニカとユーヴァの様子を確かめたあと、テントの裾紐を結んでしまい、突っ立っているクシータに満面の笑みで声を甘やかせた。
「ダーラン」
「ダーランって何?」
少女は鼻歌を口ずさんだ。目尻を緩めたままルンルンとしてクシータの隣に体をすべらせてくる。クシータの横顔をうっとりと見つめてくる。頬に口づけしようとしてくる。
ザーベライのクシータはそんな気もしていたので、かわした。
「駄目だよ。サイニカに怒られるよ」
少女は唇を尖らせて頬をふくらませる。
「ボッルゥ。スカピ」
「わかんないけど、これ。キミも食べなよ。ペーラさん。ここのね、ここの家のお兄さんがくれたんだ」
少女はクシータが差し出してきた皿の上に視線を落とした。じっと鶏肉を見つめる。
少女が訝しがっているので、クシータは鳥が羽ばたいている真似をした。
少女は首を振った。
「ニアマ」
クシータが首を傾げると、少女は人差し指で自分の胸元を差す。ついで両手を広げて羽ばたかせたあとに、右手で口を開けてみて食べる真似をしたあと、再度、首を振った。
「ニアマ」
「駄目なの?」
「タック」
と、首を縦にしてうなずく。クシータを指差し、食べる真似をする。クシータが食べろということだろう。
「うーん。じゃあ、ここに置いておいて。先生が帰ってきたら渡してあげて」
少女は微笑んでいるが首をかしげているので、クシータは髪の長い仕草をし、人差し指で目尻を吊り上げた。
「オオ! リホディージャ、リウディズィ」
「わかる? 先生。あの人は先生」
「センセ?」
「そう。レナティリア先生」
クシータは目尻をもう一度吊り上げて、レナティリアの名前を言う。すると、彼女も垂れ目の瞼を吊り上げて「レナティリア」と言い、愉快そうに笑う。
「先生が、ここ、帰ってきたら、これ、はいって渡して」
「タック。センセイ、ココ、カエッテ、コレ、ハイ」
通じたようなのでクシータはにこにこと笑った。
「ダーラン、コレ」
と、少女はクシータのハンチング帽を指差してきた。
「プレゼントしてもらったんだ。ペーラさんに。ここの家のお兄さん。ペーラさん」
「ペーラサン」
「そう、ペーラさん」
少女は瞼を押し広げてうなずきながら、親指と人差し指で丸を作って見せてきた。クシータはなんのサインなのかわからないので首をかしげる。
にこにこと表情を柔らかくして彼女は言う。
「スタック、ペーラサン」
「キミのお名前は?」
クシータが指を差すと、少女はうなずいた。
「デナ。ヤ、デナ」
「デナ?」
「タック。ヤ、フェアリー」
「フェアリー?」
「タック」
うなずいたデナであったが、クシータの唇の前に、デナは人差し指を立ててきた。もう片方の手を自分の口の前に置いて話すジェスチャーをしたあとに首を振る。
二人だけの秘密ということらしい。
「フェアリー?」
「タック。ダーラン、イ、デナ、サクレット」
「僕はダーランじゃないよ。クシータだよ」
聞いていたのか聞いていなかったのか、デナはクシータに背を向けてくると、突如、チュニックを脱ぎ始めた。
唐突な出来事に混乱して、クシータはテントから出ようとしたが、固紐結びだったのでなかなかとけない。
そのうち、とうとうデナは上半身をあらわにしてしまって、クシータはあわてて両手で顔を覆おうとしたが、覆う前、とんでもないものが目に入った。
ランプの火の橙色が溶け落ちる透き通った背中。なんと、クシータぐらいの大きさの羽が広がっている。
クシータはあんぐりと口を開け、透けて綺麗な衣のような羽を眺める。
どころか、羽はゆっくりと生き物めいて動き始めたのだった。
デナは愛らしい微笑に幼さ残る甘酸っぱさをほのめかせる。横顔だけを振り向かせてき、人間でない者しか表すことのできない艶っぽさを覗かせてくる。
デナはチュニックを上げて袖に腕を通した。羽は押し込まれるままにチュニックの中にしまわれた。
「サクレット」
と、謎の単語とともに、クシータの唇に人差し指を当てる。クシータは目玉をぐるぐると回しながらも、3回、大きくうなずいた。