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マンガニーズ  作者: クン・パジャマ
2章 アバラータ探訪編
27/48

空は青くて

 どうしてアバラータ県に行くことになったのか、クシータはわかっていないが、ダクシナ郡を離れるのは初めての経験である。


 子供用の羅紗のコートと毛皮の帽子を身に着けて、背中には着替えを詰め込んだ皮革のナップサック、瞳の色は好奇心に彩られていた。


 早朝にナウビム城を出発し、パハロマ樹海に入る。先導するのはチャンバリンである。


 護衛はサイニカとユーヴァ。彼らは普段通り、胸部を守るプレストプレートの上に丈の長いダクシナ郡衛兵服の赤茶けたコートを着ており、腰には剣、手首にはガントレット、脛にはグリーブを身に着け、二人とも荷物を背負ったウシの手綱を引いてくる。


「しかし、レナティリア殿の装束はいかがなものかね」


 と、皆を導くチャンバリンは、足を進ませながらも振り返ってきた。


 クシータも同感である。クシータの隣を歩くレナティリアはサバーセ一味と同じ格好である。


 頭から首まで白い頭巾ですっぽりと覆い、青い目だけを覗かせていて、薄汚れた白いズボンに白いマント、洒落こんだ装いを毎日目にしているクシータからすると別人であった。


「帝都からやって来たときもこの姿でした。性に合うのです」


 クシータにすると、レナティリアのわからないところである。




 アバラータ県の中心であるアバラータ郡はダクシナ郡の北東に位置する。辿り着くためには樹海の道なき道を進んでいき、やがてパハロマ山地に差し掛かる。山道を登っていくとジーラ湖があり、そこで一泊するつもりらしい。


 ジーラ湖を横目にして抜けて峠を超えると、アバラータ郡である。アバラータの町に入るには山道を下っていき、またぞや樹海を通り抜けて、そうするとミナラーという村に出る。ここでまた一泊し、翌日、なだらかな丘の登り降りが続く草原を北へ北へ延々と進めば、メーラー山が見えてきて、アバラータの町である。


「私も帝都からやって来たさい、立ち寄りましたが、アバラータの県府は労働者の町です」


 レナティリアの授業は覆面姿でもおさまらない。


 もっとも、遠足気分のクシータなので、レナティリアの言葉を熱心に聞き入るというよりか、見たこともない町並みへの興味から聞き入った。


 エンドラセトラ有数の鉄鉱石の産地であるアバラータの県府は、南部の諸地域から押し寄せてきた出稼ぎ労働者や奴隷、他所の地域へ石を運ぶ荷役で溢れ返っており、さらには彼らの衣食住を満足させるため、あるいはさまざまな娯楽を与えるため、ナウビム城とは比べ物にならないほどの城塞都市が築かれている。


「メーラー山で採掘された鉄鉱石はアンサンクラー郡へ運ばれるようです。鉄鉱石を溶かすためには高温の火が必要ですが、火を燃やすには空気が必要であり、燃やす炉の中に空気を送るためには水車を利用します。アンサンクラー郡には川がたくさん流れているので、水車をたくさん作れたのです」


 要は、アバラータ家の系統がおさめるアバラータ県内だけで、採掘から製鉄までの順序を踏めるよう、物の流れが出来上がっているのだが、クシータにはそうした政治的構造も、製鉄の技術もちんぷんかんぷんであった。


 ただ、アンサンクラー郡には川がたくさんあるというところだけ、聞き逃していない。


(そうしたらお魚さんもいっぱいいて、アヌパビーもいっぱい増やせるなあ)


 むしろ、アバラータよりもアンサンクラーに興味が向いている。


「それはそうと、坊っちゃん。そんな小難しい話より――」


 チャンバリンがレナティリアの授業を遮って、顔を振り向けてきていた。


「坊っちゃんは、本家の当主であり、かつアバラータ大公であらせられるアハラ様にお会いすることになりますから、まあ、粗相を起こしはしないでしょうが、それなりににこにことしておいてくだされ」


 クシータは少々気分を削がれた。


「どうして会うの? 父上は会わないの?」


「お父上はこの前にお会いしたから良いのです。しかし、坊っちゃんはお会いしたことがないではありませんか。ダクシナ家のご子息として、アハラ様にはお会いしておかなければなりません」


 チャンバリンが行く先に顔を戻すと、クシータは眉をしかめた。


 まず、クシータは人見知りであるし、本家の当主という肩書きにも怯えた。


 話によく聞く本家の当主とは一体どういった人なのか。


(怖い人なんだろうなあ。やだなあ)


「まあまあ、坊っちゃん」


 と、後ろのサイニカがクシータの小さい肩をポンポンと叩いてきた。同じ年頃の子供を持つ父親だから、クシータの感情の機微を察したのだろう。


「坊っちゃんは有名人だから大丈夫ですよ。剣士を倒しちゃった坊っちゃんが来たってなれば、本家の大公様も喜ぶに違いないんですから」


 うーん、と、唸って、クシータは足元に視線を落として歩く。


「先は長いんだから。あんまり考えずに」


「坊っちゃん、疲れたら言ってくださいよ。ウシの背中に乗せてあげますから」


 と、若いユーヴァが言うと、レナティリアが鼻で笑った。


「大丈夫でしょう。坊っちゃまはこの中では私の次に体力がありますから」


 のそのそと歩くウシを連れるまま、サイニカとユーヴァは顔を見合わせた。


「ねえ、坊っちゃま」


 レナティリアが黄色い声で目尻を緩めて見せてきたが、クシータからすると自分は他人じゃないのでよくわからないのであった。






 樹海を抜けてパハロマ山地が大きく見える裾野にやって来ると、荒野だった。そこで昼食を取った。


 ラソイハラに渡された乾燥豆を歪めた顔でボリボリと食べ、ユーヴァに水と草を与えられているウシ二頭を眺めつつも、荒野を見渡した。


 木々はまったくなくて、草はちらほらとしか生えておらず、パハロマ山地の山肌まで荒れた土ばかりの景色だった。


 地下水に毒物が染み込んでいるためだとレナティリアが言った。


 透き通るような青空と真っ白に映える白い雲が普段よりもより綺麗に見えるぐらい、地上は枯れ果てている。人っ子一人とて姿は見えず、獣の姿もまるでなく、風だけがただただ吹き抜けている。ダクシナ郡が辺境、辺境と蔑まれているのが納得できる、世界の果てのような景色である。


(先生も聖旗軍もミータおじさんも、こんなところによく来たなあ。怖いって思わなかったのかなあ)


 昼食を終え、再び歩き出した。


 やがて、向かう先がなだらかに傾斜していき、パハロマ山を登り始めているのだと実感できるようになると、四方の景色には石がごろごろと転がっていた。


 よくよく見てみると、それらの石を意図的にどかして作った細い道があって、大きな弧を描いてぐねぐねと、山頂近くの高いところまで続いている。


(すごいなあ)


 と、クシータは目を輝かせる。


(空に登っていくみたいだ)


 喜び勇んで足を踏み出していくクシータであったが、前を行くチャンバリンが急に足を止めた。両膝に手をついて、ハアー、と、大きな吐息をついた。


「疲れたなあ。うーん。疲れたなあ」


 チャンバリンの後ろを行っていた四人は、チャンバリンが歩き出すのを黙って待つ。


 チャンバリンはちらりと後ろを振り返ってきたあと、ハアー、と、また一つ吐息をついて、ようやく歩き始めた。


「パハロマ山よりもヴァパサ山のほうが大きいんですか?」


 レナティリアに訊ねると、自分は見たことがないからと言いつつ、後方に目を向けた。


「ああ、大きいですよ」


 と、サイニカが代わりに答えてくる。


「もっともっと大きいですよ。エンドラセトラで一番大きい山だって言われていますから。横にも縦にも」


「サイニカは登ったことあるの?」


「ないない。あんなとこ登ったら死んじゃいますよ。夏でも雪が積もっているんですから」


「へえー。そうなんだ。ダクシナ郡には雪が降らないのに、ヴァパサ山には降っているんだあ」


「しかし坊っちゃんは体は小さいけど九歳とは思えないなあ」


 ユーヴァが息を切らしながらそう言ってきたそのとき、また、チャンバリンが足を止めた。やはり、両膝に手を置いて、ハアー、と、吐息をつく。


「この辺りで休憩するか……」


「えっ?」


 と、声を上げたのはチャンバリンの弟のサイニカ。


「何を言っているんだよ、兄貴。さっき昼メシ食ったばっかりじゃないか」


「おいおい、私はこの中で一番の年寄りだぞ」


「まだ四十とちょっとだろ」


「じゃあ、ウシに乗せろ」


「乗せられるわけないだろ。兄貴なんか乗せたらウシが潰れてしまうよ」


「侍従長、クシータ坊っちゃんを見習ったらどうですか」


 ユーヴァにまで言われてしまったチャンバリンだが、うわあっ、などと叫び、ひっくり返るようにして腰を下ろすと、開き直ったようにして騒ぎ立てた。


「ダメだ! 歩けん!」


 サイリカとユーヴァは溜め息をつき、レナティリアが駄々っ子のようなチャンバリンを無機質な瞳でじっと見つめる。


 クシータはちらりちらりとレナティリアの表情をうかがい、気が気ではない。


(先生、こういう人って大っ嫌いなんだよなあ)


 レナティリアは鼻先を涼しげに突き上げた。


「それでは、私たちは先を急ぎましょうか、坊っちゃま」


「なっ!」


 チャンバリンは腰を浮かせるも、サイニカがうなずいてしまう。


「俺たちも坊っちゃまをお守りしなくては。なあ、ユーヴァ」


「そうですね」


「ちょ、ちょっ、ちょっと待ていっ。坊っちゃまはお主たちなんかよりもお強いだろうがっ。護衛だなんていらんだろうがあっ」


「兄貴。それとこれとは話が違うだろ」


「おいっ! お主って奴は私を侮辱するのかっ! お前ぇ、なーんか、勘違いしてないかあ? 兄弟とかその前にな、私は侍従長なんだぞー? おいっ! お主の上役は私なんだぞっ!」


「違うだろ。衛兵は郡令の下。侍従長の兵隊じゃない。ということは、俺は兄貴を護衛する筋合いなんかない」


 完膚なきまでに叩き返されてしまったチャンバリンは、しばらく唖然として口を開け放っていたが、急に「坊っちゃん」と言ってクシータにすがりついてきた。


「ぼ、ぼっ、坊っちゃんっ。坊っちゃんはどのようにお考えなのですか? 休憩するべきじゃないんですか? 私の申していることは間違っておりますか?」


「でも、みんなは行こうって言っているよ。チャンバリンも頑張ろうよ」


「違うのです。みんなが言っていても坊っちゃんがお決めになってくれればいいのです。ここにいる者たちは坊っちゃんに従う者たちなのです。坊っちゃんが休もうと言ってくだされば皆はそれに従うのです。だから、坊っちゃん」


 泣いてみせるぞと言わんばかりに肥えた顔を皺だらけにする。クシータはレナティリアは見上げ、サイニカやユーヴァに振り返る。彼らは冷め切った表情のまま、無回答であった。


 クシータはチャンバリンに視線を戻した。


「じゃあ、休憩しよ」


「ああっ! クシータ坊っちゃん様っ!」


 チャンバリンは見ていて恥ずかしいぐらい大袈裟に叫ぶと、両手を握り締め、青い空に向かって語りかけるのだった。


「創立帝様! やはりクシータ坊っちゃん様は度量の広い御方っ! やはり創立帝様のご末裔! 創立帝様のお生まれ変わり! ありがたき幸せありがたき幸せ。私なんぞをクシータ坊っちゃん様にお仕えさせていただき有難き幸せ。クシータ坊っちゃん様のためなら、このチャンバリン、命を投げ打っても惜しくありません!」


 クシータが苦笑して呆れていると、サイニカがぼそりと呟いた。


「だったら命を投げ打って歩いたらどうなんだ」





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