サバーセ、参上
冬の到来を知らせるような、肌寒い風が吹く日だった。
山吹色の草原は風にあおられてざわざわとたなびき、パタラ川の監視に勤める若い衛兵は、コートの襟を頬に寄せる。
「おい、ユーヴァ」
衛兵は、声のしたほうに振り返った。
「な、なにやつっ」
ユーヴァはあわてて剣を抜いて身構えた。
「なにやつとは無礼な野郎だな」
白布のマントが風にたなびいている。背丈が若干低め、その男の表情は判別できない。白布の覆面頭巾で両眼以外、顔中を覆っているからだ。
太めのズボンの裾を革のブーツに押し込めて、胸部から腹部をプレストプレートで固めており、男の肩越しに見受けられるのは背負った剣の柄。
盗賊だった。ましてや男の後ろには同じ白装束の者どもが八人もいる。
彼らそれぞれ、腰に剣を吊ってれば、背負っている者、矢筒と弓を装備している者、斧なんかを手にしている者もいる。
「忘れたとは言わせねえぜ、泣き虫ユーヴァ」
男はそう言いながら、革の手袋で覆面頭巾を解いていった。
「あっ」
と、表情があらわになった途端、ユーヴァは声を上げた。あわてて剣をおさめ、ひざまずいた。
覆面頭巾から現れたのは、白い肌、アヤガラ一族伝統のブロンド色の髪、そして、彼独特の鋭く切れ上がった瞼、らんらんと不適に輝く鳶色の瞳、薄い唇。
「さ、サバーセ様っ。お、お久しぶりでございますっ」
「おう。達者か」
と、十八歳にして低音を響かせるこの風格だった。
ちなみに衛兵のユーヴァは二十五になる。
「で、こんなところで何をしてやがんだ」
「あっ、はいっ。これは、パタラ川を警固しておりまして」
「あん?」
「い、いえっ、先日、バフータ様のアディカセラで、パタラ川の魚を捕まえてはならないとなりっ、それで不届き者が現れないかと、こうして我ら衛兵が交代で見回っている次第でありましてっ」
「ふーん。そっか。で、アヌパビーを棒切れと糸で捕まえるらしいじゃねえか。ユーヴァ、持ってこい」
「えっ、いやっ、あのっ、何に使用され――」
サバーセの目玉が剥いてひるがえる。
「聞こえなかったのか? あ? 道具をありったけ持ってこいって言ってんだよ、コラ」
「はっ、はいっ、ただちにっ」
ユーヴァは全速力で城内に飛び込んでいった。そうして、知り合いの家々からかき集めたありったけの釣り竿を持ってパタラ川に戻ってきた。ただ、ユーヴァに竿を貸した婦人たちも、何事かと怪しんで付いてきた。
そして、住人たちはサバーセを発見するのである。
「さ、サバーセ様っ!」
「な、な、何をしに戻って――」
「ま、まさか。駄目なんですよ。アディカセラがあるんですよ」
「うるせえババアどもだな。俺様に会えてそんなに嬉しいか。あん?」
するとサバーセは、隣の者に「貸せ」と言って、弓を奪い取った。筒から矢も抜いてきた。
サバーセはキリキリと弓をしならせる。矢じりを婦人たちに向けて。
きゃあっ、と、婦人たちは逃げおおせた。
サバーセは弓矢を下ろす。
「何が、きゃあ、だ。小汚ねえババアどもめが」
弓矢を返すと、ユーヴァから釣り竿を奪い取った。じろじろと眺めた。
「これをどうやって使うんだ? おい、ユーヴァ、やってみやがれ」
「えっ、いやっ、でもっ、アディカセラが――」
「おいおいおいおいオメエさんよお! 何べんも何べんも俺様に口を割らせんじゃねえぞ! ナメてんのか、ああっ!」
「ひっ、いやっ、そんなわけでは。決してそんなわけでは」
「じゃあ、さっさとやれや!」
「し、しかしっ。アディカセラを破るわけにはっ」
「なんだ? 破ったらなんだ? 死刑か? 死刑なのか? あん? だったら、その前に俺様がオメエをぶち殺してやろうか? ああっ!」
サバーセはユーヴァの胸倉を掴み上げ、持ち上げた。
すると、矢筒を背負った覆面頭巾がサバーセに歩み寄ってき、釣り針を手に取りながら言う。
「アニキ、これを川の中に垂らすんじゃないのかい。ここに虫でも引っ掛けてさ。それでもって、この針を食わせんじゃねえのかな」
サバーセはユーヴァを川の中に投げ捨てた。ざぶんっと川に落ちたユーヴァは、ずぶ濡れであわてふためきながら、向こう岸へと登って逃げていく。
サバーセは仲間に目を配る。斧を持った二人に視線を留める。
「おい、オメエら、ミミズでも探して見つけろ」
「へっ、へいっ」
「さっさと見つけろよな。ぐずぐずしてたらただじゃおかねえぞ」
「へっ、へいっ。わかっておりやすっ、旦那様っ」
斧男たちが川辺の茂みを探っている間、サバーセは腕を組んでナウビム城を眺める。
「しかし、いつ見てもちんけな城だ。ありゃ犬小屋だな」
「旦那様っ、見つかりやしたっ。上等なミミズでございますっ」
「見つかりやしたじゃねーんだよ。見つけたら見つけたでさっさと餌にして捕まえろや!」
「へっ、へいっ。失礼しやしたっ」
斧男たちは不慣れな手つきで釣り針にミミズを刺し、矢筒の男にこれこれこうだろうと指図されて、釣り糸を川に垂らした。
「んなもんで本当に捕まえられんのかあ。あーん?」
「でも、アニキ、さっきの野郎の言いぶんだと、捕まえられるんだろ、きっと」
「まあしかし、誰がこんな物を作ったんだろうな。この腐れ田舎にはそんな気の利いた奴はいねえんだがな」
「だ、旦那様っ」
「なんだよ」
「い、糸が、ぴくぴくって動いてますっ。わっ、引っ張られてます、引っ張られてますっ」
「アニキ、こりゃ、魚が食ったんだ、針を」
「おいっ! 棒切れを引けやっ! 引いて捕まえんだよっ!」
「へ、へいっ!」
「逃がしでもしたらぶち殺すぞっ!」
「へ、へいっ!」
そのうち、アヌパビーが釣れた。サバーセと、その仲間たちは「おおっ!」と歓声に沸いた。
サバーセは背中の剣を抜いてくると、川辺に上がったアヌパビーを剣先に一刺し、高々と持ち上げる。
「おいっ、見ろっ、オメエらっ。間抜けなこいつらが、こんなに簡単に捕まえちまったぞ! あのアヌパビーをよおっ!」
風の吹きすさむ中、サバーセは高笑いを上げた。
「こいつはすげえっ! 闇市で高値でさばけるぞ! おいっ、オメエらっ、全員でどんどん捕まえろやっ! 日暮れまでにはありったけのアヌパビーを捕まえてやれっ。んでもって、明日の朝にゃあ峠を越えてアバラータだ!」
覆面頭巾の連中たちは全員で釣りを始めた。サバーセだけは釣り竿を手にせず、仲間たちにごちゃごちゃと指図する。
しかし、まもなくして、邪魔が入った。
婦人たちやユーヴァから聞いて、衛兵たちが総出で出陣してきたのだ。
その数、十七人。腰を据えて釣りにいそしむサバーセたちを取り囲み、兵長のサイニカが一歩、前に出てくる。
眉間に皺を寄せながらも、痩せぎすの顔をこわばらせ、口調はややおぼつかない。
「さ、サバーセ様。ご存知ではないのかもしれませんが、パタラ川には先日よりアディカセラが適用されておりまする。パタラ川の魚を捕まえた場合、死刑とあいなりまする」
「おい、オメエら、なあにを手え休めてんだ。日暮れまでにはあらかた捕まえんだかんな!」
「サバーセ様。ただちにおやめくださいませ。さもなければ、サバーセ様を逮捕せねばなりません」
「あ?」
サバーセは眉間に皺を集め、首をひねる。
目玉を剥く。
「もういっぺん言ってみろや」
サバーセは片手に剣を握りしめる。じりっと一歩、サイニカに詰め寄る。白目を血走らせて、サイニカを睨み込む。
固唾を飲み込むサイニカ。短剣の柄に手をかける衛兵たち。
「わっ!」
と、サバーセは大声を放った。途端、サイニカは腰を抜かした。衛兵たちも同じく、あるいはびっくりして仰け反った。
フン、と、サバーセは鼻で笑う。
「腰抜けどもめ。何をビビってやがる」
サバーセは剣を背中の鞘におさめてしまい、衛兵たちにくるりと背中を向けた。
腕を組み、仲間たちの釣りの様子を眺めつつ、言う。
「おい、サイニカ、邪魔すんじゃねえぞ。邪魔したら本当に殺すぞ」
衛兵たちはサバーセの背中を目の前にしながら、何もできない。彼らは、十七人が寄ってたかっても、サバーセにはかなわないと悟っている。サバーセの凄まじさを十年も昔から知っているのである。
それでも、サイニカは懸命に諭す。
「サバーセ様。ご勘弁ください。パタラ川のアヌパビーを自由に釣ってしまったら、この川からアヌパビーがいなくなってしまう。バフータ様はそうお考えになり、アディカセラを執行したのです。もし、アヌパビーを口にしたければ、今度の年初日に来てください。ナウビムの住人たちも出稼ぎに出ている亭主や息子たちに食べさせたいと思って、我慢しているのです」
サバーセは鼻で笑った。
「だからオメエらは田舎者なんじゃねえか? ここの魚を食うことしか頭にねえ。これを金に代えようとは思わねえのか、あ?」
「どちらにしても同じです。捕まえすぎてはいなくなってしまいます。未来のためにお考えください」
「よし、考えてやる。で、今、考えた。考えたすえに出した結論は、オメエらのくだらねえ言い分には耳を貸せねえってことだ」
「やめろっ! サバーセ!」
その声にサバーセは振り向いた。衛兵たちを掻き分けてくるのはポンチョで上体を覆ったバフータであった。
「なんだ、バカオヤジ、何しに来やがった」
「何しに来たじゃない! お主が騒ぎを起こしているからだろうが!」
「騒いでるのはオメエらのほうだろう。俺様は川で魚を捕まえているだけだ」
「そうか。よおし。お主、サイニカから聞いただろう。パタラ川にはアディカセラがあるんだからな。覚悟した上でのことだろうな」
「なんの覚悟だ。言ってみろや、おとっつあん」
「死刑だ! お主は死刑だ!」
「やってみろや」
サバーセは再び彼らに正面を向ける。背中から剣を抜いてくる。一歩、一歩、と、彼らに詰め寄っていく。
「オラオラどうした。捕まえてみろ、コラ」
一歩、一歩、と、狂気を漂わせながら詰め寄っていくサバーセに対して、バフータを初めとした衛兵たちは、一歩、一歩、と、後退していく。
「や、やめろっ。アディカセラに従わない上にそんな真似をしてっ、お、お主、本当の本当に、ただの盗賊だぞっ」
「盗賊じゃなければ何があるってんだ。バラ・ヴァンガにいいようにされて、アヤガラ一族の誇りも名誉も忘れた、ただの屍か。だったらな、バカオヤジ、盗賊やってたほうがマシだってもんじゃねえのか」
「なんなんだっ、そのめちゃんこな理屈は! 頭を冷やせっ!」
「頭なら冷えてんだよっ!」
サバーセは剣を振り払った。空を切り裂いたその剣は、風圧となってバフータ以下衛兵たちを吹き飛ばした。
「言っておくけどな、バカオヤジ、アージサカ先生に泣きついたって無駄だぜ。今の俺様はアージサカ先生よりも腕が達者だからな」
「だったら、試してみましょうか、サバーセ坊っちゃま」
「あんっ?」
風の吹きすさむ中、優美でありながらも冷ややかなきらいのあるその声は、サバーセの耳によく通ってきた。
サバーセが怒りに満ちた表情で目を向けると、そこには黒い朱子織の、派手な模様のチュニックに身を包んだ若い女。
腰に巻いたベルトから剣を吊り、
チュニックの裾から覗くは黒いタイツの長い脚、
風にあおられるは細く麗しい銀髪桃色、
切れ長の瞼から放たれるのは、憂いと冷徹さが混同した青い眼差し、
しかし、口許は笑みで緩めている。
女の影に隠れるようにして、弟のクシータもいた。
「なんだ、オメエは」
「レナティリア・アージサカ。クシータ様の家庭教師です」