終章 エンディング
終章
〔高二の秋〕
通り抜けの廊下から風が流れてきた。
窓の向こうから、グラウンドのソフトボール部の掛け声が聞こえてきた。気になったマコは、グラウンドのほうに目を向けかけ、すぐに黒板へ視線を戻した。
けれど、マコはまた、ぼんやりしていた。
(珠ちゃんならな)
マコは、何か書こうとしてシャープペンのペン先を止め、小さくため息を吐いた。
本をめくる音が響いた。教師が何かを言っているのを聞いて、マコは授業に意識を向け直した。
机を見て、ノートに目を移すと、マコは、問題をまた読み返した。ページを前に戻し、似た例文を探した。教師の説明のポイントをノートで見ると、ページを元の問題に戻した。
しばらく考えると、マコは、
(なるほど、あ、ここか?)
半ば理解できたが、完全には分からないでいた。
分かった部分はそのままで、分からない部分に印を付けた。
後で確認しようと、マコは次の問題に進んでいった。
チャイムが鳴った。ようやく、授業が終わった。
教室が、急に騒がしくなった。
問題の一節を、まだ粘って見ていたマコが、ふと顔を上げると、麻衣が近くにいた。
「そこんとこ、分からなかった?」
笑顔で聞いてきたので、マコは頷いた。麻衣は鞄から、ノートを取り出して、指先で軽く要点を示してくれた。
「ああ、そこか」
感嘆して、マコは思わず声を漏らした。
「なんで分かるの? 麻衣ってすごいな」
麻衣は、ただ笑うだけで返事をしてきた。
マコもつられて、笑みをこぼした。
麻衣が鞄を持って立ち上がった。マコも、鞄に教科書類やノートを片付けようとしたが、体を素早く動かせないでいた。マコはそこをまだもどかしく感じてもいた。
マコの様子を見た麻衣が、鞄を持とうとしたが、マコが首を軽く横に振ったのを見て、手を引っ込めた。
「今日は行くのかな」
「ううん。通院があるんだ」
麻衣は、マコの言葉を聞いて、頷くと、
「部活、明日は来るんでしょ」
マコは、こくんと頷いた。
麻衣は、それだけ言うと、
「じゃあ」
そう言って、部活に向かっていった。マコも、
「また、明日ね」
軽く返事をした。鞄の中身を確認してみて、鞄を肩にかけると、その拍子に、鞄の内ポケットの真珠のキーホルダーが、コツンと何かに当たった気がした。
そのままマコは、教室の戸を開けた。
放課後の廊下に、人の声が響いていた。
マコは、腕時計をちらりと見た。病院へ向かうには、いつもより遅い時刻だった。
病院の待合室でマコは座っていた。遅い時刻のせいか、病院は混み合っていない。むしろ、昼間よりも空いていた。
デジタル番号が表示された。マコの番号だ。その横でテレビが夕方のニュースを流していた。
看護師さんに連れられ、大山の診察を、マコは受けた。
「ふむ」
軽くカルテを見て、一呼吸置き、銀髪を撫でつけた大山は、丸椅子に座るマコに笑顔を向けてから、聴診すると、
「無理はまだ禁物だよ」
聴診器を外すと、
「ゆっくり、元の調子を取り戻せばいい」
そう告げられ、マコは席を立った。
「お大事にね」
看護師さんがそう言った。
会計を済ませ、予約票と診察券を受け取ると、病院の玄関に向かった。
外はすでに暗かった。
白衣の医師が目に映った。それと同時に、
「マコさん」
ああ、北条さんか。マコは、知らず知らず顔が上気するのを感じた。照れくさくて、まともに北条に顔を向けられなかった。
「特進編入どうだった?」
「うん。合格したよ」
「おめでとう」
北条にそう言われて、マコはうんうんと頷いた。北条が、
「部活も、もう戻ったのかな?」
「明日は部に顔を出すよ」
北条は、じっと目線をマコに向けて、
「お姉さんも、勉強できたんだろうね」
言われてから、マコの頭に、英語の授業が浮かんだ。
『自分で考えるの』
珠に言われていたことだ。今日はできた気がした。
いろんなことを考え直してみた。言葉がつかえてしまっていた。
「あたし、いい妹じゃないんです」
え? どういうこと。マコ自身にとっても、北条に向けて放った意外な言葉だった。
「珠ちゃんのこと、怖くなっていた部分があって」
黙ったまま、北条はマコを見つめていた。
「珠ちゃんは、悪くないんです」
北条は、ずっと黙っていた。
「大切な相手だから。時には本気で向き合えば向き合うほどにね、疲れてしまう。疲れることと愛してることは別だよ」
北条の言葉に、マコの肩から力が抜けた。
北条は息を吐くと、マコを見て頷いてから、
「まだ医師としての自信がないんだ」
屈託なく、打ち明けてきた。
「また、今度」
そう言った北条と、そこで別れた。
さらに数歩歩いてから、マコは振り返った。
一人になった。
信号を見て、横断歩道をゆっくり渡った。
自転車が通り過ぎていった。車のランプが光っているのが近くで見えた。
肩から下げた鞄の上あたりを見た。真珠のキーホルダーがある場所。そこを手で軽く押さえてみた。
一歩、足先が前へと進んでいく。




