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高2・修学旅行2日目:古都の狐火と、解かれなかった約束

第1部:自主研修の朝、自由への旅路


修学旅行二日目の朝は旅館の畳と、出汁の優しい匂いと共に始まった。

昨夜の清水寺での一件、音無さんのあの心からの笑顔、そして縁側で千明と交わした静かな誓い。そのすべてが俺の心を温かく満たしていた。

朝食の会場は生徒たちの賑やかな声で溢れている。皆、この旅行で最も自由な一日が始まることに心を躍らせていた。

二日目は班別自主研修。事前に各班で計画したルートに沿って、夕方の門限まで京都の街を自由に散策できるのだ。


「よし、じゃあ最終確認するわよ」

朝食後、部屋に戻ると俺たちの班の班長である玲奈がパンフレットを広げた。

俺たちの班は俺、千明、玲奈のいつもの三人に加え、佐々木翼と、そしてすっかり俺たちに懐いてくれた音無さんの五人構成だ。


「午前中は予定通り嵐山方面。渡月橋を渡って竹林の小径を散策。その後予約してある保津川下りの舟に乗る。昼食は嵐山で各自好きなものを。いいわね?」

玲奈のその完璧な仕切り。

「おー!」「はい!」

千明と翼が元気よく返事をする。

俺たちの班が決めたのは九月のあの不協和音を乗り越えて、クラスで作り上げた折衷案。午前は自然を満喫するアクティブコース、そして午後は静かな寺社を巡る文化コースだ。


「よし、じゃあ出発!」

玲奈の号令と共に俺たちの小さな冒険が始まった。

慣れない路線バスに揺られ電車を乗り継ぎ、俺たちは最初の目的地である嵐山にたどり着いた。

桂川に架かる雄大な渡月橋。その向こうに広がる錦秋の山々。そのあまりにも絵画的な美しさに俺たちは思わず足を止めた。


「すごい……! これが京都……!」

千明が感嘆の声を上げる。

俺たちは橋を渡り多くの観光客で賑わうメインストリートを歩いた。

そしてその喧騒を抜けた先に、その幻想的な空間は広がっていた。

竹林の小径。

数え切れないほどの青々とした竹が空を覆い尽くし、まるで緑色のトンネルのようだ。

ひんやりとした静かな空気。笹の葉が風に擦れる音だけが響いている。差し込む木漏れ日が地面に美しいまだら模様を描いていた。


「……なんだか別の世界に来ちゃったみたいだね」

千明が俺の袖を引きながら囁いた。

俺も同じことを感じていた。そこは日常から完全に切り離された神聖な場所だった。


竹林を抜けた後、俺たちは予約していた保津川下りの乗船場へと向かった。

小さな和船に乗り込むと船頭さんの巧みな竿さばきで、舟はゆっくりと渓谷の中へと進んでいく。

両岸に迫る切り立った岩肌と色づき始めた木々。エメラルドグリーンの川面を滑るように進む舟。

時折水しぶきがかかり、千明が楽しそうな悲鳴を上げる。

翼は船頭さんの軽妙なトークに腹を抱えて笑っている。音無さんは静かに、しかしその瞳を輝かせながら景色を見つめていた。玲奈も俺も、ただその心地よい時間に身を委ねていた。

それは完璧な午前中だった。この穏やかな時間が午後も続くと俺たちは信じていた。

この古都に眠るもう一つの「落とし物」が、俺たちを待ち受けていることなど知りもせずに。


第2部:狐火の簪


嵐山での昼食を終え、俺たちは午後の目的地へと向かった。

賑やかな観光地から少し離れた西陣地区。そこは古い町家が立ち並び機織りの音が聞こえてくるような、静かで趣のあるエリアだ。

俺たちの目的は、その一角にある小さなアンティークショップだった。玲奈が雑誌で見つけた隠れ家的な名店なのだという。


がらりと古びた引き戸を開けるとカランとドアベルが鳴った。

店内は薄暗く、埃と古い木の匂いがした。

所狭しと並べられた古伊万里の皿、年代物の掛け軸、そして使い道の分からない不思議な骨董品の数々。それはまるで時間の流れから取り残された宝箱のようだった。


「わー、すごい! 面白いものいっぱい!」

千明が目を輝かせ商品の間を見て回る。

俺も玲奈も翼も音無さんも、それぞれ自分の興味の赴くままに散らばっていった。

俺は古い天体望遠鏡や方位磁石に心を惹かれた。

その時だった。


「……ねえ、心一くん」

千明が俺の服の袖を引いた。

その表情はいつもの「光を見つけた」時のそれとは少し違っていた。好奇心よりもむしろ戸惑いの色が濃い。

「……どうした」

「……あっち。あのガラスケースの中。すごく変な光が見えるの」


変な光?

俺は彼女が指差す店の一番奥にあるガラスケースへと向かった。

そこには櫛やかんざしといった古い装飾品が並べられていた。

そしてその中央にそれはあった。


一本の美しい鼈甲のかんざし。その飾り部分には精巧な狐の彫刻が施されている。

間違いなく一級の美術品だ。


「この簪からだ」

千明が囁いた。

「……どんな光なんだ」

「……狐火みたい」

「狐火?」

「うん。オレンジ色と金色が混じったような炎みたいな光。でも普通の炎と違ってすごくゆらゆらしてて掴みどころがないの。まるで光自体が何かを隠して、私をからかってるみたい。……温かいんだけどその奥にすごく冷たい悲しみがあるような、そんな不思議な光……」


その不可解な光の説明。

俺たちの会話を聞いていたのか、店の奥から店主である白髪の老人がゆっくりと姿を現した。

「……ほう。お嬢ちゃんは何か感じるものがあるのかね、その簪に」

老人は深い皺の刻まれた顔で優しく微笑んだ。


千明は一瞬ためらったが正直に頷いた。

「……はい。なんだかすごく寂しそうな感じがします」

その答えに老人は深く頷いた。

「……そうかね。やはりそうなのかもしれんのう」


老人はガラスケースの鍵を開け、その狐の簪を取り出した。

そしてその簪にまつわる不思議な言い伝えを、俺たちに語り始めた。


それはこの西陣の町に古くから伝わる伝説なのだという。

その昔この町に一人の美しい機織りの娘がいた。彼女には将来を誓い合った恋人がいたが、男は遠い戦へと行ってしまった。

娘は男の帰りを信じ、来る日も来る日も機を織りながら待ち続けた。彼女は願掛けのようにこの狐の簪を髪に挿していた。

狐は古来より人を化かすとも恩を返すとも言われる、不思議な力を持つ生き物。きっと恋人の心を自分に繋ぎ止めてくれる、そう信じて。


だが男はついに帰ってこなかった。

娘は失意のうちに病に倒れ若くしてこの世を去った。だがその魂は今もこの簪に宿り、帰らぬ恋人を待ち続けているのだと。

そしてこの簪を手にした女性は恋人を待ち続ける運命になるか、あるいは良縁に恵まれなくなるか、そんな呪いがあるのだという。


「……まあ、ただの迷信じゃよ」

老人はそう言って笑った。

「じゃがこの簪はどういうわけか誰の手にも渡らんのじゃ。買おうとする客がおっても不思議と直前で話が流れてしまう。わしが子供の頃、近所の稲荷神社の境内で見つけて以来ずっとこの店にある。……まるで簪自身がここから動くことを拒んでおるようじゃ」


呪われた簪。そのオカルトめいた響き。

それは俺の心の奥底に眠っていた好奇心を激しく揺さぶった。

論理では説明できない超常現象。千明の能力が捉えたあの「からかうような光」の正体。

俺はこの簪の謎を解き明かしたくて仕方がなくなっていた。

千明も同じ気持ちのようだった。彼女の瞳はいつになく真剣な光を宿していた。


第3部:狐火の軌跡を辿って


「……よし、決めた!」

店を出た俺たち五人は、次の目的地について話し合っていた。

本来の予定ではここから金閣寺へと向かうはずだった。

だが俺たちの心はすでにあの狐の簪に完全に奪われていた。


「俺たちはこの簪の謎を解く!」

俺がそう宣言すると、翼が待ってましたとばかりに歓声を上げた。

「おお! 探偵ごっこ再びだな! 面白そうじゃん!」

音無さんもこくりと力強く頷いている。

玲奈はやれやれと肩をすくめた。

「……あんたたち本当に好きねえ、そういうの。まあいいわ。金閣寺なんていつでも行けるんだし、そっちの方が面白そうじゃない」


こうして俺たちの班別自主研修は、予定外の「京都ミストリーツアー」へとその目的を変更した。

俺たちはまず店主の老人が言っていた、簪が見つかったという稲荷神社を目指すことにした。

幸いその神社はこのアンティークショップから歩いて数分の距離にあった。


その神社は観光客で賑わう大きな寺社とは違い、地元の人々がひっそりと訪れるような小さな稲荷神社だった。

境内にはいくつもの赤い鳥居が連なり、その奥にはたくさんの狐の石像が並んでいる。どこかこの世ならざる不思議な空気が漂っていた。


「……手がかりは何かあるか」

俺の問いに千明は首を横に振った。

「……分からない。この境内全体からあの簪と同じような不思議な気配がする。でも光は簪そのものからしか出てないから……」


俺たちは手分けして境内を調べ始めた。

俺は古い石灯籠や石碑に何か文字が刻まれていないか見て回る。

玲奈と翼は社務所に何か言い伝えが残っていないか聞きに行った。

千明と音無さんはただ境内の空気を感じるように、ゆっくりと歩き回っていた。


三十分ほどが過ぎただろうか。特に有力な手がかりは見つからない。

「……やっぱりただの伝説なのかな」

翼が諦めかけたように言った。


その時だった。

「……あ」

千明が小さな声を上げた。

彼女は本殿の裏手にあるひときわ大きな木の根元で立ち尽くしていた。

その視線の先には苔むした小さな地蔵の石像がぽつんと置かれている。

その地蔵の足元にそれはあった。


「……これ見て」

千明が指差すその場所。地蔵の台座の石に何か文字が刻まれている。

風雨に晒されほとんど消えかかっているが、目を凝らすとかろうじて読むことができた。


そこには二人の男女の名前らしきものと、そして一つの日付が刻まれていた。

日付は江戸時代のもの。

そしてその横にはこう書かれていた。


『此処にて、再び、会うことを誓う』


解かれなかった約束。

その言葉を見た瞬間、俺たちは確信した。

伝説はただの作り話ではなかった。この場所に確かに存在した、一組の恋人たちの悲しい物語の真実だったのだ。

この簪はその約束の証。そしてその「待つ」という強い執着が、今もなおこの簪に宿り光を放ち続けているのだ。


謎は解けた。だが物語はまだ終わらない。

この何百年もの間待ち続けてきた魂を、どうすれば解放してやれるのか。

俺たちはその最後の答えを見つけなければならなかった。


第4部:約束の解放


「……どうすればいいんだろう」

千明はアンティークショップで特別に借りてきた狐の簪を、そっと握りしめながら呟いた。

持ち主はもうこの世にはいない。返す相手がいない「落とし物」。

その光は真実が明らかになった今も、相変わらずゆらゆらと揺らめき続けていた。

それはまるで「それで終わりなの?」と俺たちに問いかけているかのようだった。


「……この簪は持ち主を探しているんじゃない」

俺は言った。

「この簪は約束の相手を探しているんだ。そしてその約束が果たされるのを、ずっと待ち続けている」

「でも、その相手はもう……」

「ああ。だから俺たちが終わらせてやるんだ。この長すぎる物語を」


俺の言葉に千明ははっとしたように顔を上げた。

玲奈も翼も音無さんも、俺の次の言葉を待っている。

俺が提案したのは、一つささやかな「儀式」だった。


俺たちは再びあの地蔵の前に立った。

千明がその台座の上に狐の簪をそっと置く。

まるで何百年もの時を経てようやくあるべき場所へと帰り着いたかのように、その簪はしっくりとそこに収まった。

そこがこの簪の本当の終着点だったのだ。


千明は目を閉じ、そっと両手を合わせた。

彼女が何に祈っているのか俺には分からなかった。だがきっと彼女は、簪に宿るその魂と対話しているのだろう。


「……もう、待たなくていいんだよ」


やがて彼女がそう呟いた瞬間だった。奇跡は起こった。

千明の優しい言葉に応えるかのように、簪から放たれていたあの揺らめく狐火のような光が、ふっとその揺らぎを収めた。

そして光は一度だけひときわ強く眩しく輝いたかと思うと、まるで感謝の気持ちを伝えるかのように、穏やかで温かい金色の光へとその姿を変えた。

そしてその光は夕暮れの空に溶けていくように、ゆっくりと静かに消えていった。

執着は解放されたのだ。長すぎた約束は今、その役目を終えた。


俺たちは言葉もなくその幻想的な光景を見つめていた。

それは俺たちの力が時空を超えて、一つの魂を救った証だった。

俺の心の奥底で、かつてオカルトに胸を躍らせた少年が歓声を上げるのが分かった。

これは科学では説明できない。だが確かにここに存在する奇跡なのだ。


俺たちはアンティークショップへと戻り、店主に事の一部始終を話した。

老人は驚いたように目を見開いた後、深く深く頷いた。

「……そうかい。ようやくあの子も眠りにつけたのかねえ」

彼はもう光を失った簪を、愛おしそうに撫た。

「この簪はもう売り物じゃない。わしがこの神社のお守りとして、大切にさせてもらうよ。ありがとう、若い衆」


その日の夜、旅館の夕食の席で俺たちは今日の冒険について語り合った。

翼は興奮冷めやらぬ様子で、何度も「マジで探偵団みたいだったな!」と繰り返している。

音無さんもその瞳をキラキラと輝かせていた。

俺たちの班の絆は、この不思議な一日を通してより一層強いものになっていた。


夕食の後、俺と千明は二人旅館の庭を散歩していた。

ライトアップされた紅葉が美しい。

「……すごい一日だったね」

「……ああ」

俺たちは並んで縁側に腰を下ろした。

「でもよかった。あの簪の光、最後はすごく幸せそうな顔をしてたから」

千明はそう言って微笑んだ。

その笑顔を見て俺は改めて思う。俺たちは本当に、とんでもない力と向き合っているのだと。

そしてその力の隣にいることが、俺の何よりの誇りなのだと。


古都の夜は静かに更けていく。

俺たちの旅はまだ半分。

明日、俺たちはどんな光と出会うのだろうか。

その期待を胸に、俺は千明のその小さな手をそっと握った。彼女もまた優しく握り返してくれた。

その温もりだけがこの不思議な世界における、俺の唯一のそして絶対的な真実だった。

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