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漆:根本から崩す

 数日後、央晧は朝の謁見後に徳帝が中和殿(ちゅうわでん)で休憩をとっていると耳に挟んだ。


 中和殿とは、皇帝の住む後宮と正殿の中間にある建物である。休憩所として使われることもあるが、皇帝が執務を行うこともある特殊な建物だ。

 多忙な父と会話ができる滅多な機会と思い、央晧はすぐさま宦官(かんがん)たちに手配をさせた。


「父上、お顔をあわせてお話しするのは久しぶりでございますね」


 央晧は南面する徳帝へかしずいた。


「御多忙の中、お時間を割いていただきありがとうございます」

「なに、気にするな! 息子の近況もたまには聞きとうなるものよ」


 豪快に笑う徳帝に、中和殿は和やかな雰囲気が流れる。後ろに控えたそれぞれの従者たちも二人を微笑ましげに見つめ、自然と緩む口元を袖で隠していた。

 にこりと笑う央晧は、早速本題に入ろうと小耳に挟んだ噂について尋ねた。


「そういえば今度、宮城内に書局を造られるとか?」

「紙の普及率も随分あがったしのう。冊子と言う形が市井でも流通が一般的になったところで、そろそろ国としても発行していこうかと思ってな」

「なるほど……」


 父の発言に、央晧はきらりと目を光らせた。


「では、皇太子府からも一冊、試し刷りとして発行いただいてもよろしいでしょうか?」

「おう、よいぞ。ちょうど礼部からも先日話が出たところだ!」


 礼部。早速出た名前に、一瞬だけ央晧の目つきが険しくなる。


「礼部、と言うことは王氏が?」

「ああ。王氏が史学について述べると言っておったぞ」


 礼部は広義で教育も司るとは言え、王氏の専門は史学ではない。あえて史学を選ぶあたり、国史編纂に対する下心の現れだろう。


「……ちなみに王氏はどのような内容の書物を?」

「なんと言っておったか……」


 首をかしげる徳帝に、傍に控えていた宦官が助言する。


「『前寛抹殺論(ぜんかんまっさつろん)』だったかと」

「ま、抹殺?」


 歴史を好む央晧さえ想像もつかない表題に目を丸くした。徳帝は息子の幼さの残る表情に声を上げて笑った。


「ああ、そうじゃ。大層な題名だが、内容は結構面白かったぞ」

「はい、既に興味があります」


 果たして、そんな大それた題目を、畑違いの王氏が論じられるのだろうか。央晧は目を細めたが、すぐに笑顔を貼り付けた。



「……」


 その後、他愛ない近況報告をし、央晧は中和殿を去った。

 まさか王氏の原稿は既に仕上がっているとは。徳帝の話を思い出し、央晧は先を越されたと奥歯を鳴らした。


 今は平素を装っているが、おそらく楊武の部屋に行けば憤りを隠せないだろう。

 央晧をなだめるにあたって、もはや楊武頼みになっていることに、博文は若干の申し訳なさを抱いていた。”若干“なのは何度も不注意で傷を開かせたり、一向に謁見へ顔を出さなかったりと、何かしら振り回されている点から、素直に感謝しきれない複雑さの現れである。


 英慶宮までの帰路、執務中の官人とすれ違うこともあったが、不機嫌な様子を見せることなく、央晧は卒ない対応をしていた。


 英慶宮は後宮手前の東側にある三つの建物の一つで、正殿や中和殿からは少し距離がある。

 両隣には斎宮(さいぐう)奉先殿(ほうせんでん)と呼ばれる建物が並んでおり、斎宮は名前通りの斎場、奉先殿は皇室の祖霊を祀る建物である。祖先祭祀や元旦などに行う祭祀はこの奉先殿で行われている。


 ちなみに英慶宮と後宮は直接繋がっていない。

 しかし、隣の斎宮が後宮は門で繋がっているため、斎宮から人に気付かれることなく英慶宮に来ることは可能であった。

 央晧の異母姉である第一公主・朱 遼煌(しゅ りょうこう)はこの方法で何度も後宮から出入りしていると、属官たちが以前、本人から聞いたそうだ。


 

 考え事をしながら歩いているうちに、いつの間にか英慶宮まで戻って来ていた。


「それでは、本宮は書物の件について、李師父(しふ)にお願いできるか尋ねてまいります」


 広間に戻ると、央晧の後ろに控える従者たちへ声をかけた。

 英慶宮の属官たちが「御意」と答えると、央晧が楊武の私室の扉を叩く。属官たちは、主が扉の向こうに消えるまで顔を下げ続けていた。



「李師父(しふ)? 起きていますか?」


 皇太子の皮を被った央晧が優しく声をかける。


「……」


 しかし、肝心の楊武は机に伏して眠っていた。

 すうすうと安らかな寝息を立てて眠る楊武に、央晧は怒る気力も無くなった。


「……」


 無言で楊武の頬を抓る。起きる気配がなかった楊武もさすがに痛むのか、眉を顰め始めた。


「ん、いだ……」

「おはようございます、李師父(しふ)?」


 起きて早々、外面のよい笑みを浮かべた央晧が視界全体に広がる。

 驚きのあまり「ひぃ」と声を上げたが、背もたれに遮られてこれ以上下がることはできなかった。


「お前、本当にそろそろ謁見に出る素振りぐらいは見せろ」


 腰に手をあて、ため息をつくと、央晧がそれ以上咎めることはない。

 そして央晧は自ら定位置となった椅子を楊武の傍へと移動させ、本題を話を始めた。


「突然だが、()()に命を下す」


 肘をつき、足を組んだ央晧が、真剣な目で楊武を見つめる。


「李梓よ、書をしたためろ」


 楊武は目を見開くと、息を詰まらせた。


「しょ、書ですか……?」

「ああ。さっき父上に会ってきてな。今度国営の書局ができる話は聞いたか?」

「それなら先日、屯さんからお聞きしました。なんでも武英殿(ぶえいでん)に書局が置かれるとか」


 武英殿とは、武官が主に使用している建物群の総称である。周囲には武器庫などもあり、常に武官が行き来をしている。

 また、正殿を挟んだ対岸には文華殿(ぶんかでん)と呼ばれる建物群があり、こちらは主に文官が使用している。

 央晧が足を運んでいた宮城一大きな書庫も文華殿の中にある。


「その試し刷りに皇太子府からも一冊提供しようとしたんだが、既に礼部も提供していたらしい」

「王氏、ですか?」


 央晧は無言でうなずいた。


「既に原稿は提出済み、現在木版を制作しているらしい」

「それは、早いですね」

「そこでお前にも早急に皇太子府代表として原稿をしたためてもらう」

「え、拙が……!? 皇太子府代表!?」


 眠気に勝てず目元をこすっていたはずが、突然の告示で一気に目がさえた。

 あたふたする楊武を気にも留めず、央晧は肘をつき、徳帝より聞いたばかりの情報を流す。


「ちなみに王氏の書物の題名は『前寛抹殺論』だそうだ」

「……」


 突如、楊武の目つきが険しくなった。

 様子のおかしい楊武を見て、央晧も眉を顰める。

 楊武は王氏の表題に何か思うことがあったのか、しばらくの間、顎に指を添えて思案していた。


「……わかりました。急ぎで拙も書き上げましょう」


 机に広げられたままの拓本に触れると、真っすぐ央晧の目を見た。


「その論考、根本から崩してみせます」


 ぎらりと光る楊武の眼光に、央晧は瞠目した。

 楊武が初めて王氏に対し、対抗心を見せた瞬間であった。


 楊武の姿に央晧も強くうなずき、楊武に手を差し伸べる。

 央晧の手と顔を交互に見比べる楊武の目は、既に先ほどの気迫は無く、目尻が下がっていた。

 楊武は慌てて裾で手を強く拭き、央晧の手をやわく掴んだ。


 かくして、王氏と楊武の紙面上の戦いが始まろうとしていた。


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