異10-06 劉邕・孫廣・劉鵂・湯貺
○劉邕嗜痂
東莞劉邕,性嗜食瘡痂,以為味似鰒魚。嘗詣孟靈休,靈休先患灸,瘡痂落在床,邕取食之。靈休大驚,痂未落者,悉褫取啖邕。南康國吏二百許人,不問有罪無罪,遞與鞭,瘡痂常以給膳。
東莞の劉邕という者は劉宋の南康国開国公の継承者である。、性来かさぶたを食べるのを好み、その味はアワビに似ていると考えていた。かつて孟霊休の家を訪れた際、孟霊休は灸の跡がまだ癒えておらず、かさぶたが寝床に落ちていた。劉邕はそれを取って食べた。孟霊休は大いに驚き、まだ落ちていないかさぶたを全て剥がし取って劉邕に食べさせた。
やがて南康国では二百人ほどの役人を、罪の有無を問わず順番に鞭打ち、そのかさぶたを常に劉邕の食事に供した。
○孫廣忌蝨
太原孫廣,頭上不得有蝨。大者便遭期喪大功,小則小功緦服。
太原の孫広という者は、頭に虱がいることが許せなかった。大きな虱がいれば「期喪」や「大功」の喪服を着るような重い不幸が訪れ、小さな虱では「小功」や「緦服」の軽い喪服を着る程度の災いが起こると信じていた。
○劉鵂鶹
有人姓劉,在朱方,人不得共語。若與之言,必遭禍難,或本身死疾。惟一士謂無此理,偶值人有屯塞耳。劉聞之,忻然而往,自說被謗,君能見明。答云:「世人雷同,亦何足恤?」須臾火燎,資蓄服玩蕩盡。於是舉世號為劉鵂鶹。脫遇諸途,皆閉車走馬,掩目奔避。劉亦杜門自守。歲時一出,則人驚散,過於見鬼。
劉という姓の者が朱方に住んでいた。人は彼と口をきいてはならないと言われていた。もし話しかければ、必ず災難に遭い、本人が死ぬか重い病気になるという。するととある士人が言う。
「そんな道理はない。たまたま人が行き詰まっただけだ」
劉はそれを聞いて喜んで訪ね、語る。
「誹謗されているが、あなたは真実を見抜いてくれた」
「世間の連中が同じことを言うが、気にかける必要があるか?」
しかし、間もなくして火災が起こり、劉の財産や衣服・宝物は全て灰となった。これ以来、世間は彼を「劉鵂鶹」と呼んだ。不幸を呼ぶ鳥、と言う意味である。道で彼に出くわせば、皆は車を閉め馬を走らせ、目を覆って逃げた。劉もまた門を閉じて自宅にこもった。年に一度外出すると、人々は鬼を見るよりも恐れて驚き散った。
○湯貺藏鏹
晉陵曲阿湯貺財數千萬。三吳人多取其直,為商賈治生,輒得倍直。或行長江,卒遇暴風及劫盜者,若投貺錢,多獲免濟。貺死後,先所埋金,皆移去鄰人陳家。陳嘗晨起,見門外忽有百許萬鏹,封題是「湯貺」姓字。然後知財物聚散,必由天運乎?
晋陵曲阿の湯貺は数千万の財産を持っていた。三呉の地方の人はよく彼の資金を元手に商売をし、常に倍の利益を得た。
ある者が長江を航行中、突然暴風や海賊に遭った際、湯貺の銭を川に投げ入れると、多くは難を逃れ助かった。
湯貺が死んだ後、かつて埋めていた金銭は全て隣家の陳氏の元へ移った。陳がある朝起きると、門の外に突然百万余りの銭が現れ、封筒には「湯貺」の姓名が記されていた。これにより「財物の集散は必ず天の定めによる」と悟ったという。
東莞の劉邕をわかりやすく言うと、劉宋の建国元勲である劉穆之の孫です。そして孟霊休は孟昶の孫。このひともやはり劉宋の元勲の家門。そんな内容が突然ぶち込まれてくるのが不思議で、かつおもしろい。
と言うわけで、異苑終了。次話は劉敬叔による後書き、とされているものです。