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揺訳 捜神後記/異苑  作者: ヘツポツ斎
異苑九巻 占術譚
185/198

異09-01 鄭康成

○鄭康成

後漢鄭玄字康成,師馬融,三載無聞。融鄙而遣還。玄過樹陰假寢。夢一老父,以刀開腹心,傾墨汁著內,曰:「子可以學矣。」於是寤而即返,遂精洞典籍。融歎曰:「《詩》、《書》、《禮》、《樂》,皆已東矣。」潛欲殺玄,玄知而竊去。融推式以算玄,玄當在土木上,躬騎馬襲之。玄入一橋下,俯伏柱上。融踟躕橋側,云:「土木之間,此則當矣。有水,非也。」從此而歸。玄用免焉。一說玄在馬融門下,三年不相見。高足弟子傳授而已。常算渾天不合,問諸弟子。弟子莫能解。或言玄,融召令算,一轉便決。眾鹹駭服。及玄業成辭歸,融心忌焉。玄亦疑有追者,乃坐橋下,在水上據屐。融果轉式逐之,告左右曰:「玄在土下水上而據木,此必死矣。」遂罷追。玄竟以免。



後漢ごかん鄭玄ていげんは字を康成こうせいといい、馬融ばゆうに師事していたが、三年間何も成果を上げられずにいた。馬融は鄭玄を愚鈍だと思って追い返した。

鄭玄は帰る途中、木陰で仮眠をとった。すると夢の中で一人の老人が、刀で鄭玄の腹を切り開き、墨汁を腹の中に注ぎ込みながら言う。

「先生も、これで学べましょう」

鄭玄は目を覚ますとすぐに引き返し、それから典籍を深く研究するようになった。馬融は感嘆して言う。

「詩、書、礼、楽は、みな東方出身のもののもとへ行ってしまった」

そこで馬融はひそかに鄭玄を殺そうとしたが、鄭玄はそれに気づいてひそかに立ち去った。馬融は式盤を使って鄭玄の居場所を占うと、鄭玄は土木の上にいると出た。馬融は自ら馬に乗って鄭玄を襲撃しに行った。鄭玄はある橋の下に入り、柱にうつ伏せになった。馬融は橋のそばでためらいながら、言う。

「土木の間、これこそまさにそうだ。しかし水がある。違うな」

そして引き返した。こうして鄭玄は難を逃れることができた。

もう一つの説がある。鄭玄は馬融の門下に入って三年間、一度も直接会うことはなく、高弟たちが鄭玄に教えを伝えていただけであったと言う。

ある時、馬融が渾天儀こんてんぎの計算が合わず、弟子たちに尋ねたが、誰も解決できなかった。そこで誰かが鄭玄のことを話すと、馬融は鄭玄を呼び寄せて計算させた。すると鄭玄は一度計算しただけでたちどころに問題を解決した。弟子たちは皆、驚き感服した。

鄭玄が学業を終えて故郷へ帰る時、馬融は鄭玄を妬ましく思っていた。鄭玄もまた追っ手が来るのではないかと疑い、橋の下に座って、水の上で下駄を履いた。案の定、馬融は式盤を回して鄭玄を追跡させたが、やがて側近に言う。

「鄭玄は土の下、水の上で木に依っている。これはきっと死んだに違いない」

そして追跡をやめさせた。こうして鄭玄はついに難を逃れることができた、というものである。




別説のほうが世説新語。ちなみに世説新語では注釈者の劉孝標が「偉大なる馬融様がそんな醜い真似するわけねえだろばーかばーか!」と激憤している。いや、最近の学会のもろもろ見てると、この辺なんて普通でしょ……。

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