事件の決着
黒幕は去った。これでもう、誰も私たちに害を為そうとはしない。そういう流れである。今この状況でそれに異を唱える人がいれば、空気の読めない人だと言われるだろう。
だけど、私にはどうしても言いたいことがあった。
「あの、私から、ひとついいですか」
しんとした室内に私の声が響く。みんなが一斉に私の方を向くと、小心者の庶民の私の心臓は容易く速度を増して、変な汗が出る。でも、言っておかなければいけない。
私に視線を向ける人々はみんな、心細そうな顔をしている。
私はヴェルドさんと離れる気なんてない。けれど、私が彼の元にいることで、みんなが不安になってしまうのはよくわかった。それを放置して自分のしたいことだけ突き通すのはやっぱり、駄目なことだと思った。
「もし万が一……そんなことはありえないですけど、でも、もし、本当に彼が世界を呪う災厄と化したら」
一度は考えるのを放棄しようとしたことを、ずっと考えていた。大好きな人と戦うなんて、私にできるのかなって。怖かった。不安だった。でも、絶対に逃げたらいけないことだっていうのもわかっていたから。
「そのときは、私が絶対に止めます」
例え、命を賭けてでも。
考えて考えて、私はそう結論を出した。
それができるのは、世界でただ一人、私だけだ。私がやらなくちゃいけないことだ。でも、それは私が聖女だから、私の役目だからじゃない。
「だって、大好きな人にそんなつらくて悲しいこと、させたくないから」
大好きだけど、ううん、大好きだからこそ、止める。そう考えたら、なんでもできるような気がしてきて、ふっと心が軽くなった。世界を救うためだって言われて、あれだけ頑張れたんだ。大好きな人を助けるためにだったらきっと、もっと頑張れる。
「それなら俺だって同じだよ。絶対にお前にそんなことはさせない」
ほら、彼がそう言ってくれるから、きっと大丈夫だ。
***
「アリシアさん、いろいろ助けてくれて本当にありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ、身内が大変ご迷惑をおかけ致しました」
諸々のことが片付き、やっと外に出たら、いつの間にか夜はすっかり明けて朝になっていた。鳥の囀りが聞こえる。なんて清々しい空気だろう。
あれから王や評議会さんたちは、私たちにもう何もしないことを約束してくれたし、神官長の被害者ということで、フードくんの自由も保証してくれた。そうして私たちはようやく帰れるというわけである。見送りに来てくれたアリシアさんに、お礼を言ってきちんとさよならができるから、嬉しい。
「俺からもありがとうございます。まさかお姫様がこんな怪しい奴の話を聞いてくれるとは思ってませんでした」
「貴方の服装から教会の関係者なのはわかりましたし、話にも信憑性があったので」
あの告発は、きっとフードくんだけでは通らなかっただろう。だから彼はダメ元でアリシアさんに話をしに行ったんだ。それに乗ってくれて、決定打を作ってくれた彼女には感謝してもしきれない。最終的にほぼ理想的な形で解決することができたのは、彼女のおかげだ。 感謝してもしきれない。
「セイラ」
「ヴェルドさん!」
「準備できた。行くぞ」
私たちが話している間、少し離れたところで転移の魔法の準備をしてくれていたヴェルドさんが戻ってきて、そう言った。息をするように彼の腕に自分の腕を絡めたら、それを見てフードくんが微妙な顔をしていた。つっこむことはもうやめたらしい。
ヴェルドさんに導かれるように歩き出す。それから後ろを向いて、アリシアさんに手を振れば、控えめに振り返してくれた。お世話になった彼女に、私はずっと言いたかったことを伝えることにした。
「アリシアさん!お手紙、書いてもいいですか!?」
「え」
「お友達になりたいんです!」
驚いたような顔をする彼女。けれどすぐに表情を綻ばせて、見たこともないような嬉しそうな笑顔を見せてくれて。
「私も、セイラ様とお友達になりたいです!たくさんお手紙書きますね!!」
だから私も、全力の笑顔で手をぶんぶんと振った。彼女の姿が見えなくなるまで、ずっと。
「……で、お前はなんでついてくるんだ?」
アリシアさんとお別れをした後、ヴェルドさんが転移魔法を準備してくれたところを目指し、てくてく歩いていたところ、彼がそう言った。お前というのは言わずもがなフードくんのことである。
「いや、聖痕の解除がまだ途中なので。脱走に協力する代わりに最後までやってもらう約束だったんですよ」
「あ、そうだった」
「忘れないでくれます!?」
なんかもう全部解決した感じだったので、ちょっと忘れてた。申し訳ないとは思っています。
「じゃ、右手出してください」
フードくんが黒い手袋を外して、私の方へと右手を差し出す。私はそれを掴んで、反対の手を翳した。白い光がふわっとその場を照らす。
「はい、終わり」
「早っ」
「外すだけならそんなに難しくないんですよ」
物事はなんでもそうだ。作るのは大変で、壊すのは一瞬。書き換えの作業は作るのとあまり変わらないから、ただ外す方が楽なのだ。
「それならもっと早くやっといてくださいよ」
「ごめんて!!」
なんだかおかしくて、二人してくすくす笑っていたら、ぐいっと後ろに引き寄せられた。その犯人のヴェルドさんはそのまま私の肩に手を回す。
……なんか、ちょっと様子が変だ。
「ヴェルドさん?どうしたんですか?」
「……」
「おーい?」
聞いても答えてくれない。仕方ないので、しばらくこのままでいようかな。私たちがくっついている状態にそろそろ慣れてきたのか、フードくんは何も言わなくなったので、私はそのまま話を続ける。
「これで晴れて自由の身になったわけですけど、これからどうするの?」
「んー、どうするかなぁ。もうこの国にはいられないし、この見た目じゃ他のところに行くのもなぁ」
確かに、フードくんの見た目は完全に魔族である。聖グレイズ王国程ではなくても、奇異の目で見られるのはわかりきっていることだった。普通に考えたら彼が平穏に暮らせる場所なんてない。だけど、私にはとってもいい案があるのだ。
「なら魔族領に来れば?」
「は?」
「誰もその見た目気にしないですよ」
「いやそりゃそうでしょうけど」
こっちの国にいたら赤い瞳の人はどうしても目立ってしまうけど、魔族領ならみんな赤だ。何も問題ない。
「いいんですか?魔王様、横ですげー嫌そうな顔してるけど」
「えっ!?なんで!?」
フードくんに言われてヴェルドさんの方を見れば、確かに嫌そうな、微妙な顔をしていた。いい案だと思ったのに!
「ど、どうしてそんな不機嫌な顔を」
「……してない」
「すごくしてるじゃないですか……」
ふいと顔を背けて、バレバレの嘘をつく彼。なんだろう、何か駄目なこと言ったかな……?
不安な気持ちを抱えてヴェルドさんの様子を伺っていると、フードくんが徐に話し始めた。
「……まあ、そりゃあなたを攫った実行犯ですからね。警戒されて当然でしょ。無理ですよ流石に」
そう言われてしまえばそうなんだけど。でも彼は私を助けてくれたし、もういいんじゃないかと思う。それにヴェルドさんの様子は、そういう感じではないような。
じっと様子を伺っている私をちらりと見てから、ヴェルドさんは観念したように口を開いた。
「……違えよ。そういうことじゃない。別に、そいつがうちに来るのは何も問題ない」
「ほんとですか!」
「ただ、その、今ちょっと、俺の気持ちの余裕がなくてな」
「余裕?」
どういうことだろうか。すぐにわからなくて、そう尋ねたら、ヴェルドさんはまた視線を逸らして、その続きを言い淀む。彼には珍しい歯切れの悪さだ。
「……なんか、いつの間にかそいつと仲良くなってるから」
「え」
「それは別にいいけど、あんまり俺を放置すると、拗ねるぞ」
それは、つまり。
……嫉妬、ということでしょうか。
正直に言うとフードくんのことをあまり男性として認識していなかった。だからヴェルドさんにそういう風に思われる可能性は完全に意識の外にあって。
つまり、不意打ちでこんなことを言われてしまったわけで、破壊力は十分だった。
「……どうしよう……婚約者さんが可愛すぎるんですけど……」
「……うるさい」
心臓がきゅっとなって、いてもたってもいられなくて、彼の腰の辺りに腕を回して、思いっきり力を込める。
こうして余裕のない本音を伝えてくれることが、どうしようもなく嬉しくて、愛おしい。ヴェルドさんも少し機嫌を直してくれたみたいで、その手が私の後頭部のあたりをゆっくりと撫でた。
「俺をダシにしてイチャつくのそろそろやめてもらっていいですか?」
死んだ目でフードくんがそう言ってくるまで、完全に二人の世界に没頭していたとは、言わないでおく。




