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五日間の逃走  作者:
4/4

少女


 ゆっくりと引き出しを開けると、分厚い財布がポン、と置かれていた。

 すぐさま財布を取り出し、その場で中身を確認する。薄暗いがもう目は慣れたので、枚数ぐらいは数えることができた。

 ざっと数えて札は十五枚。そのうちの五枚が福沢諭吉で、それ以外が野口英世。

 ここはものすごい金持ちらしい。この財布の中身だけで、もう六万円になった。分厚いと思っていたのは、札のせいじゃなくて小銭のせいだったらしい。

 小銭入れを見てみると、やっぱり小銭がたんまりと入っていた。思わず頬が緩む。今の俺の顔は気持ち悪いだろうなあ、とか思いながらも、小銭を全て自分の手に落とした。

 今数えることはできないが、五百円玉や百円玉が異常なぐらい多いので、多分小銭だけでも五千円以上はあるだろう。

 ショルダーバッグを開けて中に入っている空っぽの財布の中に入れた。きちんと財布を元の位置に戻すと、まだあるんじゃないか、と思い引き出しの中を見ていく。

 しかし、どれだけ探してもいい物は出てこない。どうやらこの引き出しにはもう金目の物は出てこないらしい。

 息を吐き、場所を移動する。少し歩いたらソファーがあり、その裏にドレッサーがあった。さすがにドレッサーの中には何も無いだろうな、とか思いながらもドレッサーの引き出しを開ける。

 やっぱり中には主人の妻の物であろう、化粧品しか入っていなかった。化粧品を貰ったとしても、何が良いのかが俺にはさっぱりわからない。中には金目の物になるだろう品もあるだろうが、そこがわからないのだ。

 とりあえず、適当に高そうな物をショルダーバッグに入れた。

 ドレッサーにはもう、何も無い。他を当たろうと顔を上げると、ドレッサーの横に階段があった。

 二階にも何かあるかもしれない。俺は足音をたてずにゆっくりと階段を上る。

 二階に着き、――ん?

「何だこれ……。」


 ぷん、と鼻につく鉄の臭い。これは俺でも嗅いだことがある臭いだ。二階全体にこの臭いが充満しているようだ。

 ポケットに入れておいたマスクをつけると、ゆっくりと廊下を歩く。

 廊下は真っ直ぐ奥まで続いており、その間に横の壁にドアがいくつも見える。その中で、一つだけ半開きのドアを見つけた。

 そのドアに近づいていく程、臭いがきつくなっていく。間違いない、これは、――血の臭い。

 血は昔から苦手だ。あの赤い液体が自分の身体の中に流れている、ということを知った当時五歳。一週間ぐらい恐怖で震えていたのを覚えている。今だって苦手だ。マグロも血生臭くて食えないし。

 って、俺のことはどうでもいい。

 それにしても、このとてつもない血の臭いは何なんだ? ……まさか、という考えが頭の中に浮かんだが、その考えをすぐに打ち消す。

 いや、さすがにそれは無い。そういうのはドラマやニュースだけで十分だ。

 ゆっくりとドアに近づき、そっと顔を出した。多分、部屋の中からは俺の顔は見えないはずだ。真っ暗な廊下で、黒い服を着ているのだから、多分ばれない。

 逆に、俺のほうから部屋の中ははっきりと見ることができた。そして、その信じられない光景を俺は目の当たりにした。

「何だ、これ……。」


 思わず呟いてしまった。

 しかし、それぐらい、目の前の状況はあり得ないものだった。


 人が、――血まみれになって倒れている。


 多分、この家の娘だろう。ベッドから落ちたような格好で、その場で血まみれになっている。パジャマは真っ赤に染まっていて、腕や足はぴくりとも動いていない。

 ゆっくりと近づき、顔を見る。白い顔をして倒れており、ぱっと見ると腹の部分にナイフが刺さっていた。

 脈をはかると、もう死んでいた。

 それにしても、いつからこいつは殺されていた? 見た限り、けっこう前からだと思われるが。俺が来る前からか?

 色々と考えていると、後ろで何かが動いた音がした。冷や汗が出る。

 やばい、誰か……。この状態で見つかってしまったら、俺がこの子を殺してしまったことになるじゃないか。いや、実際は殺していないが、そう見えるに決まっている。今の俺の格好は自分でも認める程怪しい。

 振り向けないでいると、後ろで何かがゴソゴソと動いており、そして、パタン、とドアが閉まった。

 ふう、行ったか……。

 安堵の息を吐くと、ゆっくりと後ろに振り向いた。――ん?

 後ろに顔を向けた途端、俺の身体は固まった。


 そこには、一人の少女が立っていたのだ。


「――っ!?」

 驚いたが、声を出すことはできない。今叫んだりしたら確実に近所の誰かがここに来るだろう。そうしたら俺は泥棒だとういことがばれて即警察に連行……。

 嫌な想像をしていると、目の前の少女が一歩こちらに踏み出した。

 ふらふらと危なっかしい足取りの少女。こちらに近づくにつれて、段々と姿がはっきりとしてきた。白いワンピースを着ていて、腰ぐらいまであるだろう長い黒髪。……ん?

 少女の右手に、何かが握られていることに気づいた。

 よく見てみると、それは先端が血で汚れた包丁だった。それを見た途端、情けないことに俺の身体は固まってしまった。

 ……これは、殺されてしまうのだろうか。

 いらぬ想像をしては頭を振って打ち消し、だけど目の前の少女の存在を否定できなくて、俺はただただ呆然とその包丁を見ていた。

 恐怖、というか、何というか。恐怖も少しはあるが、ああ、もう死んでしまうのか人生は短かったな、という年寄りのような考えが浮かんでいる。

 すると、少女は立ち止まった。俺との距離、わずか二メートル。よく見ると、少女のワンピースの裾も少しだけ血で汚れている。

 何をされるのかわからず、少女をじっと見つめていると、少女はゆっくりと顔を上げた。

 整った顔立ちで、将来は確実に美人になるだろうと思わせるような顔。だが目が虚ろで、ちゃんと俺を見ているのだろうか。

「……おい?」

 声をかけてみると、少女は少しだけ反応した。何かボソボソと喋っている。だが、二メートルしか距離が無いのに聞こえない。

「……何て?」

「……一緒に、逃げて。」

「は?」

「私を、連れてって。」

 か細い声でそう言うと、少女は包丁を投げ捨て、またこちらに歩み寄ってきた。

 さっきの言葉の意味がよくわからず、俺は投げ捨てられた包丁を見つめていた。その間にも少女は俺のほうに歩み寄ってきて、俺の目の前で突然崩れ落ちた。

「おい!?」

 崩れ落ちた少女を見て、しゃがみこんだ。顔を覗き込むと、青白い顔をしている。呼吸も何だか苦しそうだ。

「大丈夫か? どうした?」

 聞くが、少女は何も答えない。

「だめ……。早く、逃げなきゃ……。」

「逃げるってどこに!」

「……遠い、ところ……。」

 そして、少女は目を閉じてしまった。慌てて少女を支えて床に寝かすと、まず俺は窓から外の様子を確認した。

 ……よし、誰もいない。

 携帯を取り出すと、アドレス帳から千歳の名前を見つけ出し、電話をかけた。今の時刻は深夜二時だ。あいつはもしかしたら今日も肌の調子が悪いから、とか言って寝てしまっているかもしれない。

 だが、千歳はワンコールで出た。

『……もしもし。』

 声は眠そうだが。

「ああ、俺。」

『何。』

 寝起きなのか、声が不機嫌だ。

「ちょっとまずいことが起こって……。」

『まずいこと? 娘さんが起きちゃった?』

「いや、もっとまずい。」

『何?』

 やっと千歳は完全に起きたらしい。さっきと比べて、声が違う。

 俺は、今起きていることを頭で整理してから、話し始めた。

 娘が殺されていたこと。見知らぬ少女が居て、包丁を持っていたこと。こちらに来て「一緒に逃げよう」と言ってきたこと。そして、その少女が今倒れてしまったということ。

 千歳は無言で聞いていて、俺の話が終わると、「それはまずいね」と静かに言った。

「なぁ、どうすればいい?」

『娘さんはもう死んでるんだっけ?』

「脈はかったら死んでた。」

『僕らが救急車を呼ぶわけにも行かないし、君はとりあえずその子を連れてこっちに戻ってきて。』

「え? ……目立たないか?」

『外見たら誰もいなかったんでしょ。大丈夫、誰にも気づかれないように外に出てくれたらいいから。僕が迎えに行くよ。』

「迎え? ……車か?」

『残念、バイク。』

「は? バイク?」

 思わず声が大きくなってしまい、電話の向こうで千歳が「声大きい」と注意してくる。それにしても、千歳はバイクの免許を持っていたのか。ますます年齢がわからなくなった。本当にこいつは何歳なんだ……。

『とりあえず、君は外に出て。今から行くから。』

「わかった。」

 電話を切り、俺は床に寝かしていた少女を抱き上げた。

 抱き上げたらとても軽くて驚いた。重さを感じなくて、よく見ると腕や脚は枝みたいに細い。

 少女を抱きかかえているところは見られたらけっこう怪しい者なので、着ていたパーカを上から被せると、俺はゆっくりと部屋から出た。

 最後に血まみれの娘に目をやり、すぐに目を逸らすと廊下を歩く。

 最後の最後まで気を引き締める。今日は全く金目の物を盗めなかったが、約六万円の現金を手に入れることができたんだから、千歳の上司とやらは許してくれるだろう。それとも、もっと金が必要なのか。だったら次に頑張るから許してくれ。

 頭の中で会ったことも無い上司に言い訳を並べながら、一階に下りた。来たときと同じなのを確認して、少女を脇に挟むようにすると、窓から出た。

 外側から鍵をかける。このやり方は秘密。

 また少女を抱きかかえてパーカを被せると、道路のほうを見た。

 すると、そこには黒いバイクが止まっていた。ヘルメットをしていて、乗っている奴の顔が見えない。

 バイクはエンジンの音を鳴らせて少し動くと、こちらに近づいてきた。

 バイクが目の前で止まり、ヘルメットを被っている人物が俺の目の前に立ち止まった。誰だ、と思っていたが、俺より低い身長とバイクで、こいつが誰だかわかった。

「……千歳?」

「当たり。」

 言いながらヘルメットを抜いだ。そこにはいたずらっ子のような笑みの千歳。やっぱり千歳だった。

 ふう、と大きく息を吐く。何だかひどく安心した。こいつが来たから、というのが屈辱なのだが。

「つーかお前、来るの早過ぎるだろ。」

「偶然、この街に来てたんだよね。」

「何してたんだ?」

「プライベートだから秘密。」

「……女か。」

「嫌だなあ、違うよ?」

 にこにこと笑う千歳の顔はとても嘘くさく、信じる気にもなれない。多分女なのだろう。こんなちんちくりんのくせに。

 心の中で悪態をついていると、千歳は少女の顔を覗き込んだ。

「……この子?」

「そうだ。包丁持ってた。」

「ふーん。じゃあ、僕の家に行こうか。」

「……は? 千歳の家?」

「そうだけど、何か問題でも?」

「いや、無いけど……。」

 千歳の家というのが初めてで少し驚いた。

「じゃあ、乗って。」

 俺にヘルメットを渡すと、千歳はヘルメットを被ってバイクのエンジンをかけた。俺もヘルメットを被り、ぎゅっと少女を抱いて千歳の後ろに乗った。

 ……そういえば、一人でバイクを乗ることはあるが、こうやって後ろに乗ることは初めてだな、とどうでもいいことを考える。

 ブオォォォンッ、ブオォォォンッ

「じゃ、行くよー。」

 千歳の声と同時に、俺と少女を乗せたバイクは夜の街を駆けた。


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