エピローグ~1
柳畑の秘書だった連城は、暴力団のフロント企業から賄賂を受け取っていた疑いでも取り調べを受けていたらしい。そうした日々が続く中、刑事達の追及から逃れられないと思ったのか、柳畑が階段から落ちたのはホテルの従業員の責任だと供述し始めたらしい。
昼食を取りながらテレビを見ていた龍太郎達は、逮捕の速報に驚きの余り箸をおいてしばらく聞き入った。また詳細を知る為、食事を終えた朱音は即座に事務所へ連絡を取り確認を取っていた。龍太郎達もネットで続報が流れていないかを検索した。
そこで得た情報によれば、柳畑の衣服などをDNA鑑定した際、彼のパンツのお尻部分から、踊り場の床についた跡と埃が発見されたらしい。また遺体の手だけでなく衣服からも、連城のDNAが検出されたようだ。
当初それらの物証に関しては、遺体に駆け寄った際に連城が柳畑の手を握り体にも触れていたようだと、同じく駆け付けた大野による証言があった為見過ごされていたという。
だがお尻の跡は落ちた先でなく、朱音と揉めていたとされる踊り場の中央部分で付いたものと鑑識が割り出したのだ。そうなると連城の供述通り非常階段に辿り着いた際、既に階段から落ちて血を流していたのなら、その前に尻餅をついていたことになる。その後に立ち上がってから階段を滑り落ちなければ、辻褄が合わないためだ。
事務所を通じて流した朱音の動画の中で証言した状況が本当だとすれば、彼女が胸を突き放した際、柳畑は階段から落ちたのではなく尻餅をついたのではないかと推測できた。彼女が嘘をついていたのなら、一旦尻餅をついた後でさらに突き落としたことになる。ただそうなると、衣服には二度押した跡または触れた跡があるはずだ。
けれど彼女のDNA痕は、一度胸を押したという供述通りのものしか検出されていなかったらしい。よって連城による証言と整合性の付かない点を刑事が事情聴取の際に突いた所、観念した彼は自分ではなく大野が突き落としたと言い出したのである。
つまり動画配信によって、柳畑と朱音が二人きりになっていた時の様子をはっきりと説明したおかげで、警察は朱音に向けていた疑いの目を変え、真実が別にあるのではと気づかせたのだ。
あの時リスクを犯し思い切って打った手は、無駄にならなかったと言える。さらにはマンションで新型コロナ感染騒ぎが起こり、さらには流産騒ぎもそれに続いたからだろう。朱音の捜索を一旦止め、鑑定等による物的証拠を見直す時間が生じた点も幸いしたらしい。
元々悪人になり切れなかった連城は、罪の意識に耐えられなくなり自供せずにはいられなかったようだ。けれど賄賂については完全に否認し、洗いざらい柳畑の罪状を暴露し始めた。
彼の説明によると柳畑の元に駆け付けた際、朱音に突き飛ばされ尻餅をついていたらしい。そこで彼の手を掴んで立ち上がらせようとしたところ、罵倒されたという。
「お前は本当に役立たずだな」
以前からもしもの場合、賄賂は秘書のお前が勝手にやったと証言するよう命じられていたようだ。しかし連城はそれを拒否していた。そうしている内に贈賄側の企業が自白した為、柳畑は逮捕されてしまったのである。
それからずっと役立たず呼ばわりされていた連城は、彼を殺したいほど憎んでいた。先代の申しつけもありこれまで我慢して支えてきたが、ここまで愚かな人だと思っておらず愛想を尽かしていたという。
そこでカッとなり胸をついたりして掴み合いをしていた時、大野が駆け付けたそうだ。喧嘩を止めさせようとした彼は、連城の体を掴んで二人を引き離そうとした。けれどそのせいでバランスを崩した彼は、咄嗟に柳畑の手を引っ張る形になったらしい。
その為に態勢を崩した柳畑は階段から足を滑らせ落ち、頭を強く打って大量の血を流し意識を失ったというのだ。
そこで駆け付けた時は既に階段から落ちていたと、二人は慌てて証言内容をすり合わせたのである。連城は元々柳畑を憎んでいた。大野もまた世間から非難を浴びていた悪人など死んで当然だと考えていた為、二人の思惑は直ぐに一致したという。
警察は改めて大野を任意同行して確認したところ、連城の言い分に間違いないと自白した。彼は決して殺すつもりなどなく、あくまで事故だったと泣き崩れたそうだ。また彼が傘を外した為に、防犯カメラは事故後の状況をしっかり捉えていた。
そこで映っていた画面を拡大し、柳畑の頭から流れ出ていた血やその広がり具合を詳細に分析したという。すると朱音が非常階段から去った時間より、もっと後に落ちた可能性が高いとの結果が出たのだ。
しかし計画的な殺人で無く事故だと認めた警察は、大野だけでなく連城も過失致死罪で逮捕送検したのである。ただし連城はフロント企業によって渡された収賄事件については無関係とされ、柳畑の単独行動だったと結論付けられた。しかしその件は被疑者死亡のまま、公訴は後に棄却された。
連城達の供述と逮捕により、当然朱音の無罪は明らかとなった。龍太郎達はもちろん彼女の事務所も安堵した。
だが問題はまだ残っている。それはどうやってマスコミの前に彼女が姿を出すか、だ。また疑惑は晴れたにせよ、彼女は事件直前の状況を知る唯一の証人である事実には変わらない。よって警察は彼女からも話を聞きたいと、事務所に申し出を行っていた。
その為社長や野垣と打ち合わせを行い、これまで隠していた事情を警察に伝えた結果、聴取は龍太郎達の部屋で行われることとなった。当然彼女が無実だった点や匿っていた事情も考慮された為、龍太郎達は罪に問われずに済んだ。
その代わり、彼女と同じく隠れていた期間における行動について事情聴取をされたのである。けれども柳畑が無理やり朱音を非常階段に連れて行った理由については謎のままで終わり、真実を知るのは龍太郎達三人だけとなった。
ちなみに担当はPCR検査で陰性が出たが自主隔離させられ、その期間が明けた間宮達だった。もちろん彼らに嘘をついていた点や、別のパソコンやスマホを提出した件についてはしっかりお叱りを受けた。けれども香織が流産した経緯もあり、その程度で済んだ。
警察への捜査協力を終えれば、残るはマスコミ対応である。どう説明するか悩んだが、今後の事を考慮して記者会見を開くと決まった。とうとう彼女は妊娠していると公表する決断をしたのだ。
その理由の一つは、警察がマークし隠れていると噂されていたマンションに産婦人科医が訪問診察に訪れた件を、一部のマスコミに嗅ぎつけられたと分かったからだった。
もしこのまま放置しておくと、朱音は妊娠しているのではないかとの憶測記事が遅かれ早かれ出ると予想された。またそれを否定すれば、では誰がマンション内で妊娠をしているのかと騒ぎ立てられるに違いない。
そうなれば、まず三十代の河合夫妻が疑われるだろう。彼らがそれを否定すれば、次に目を付けられるのは香織達だ。そうなれば朱音を匿った件について追及されるだけでなく、流産した件も明らかになり、好奇の目に晒される恐れがあった。
そうした事態は絶対に避けなければならず、これ以上迷惑をかけられないと朱音は先手を打とうと決心したようだ。つまりきっかけは龍太郎達夫婦を守る為だった。
彼女は無事出産出来た暁には、当初から会見を開く予定ではいた。それが早まっただけだと考え直したらしい。その頃既に安定期に入っていた点も後押ししたと思われる。
また今後精神的に安定した環境下で暮らす為にも、ここで発表した方がストレスは軽減されると判断したのかもしれない。龍太郎や特に香織の顔を見るのは辛かったのだろう。
その証拠に、連城が逮捕された為に行われた取調べが終わってから、彼女は直ぐに龍太郎達の部屋から溝口の部屋へと移り住んでいた。無事出産するまでは赤坂達の診察を受ける必要があった為に、ここで居続ける状況は変わらないからそう決めたのだろう。
そこで急遽事務所の社長や野垣が名古屋にやってきて、市内のホテルを押さえ会見を行った。当然のようにマスコミは大挙して押し寄せ、大騒ぎとなった。柳畑の事件発生から一ヶ月以上姿を消していた朱音が、とうとう現れると知ったから尚更だ。
多くのテレビ局もカメラを構えて陣取り、お昼の二時半からと各局がワイドショーなど放送している時間帯だった為、その様子は全国中継で生放送された。その時間は普段テレビを点けていない龍太郎達も、この時ばかりは二人で齧りつくように彼女達を見守った。
冒頭は社長の挨拶により、関係各社並びにファンや世間の皆様をお騒がせし、ご迷惑とご心配をおかけした点をお詫びしていた。朱音も頭を下げていたが、その後は警察から許された範囲内でと断ってから、自ら経緯を説明していた。
シングルマザーになる決意をし、高齢で妊娠した為に自らの体とお腹の子の命を守り、安静に過ごすことを優先させようと熟慮した結果、止む無く警察への出頭を控えたと述べていた。その際、涙ながらに語ったのだ。
「匿って下さった方は、あくまで私の体を気遣ってくれただけです。でもそのせいで一人の未来ある命が失われました。ですからその人達の為にも、私は絶対にお腹の子を無事出産しなければなりません。ですからお願いです。しばらくの間、そっとしておいてください。また匿って下さった方への取材もお控え下さるようお願い申し上げます」
もちろん小学生の頃、柳畑に催眠をかけた件やお腹の子の父親についても完全に伏せていた。記者達からは多くの疑問や質問を投げかけられたが、龍太郎達の件も含めた三点については頑なに口を閉ざした。
よってかなり厳しい追及を受けていたけれど、子供の命を守る為だったと最後まで主張し会見を終えたのである。
当然世間では、お腹の子の父親は誰なのかに最も関心が寄せられ、多くの有名俳優人達の名が挙げられた。中には直接質問を受けた人達もいたようだ。それでも朱音は先方に告げていなかったからだろう。
彼女の意図を汲んだらしく、誰も名乗り出る者はいなかった。その為業界内でもかなり長い間、その話題で持ちきりだったという。
また彼女が会見で触れたおかげで、匿った龍太郎達は追い回されずに済んだ。明言を避けながらも、匿っていたのは妊娠していた夫婦で更に流産したと匂わせた為と思われる。
それでもマンション内の住民達には当然勘付かれていた。しかし普段から極力接点を断っていたこれまでの経緯やコロナ感染騒ぎも影響したのだろう。また香織の過去の経緯を知る人達も多くいて、声をかけることもはばかられたのか皆そっとしておいてくれた。
その上落ち着いた頃を狙い、緑里朱音の逃亡劇の真相を探ろうと取材を目論むマスコミが近づいてきた際は、彼らが一斉に守ってくれたのだ。




